〈3〉

『美味しい』


 交流会後の施設内の食堂で、配られたお弁当を頬張ったあかりがほっぺたを撫でた。


『施設も侮れないね。私、ここに入るよ』

『いや、話が早すぎるって。お弁当だって仕出しでしょ』

『将来計画は、大事』

『それでも早すぎ。ほら、ご飯粒ついてる』


 指摘すると、あかりは頬をんっと突き出してきた。……いや、自分で取りなよ。

 ため息を吐きながら指で掬って、そのまま僕のおにぎりごと口に放りこむ。


 僕たちは、みんなの昼食に招かれていた。

 僕が連れてきたのが女の子だったことに、何故かお爺さんお婆さんたちの方が色めき立って、別にそんな関係でもないのに、甲斐甲斐しく声をかけられた。

 今はその波も落ち着いているけれど、その代わりに、あかりと僕の座るテーブルには、木皿にてんこ盛りのお菓子が残されている。


『みんな、優しいよね』

『人にお節介を焼くのが好きなんだよ。ここ、暇だから』


 さすがにお菓子の山には参った。チョコにせんべい、ビスケット。果てはおつまみになるようなチーズやサラミの類まである。僕は、お年寄りは四次元ポケットを持っているんじゃないかと疑っていた。きっと、そういう超能力者を世間から隠すためのものが福祉施設なのだ。


『どう、美味しい?』


 やってきた母さんが、手に持った大きめの袋の口を拡げ、テーブルの上のお菓子を次々と飲み込んでいく。


『母さん、それどうするの?』

『家に持って帰るのよ』

『お酒のおつまみ?』

『違うっての……あんたとあかりちゃんがもらったものでしょ? 二人で食べなさいよ』


 言われている意味を理解するのに、少し時間がかかった。


『ね、あかりちゃんも、今度うちに遊びに来なさいな』

『ありがとうございます』

『でも今日は駄目よ。私は遅くまで仕事でいないから、その間に冬彦が変なことしたら嫌でしょ?』

『大丈夫ですよ、冬彦はヘタレなんで』


 ニヤニヤとお手話べりをする母さんとあかりに、さらに首を捻る。

 今、僕、馬鹿にされてる、よね?


『ちょっと待――』

『※なお、意見には個人差があります』


 身を乗り出そうとして、目の前に突き出されたメモ帳に撃沈した。いつの間に。

 テーブルに頭を打ちつけた僕に、母さんが「これは強敵ね」と呟く。余計なお世話だよ。


『最近、冬彦が楽しそうにしているのも納得だわあ』

『楽しそう?』


 首をかしげたあかりに、母さんは肩を竦めて口元を吊り上げる。


『そ。家に帰ればいっつも、あかりちゃん、あかりちゃんって、もう耳ダコ』

『あかりの名前知ったの、今日が初めてだよね?』


 僕の抗議もむなしく、母さんはほぅほぅほぅと笑いながら、お菓子の入った袋をサンタクロースのように担いで行ってしまった。

 左手で車のキーとタバコのケースを出したところを見ると、このまま外で一服する気なんだろう。


『ごめん、母さんがあんなので』

『そう? 楽しい人だよ?』


 はにかんだあかりに、ほっとする。少なくとも、引かれてはいないようだった。


『やっぱり来て良かった。冬彦のお母さんにも会えたし、ピアノも素敵だった。ちゃんと聴こえたよ』


 そっか、と微笑んで返す。もしかしたら気を遣ってくれているのかも知れないけれど、嬉しかった。

 不安だったんだ。音のほとんどない世界にいるあかりに、演奏を楽しんでもらえるのか。

 胸を撫で下ろしていると、ふと、あかりが髪を揺らす。


『ねえ冬彦。世界共通で伝えられるものって、知ってる?』

『手話? ボディランゲージとか』

『はずれ』


 舌を出されて、ううむ、と唸り込む。分からなかった。

 確かに、手話は万能じゃない。方言の違いでさえ大きいことを教えてもらったばかりだ。

 手話でもないボディランゲージによるサイン一つとっても、日本国内と海外では意味が異なる。シフォンと出会ったパリでだって、OKサインを作ったつもりが、逆に相手を怒らせてしまったことがある。

 言語にしても、商業においては、規模の大きい英語や中国語を覚えた方がいいと言われているらしいけれど、それだって世界共通ではない。


『じゃあ、音楽?』

『それもはずれ』


 違ったようだ。今日の流れなら、とも思ったけれど。

 それならあかりを連れて来るのに悩む必要もないし、手話歌だって、わざわざ「聾者に音楽を伝えたい」なんて言わずとも伝わるもんね。


『ごめん、降参』


 白旗を上げることにした。僕が参りましたと苦笑すると、あかりは『それ!』と身を乗り出した。


『笑顔だよ』

『笑顔?』

『そう。演奏を聴いたみんなも笑顔だったし、ピアノを弾いていた時の冬彦も、きらきらしてた。私はそれを「聴いた」んだよ』


 ミニコンサートを思い浮かべながら、顔を綻ばせるあかりを見ていると、思わず僕もつられて口元が緩むのが分かった。

 笑顔を「聴いた」か。あかりらしいな、と思う。


『私ね、音楽で伝わるのは音じゃなくて、気持ちだって思うんだ。手話なんかつけなくても、テレビの歌番組を見ていて、気持ちを乗せて歌っている人を見るとぐっとくる。表情で伝わってくるの。歌っている人から聴いている人に笑顔が広まって、聴いていた人から、もっとたくさんの人たちに広まって。そうやって、みんなに笑顔が伝わって。平和になるんだよ』


 いつものメモ帳は出されなかった。いや、多分出したくなかったんだと思う。

 これが、あかりの願いだから。


『ごめん、語っちゃって』


 願いという弾を込めたマシンガンを下げて、あかりは恥ずかしそうに笑った。


『ううん、分かるよ』


 けれど、その「一人目」になることは、途方もない棘の道だ。

 僕がいた世界だってそうだ。上手く演奏して当たり前。楽譜通りにして当たり前。けれど、それだけではいけなくって。それは、誰にも答えがわからないもので。

 野心だとか邪道に頼れば天井は低く、純粋に追い過ぎれば墜落する。


 切磋琢磨という耳障りのいい地獄をやっとの思いで超えた先では、もう心も体もボロボロ。それでも、笑わなければいけない。


――期待の神童ピアニストは、大切な親の死を乗り越え、返り咲けるのか!?


 何でもないという顔で、手を振り返さなければならない。


『分かるよ』


 噛みしめる。僕にはそれが、できなかった。


 ロミオとジュリエットに降りかかったような、星に宿されたとんでもない出来事というものは、うねりすぎたんだ。捻じれたまま大きくなりすぎて、解いても解いても解ききれない糸の塊になってしまった。切れば血が出て、塊はさらにもがき、うねる。

 どうこうしようという気持ちすら、起こせないほどに。


『音楽にはさ、解釈練習ってのがあるんだ』

『解釈練習?』

『そう。楽譜に込められた曲の、メッセージを探ることなんだけど』


 僕が弾いた「ロメオとジュリエット」には、シェイクスピアの物語がバックグラウンドとして存在する。そうした背景ストーリーを読み込むことで、例えば第何楽章はこういう雰囲気、といった情緒を表現することができる。

 歌手のライブでも「この曲は、こういう思いで書きました」というMCを聴くことがあるけれど、それと同じ。そしてそれは「この曲はこう」と決まっているものもあれば、表現者ごとに異なる解釈を以てなされるものもある。


『ああ、それで』


 あかりが膝を打った。


『ロミオとジュリエットは読んだことあるけど、その曲を、冬彦が必死に、でも優しく弾いていた理由が分かった』

『でも、あれをプロがやったら、かなり顰蹙を買うと思うよ』


 鼻を掻いた。実際その通りだと思う。独自の解釈とのたまって、バラードがポップスになったら怒られるはずだ。ベートーヴェンの「歓喜の歌」を短調で奏ででもしたら、教会にいる人たちから磔にされてしまうだろう。


 けれど、あかりは、僕の手をそっと握ってから。じっと目を見つめて、


『私は、好きだよ』


 そう、言ってくれたから。

 僕の力は小さくて、守るなんて大それたことは言えないかもしれないけれど。

 せめて目の前の笑顔と、ずっと一緒に笑っていたいと思った。

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