振り返らないで聞いている

木谷

1

金魚が死んでいる。

西向きに取り付けられた網入りガラスの窓には紺のカーテンが取り付けられていて、それ自体半開きのままで放置されており、使った記憶もない。窓からの光は部屋に差し込み、金魚の死体と、大量の藻草がぷかぷか浮いた鉢を照らしている。気流に乗る埃は、そんな水上を彷徨いながらてらてら光っている金魚に向かっていって、吸収されるように定着していった。その様子を見下ろしながら僕は、死とは魂が抜け落ちるのではなく、何か異常なものが入り込むことで起きるのかもしれない、などと考えていた。


僕には何が入り込んでしまったのだろうか。記憶を無くしてからかなりの日数が経ち、年齢、名前を除いて、今までどんな人と出会ったのか、何を成してきたのかを忘れてしまった。気がついた時にあったのは、よれた黒のスーツと金魚つきの殺風景な部屋だけだった。これから何をしようとも、またいつこうなるとも知れない。絶望した僕は自殺を決意した。


御誂え向きの梁がなかったので、柱の木の、飛び出たチワワの眼球みたいな瘤のところに縄をくくりつけ、椅子に立ち、輪っかを作って首に一周させている。自殺の様式は結構煩雑で、想像していたよりも手を焼いた。靴を揃える、遺書を書くといった様式が、自殺衝動を忘れさせ、冷静にさせていく。先駆者たちは、自殺に防衛機構を持たせてどうするつもりだったのだろうか。僕は訝ったが、むしろ、それを乗り越える衝動の持ち主だけが踏み入れることを許される世界なのかも知れない。そう思い直すと、改めて足元を見る。椅子に立っている。

この椅子を蹴ったら、僕は死ぬ。

幼い頃から親はヘルメットを被れとか、不審者に気をつけろとか、大人になっても、食事は取れとかの心配をして僕を死から遠ざけようとしたが、そんな親が育てた僕は今、死を選ぶ。あらゆる感情が素手で乱暴に混ぜられ、希死念慮はいま、脳を焼いていた。そして、その苦しみがさらに息を荒くしていった。アルコールランプの蓋を素早く閉めるように、瞬間この椅子から離れて仕舞えば、つまり酸素の供給を止めれば、脳が焼かれることはなくなるのだった。僕は足に少し力を入れる。走馬灯が、上映のカウントダウンを始める——


次の瞬間、数日ぶりに声を出した僕は、反射的に首にかかっている縄を放るように外した。その反動でバランスを崩し、椅子の上から勢いよく落ちた。腰を強打した痛みとか、直前の浮遊感に優先して鼓動を鳴らしていたのは、走馬灯が必死に伝えた二文字だった。

予言。

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