3話『日常のウラ』

■ 03-01 ウラの部屋




 ◆ 03-01-01 ベッドの中で




 フウガは歯を磨き、ベッドに入る。その隣ではウラが、寝間着に着替えて横になっている。



 フウガは恥ずかしくて、壁の方を向いて背中を向けている。



ウラ「なんか、大晦日おおみそか思い出すね」



フウガ「大晦日おおみそか?」



ウラ「むかし、こたつで

   一緒に寝たじゃない」



フウガ「覚えてませんよ」



ウラ「翌朝、おねしょしてたもんね」



フウガ「ねつ造です!」



ウラ「あはは。

   それならこれは覚えてる?」



 ウラは暗い部屋でスマホを取り出して、画面を見せた。背中からフウガを抱くようにして。



フウガ「ちょっ…」



 やわ肌の感触にフウガは拒絶を試みたが、その画面にうつった写真に釘付けになった。



 中学時代にフウガが描いたウラの人物画だった。6年近く前の絵に、懐かしさとともにつたない画力に目を覆いたくなる。



フウガ「どうしてこれ、

    持ってるんですか?」



 寝返るように振り向くと、ウラの顔がとても近い。夜闇の中でもスマホの明かりでよく見えた。



 目をそらそうとあご先に目線を移すと、寝間着のゆるい胸元が視界に入り、天井を見た。



ウラ「美術部入ったフウガに、

   生徒会長権限で無理やり描かせた

   わたしの絵。宝物にしてるから」



フウガ「会長にそんな権限

    ありませんよね」



ウラ「フウガはこれで賞取ったんだよ」



フウガ「そうでしたか」



 照れ隠しでごまかすフウガ。



ウラ「県知事賞よ?

   わたしちゃんと覚えてるもの」



 スマホの画面を消して、ウラも天井に向いて目を閉じた。



 男子が1年生ひとりしかいない中学校の美術部の教室で、なんの変哲もない人物画に、逆光を取り入れて明暗を描いた。



 この絵でフウガの人生は決まったようなものだった。



ウラ「フウガが絵で賞を取って

   いとこのわたしは誇らしかった。

   それと同時にうらやましかった」



フウガ「まさか? ウラねえが?」



ウラ「ホントよ。

   わたしには特技なんて

   なにもなかったから。

   ただお飾りの生徒会長。

   親や先生の命令に、

   素直に従ういい子ちゃんって、

   よく陰で言われてた」



 暗く、静かな部屋で、ウラは寂しく笑う。



ウラ「いま思えば、できたんだよね。

   運動だってそうだし、

   フウガみたいに絵を描くのも、

   日記や、物語をつづるのも、

   楽器を演奏したり、

   たぶん歌うことだって。

   最初から自分の領分じゃないって

   決めつけて、やらなかった。

   でもクリエイターを目指すのに、

   才能なんかは関係ない」



 才能という言葉の呪い。ずっと絵を描いてきたフウガは、ウラの言葉にハッとさせられる。



ウラ「わたしはただ、やらなかっただけ。

   自分じゃなにも選ばず、

   つまらない生き方をしてた」



 その告白に、恥ずかしくなってきて両手で顔を覆いため息をつく。



フウガ「そんなこと

    ありませんよ」



 自己否定をしたウラの言葉に、フウガはしずかに反発した。



フウガ「僕はウラねえ

    ずっと憧れてたし、

    いまも目標持って

    行動してるから、

    その…憧れですよ」



 言いながら、なんだか恥ずかしくなる。



ウラ「あはは。ありがと。

   きょうは全然

   ダメだったけどね」


 病室で作ったゲームはアンナには大した評価はされず、逆に問題点が浮き彫りになった。



フウガ「でもウラねえ

    そんなことで

    諦めないでしょ?」



ウラ「そうだね。

   もっとセンスを磨いて、

   フウガが憧れる

   わたしっぽくもないし」



 ウラは顔を覆った手を布団のなかに戻し、フウガの手を取った。フウガはドキリとして、顔を少しウラに向ける。



ウラ「ありがと」



 握られた手の感触に、フウガは声も出さずに小さくうなずくだけだった。




■ 03-02 ダイニングキッチン




 ◆ 03-02-01 朝




ウラ「おはよう」



フウガ「おあ…ようございます…」



 いつも夜22時に寝るウラに対し、退院直後で時間の感覚が狂っているフウガの寝覚めは悪い。ベッドで隣にウラがいる状況がなお一層、寝付きを悪くさせたのは言うまでもない。



ウラ「コーヒー飲む?」



フウガ「苦くなければ…」



ウラ「わたしのも、そんな

   苦くないから大丈夫」



フウガ「そのまえに

    顔、洗ってきます」



 オーブントースターがチンと軽快な音を鳴らし、パンが焼けたことを知らせる。



フウガ「うあっ!」



 フウガの声が遠く、ダイニングにまで響く。その声にウラも気づいた。



フウガ「ウラねえ

    洗濯物どうしたの…」



 山積みになった洗濯物。



 昨夜は同衾どうきんで頭がいっぱいだったので、フウガも気が付かなかった。



 脱ぎ捨てられた昨夜のウラの寝間着と下着。フウガが下着を見たところでそれどころの問題ではない。



ウラ「あっ…これは…そのぅ…

   アカネちゃんの家に持って行って、

   お願いするのを忘れてたんだ…」



フウガ「え? いつも

    そうしてるんですか?」



ウラ「引っ越す前は、

   住み込みだったから」



フウガ「洗濯機ありますから

    使いましょうよ。

    洗剤は? 柔軟剤もない…

    え? ネットは?」



ウラ「ネットは契約してないけど」



フウガ「インターネットじゃなくて

    洗濯ネットですよ」



ウラ「なに? それは

   どこで契約すればいい?」



 ウラはクリーニングのサブスクリプション契約かなにかと勘違いしている。



フウガ「それでよく…」



 太い実家を離縁したウラが、3年もよく生きていられたことに、別の感動を覚えつつフウガは絶句する。



 フウガはハッと気づき、ダイニングの冷蔵庫を開けて見た。案の定、タマゴや野菜などの食材らしきものは一切見当たらず、がらんどうとしている。調味料、プリンや保冷剤などは食材に換算しないものとする。



フウガ「ご飯、いつも

    どうしてるんですか?」



ウラ「普段は比良坂ひらさか

   ごちそうになるから大丈夫」



フウガ「大丈夫って…。

    いくらなんでも

    甘えすぎですよ」



ウラ「だって、良いって言うんだもん。

   休日ならレトルトで済ますよ?」



 洗濯以外に食事までお世話になっていれば、住み込みで働いているのと大差がない。



 家事に無頓着むとんちゃくなウラにしびれを切らし、考えた末に、ひとつの答えがあった。



フウガ「お金、貸してください」



ウラ「え、どうした?

   エッチな本でも買う?」



フウガ「買いませんよ。

    洗剤と柔軟剤と、洗濯ネットと…

    あっ、ハンガーも必要では…」



 買い出しに必要なものを思い浮かぶだけメモし、予算を割り出した。



ウラ「ハンガーならあるよ?」



 と取り出したのは服を掛けるハンガーであり、洗濯物を干す洗濯ハンガーではない。



フウガ「必要ですよ。

    いつまでもアンナさんとこに

    甘えちゃダメですって。

    ウラねえはもう

    大人なんだから、

    ちゃんとしなきゃ」



ウラ「はい…」



 母子家庭で育ったフウガは、家事に目ざとい。年下のいとこに叱られ、マーガリンを塗ったトーストをひとくちかじって反省した。




 ◆ 03-02-02 幕間




 ふたりは朝食を終え、買い出しの物品を吟味して出かけようとした矢先、フウガのベッドが届いた。ある口論の末に、ベッドの組み立てと設置で午前が潰れた。



 ウラはせっかくの買い物に待ちぼうけとなり、昼食のパスタを茹でる用意をした。



■ 03-03 スーパー




 ◆ 03-03-01 買い物




 マンションから徒歩圏内に、大きめのスーパーがある。ウラのバイト先である比良坂ひらさかでも、備品の買い出しでよく使われる。



ウラ「ベッドの組み立てなんて、

   明日でも良かったんじゃない?」



フウガ「よくないですよ。

    いや、寝具さえあれば、

    僕は床で寝てもいいんですよ」



ウラ「それなら一緒に寝ればいい」



フウガ「こうやって平行線になるから、

    組み立てたんじゃないですか」



 フウガがカートを押しながら、メモとスーパーの売り場を確認して、買い物の順番を確かめる。



ウラ「晩ごはん、なに食べる?

   また作ってあげよっか?」



フウガ「それでまたパスタじゃダメですよ。

    ウラねえは、ぜんぜん

    自立できてませんよ…」



ウラ「そういうフウガだって、

   いまは似たようなものじゃない」



 無職、浪人。言葉が胸に突き刺さる。



ウラ「フウガって料理できる?」



フウガ「できますよ。

    少しくらいなら」



ウラ「お魚さばける?」



フウガ「さばかなくても、

    処理されてるものを

    買えばいいんですよ。

    カット野菜もありますし」



ウラ「それって料理っていうの?」



フウガ「包丁使うだけが

    調理じゃないですよ。

    いまどき電子レンジも

    調理器の一部なんです。

    毎日のやることに

    楽しちゃダメなんて、

    自縄自縛じじょうじばく行為が

    おかしな話で」



ウラ「たしかに、そうかも。

   それならわたしが作った、

   お昼ごはんのパスタ

   だって料理じゃん」



フウガ「自立の話ですよ。

    洗濯しない、ご飯作らないは

    自立から遠のいてます」



ウラ「たしかに、そうかも…」



 自分の普段の生活を思い返し、不承不承、受け入れるウラだった。




 ◆ 03-03-02 目的



 日用品の買い物を先に済ませ、今後のご飯の予定を決める。



ウラ「ならフウガは料理担当?」



フウガ「そうですね。

    でも、これでいいんでしょうか?」



ウラ「どういうこと?」



フウガ「無職で、浪人で、

    ウラねえの家に

    居なかったら僕は

    ホームレスですから」



ウラ「まだそんなこと気にしてるの?」



フウガ「僕も働くべきですかね」



 バイト募集の案内を目にして、そんな考えを抱いた。ウラは買い物カゴに、箱アイスを入れる。



ウラ「よくないと思うよ…」



フウガ「生活費の足しにもなりますし、

    税金の支払いも必要ですよね」



ウラ「それはわたしが払うから、

   フウガが気にすることじゃない」



 ウラはそう言って、ミカンをカゴに入れる。



フウガ「この状況って、

    僕ヒモじゃないですか」



ウラ「そうだよ」



フウガ「そこはせめて

    否定してくださいよ」



 ウラは首を横に振って、フウガの求めさえ否定する。



ウラ「だって、いまのフウガには

   ちゃんとした目標がないもの。

   目標から逃避するための行動は、

   いい結果にはならないよ」



 経験者の口ぶりに、フウガは素直にうなずけなかった。



フウガ「あの…ウラねえさん?」



ウラ「フウガがなにかやりたいこと

   見つけたら、わたしはそれを

   ちゃんと応援するわよ」



フウガ「いえ…なんでそう、

    ぽんぽんカゴに入れるんですか」



 ウラは売り場で見つけた鮭とばを、カゴに入れようとしている最中だった。



ウラ「えぇー冬になったら、

   これ食べたくならない?」



フウガ「こんなに買ったら、

    持ち運べなくなりますよ」



 悩むことに夢中になっていたフウガが、いまさら気づいた。日用品以外に、食品がカゴいっぱいになっており、フウガが普段買う量をはるかに超えている。



ウラ「いいじゃない。

   これからふたりなんだし」



フウガ「そうなんですけど…」



ウラ「こたつが欲しくなるなぁ。

   あ! お鍋、買おうか」



フウガ「買いませんよ」




■ 03-04 ダイニングキッチン




 ◆ 03-04-01 幕間




 日用品と大量の食料を買い、駄々をこねるウラを連れて早々に撤収してからも、フウガはやることが多かった。



 ウラに洗濯の基本を教えて、ほこりの溜まった廊下を拭き、ついでにトイレと風呂の掃除をこなし、夕食の支度をはじめた。



 その間、ウラはといえば出来ることも奪われ、フウガが指摘したはずの自立から遠のいていた。



 ダイニングのテーブルで、病室で作ったゲーム『die or dice(アンナ案)』の改善を考えながら、フウガの仕事っぷりを嬉しそうに眺めるのであった。




 ◆ 03-04-02 晩ごはん




ウラ「凄い! 普通だ!」



 食卓に並んだフウガの料理を見て、ウラの第一声。



フウガ「普通でいいんですよ。

    毎日作るんですから」



 サクラマスの切り身、菜の花と玉子の中華風炒め。炊いた白米とレトルトの味噌汁。温かい緑茶。最低限の手間で済ませた。



ウラ「でも美味しい」



 炒めものを口にしてほころぶウラの顔をチラと見て、フウガは味噌汁をすする頬が緩む。



フウガ「掃除しながら思ったんですけど」



ウラ「あっ、エッチな本買い忘れた?」



フウガ「買わなくていいですよ。

    ウラねえは、まだ

    クリエイターを目指すんですよね」



ウラ「そうだよ。確認?」



フウガ「専門学校とかに通うんですか?

    ゲームの専門学校?」



ウラ「まさか? わたしは

   これまで通り比良坂ひらさかで働くし、

   そんなとこ通うお金はないよ」



 と、切り捨てる。



ウラ「それに目指す方向が違う」



フウガ「方向?」



ウラ「フウガの病室で、

   初めてゲームを作ってわかった。

   お金はかけなくても作れたでしょ」



フウガ「そうですけど…」



ウラ「だからわたしのゲーム作りは、

   いままで通り机の上ね」



フウガ「…これは違うかもしれませんが…」



 フウガが提案を躊躇ちゅうちょしたのは、昼間にバイトの件をウラに否定されたからである。



ウラ「なに?」



フウガ「僕の目標が

    ちゃんと見つかるまで、

    ウラねえのゲーム作りを

    手伝わせてほしいんです。

    もちろん家事以外で、

    やれることがあれば

    なんでもするから」



ウラ「なんでも?」



フウガ「でっ! …出来る範囲で…」



 再確認されて困惑する。



ウラ「最初からそのつもり。

   でも作業の手伝いは、

   わたしから言うのも

   変だなって思ってたし」



フウガ「ありがとう…」



ウラ「こっちこそ。

   これからよろしくね」



 改めて挨拶を交わすので互いに照れて微笑みあう。これから始まる生活に、ふたりは胸を膨らませた。




 ◆ 03-04-03 来訪者




 するとルームチャイムが鳴った。20時。こんな時間に来る客に、ウラには心当たりがない。



 ウラは黙り、手も口も動かさず、ジッとする。



フウガ「アンナさんですかね?」



ウラ「アンナちゃんなら、

   連絡くれるから違う」



 ほかに予想できる相手といえば、受信料の請求だが、ウラはテレビを持っていない。宅配物なら予定通り、午前中にベッドが届いた。



フウガ「聞いたことあるんですが、

    不審者が女性入居者を狙って、

    部屋番号を間違えたフリして

    確認してるとか…?」



ウラ「経験則?」



フウガ「僕を疑わないでください。

    もしくはストーカー

    されてたりします?」



ウラ「そういえば高校生時代に、

   付きまとわれたことはあるけど」



フウガ「えっ?」



 気になる話に驚くフウガだが、しばらく経ってもチャイムは鳴り止まない。



ウラ「なんだろ…?

   もしかして心霊現象だったりして。

   管理会社に電話しようかな」



フウガ「のん気過ぎません?

    これ僕が、出てみますね」



ウラ「お願いスルー」



 約束無しの訪問者など、もとより相手にする気のなかったウラだが、こんなときにフウガがいると助かることに気づき、安堵あんどのため息を吐いた。



 ルームモニターに表示されたのは、帽子を目深に被った小柄な人物。肩にかかるほどの長い髪が見える。ウラには心当たりがない。



フウガ「はい…?」



 フウガも恐る恐る声を出す。



レナ「あっ、あの…

   こちらに、鈴土りんどせん…

   鈴土りんどさんはいらっしゃいますか?」



フウガ「ん…? 僕ですが? あの…

    なんのご要件でしょうか?」



 部屋の契約者はウラ、つまり相倉あいくらのハズだが、昨日今日来たばかりの同居人の名前まで知る人は限られている。



 ましてやフウガを訪ねてくる人物など、心当たりがない。



ティナ「美術部1年の鬼助きすけティナです。

    わたし、先輩の義妹いもうとなんです」



 帽子を脱いだ少女の見知らぬ顔がモニタに映る。フウガの知らないうちに、知らない後輩が妹を名乗り、ウラの家にやってきた。




(3話『日常のウラ』終わり)



次回更新は7月5日(水曜日)予定。



眠たくなる説明書公開中。(外部サイト)

https://shimonomori.art.blog/2023/06/14/game-manual/

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