初勝利の余韻

 夕食休憩の前に対局相手の富田八段の投了により初勝利を収めた一輝は注文した親子丼を食べ終え、帰り支度を始める。


 まだ対局中の棋士も多くいる為、なるべく音を立てずにこっそりと出ていき、スマートフォンを預けているロッカーまでたどり着き、ロッカーを開けスマートフォンを見ると着信履歴があり確認する。


 見覚えのある人物の着信履歴であり、将棋会館を出てしばらくしてから電話をかけ直す。


「もしもし」

「あ、一輝君遅いわよ、終局して大分経つじゃない。一体何してたの?」


 電話の相手は小夜であり一輝は連絡が遅れた理由を説明する。


「親子丼を注文していたから食べていたんだ。そもそも富田先生が変なタイミングで投了するからだよ」

「中継アプリで見たけど富田先生、感想戦もしなかったようね。これはさすがに一輝君が気の毒ね」


 小夜が見た中継アプリとは将棋連盟が将棋の対局を盤面で中継するアプリであり、リアルタイムで対局の様子が確認できるのである。また、アプリには他の棋士の解説がついており、根強い将棋ファンはもちろん、棋士達の多くもこのアプリをダウンロードしているのである。


「後で俺も見てみよ、解説の先生がどんなコメントを残したか気になる」

「これはコメントに困ると思うわ。ま、どうせ一輝君はAIでも検討するんでしょ」


 スマートフォンを対局室に持ち込むのを禁止されているのは対局中にAI検討をする恐れがあることからである。


 今やプロ棋士もAIを活用しながらの研究が盛んになっている為、将棋AIの存在をどういう形であれ無視することはできないのだ。


「あ、そうだそれで小夜ちゃん、何か用があったんじゃ?」

「一応、言っておくわ。初勝利おめでとう」

「え、その為に?」

「言っとくけど次はタイトル挑戦か棋戦優勝か100勝するまではおめでとうはないわ」


 小夜の言葉を聞き、一輝はため息交じりで言葉を返す。


「どれも遠いな」

「でも、きっと一輝君ならできそうな気がする」

「何だよいきなり」


 電話越しに小夜は一輝に対し、声のトーンを落として話しかける。


「一輝君、覚えている?史上最年少四段昇段を惜しくも逃したときのことを」

「ああ、そんなこともあったな」

「一輝君も知っていると思うけどあの時記者たちに陰口を叩かれていたじゃない、『期待はずれだ』とか」

「……ああ」


 次の瞬間小夜はそれからの一輝について話す。


「でも一輝君は腐らず努力を続け、こうやってプロ棋士になり、勝利も収めたわ」

「それでもまだどうなるかなんて分からないよ」

「確かにそうかもしれない、でも一輝君には才能があって努力し続けられるくらいの将棋バカなんだから」

「褒めてんのかけなしてんのか分からないけどありがとうな」


 次の瞬間小夜は自らも宣言をする。


「だからね一輝君、私も女流タイトルを獲るわ。この間は結局宮里さんに負けたけど、まだあきらめていないわ」

「小夜ちゃん……、そうだなお互い頑張ろう」

「その意気よ、じゃあね」


 そう言って小夜から電話を切っていく。小夜の言葉を胸に一輝は新しい一歩を踏み出す。

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