イスチ・ヴォージェ

「ねえ、先生はどういうものなの?」

「どういうモノ?」

「ママやパパが、むつかしいことばで、何か言っていたわ。先生、いえ、カンタベリー司祭様―――。」


 は、何で出来ているの?


👻


「おさとう、スパイス、すてきなもの、そんな何もかもで出来ているのよ。」

「きゃああ!?」

 どこか遠くの記憶を覗き込んでいたかのような錯覚を起こしていると、『自分』が突然振り向いた。驚いて、両手で背中を床に押し付ける。

 夢だったらしい。


Lazy sweetieおはようさん、マーシー。よく眠れて何よりですわ。」

「きゃあ! 先生ヴァチタリーチャ! ど、どうしてここに!?」

「まあ、今日もただのローマンお兄様との和解のための講義に来たんですのよ。」

「………。それは、教義だけの話?」

「あら、わたくし達は信仰そのものでしょう? 他に何の話をいたしますの?」

 マーシーは、チラッと、iPadを見る。ギリシャ語で、昨今の東方正教会が、皆ロシア正教会を『覚えない』―――つまりは、マーシーとの絶縁を宣言した記事が出ている。日付は一年近く前だが、ずっとその記事のスクリーンショットを消すことが出来ない。

 最愛の兄からも絶縁を言い渡された苦しい記憶なのに、その時の記憶を追想するのをやめられないのだ。どうしてなのか、この矛盾は、きっと自分が人間を模しているから、に、他ならないのだろう。

「だって、カルヴァンとか、ルーテルとかが…。」

「まあ、わたくしの夫が? 全く、曲がりなりにも貴女のほうが年上なのだから、家族らしく敬っていないといけませんのに…。夫にはよく言っておきますわね。」

「メソジストなんて、ボーバの怒りを助長させるようなことばかりしてくる…」

「それはあの子じゃなくて、あの子の仲間たちアメリカがやっていることですわ。特に貴女は、それが分かっているでしょう? 貴女が。」

「…うん。」

「学ぶことは大切ですわ。知識はどんなに手を尽くしても、奪うことは出来ません。政治の話は、人間主役にまかせて、信仰わたくしたち信仰わたくしたちにしか出来ないことをしましょう。ローマンお兄様のところが、新しく出した回勅は手に入れましたか?」

 こくり、と、マーシーは頷いて、ベッドから降りると、本棚から白い本を出した。ロシア語で、『ラウダート・シ』と、書かれている。『主が讃えられますように』という意味だ。

「では、ラウダート・シの…。今日は飛ばして、結婚についてのことにしましょう。」

「…第二章で大丈夫です、先生ヴァチタリーチャ。戦争の話をしましょう。」

「ダメです。」

 意外なことに、マーシーの師はピシャリと言った。

「マーシー、この『ラウダート・シ』の本来の目的を、この本が出た時に教えましたね。」

「…はい。近代の問題についてです。だから第二章を―――。」

「一体信仰わたくしたちごときがどうして、戦争を止められると思うのですか? マーシー。英国国教会わたくしは、戦争どころか、ローマンお兄様の信者なかまというだけで、我が国の、いえ、人類の文学の賢人であるウィリアム・シェイクスピアを、一族もろとも滅ぼそうとしたのですよ。」

「………。でも、あの時のイギリスって…。」

「一人を神の体から切り離そうと、一国を神の体から切り離そうと、痛むことに変わりはありません。…さ、勉強を始めましょう。最近は、レズビアンやゲイの話題ばかりね。悲しいことに、英国わたくしのじっかは、それ以前の問題が多いのですけれど。日本では、『へんたいしんし』というんですって。」

「あ、知ってます。裸にネクタイと靴下を履くという、日本の隠れた正装ですよね。」

「最近の日本人女性は、いつでも男性器を興奮させることができるそうですわよ。相変わらずあの国は不思議ですわね。」

信仰あたしたちもわりかし不思議な存在だけれど、日本人はもっと不思議ですね。」

「ああ、そういえば、コロナの時に、ウクライナの総主教せんせいが………。」

 その後は、本も開かず、二人で色々な恋の話をした。愛については、敢えて語らなかった。ロシアンティーを入れると、相変わらずジャムを入れずに、マーシーの師はストレートで飲んでいる。

「………。ねえ、先生ヴァチタリーチャ。」

「どうしました? マーシー。」

 静かに紅茶にクッキーを浸しながら、師は答えた。

「…って、怪物なのかな。」

「………。どうして、そう思うのかしら?」

 浸したクッキーをティーソーサーに置き、すっと紅茶をずらして、彼女は手を手を置き、話を聞いた。

「戦争はいけないと言いながら、戦争を始めて、止める努力もしない。人間の形をしているだけの、ひとでないもの。………ギリシャ正教会おにいちゃんは、戦争に反対するからって、あたしと縁を切ったけど、人間の家族は、そんなことしないんでしょう? 不倫でもしない限り。」

「それが、どうしてわたくし達が怪物だと?」

 マーシーは透明なサラサラとしたジャムを紅茶に落とし、口に入れる前のジャムのスプーンを握った。

「人間は、矛盾してもいいように、ハリストスが創ったわ。でもである信仰あたしたちは、それなら一体何で出来ているの? あたしがこんなんだから、ロシア人は皆、ボーバと同じだと、ずっと思われていたわ。」


 平和を祈る人がいる一方で、平和を凌辱する人がいる。それは人間という一人一人の千差万別の環境が生み出す違いであって、何も心配することはない。

 ただ、信仰じぶんたちは違う。

 大勢であり、個人であり、そして神への道。神を愛し求める、人々の群れを母として生まれた、人にも神にも限りなく近いけれども、決して同じにはなれない存在。


 人々を救うために、その人々を殺すことを、教会じぶんは責めるどころか、支持している。それは癒着だからとか、そういうことではない。のだ。

 それは遠縁の弟妹達も同じはずなのだ。五本山あにたちも同じはずなのだ。

 そして、目の前で自分を見つめている、英国国教会カンタベリー・カトリックも、パクス・ブリタニカを掲げていた。


 自己矛盾を肯定されている人間とは違う自分達が自己矛盾をする。人間のように。

 人間のふりをする人間でないものは、怪物ではないのだろうか。


「あたしのこの祭服の赤は、ギリシャ正教会おにいちゃんが似合うって、くれたんです。炎のように輝く、信仰の色だって。殉教者たちの尊い血の色でもあるって。でも、あたしが今踏んでいるのは―――。」

 一通りすすり泣いて、マーシーは言った。


「あたしって、いったいなにで、できてるのかな。」


 すると、師は置いておいたクッキーを口に入れ、少し考えて、突然歌を歌った。

合唱曲イスチ・ヴォージェ?」

「ええ、そこに答えは出ていますわ。ロシア正教会マスクヴァ・コンスタンティンは、女性を模すことにしたんでしょう? なら答えは簡単です。」


おさとう試練スパイス主の恵みすてきなもの、そんな神のはからい何もかもで出来ているのよ。」


「スパイス?」

「よく考えてごらんなさい、マーシー。どうして、わたくしたちが、使のか。」

「それは…。………そういえば、どうしてでしょう。」

「簡単なことですわ。人間にとっては、なのです。矛盾を孕んだ人間に寄り添うの信仰わたくしたちは、それですから、矛盾を否定できなくて当たり前なのです。純然なる善であるイエス・キリストでさえ、『罪を持つこと以外は全て人間と同じ』でしたわ。だから空腹になったり、疲れたりと、聖書に書いてありますでしょう? けれどもそれって、と思いませんこと?」

「…たしかに。」

「だから、矛盾していて当たり前なのです。神が、矛盾することをと、仰って、そのとおりに、キリストはお生まれになり、生きたのです。…ただ一つ、いずれ人間が至る姿である、『罪のない存在』として、ね。だから―――。」


 信仰わたくしたちは、常に矛盾していましょう。正義の悪魔純然なるものにならぬように。

 怪物りそうに人々が押しつぶされないように。

 怪物もまた、神が人間を楽しませるために、お創りになったもの。楽しい楽しい、ちょっと悪いことがしたい子どもたちのための、お友達。ちょっとやりすぎたイタズラをどうしてもしたくなる、神の子にんげんたちの、お友達。決して裁くための言葉ではない。


 おめぐみくれなきゃトリック・オアつみをおかすよトリート


 まだまだクッキーもジャムもたくさんあります。

 誰一人、地獄に落としつみをおかさせたりしませんから、安心なさい。

 もしも我慢できなくて、イタズラをつみをおかしちゃっても大丈夫。

 ちゃんとお菓子かみのあいがありますからね。

 みんなで満腹ハッピーになりましょう。

 そのつもりで、大人神なる主は毎日菓子パンを作っているのです。


👻

Из чего жеいったいなにで, из чего жеできてるのかな

英国のマザーグースの童謡からおそらく着想を得たと思われる、Я. А. Хелемскийヘレ厶スキーの作詞、Ю. М. Чичковチチコフの作曲による、1970年代頃に作られたボリショイ少年少女合唱団の歌。


お題『ハロウィン』

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