2.貴方はあくまで私のもの

「でもそっか……つまりユキくんはそれで拗ねていたんだね?」

「は!? そんな単純な話じゃ──」

「だったらボクが素直にさせてあげる」

 こうは言葉を遮るように、ユキをソファーに押し倒す。それから彼の右手首を押さえつけ、頬に手を添えて顔を近づける。


「やめろっ……!」

「ユキくん、大好きだよ」

「イヤだ……!」

 身長は紅牙が少し高いだけで、本来ならユキの方が力は強い。それなのに、ユキが抵抗しても、紅牙の体はビクともしない。リべディストになった紅牙が優位なのもあるが、ユキの力が全く入っていないからだ。

 

「ユキくん……」

「っ……」

 唇同士が軽く触れ合うと、ユキはビクッと肩を震わせ、目をぎゅっと閉じた。彼のその反応に紅牙は「かわいい……」と呟き、何度もユキと唇を重ねる。キスの合間に紅牙は「ユキくん」と、何度も名前を呼ぶ。


「んっ……いい加減に、しろっ……!」

 ユキは左手で、紅牙の顔を押し退けた。その時、ユキが薬指につけているマリッジリングが視界に入り、紅牙の目つきが鋭いものに変わる。


「はぁー……相変わらず目障りだなぁ……」

 紅牙は忌々しそうにユキの左手を掴み、強引に指輪を外す。

「なにして……返せよ……!」

「やだ」

 紅牙は奪った指輪を部屋の隅に投げ捨てると、ユキの左手薬指に噛みついた。


「いっ……やめ……」

 血が出る程、強く噛みつかれ、ユキは呻く。彼の苦痛に歪んだ顔を見て、紅牙はほんの少し口元を緩め、血を舐め取る。その瞬間、ユキの全身が粟立つ。


「指輪……毎回、律儀につけているよね?」

「んなの、当たり前だろ……」

「アイツにつけとけって言われたの?」

「はぁ!? 琥珀こはくは関係な──」

「へぇ、二人っきりの時はそんな風に呼んでるんだ?」

 紅牙のその言葉に、ユキはハッとして口を噤む。


 なな=アジュガ=琥珀……結婚相手である彼の事をユキは普段、“サン”付けで呼んでいる。琥珀はユキより年上で、七嘉渡家の方が立場も上であるため、人前ではそうやって呼ぶ。だが、琥珀が「堅苦しいのは苦手だ」と言った日から、二人っきりの時だけユキは彼の呼び方を変えるようになった。


 その事を紅牙は全く知らなかった。だから彼はますます不機嫌になり、ユキの首筋に噛みつく。

「っ……やめろ……ぁ……」

 弱々しく抵抗するユキの、血が滲む首筋に紅牙は舌を這わせる。ひんやりした舌の感触にユキは身体をビクビクと震わせ、小さく甘い声を漏らす。

 微かなその声に紅牙はくらりとしたが、グッと我慢して顔を上げ、虚ろな目でユキを見下ろす。


「ユキくんはさ、ボクに嫉妬させたいの? だから指輪をつけて、アイツのコト呼び捨てにするんだ?」

「んなわけ……」

「それにさ、結婚してからはボクと二人っきりで出掛けてくれなくなったよね? だけど、アイツのためなら二人っきりでも気にしない……。今日だって、アイツの誕生日プレゼントを二人で選ぼうって言ったら、嬉しそうな顔で誘いに乗ってきてさ……」


 確かにユキはなるべく紅牙と二人っきりになる事を避けていた。けれども、琥珀に関する事なら毎回、喜んで紅牙の誘いを受ける。

 それが分かっていたから、紅牙は今回も琥珀を利用した。その結果、不安が募るだけだと分かっていながら……。


 図星を突かれたユキは少し気まずそうに、視線を逸らす。

「それは……どことなく、二人の雰囲気が悪くなったのが、ずっと気掛かりだったから……。誕生日プレゼントを贈るなら、仲直りしたのかなって思って。それがうれしかっただけだ……」

「ボクらの仲が悪いと、ユキくんに何か不都合でもあるの?」

「ないけど……大好きな二人が仲悪いより、良い方がうれしいし」

「ふーん……ボクとアイツの仲については正直どうでもいいけどさ……まだそうやって意地を張るんだね?」

 “友人として”を強調するユキを、紅牙は面白くなさそうに見下ろしながら、シャツのボタンに手をかける。


「ちょ、何して……」

 ユキは慌てて、ボタンを外そうとする紅牙の手を掴み、彼を睨みつける。すると、紅牙は不機嫌な顔のままユキの唇を奪い、今度は口内に舌を入れる。

「んっ!? や……っ……」 

 ユキは紅牙の舌の動きに翻弄され、頬は赤色に染まり、完全に力が抜ける。その隙をついて紅牙はボタンを上から順番に外していき、シャツをはだけさせると唇を離す。


 そして、程よく筋肉のついたユキの身体を見下ろし――


「は……?」


 ——胸元にキスマークを見つけて、ドス利いた声を上げる。


 今まで聞いた事のない紅牙の声にユキは戸惑う。呼吸を整えながら紅牙を見上げ、彼の酷く冷たい瞳にゾッとする。


なぁにこれ?」

「なんの話――」

「まさか……手ぇ出されたの?」

「は……?」

「アイツに……抱かれたのかって聞いてるんだよ」

「はぁ!?」

 予想外の問いに、ユキはやましい事など何もないのに、変に動揺してしまう。それを肯定と受け取った紅牙は赤い痕に触れ、そこに軽く爪を立てる。


「アイツ……ユキくんに手ぇ出したんだ……」

「んなわけないだろ……! 結婚してもオレ達は友人のままで――」

「じゃあ、これは何?」

「は……? そんなの、ただ虫に刺されただけだろ……」

 赤い痕に今、気がついたユキは少し呆れ気味に答えた。彼のその反応に、ユキは本当に身に覚えがないのだと解り、紅牙は少し安心する。しかし、琥珀に対する嫌悪感は消えない。


「まぁ、ある意味、虫だよね。ユキくんが眠ってる間にキミを襲う奴なんてさ」

 紅牙は憎しみを込めて、赤い痕に爪を沈めていく。そこから血が滲み出てきて、ユキの顔が痛みで僅かに歪む。

「っ……琥珀が、そんな事、する訳……ないだろっ……」

「はぁー……ユキくんはホント、警戒心ってものがないよね」

 紅牙は呆れた声で呟くと、爪をユキの肌から引き抜き、血を舐めた。夜が近づくにつれ、甘さが増す血の味に、紅牙は気分が高揚する。先程まで琥珀に感じていた憎悪はなかったかのように、ご機嫌にユキの身体に噛みつき、じっくり血を味わう。


 洋館別荘の窓からオレンジ色が差し込み、部屋の中を染める。

 

「ユキくんの血……甘くて、おいしい……」

「くそっ……すきかって、すんな……」

 苦痛と少しの快感と……紅牙への想いで、ユキは頭の中がぐちゃぐちゃになり、生理的な涙を流す。それを見て、紅牙は喉を鳴らし、ユキの目元にキスを落とした。


 紅牙の、喉の渇きが増す。どれだけユキの血を飲んでも癒えない渇きに、彼の身体を喰らいたい衝動に駆られる。それでもユキを喰い殺したくない紅牙は、必死に衝動を抑えた。


 やがて日が完全に沈み、夜が訪れる。


 不意に紅牙はユキを軽々と抱き上げると、キングサイズのベッドへ移動した。


「なに……」

 少し乱暴にベッドに押し倒され、ユキは不安そうな目で紅牙を見上げる。

 ギラギラした瞳で見下ろしてくる、紅牙と目が合う。逃げないと。頭ではそう分かっていても、身体が思うように動かない。


「ユキくんの血、もっと頂戴?」

 紅牙はユキの左手を取り、指を絡めて、首筋に噛みつく。傷口に舌を這わせ、じっくり血を味わい、噛み痕に軽く唇で触れる。指や腕、胸元、腹と移動しつつ、それを何度も繰り返す。ユキの肉体を喰らわないよう理性を保つために時々、彼への愛を囁きながら。


 最初こそ、何とか抵抗していたユキは次第になすがままになり、弱々しく指を絡め返す。紅牙はそれが嬉しくて、ユキの頬に口づけ、ふわりと微笑む。


 ——ボクはユキくんの笑顔が好きだ。キミにはずっと笑っていてほしい。だから、ボクはずっとユキくんのそばにいるよ。


 その瞬間、ユキはなぜか、幼い頃に紅牙が伝えてくれた言葉を思い出す。


 真剣な表情で優しく頭を撫でられ、安心したのを、ユキは今でもはっきり覚えている。その刹那、紅牙に恋心が芽生えた事も。

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