第2話 無言のさようなら

 亮と真帆が出会った日から三ヶ月後。

 二人は、本格的に山中に足を踏み入れていた。

 ロングパンツにアウトドアジャケットといった服装にザックを背負う姿は、手慣れた登山客という雰囲気である。

 真帆は民俗学の傍らフィールドワークとして、各地の民話や史跡の調査を行っている。その為、山歩きは慣れたものなのだが、今日ばかりは勝手が違っていた。

 それは同行者がいるからである。

 柏田亮だ。

 亮は、姥捨て山の老人達は、山中で200年も生きたという記録から、現地を訪れたいと願った。

 それ故に、古文書から解き明かした地名を、現在の地図と地名に照らし合わせ、正確な位置を特定する必要があった。

 そこで亮は、村があったという地域の民俗学者である真帆に同行してもらうことにしたのだ。

 二人は登山の下調べを兼ねて、何度もこの山中に入ってトレーニングを行う。登山慣れもしていない状態で、危険な場所に踏み込むわけにはいかないからだ。

 時には、あえてビバークをし、ツェルトを張り一晩を過ごす訓練も行った。

 ビバークとは、予定通りに下山できず、山中で緊急に夜を明かすこと。

 山では、暗い中で無理な行動をするより、早めにビバークを決心して安全を確保し、雨風をしのげる場所を探して夜を明かす方が得策だ。

 その甲斐あって、今ではすっかり二人とも山に慣れることができた。

 そして、今回は目的地に向けての登山だ。

「亮さん。どうして不老長寿なんかに興味を持つんですか?」

 真帆は、歩きながら気になっていたことを尋ねてみる。

「人間の寿命というのは短かった。旧石器・縄文時代は15歳前後。古墳・弥生時代が10~20代。飛鳥・奈良時代が28~33歳。平安時代は30歳。鎌倉時代が24歳。室町時代は15歳前後。安土桃山時代の平均寿命は30代。江戸時代の平均寿命は35~40歳程度。

 そして、現代の日本人は男女ともに80歳台を超えている。平均寿命は年々延び続けているんだ。なぜだと思う? 」

 亮の問いかけに真帆は考え答える。

「それは、農業が発展して食べ物の心配をしなくてもよかったり、医療が発達したから。それと社会情勢で戦う必要がなくなったからでしょ」

 亮は満足げにうなずく。

「そうだね。身体の具合、一つとっても医療が無い時代は、横になって自然治癒だけだったが、今の人間には市販薬を飲む、医者にかかることなど、選択肢の多さが長寿につながった。しかし、それでも限界はある。人間はどこまで生きられるか? その答えの一つを僕は見つけたい」

 彼の瞳はまっすぐで強い意志を感じさせるものだった。

「古文書には不思議な記述があった。《無言のさようなら》という記述だ。これこそが知りたいことなんだ」

 亮は興奮した口調で話す。

 朝から登山道から山中に入った二人だが、地域の古文書や古地図を元に、老人達が住んでいたという小村を目指した。

 山中は、時が止まったような静けさに包まれていた。

 やがて蔦で覆われた岩があった。

 平地にあるにしては不自然なことから、真帆が近づいて調べると岩に顔が彫り込んであった。

「これは?」

 尋ねる亮に、真帆が答える。

「おそらく道祖神どうそじんよ。村境、峠などの路傍にあって外来の疫病や悪霊を防ぐ神」

 道祖神は、かつて人々が暮らしていた痕跡を語りかけるように佇んでいた。

 二人は誰も立ち入らない山中の奥深くに、答えが隠されていることを信じて進む。

 山道を進むにつれ、草木の生い茂る道はますます狭くなり、植物のささやき声が聞こえるかのようだった。

 やがて、遠くから微かな光が差し込む場所にたどり着く。

 そこには渓谷が近くにあり、村人達が生活していたと思われるいくつか家があった。朽ち果て崩れかけた家々が静かに眠っていた。

「凄い。江戸期の民家が残っているなんて」

 真帆は感嘆の声を上げる。

 江戸時代に建てられたまま残っている家は珍しい。

 ましてや山奥ならばなおさらだ。

 真帆はデジタルカメラを手にすると、写真を撮り始めた。

 その様子を見ながら亮は、空を見上げる。

 太陽は西に傾き始めており、まもなく日没を迎えようとしていた。

 日が暮れれば視界が悪くなるし、何より寒さが厳しくなってくる。

 これ以上の探索は危険だと、亮は判断する。

 真帆は亮に声をかけた。

「少し無理をし過ぎたわ。今から戻れば一番近い山小屋まで行けるかもしれない。そこまで行きましょ」

 真帆の言葉に、亮は同意するが、木々の向こうに建物が見えた。

「なあ。あれは何んだ?」

 亮が指差す方向を見ると、やしろのような建物がある。

 真帆は首を傾げる。

 二人が近づくと、古びた社があった。

「姥捨てされた老人達は、ここで祈りを捧げていたのね」

 真帆が呟くと、亮も興味深そうに眺めている。

 社の扉を開けると、中には何も無く、天井の一部が欠け落ちているだけだった。

「ここでビバークしないか?」

 亮は提案した。

 真帆は、亮の提案にうなずいた。

「そうね。ここなら夜露を凌げそう」

 二人は荷物を下ろし、一泊することにした。

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