突然の終局

 将棋の対局の休憩は40分であるが、一輝は早々にカレーライスを食べ終え、12:20頃には盤面の前へ戻っていた。


 プロ棋士は脳内だけでも盤面を思い浮かぶことはできるが、それでも直接盤面を見た方が精度は高まると一輝は考え盤面を見つめていた。


 12:30頃に記録係が戻ってきて、記録係の存在に気付いた一輝が記録係に声をかける。


「すいません、お茶を淹れてきてもらっていいですか?」

「はい」


 一輝は記録係にお茶のおかわりを所望し、記録係は新しいお茶を淹れに行く。


 しばらくすると記録係が戻ってきて、一輝のトレイにお茶を置く。


 一輝は記録係に対して一礼すると、再度盤面に集中する。


 そして12:40になると記録係より対局再開が告げられる。


「時間になりましたので対局を再開してください」


 一輝の手番で休憩に入っていた為、一輝はすぐに次の1手を指す。無論、まだ時間を使っても良いのだが、この盤面を見ることで一輝は消費時間を少しでも抑えたいという意味があったのだ。


 当然次は対局相手である富田の手番なのだが富田はまだ対局室に戻ってきていない。


 12:50を越えたあたりで富田が対局室に戻ってきて盤面の前へ座ろうとした際に記録係が富田に声をかける。


「指されました」


 この一言で富田は盤面を確認し、変化を察して考慮に至る。


 しばらくして局面は進み、富田は玉を2二まで囲い、守りを固めたがそれを見た一輝は攻勢に転じる。


 互いに端の歩は突き合っていたが一輝はそこから1五歩と端の歩を伸ばし富田の歩にぶつける。


 富田も同歩と応じるが一輝は同銀と進め銀を前線に繰り出していく。


 富田としても銀を進めたくない為、同香と応じるが一輝も同香車と応じる。


 後手の富田の陣はもはや端が崩されている。


 その後も応手をしていくが一輝が全て正確に対応していく。


 16:30を過ぎたころに先程の女性とは別の女性が夕食の注文を聞きに来た。まず富田に注文を尋ねる。


「富田先生、夕食はどうなさいますか?」

「ああ、俺はいいよ」


 富田は夕食を注文しないという意志を示し、続けて一輝に尋ねる。


「長谷先生はどうなさいますか?」


 先程の富田の注文をしないであることを察したが、念の為注文をする。


「ここの親子丼でお願いします」


 注文を受け、女性は対局室をあとにする。


 そして17:45頃、富田の口から言葉が発せられる。


「負けました」


 富田は頭を下げ投了の意思を示すが、すぐさま駒を片付ける。


 本来対局後は感想戦があるが、義務ではない為、しなくてもよく、富田の駒片づけは感想戦をしないという意思表示であった。


 駒を片付け終え、互いに一礼したのち、富田は早々に帰宅準備を行い、対局室をあとにする。


 戸惑いを覚えた一輝ではあったが、一言呟く。


「親子丼食べて帰ろ」


デビュー戦を見事勝利で飾った一輝ではあったが、波乱の幕開けでもあった。

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