愛欲獣-リべディスト-【Case.3】

双瀬桔梗

あどけない恋の芽生え 前編

 雨が降る夕暮れ時。人通りの少ない道を、二人の女子大学生が走っている。

「リラちゃん! 待って!」

「追って来ないでください……!」

 逃げているのは一年生の=デイジー=リラ、彼女を追うのは一つ上の先輩・すみしろ=リーリエ=すずらんだ。


 リラは歩道橋を駆け上がり、反対側から降りようとした。その刹那、リラは足を滑らせる。リラを助けようと鈴蘭は手を伸ばし、共に転がり落ちていく。鈴蘭は必死でリラを抱きしめ、彼女を守った。しかし、自分自身は無防備で、地面に頭を強く打ちつける。


「せんぱい……?」

 呆然と横たわっていたリラはゆっくり上体を起こし、鈴蘭の顔を覗き込む。そこで彼女が頭から血を流している事に気がつき、「先輩……!」と叫んだ。

 鈴蘭は……息をしていない。その事実にリラは血の気が引き、頭の中が真っ白になる。


「——そうだ……救急車……早く呼ばないと……」

 雨脚が強まり、我に返ったリラは震える手で自分の鞄を漁り、携帯電話を取り出す。必死で番号を押すが、何度も間違えてしまう。落ち着こうとすればする程、呼吸が出来なくなる。手の震えも酷くなるばかりで、雨に混ざって、大粒の涙が頬を伝う。

 次々と涙が溢れ出る目元に、誰かが手を伸ばす。リラはビクッと肩を震わせ、手の主を見る。


「リラちゃん……泣かないで?」

 先程まで血を流し、倒れていた鈴蘭がいつの間にか起き上がり、心配そうにリラを見つめている。リラは驚きながらも鈴蘭の手を取り、「先輩……ごめんなさい」と謝る。彼女の謝罪の言葉に、鈴蘭は小首を傾げた。

「どうしてリラちゃんが謝るんスか?」

「だって……私の所為で、貴方を――」

 リラはそう言いながら、鈴蘭の頭に手を伸ばす。そして、致命傷となった頭部の傷口から生え、全身に巻き付いている“鮮やかな緑色の葉がついたつた”に触れ、言葉を続けた。

「——死なせてしまったから……」






 ――今日は朝から曇り空が広がっている。夕方になっても変わらぬ空の下、鈴蘭とリラは一緒に帰宅していた。その途中、リラの許嫁いいなずけが他の女性と手を繋いで歩いているのを、見かけてしまう。


「許婚と言っても親同士が勝手に決めた事であって、互いに恋愛感情はない。だから、あの人が誰と恋仲であろうと、どうでもいい。そう何度も説明しましたよね?」

 怒りを露わにする鈴蘭を宥めつつ、リラは冷めた瞳で許婚の背中を見つめる。

 リラが何と言おうと、鈴蘭は納得できない。リラは昔、許婚の事が好きだったと知っているから。


「でも、リラちゃんは許婚さんの事が好きだったじゃないッスか」

「はぁー……そんなの昔の話ですし、何より今にして思えば、あれは恋ではないですよ。許嫁だから好きになろうと必死になって……好きだと勘違いしてただけです」

「じゃあ、どうしてあの時、泣いてたんスか?」

「っ……あれも全部、勘違いだったんです……。もういいじゃないですか、そんな昔の事なんて。大体、先輩は人の事を気にする暇があるなら、自分の恋を実らせたらどうですか?」

「な……い、一体、なんの事ッスか!?」

 昔は確かに抱いていた、許婚への恋心に触れられてついムキになってしまったリラは、強い口調で余計な事まで言ってしまう。そこで一旦、我に返ったものの、彼女の言葉に耳を赤くして焦る鈴蘭を見て、妙にモヤモヤしたリラは下を向く。

 それとほぼ同時に雨が降り出し、二人を濡らす。


「……同じ学科の先輩の事が、好きなんですよね?」

「へ……?」

 リラの口から思いがけない台詞が飛び出した事で、鈴蘭は思わずポカンとする。その反応を見て、鈴蘭がとぼけているのだと勘違いしたリラはムッとして、勢いよく顔を上げた。

「昨日、食堂で話していた人って確か、鈴蘭先輩と同じ学科の三年生ですよね? 笑顔で楽しそうに会話してた……あの先輩の事が、好きなんじゃないんですか」

「えっと……勿論、先輩の事は人として好きッスけど……恋ではないッスよ。だってジブンは――」

「私は……! 鈴蘭先輩が誰を好きでも……どうでも、いいです……」

「え……リラちゃん! どこ行くんスか!?」

 何故だか、苛立ちが抑えられず、鈴蘭の言葉を遮ったリラは自宅とは反対の方へ歩き出す。当然、鈴蘭は彼女を追うが、リラは「ついて来ないでください!」と言って駆け出した。元々、朝から少し体調が悪かったリラは雨に濡れた所為で、それが悪化してしまい、覚束ない足で懸命に走り続ける。

 リラの事が放っておけなかった鈴蘭も彼女を追い――






「——足を滑らせたリラを助けようと一緒に歩道橋から落ちて、頭の打ち所が悪かった為、すみしろ=リーリエ=すずらんさんは死亡。そして、リべディストとして蘇った、と言う事だね?」

「はい……」

 ソファに腰掛けたリラは、対面に座る女性の問いに対し、冷静にうなずいた。女性の名は=ペンタス=メアリ。表向きは医者だが、密かにリべディストの研究もしているリラのいとこだ。

 メアリは「ふむ」と言いながら、リラの隣に座って、彼女の腕にしがみついている鈴蘭をまじまじと見つめる。


「それにしても……リべディストにしては随分と大人しいね、鈴蘭さんは。もしかして、君達は両片想いってやつなのかな?」

 重く大きな愛情を抱いていながら、その感情を押し殺した状態で生き続け、想い人を守って死ぬと、怪物となって蘇る。怪物……リべディストになった者は、今まで隠していた全ての気持ちが爆発し、最終的には想い人を喰らいたい衝動に駆られてしまう……。伝説上ではそう言い伝えられている。だが、先日、隣町で起こった『一部の人間とリべディストによる凄惨な事件』で、『実は両想いだった場合は理性を保てる』事も判明した。

 故に、鈴蘭がリラを喰らおうともしない理由はそれしかないと、メアリは判断した。けれども、リラは静かに首を横に振り、彼女の反応に鈴蘭は肩を落とす。


「おや、違ったのかい? それは失礼したね」

 メアリは意外そうな表情でリラを一瞥すると、資料に目を通し、顎に手を当てる。

「……一説では、リべディストの想い人を喰らう習性は性欲が関係しているらしい。リべディストになると、性欲が食欲へと変換され、理性を失い、想い人を喰い殺してしまうと言われている。だが、恋愛感情と性的欲求が結びつかない人間も、一定数いるからね。鈴蘭さんのリラに対する想いは、性的な欲求のない恋愛感情なのだろう。本当に両想いではないのなら、今のところそれくらいしか理由は見当たらないかな」

せーよく……せーてきよっきゅー……」

 鈴蘭はあまりピンときていない表情で、メアリとリラを交互に見る。

 リラは鈴蘭と目が合うと、気まずそうに目線を逸らし、それを見たメアリは小さく笑う。

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