4.いつまでもあなたと一緒
「やぁ、
紅牙は呆れたような声でそう言いながら、階段をゆっくりと降りていく。
「
大きく目を見開いた琥珀の言葉に、紅牙はニヤリと悪い笑みを浮かべる。
「流石、学校の先生は博識だね」
「ユキはどうした!? お前がまだ消滅していないなら無事な筈だろ!?」
「さぁ? どうだろうね?」
「お前っ……!」
「琥珀……!」
琥珀は怒りのままに紅牙に近づき、彼の胸ぐらを掴もうとした。だがその次の瞬間、踊り場からユキが叫んだ事で琥珀の動きが止まり、紅牙は笑みを引っ込める。
「二人とも落ち着けって!」
ユキはそう言いながら階段を駆け下りると、紅牙と琥珀の間に割って入った。
「はぁー……ユキくん、部屋から出ないでって――」
「ユキ……!」
不機嫌な紅牙の言葉を遮るように、琥珀がユキを抱きしめた。それを目にした紅牙の瞳が虚ろになる。
「無事で良かった……」
「琥珀……?」
「……おい、ユキくんを返せよ」
「黙れ。ユキはお前のものじゃねぇだろ」
こんなに力強く、琥珀に抱きしめられた事がなかったユキは戸惑いの声を上げる。そんな彼を他所に、紅牙はユキに手を伸ばすが、琥珀がそれを払い除け、二人は睨み合う。
「突然やってきて何なんだキミは。大体、どうしてこの場所が分かった?」
「……親父に聞いた」
「チッ……あんの狸じじぃ、個人情報をベラベラと……キミもよく大嫌いなパパに頭を下げられたね?」
「はっ……ユキの前でそんな
「……キミこそいいの? 今まで隠してきたユキくんへのドロドロした想いを、そんなにはっきり態度に出してさ」
「あ"? なんの事——」
「ユキくんが
意地の悪い笑みを浮かべて発せられた紅牙の言葉に、琥珀は息を呑み、気まずそうに視線を逸らす。その反応に、ユキは困惑し、琥珀を見つめる。
「……お前こそユキに何しやがった? この歯形は何だよ!?」
「話を逸らさないで説明してよ。あのキスマークは
あの赤い痕はキスマークだと、まだ解っていない状態とは言え、ユキにもその存在がバレている事に内心、琥珀は焦った。
「琥珀がそんな事する訳ない……紅牙クンの勘違いだよな……?」
何も答えない琥珀に、ユキは優しく問いかける。だが、琥珀は揺れる瞳をグッと閉じ、少しして目をゆっくり開くと、ニヒルな笑みを浮かべて口を開く。
「あぁ、黒原の言う通りだ。けどな、それがどうした? なんか問題でもあんのかよ?」
自棄になった琥珀はそう開き直ると、困惑するユキに視線を落とし、彼の唇を強引に奪う。その瞬間、紅牙は鈍器で頭を殴られたような感覚に襲われる。
「は……? 何してんの……?」
「ユキはオレのパートナーだ。一度、手ェ離したお前は大人しく引っ込んでろよ」
「キミだって今まで自分の気持ちを隠してた癖に……! それに、ユキくんに愛されているのはこのボクだっ……!」
「それがどうした? バケモンになったお前より、俺の方がユキを幸せに――」
「黙れ!!」
微かに床が揺れる程の紅牙の叫び声に、琥珀は警戒心を強め、ユキを守るようにより強く抱きしめる。琥珀にキスをされて呆然としていたユキも驚き、顔だけ動かして紅牙に視線を向けた。
紅牙は自分の髪をガシガシと掻き、虚ろな瞳でぶつぶつと何か言い始める。
「あーあ……今更なんなんだ……ユキくんはボクのモノなのに……。あぁ……もう、面倒だし……邪魔な奴は全員、殺してしまおうかな……」
明確な殺意がこもった紅牙の声に、ユキはゾッとする。
紅牙は酷く冷たい瞳で指の関節を鳴らしながら何度も動かし、ユラユラと二人に近づく。
このままだと本当に琥珀が殺されてしまう。それだけは絶対に駄目だと、ユキは必死に頭を働かせ、瞬時にある事を思いつき――琥珀を突き飛ばす。
「ユキ……?」
「触るな……!」
戸惑い気味に手を伸ばしてくる琥珀に向かって、ユキは怒気を帯びた声で叫ぶ。その瞬間、琥珀は身体を硬直させ、紅牙も足を止めてじっとユキの後ろ姿を見つめる。
「……琥珀サン、今すぐ帰ってください」
ユキは冷たい笑みを浮かべ、余所余所しい口調でそう言い放つ。
「は……? んだよ、急に……」
「急じゃないですよ。最初から貴方の事が煩わしかった。オレは紅牙クンの事が好きなのに、勝手に
心底、嫌そうな表情でユキは淡々と言葉を紡ぐ。琥珀は顔面蒼白になりながらも、引き下がろうとはせず、おずおずと口を開く。
「それは……悪かった。すまない。けど、俺は本気でユキの事が――」
言葉の途中でユキは琥珀の頬を思いっきり平手打ちし、冷めた視線を向ける。
「うざっ……んな事、知らねぇし。てか、琥珀サンの事、信用してたのに……人が寝てる時に何やってんだよ。無理やりキスまでされて最悪……。だから紅牙クン……」
そこで言葉を切るとユキは琥珀に背を向け、僅かに頬を赤らめて紅牙の首に腕を回す。
「口直しさせて?」
ユキは艶めかしい表情で甘えるように囁くと、紅牙に深く口づけた。紅牙は少し目を見開きながらもそれを素直に受け入れ、ユキの腰に手を回して舌を絡める。二人は身体を密着させ、水音が響く程、激しく舌を絡め合う。ユキは時折り、甘ったるい声を漏らし、そんな彼を紅牙は愛おしそうに目を細めてより強く抱きしめる。
「……やっと、紅牙クンがオレの手を取ってくれたんだ。自分の命をかけてまで。だからオレは、家族も友人も自分の店も全部、捨てて紅牙と一緒になる。その邪魔をしないでください」
ユキは唇を離した後、紅牙にくっついたまま、絶望的な表情を浮かべる琥珀の方を見てはっきりとそう告げる。すると琥珀は数秒間、放心してから「わかった……」とだけ呟き、とぼとぼ玄関から出ていった。
その背中を見送りながら、ユキは心の中で『ごめん。今までありがとう』と呟き、胸を撫で下ろす。その時に一瞬だけユキが安堵の表情を浮かべたのを、紅牙は見逃さなかった。
「さっきの演技、上手だったね?」
寝室に戻ると、紅牙はユキを後ろから抱きしめ、耳元でそう囁いた。
「は……? 演技って何の事?」
微かに肩を震わせながらも、ユキはとぼけた。
「ふふっ……ユキくんは優しいね? あんな奴、グーで殴ってやれば良かったのに、平手打ちで許してあげるんだから。ま、それもボクらを欺いて、アイツを守るために、心を鬼にしてやった事なんだろうけど……」
「だから、何の話だよ……」
ユキは呆れたような表情と声を作れてはいるが、心臓は早鐘を打っている。紅牙は手の平をユキの左胸に移動させ、直にその動きを感じて笑う。
「でも嬉しかったよ? ユキくんからキスしてくれて。それに、あんな色っぽい表情も出来たんだね?」
「さっきから何なんだよ!? あれは全部、オレ本心で――」
「そんなにアイツのコトが大切? わざと傷つけてでも、アイツを死なせたくなかったの? あーあ……だったらやっぱり、今からでも殺しに行こうかなぁ」
紅牙の無邪気な低い声に、ユキは血の気が引く。
迷っている暇はない。そう思った瞬間、ユキはすぐ近くにあるベッドに紅牙を押し倒し、彼の首に両手をかける。
だからユキは
「ふふっ……全然、手に力が入ってないよ?」
紅牙はニコリと笑い、ユキを見上げる。それから彼の腰を掴み、軽く持ち上げると、今度は紅牙がユキを押し倒す。
「アイツを殺されるのがそんなに嫌なの? ボクのコトを殺そうとする程、アイツが大切?」
ユキの両手首を押さえつけ、彼の耳元で紅牙は囁く。ユキは瞳を揺らし、「当たり前だろ」と掠れた声で呟く。その返事を聞いて、紅牙は面白くなさそうな顔をする――。
「それに、オレの大切な人を……大好きな紅牙クンが手にかけるところなんて見たくない……。そんな事になるくらいならオレが――」
――だが、続く言葉に……ユキからの“大好き”に、紅牙は顔を綻ばせた。やっと聞けた彼の本当の想いに紅牙は嬉しくなり、言葉の途中でユキの唇を塞いだ。
「そっか……意地悪言ってごめんね? 安心して。アイツのコト、絶対に殺したりしないから」
少しして唇を離すと目を細め、ユキの頭を優しく撫でた。
紅牙の優しい眼差しを見て、ユキはホッとする。また、ようやく素直になった事で、紅牙からの想いを純粋に受け取れるようにもなって喜ぶが、同時に罪悪感にも苛まれる。
「最低だ、オレ……紅牙クンがこんな姿になったのに、一緒にいられてうれしいって思ってしまってる……」
「最低じゃないよ。喜んでくれてるならボクは嬉しいし」
辛そうな顔でポツリと呟いたユキの頬を、紅牙はそっと撫でる。
「ねぇ、ユキ。今度は演技じゃなくて、きちんと紅牙って呼んで? それからもう一度ボクの事、大好きって言ってよ」
紅牙は言葉の合間に、ユキの額や頬、唇にキスの雨を降らせる。ユキはその全てを受け入れ、紅牙に真っ直ぐ見つめられると、おずおずと口を開いた。
「……紅牙、大好き。愛してる」
「うん。ボクも愛してるよ、ユキ」
紅牙は愛おしさから、ユキの血を飲みたくて堪らなくなる。その衝動を抑える事はせず、紅牙は即座にユキの首筋に強く噛みついて、滲み出る血を舌ですくう。ユキはその感触にゾクゾクと身体を震わせながらも、赤子をあやすように紅牙の頭を撫でる。
紅牙は何度か同じ行為を繰り返した後、ユキの瞳を覗き込む。すると、ユキも同じように紅牙を見つめ返し、少し困ったような顔で微笑んだ。
「やっと笑ってくれた」
紅牙が泣きそうな表情で、微かに震えた声を出すと、ユキは彼の背中に腕を回し優しく擦った。
しばらくして、二人はどちらからともなく手を取り、指をぎゅっと絡めて唇を深く重ねる。体温のない紅牙の舌がゆっくりと絡まる感覚に、ユキの身体は徐々に熱くなっていく。
ユキは目に薄っすら涙を浮かべ、幸福感と罪悪感の狭間で揺れ動きながらも瞼を閉じ、もう二度と抗えない感情に身を任せた。
【Case.4 終】
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