4.いつまでもあなたと一緒

「やぁ、ななくん。いくら幼なじみとは言え、窓を割って入るのは流石にやり過ぎじゃないかな?」

 こうが階段を降りて玄関ホールに着くと、そこには血相を変えたはくが立っていた。玄関ドア近くの窓ガラスは盛大に割れ、破片が散らばっている。


くろばら……お前、その姿……リべディストか……?」

「流石、学校の先生は博識だね」

「ユキはどうした!? お前がまだ消滅していないなら無事な筈だろ!?」

「さぁ? どうだろうね?」

「お前……!」

「琥珀!」

 紅牙の胸ぐらを琥珀が掴もうとした瞬間、階段の上からユキが叫んだ。


「二人とも落ち着けって!」

 ユキはそう言いながら階段を駆け下りると、紅牙と琥珀の間に割って入る。

「はぁー……ユキくん、部屋から出ないでって――」

「ユキ!」

 不機嫌そうな紅牙の言葉を遮るように、琥珀がユキを抱きしめた。それを目にした紅牙の瞳が虚ろになる。


「無事で良かった……」

「琥珀……?」

「……おい、ユキくんを返せよ」

「黙れ。ユキはお前のものじゃねぇだろ」

 こんなに力強く、琥珀に抱きしめられた事がなかったユキは戸惑いの声を上げる。そんな彼を他所に、紅牙はユキに手を伸ばすが、琥珀がそれを払い除け、二人は睨み合う。


「突然やってきて何なんだキミは。大体、どうしてこの場所が分かった?」

「……親父に聞いた」

「チッ……あんの狸じじぃ、個人情報をベラベラと……キミもよく大嫌いなパパに頭を下げられたね?」

「はっ……ユキの前でそんな汚いきたねぇ本性、剥き出しでいいのかよ?」

「……キミこそいいの? 今まで隠してきたユキくんへのドロドロした想いを、そんなにはっきり態度に出してさ」

「あ゛? なんの事——」

「ユキくんが寝ている知らない間にキスマークまでつけて……ボクに対する牽制のつもり? それともユキくんは自分のモノだって、印でもつけたかった?」

 意地の悪い笑みを浮かべて発せられた紅牙の言葉に、琥珀は息を呑み、気まずそうに視線を逸らす。その反応に、ユキは困惑し、琥珀を見つめる。


「……お前こそユキに何しやがった? この歯形は何だよ!?」

「話を逸らさないで説明してよ。あのキスマークはなぁに? ユキくんは虫に刺されただけって思ってるんだからさ。彼にもきちんと説明してあげなよ」

 あの赤い痕はキスマークだと、まだ解っていない状態とは言え、ユキにもその存在がバレている事に内心、琥珀は焦った。


「琥珀がそんな事する訳ない……紅牙クンの勘違いだよな……?」

 何も答えない琥珀に、ユキは優しく問いかける。だが、琥珀は揺れる瞳をグッと閉じ、少しして目をゆっくり開くと、ニヒルな笑みを浮かべて口を開く。


「あぁ、黒原の言う通りだ。けどな、それがどうした? なんか問題でもあんのかよ?」

 自棄になった琥珀はそう開き直ると、困惑するユキに視線を落とし、彼の唇を強引に奪う。その瞬間、紅牙は鈍器で頭を殴られたような感覚に襲われる。


「は……? 何してんの……?」

「ユキはオレのパートナーだ。一度、手ェ離したお前は大人しく引っ込んでろよ」

「キミだって今まで自分の気持ちを隠してた癖に……! それに、ユキくんに愛されているのはこのボクだ!」

「それがどうした? バケモンになったお前より、俺の方がユキを幸せに――」

「黙れ!」

 微かに床が揺れる程の紅牙の叫び声に、琥珀は警戒心を強め、ユキを守るようにより強く抱きしめる。琥珀にキスをされて呆然としていたユキも驚き、顔だけ動かして紅牙に視線を向けた。

 

 紅牙は自分の髪をガシガシと掻き、虚ろな瞳でぶつぶつと何か言い始める。

「あーあ……今更なんなんだ……ユキくんはボクのモノなのに……。あぁ……もう、面倒だし……邪魔な奴は全員、殺してしまおうかな……」

 明確な殺意がこもった紅牙の声に、ユキはゾッとする。


 紅牙は指の関節を鳴らしながら何度も動かし、ユラユラと二人に近づく。彼の目は酷く冷たく、ユキは“このままだと本当に琥珀が殺されてしまう”と察した。それだけは絶対に駄目だと、ユキは必死に頭を働かせ、瞬時にある事を思いつき――琥珀を突き飛ばす。


「ユキ……?」

「触るな!」

 戸惑い気味に手を伸ばしてくる琥珀に向かって、ユキは怒気を帯びた声で叫ぶ。その瞬間、琥珀は身体を硬直させ、紅牙も足を止めてじっとユキの後ろ姿を見つめる。


「……琥珀、今すぐ帰って

 ユキは冷たい笑みを浮かべ、余所余所しい口調でそう言い放つ。

「は……? んだよ、急に……」

「急じゃないですよ。最初から貴方の事が煩わしかった。オレは紅牙クンの事が好きなのに、勝手に許婚いいなずけにされて……。その癖、ずっと恋愛感情なんてないって態度だったのに……今更、好きとか言われても困るんですけど」

 心底、嫌そうな表情でユキは淡々と言葉を紡ぐ。琥珀は顔面蒼白になりながらも、引き下がろうとはせず、おずおずと口を開く。


「それは……悪かった。すまない。けど、俺は本気でユキの事が――」

 言葉の途中でユキは琥珀の頬を思いっきり平手打ちし、冷めた視線を向ける。

「うざっ……んな事、知らねぇし。てか、琥珀サンの事、信用してたのに……人が寝てる時に何やってんだよ。無理やりキスまでされて最悪……。だから紅牙クン……」

 そこで言葉を切って、ユキは琥珀に背を向けると、色っぽい表情で紅牙の首に腕を回す。


「口直しさせて?」

 ユキは艶めかしい声でそう囁くと、琥珀に見せつけるように紅牙に深く口づけた。紅牙は僅かに目を見開いて驚きながらも、それを素直に受け入れ、ユキの腰に手を回す。琥珀は大きく目を見開き、絶望的な表情をする。


「……やっと、紅牙クンがオレの手を取ってくれたんだ。自分の命をかけてまで。だからオレは、家族も友人も自分の店も全部、捨ててと一緒になる。その邪魔をしないでください」

 ユキは唇を離した後、琥珀の方を見て、はっきりとそう告げる。すると琥珀は数秒間、放心してから「わかった……」とだけ呟き、とぼとぼ玄関から出ていった。


 その背中を見送りながら、ユキは心の中で“ごめん。今までありがとう”と呟き、胸を撫で下ろす。その時に一瞬だけユキが安堵の表情を浮かべたのを、紅牙は見逃さなかった。




「さっきの演技、上手だったね?」

 寝室に戻ると、紅牙はユキを後ろから抱きしめ、耳元でそう囁いた。

「は……? 演技って何の事?」

 微かに肩を震わせながらも、ユキはとぼけた。


「ふふっ……ユキくんは優しいね? あんな奴、グーで殴ってやれば良かったのに、平手打ちで許してあげるんだから。ま、それもボクらを欺いて、アイツを守るために、心を鬼にしてやった事なんだろうけど……」

「だから、何の話だよ……」

 ユキは呆れたような表情と声を作れてはいるが、心臓は早鐘を打っている。紅牙は手の平をユキの左胸に移動させ、直にその動き感じて笑う。


「でも嬉しかったよ? ユキくんからキスしてくれて。それに、あんな色っぽい表情も出来たんだね?」

「さっきから何なんだよ!? あれは全部、オレ本心で――」

「そんなにアイツのコトが大切? わざと傷つけてでも、アイツを死なせたくなかったの? あーあ……だったらやっぱり、今からでも殺しに行こうかなぁ」

 紅牙の無邪気な低い声に、ユキは血の気が引く。


 迷っている暇はない。そう思った瞬間、ユキはすぐ近くにあるベッドに紅牙を押し倒し、彼の首に両手をかける。


 リべディスト怪物それになった人間の、想い人にしか殺せない。リべディストの話をした際に、紅牙はわざわざその事もユキに教えていた。


 だからユキは友人琥珀を守るために、愛する人を手にかけようとした。だが、両手は震え、目には涙が浮かんでいる。


「ふふっ……全然、手に力が入ってないよ?」

 紅牙はニコリと笑い、ユキを見上げる。それから彼の腰を掴み、軽く持ち上げると、今度は紅牙がユキを押し倒す。

「アイツを殺されるのがそんなに嫌なの? ボクのコトを殺そうとする程、アイツが大切?」

 ユキの両手首を押さえつけ、彼の耳元で紅牙は囁く。ユキは瞳を揺らし、「当たり前だろ」と掠れた声で呟く。その返事を聞いて、紅牙は面白くなさそうな顔をする――。


「それに、オレの大切な人を……大好きな紅牙クンが手にかけるところなんて見たくない……。そんな事になるくらいならオレが――」


 ――だが、続く言葉に……ユキからの“大好き”に、紅牙は顔を綻ばせた。やっと聞けた彼の本当の想いに紅牙は嬉しくなり、言葉の途中でユキの唇を塞いだ。


「そっか……意地悪言ってごめんね? 安心して。アイツのコト、絶対に殺したりしないから」

 少しして唇を離すと目を細め、ユキの頭を優しく撫でた。

 紅牙の優しい眼差しを見て、ユキはホッとする。また、ようやく素直になった事で、紅牙からの想いを純粋に受け取れるようにもなって喜ぶが、同時に罪悪感にも苛まれる。


「最低だ、オレ……紅牙クンがこんな姿になったのに、一緒にいれてうれしいって思ってしまってる……」

「最低じゃないよ。喜んでくれてるならボクは嬉しいし」

 辛そうな顔でポツリと呟いたユキの頬を、紅牙はそっと撫でる。


「ねぇ、。今度は演技じゃなくて、きちんと紅牙って呼んで? それからもう一度ボクの事、大好きって言ってよ」

 紅牙は言葉の合間に、ユキの額や頬、唇にキスの雨を降らせる。ユキはその全てを受け入れ、紅牙に真っ直ぐ見つめられると、おずおずと口を開いた。


「……紅牙、大好き。愛してる」

「うん。ボクも愛してるよ、ユキ」

 紅牙は愛おしさから、ユキの血を飲みたくて堪らなくなる。その衝動を抑える事はせず、紅牙は即座にユキの首筋に強く噛みついて、滲み出る血を舌ですくう。ユキはその感触にゾクゾクと身体を震わせながらも、赤子をあやすように紅牙の頭を撫でる。


 紅牙は何度か同じ行為を繰り返した後、ユキの瞳を覗き込む。すると、ユキも同じように紅牙を見つめ返し、少し困ったような顔で微笑んだ。


「やっと笑ってくれた」

 紅牙が泣きそうな表情で、微かに震えた声を出すと、ユキは背中に腕を回し優しく擦った。


 それからどちらからともなく二人は手を取って指を絡め、深く唇を重ねる。ユキは幸福感と罪悪感の狭間で揺れ動きながらも目を閉じ、もう二度と抗えない感情に身を任せた。



【Case.4 終】

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