11 ラストライブ

 客席の照明は落とされて、幕に隠されたステージにスポットが灯される。

 そうして、洋楽のBGMがフェードアウトすると――おもむろに、エレアコギターの音色が響きわたった。


 これはおそらく、宮岡部長の演奏である。『イエローマーモセット』はSEを使用することなく、いきなり演奏を開始したのだ。

 どこか物悲しくて、やわらかなタッチで奏でられる、単音のフレーズだ。客席の、おもに若い女性たちが黄色い声をあげていた。


 そうして、幕が左右に開かれると――そこには、エレアコギターを構えた宮岡部長の姿しかなかった。

 ステージの向かって右側に立った宮岡部長は、指で優しくギターの弦を爪弾いている。スポットもごくひかえめな光量で、宮岡部長の長身がぼんやり照らし出されていた。


 そうして宮岡部長は、ゆったりとギターを弾き続け――そして、おもむろに歌い始めた。

『青い夜と月のしずく』よりもややスローテンポの、六拍子のリズムだ。伴奏はエレアコギター一本であるし、メロディもゆったりしているので、宮岡部長の歌声が心にしんしんと染み入ってくるかのようであった。


 宮岡部長の歌声はどちらかというハスキーで、女性にしては低めであり、太さも備わっているように感じられる。ただし、浅川亜季やジェイ店長ほど獰猛な気配はなく、そこまでの迫力ではない代わりに、耳に馴染みやすいように思えた。


 その声質も関係しているのか、宮岡部長の歌声が文化祭のときよりもめぐるの心に深く食い入ってくる。

 なおかつこの曲はリハーサルでもエレアコギターの音量バランスを取るためにざっと披露されていたのだが――そのときとも、まったく趣が異なっていた。宮岡部長の歌声にもギターの音色にも、尋常でなく情感が込められているように感じられたのだ。


 客席の人々もいつしか声をひそめて、宮岡部長の歌とギターに聞き入っている。

 そして宮岡部長はAメロを二回繰り返した後、Bメロに移行して――さらに、サビにまで突入した。


 サビもゆったりしているが、熱唱である。

 エレアコギターも激しくかき鳴らされて、歌声とともに情念を爆発させている。たったひとりでステージに立った宮岡部長は、歌とギターだけでこの場の空間を支配していた。


 そんな中、ようやく残りのメンバーが姿を現す。

 スポットの当たっていない暗がりの中、寺林副部長はドラムセットに着席し、轟木篤子はスタンドに立てかけてあったサンダーバードを抱えあげた。


 宮岡部長の歌とギターを聴きながら、轟木篤子は分厚い黒縁眼鏡を外して、胸ポケットに差し込む。

 そうして、痛切で激しいサビが終わりを迎えたとき――スネアの重い連打を合図に、ベースとドラムの演奏がかぶせられた。

 コード進行はイントロに戻されたが、宮岡部長はギターをかき鳴らしている。そしてベースが、低音で歌うようなフレーズを披露した。ドラムはどっしりとした六拍子のリズムだ。


 めぐるの背筋が、ぞくぞくと粟立っていく。

 宮岡部長の歌とギターだけでも十分な魅力であったのに、そこにベースとドラムの音色も重ねられたのだ。そして轟木篤子はかつてなかったほど、流麗なフレーズを紡いでいた。


 エフェクターも繋いでいないのに、うっとりするほど美しい音色である。もともと中低音が豊かな音色であるのに、わずかにトーンも絞っているのだろう。甘くて太い、めぐるが好ましく思う音色であった。

 それにやっぱり流麗と言ってもそうまでテクニカルな技法を駆使しているわけではないのだが、めぐるの心はその低音に奪われてしまう。ちょっとしたグリスや、ちょっとしたハンマリングや、ちょっとしたビブラートが、宮岡部長の歌声にも負けないほどの情感を表しているように思えてならないのだ。それは何か、ゾウのように巨大な動物がゆったりとハミングしているような風情であった。


 そうしてAメロに入るとギターはまたやわらかいタッチとフレーズに戻り、ベースはボトムを支えるフレーズに切り替えられる。その上で、宮岡部長が歌声を響かせた。

 演奏が厚くなった分、宮岡部長の歌声も力感を増している。そしてこれは原曲をなぞっているのか、メロディや歌詞の詰め込み方も一番とは異なっており、後半部ではサビに負けない熱唱を見せていた。


 その熱を余韻に引きながら、Bメロに移行して――そして、サビである。

 そのときこそ、宮岡部長を筆頭とする三人はすべての力と情念を叩きつけた。


 リズムはゆったりしているが、重々しい。もともと力強い寺林副部長のドラムを轟木篤子のベースが補強して、これほどの力感を生み出すのだ。

 宮岡部長はギターをかき鳴らし、咽喉も裂けよと熱唱している。そしてすでに楽曲はエンディングに向かっているらしく、サビのメロディも後半部で大きく変動してこれまで以上の言葉を詰め込み、一番とは比較にならないほどの盛り上がりを見せた。


 そのドラマチックな展開に、めぐるは涙をにじませてしまう。

 ただ、『SanZenon』や『V8チェンソー』、『リトル・ミス・プリッシー』や『ヴァルプルギスの夜★DS3』の演奏を耳にしたときのような衝撃はない。めぐるは何だか、素晴らしい映画でも観ているような――そんな心持ちで、涙腺を刺激されていた。


 きっとこれは、原曲の素晴らしさも大きく関与しているのだろう。その歌詞やメロディがあまりに素晴らしいものだから、めぐるの胸をぐいぐいと揺さぶってくるのである。

 しかしまた、実際に歌っているのは宮岡部長であり、演奏をしているのは寺林副部長と轟木篤子だ。今この場で、彼らがこのアレンジで、この音を響かせているからこそ、めぐるは涙をにじませているのである。宮岡部長の歌とギター、轟木篤子のベース、寺林副部長のドラムが素晴らしいことに変わりはないし、そしてその演奏も、めぐるの心を震わせるだけの調和を見せていた。


(みんな、格好いい……でもやっぱり、轟木先輩が一番すごいんだ)


 めぐるは今日まで、数々のバンドを目にしてきた。まあ、しょせんは一年足らずのキャリアであるが、野外フェスや年越しイベントにも参加したおかげで、もはや何十というバンドの演奏を見届けているのである。


 それらのバンドと比べると、宮岡部長のギターや寺林副部長のドラムに際立ったものは感じない。とりわけ今の宮岡部長はエレアコギターであるため、ただ情念のままにかき鳴らしているようにしか見えなかった。

 ただその情念も、魅力の大きな要因であったし――そして、情念の他には際立ったものも感じられないギターとドラムを結びつけているのは、ベースであった。


 ベースもまた、何か特別なことをしているわけではないのだが、その太い音色と安定したリズムで楽曲をしっかり支えているのである。その指先がわずかに伝えるニュアンスが、宮岡部長の歌声と同じぐらいめぐるの心をつかんで離さなかった。


 そうしてドラマチックなサビが終わったならば、アウトロに移行する。

 そこではまた、ベースが流麗なるフレーズを見せた。ボトムをしっかり支えながら、どうしてこうまで優雅に舞うことができるのか。超絶的な技巧とさまざまなエフェクターでそれを成し遂げるフユとは、まったく異なる手腕であるはずであった。


 やがてその楽曲がエンディングを迎えると、寺林副部長はスネアやシンバルを乱打して、宮岡部長はギターをかき鳴らした。轟木篤子はハイフレットにスライドさせて、楽曲の中では見せないような大胆なビブラートを披露する。


『今日はありがとう。最後まで楽しんでいってね』


 宮岡部長が低い声音で伝えると、思い出したかのように黄色い声援が飛び交った。

 リズム隊が盛大に音を鳴らす中、宮岡部長はエレアコからエレキのギターに持ち替える。そこから歪んだギターサウンドが放たれると、いっそうの歓声がわきたった。


『それじゃあここからは、飛ばしていくよ。みんなもしっかりついてきてね』


                ◇


 そうして『イエローマーモセット』が二十五分間のステージの後に一曲だけアンコールも披露すると、本日のイベントもついに閉幕であった。


 熱気の冷めやらない客席ホールで、和緒は「やられたね」と肩をすくめる。


「最初にエレアコの弾き語りをお披露目することで、うちらの爆音の印象をかき消したわけだ。その後は、スリーピースの演奏でもまったく物足りなくなかったしね。誰が考えたのか知らないけど、なかなかの策略家だよ」


「う、うん。でも、格好よかったのは確かだよね?」


「そりゃあまあ、誰かさんが涙を浮かべるぐらいにはね。一歩まちがえたら大すべりしそうなやり口だったけど、宮岡部長の情念の勝利ってわけだ」


 すると、すっかり感じ入った様子のミサキも「そうですね」と声をあげた。


「あとはやっぱり、ベースの力が大きかったと思います。アンプ直であんなにフィーリングを出せるなんて、大御所バンドのベテランベーシストみたいです。……あのベースの御方も、卒業生なのですよね?」


「ええ。ミサキさんのひとつ上ってことですね」


「すごいですね……自分とはまったく違う方向性ですけど、すごく刺激を受けました。あの御方だったら、プロを目指せると思います。もしかしたら、スタジオミュージシャンのほうが向いているのかもしれませんけれど」


 そう言って、ミサキはめぐるに向きなおってきた。


「とにかくあの御方は、めぐるさんとは違う意味で高校生離れしていると思います。もしかして、めぐるさんはあの先輩さんから指導を受けていたのですか?」


「いえいえ。あの先輩様はうちのヴォーカルとギターを引き抜いて、プレーリードッグを不安の坩堝に叩き込んだぐらいですね」


「はあ? 何それ? 信じられないんだけど!」


 と、ミサキは甲高い声を張り上げるなり、たちまち羞恥に頬を染めた。


「あ、ご、ごめんなさい! あまりに腹が立ったもので……」


「怒りに我を失っても、キュートなんですね。感服です」


 和緒がぺちぺち拍手すると、ミサキはいっそう恥ずかしそうに縮こまってしまう。そのタイミングで、町田アンナと栗原理乃がやってきた。


「いやー、すげかったね! やっぱブチョーたちは、かっちょいーや! ほんと、あのメンバーでオリジナルをやればいいのになー!」


「そうしない理由は、これまでさんざん語られてたでしょうよ。本人の意向を尊重して、気持ちよく送り出してあげようじゃないの」


「うん! あの三人が次にどんなバンドを組むのか、それもちょっと楽しみだねー!」


 町田アンナは屈託なく笑っているが、栗原理乃は何故だかもじもじしている。そしてその睫毛の長い目が、おずおずとめぐるを見つめてきた。


「あの……私は遠藤さんのような激しい音色とフレーズを好んでいます。だからどうか、お気になさらないでください」


「え? いえ、はい……く、栗原さんは、いったいどうしたんですか?」


「あはは! 理乃も今日のライブで、メガネセンパイの実力を思い知ったみたいだねー! それでめぐるが不安になってないか、心配になっちゃったんじゃない?」


「は、はい。あの御方は本当に、アンサンブルを支えるのが巧みであるようです。なんというか……ロックバンドより、クラシック音楽の奏者に似たものを感じてしまったんです。あんなプレイヤーは、これまで目にしたこともないのですけれど……で、でも私は、遠藤さんのほうが好ましく思います」


「あ、ありがとうございます。わたしも宮岡部長の歌声は素敵だと思いますけれど……一緒にバンドを続けていきたいのは、栗原さんです」


 そうしてめぐるも一緒になってもじもじすると、案の定、和緒に頭を小突かれてしまった。


「何をいきなり告白合戦をしてるのさ。ミサキさんが珍妙な動物でも見るような目で見てらっしゃるよ」


「そ、そんなつもりはなかったのですけれど……でもやっぱり、『KAMERIA』のみなさんは仲がいいんですね。ちょっぴり羨ましいです」


「んー? ミサキちゃんのバンドは、仲が悪いの?」


「い、いえ。仲が悪いことは……ないと思うのですけれど……」


 と、ミサキが溜息をついたところで、森藤が駆け寄ってきた。


「ほら、みんなも早く準備して! 先輩たちがこっちに来ちゃうよ!」


 卒業生が楽屋から出てきたら、また花束を贈呈する手はずになっていたのだ。先刻まで森藤が陣取っていたブースの下に、その花束が隠されていたのだった。


 今回も、一年生代表のプレゼンターは和緒である。和緒と森藤と小伊田がそれぞれ花束を取り上げたところで、客席ホールの扉が開かれた。


「宮岡部長、寺林副部長、轟木先輩! 三年間、お疲れ様でした!」


 森藤の掛け声で、あちこちからクラッカーが鳴らされる。

 頭にスポーツタオルをかぶった宮岡部長は、「あはは」と照れ臭そうに笑った。


「盛大なお見送り、ありがとう。パイでも投げつけられるんじゃないかと思ってたよ」


「あは。それも候補にありましたけど、怒られそうだからやめておきました」


 大勢の人間が見守る中、森藤は寺林副部長に近づいていく。


「あらためまして、卒業おめでとうございます。そして、三年間ありがとうございました。これからは、わたしたちが軽音学部を守っていきます」


 寺林副部長は、「おう」としか言わなかった。

 ライブの直後で、情緒が定まっていないのだろうか。怒っているかのような顔つきであったが、今にも涙をこぼしそうにも見えた。


「轟木先輩も、お疲れ様でした! 僕も轟木先輩みたいなベーシストを目指します!」


「ふん。だったらまず、基礎からやりなおすべきだろうね」


 轟木篤子はこの段に至っても、不愛想な仏頂面だ。小伊田は涙ぐんでいたが、それを気にかける様子もなかった。

 そして宮岡部長の前には、和緒が進み出る。そのとたん、それを取り囲んだ娘さんたちが黄色い声をあげた。


「プレゼンターが交代になったんだね。何か意図でもあるのかな?」


 宮岡部長の問いかけに、和緒は「いえ」とクールに応じた。


「あたしも最後ぐらいは心からお祝いの言葉を捧げたかったんで、もっとも敬愛する部長に花束を贈呈したいと志願したまでです」


「へえ。あなたはわたしを敬愛していたの? 申し訳ないけど、ちっとも気づいてなかったよ」


「でしょう? あたしは本心を隠すのが趣味なもので」


 そう言って、和緒はふいに目を細めた。

 和緒がめったに見せない、優しげな眼差しである。それを間近から向けられた宮岡部長は、ぎょっとしたように目を見開いた。


「宮岡部長。あんまり交流させていただく機会はありませんでしたけど、実は陰からお慕い申しあげていました。部長らしい厳しさを持ちながら部員のひとりひとりに目を配る心づかいは、本当にご立派だったと思います。あたしみたいな駄目人間にはとうてい見習うこともできませんけど、森藤先輩や小伊田先輩はもちろん、町田さんあたりにもしっかり伝わっているはずですから、どうか安心して見守ってあげてください。……三年間、お疲れ様でした」


「……まいったなぁ。それはちょっと、反則だよ」


 宮岡部長はスポーツタオルで乱暴に顔をぬぐってから、彼女らしい力強い微笑みをたたえた。


「ありがとう。あなたも、サポートをよろしくね」


「それは請け負えませんけど、先輩がたを怒らせないていどには頑張ります」


 そうして和緒の手から花束が贈呈されると、また黄色い歓声が飛び交った。和緒と宮岡部長はどちらも長身で、王子様めいた凛々しさがちょっと似通っているのだ。そんな二人が向かい合うと、得も言われぬ華やかさが生まれるようだった。


「ギャラリーが何か期待してるみたいですね。いっちょディープキスでもかましますか?」


「しないよ、馬鹿」


 宮岡部長は受け取ったばかりの花束で、和緒の頭をぽんと小突く。

 宮岡部長は力強い微笑みをたたえたままだったが、その目もとには汗ならぬものがにじんでいるようであった。


「和緒もなかなかやるねー! じゃ、ウチらもお祝いしに行こっか!」


 と、町田アンナは栗原理乃の手を引いて、人垣の内側に突入していく。

 しかしめぐるは、その場に留まった。ミサキをひとりにするのは悪いような気がしたし、めぐるが声をかけても喜んでもらえるとは思えなかったし――それに何より、今はひっそりと自分の思いを噛みしめていたかったのだった。


(かずちゃんがあんな目を向けるってことは……本当に、宮岡部長のことを慕ってたんだろうなぁ。もっと交流する機会があったら、もっと仲良くなれたんだろうなぁ)


 そうしてめぐるがひそかに胸を詰まらせながら、和緒たちの姿を見守っていると――めぐるの頭も、花束で小突かれた。

 めぐるがびっくりして振り返ると、仏頂面の轟木篤子が黒縁眼鏡の向こう側からにらみつけてくる。彼女が正面からめぐるのことを見据えてくるのは、文化祭の帰りがけ以来のことであった。


「あんたたちは、相変わらずだったね。バンドがグレードダウンしてたらヴォーカルとギターを引っこ抜いてやろうと思ってたのに、あてが外れちゃったよ」


「あ、いえ、その……ど、どうもお疲れ様でした」


 泡を食っためぐるが見当違いの言葉を返すと、轟木篤子は花束で自分の肩を叩きながら「ふん」と鼻を鳴らした。


「こうなったら、あたしも本腰を入れてメンバーをかき集めるしかないや。ま、何がどうあっても、あたしは大学を卒業するまでに音楽で食べていく道を切り開いてみせるけどね。メンバーを引き抜かれたくなかったら、あんたもせいぜい死に物狂いで練習しな」


「わ、わかりました。ど、どうもありがとうございます」


「……なんでそこで、お礼の言葉が出てくるんだよ……」


 と、轟木篤子が溜息をついたとき、寺林副部長が「おい」と近づいてきた。


「お前は何をカラんでるんだよ? 立つ鳥跡を濁さずって言葉を知らねえのか?」


「うるさいなぁ。あたしが誰にカラもうと、勝手でしょ」


「勝手なことあるかよ。そいつだって、俺の大事な後輩なんだからな」


「ふん。先輩風を吹かすほど、大した活動もしてないくせにさ。……そんなにいいカッコしてたら、彼女さんがキレるんじゃない?」


「う、うるせえな! とにかくお前は、大人しくしてろ!」


 轟木篤子は「はいはい」と肩をすくめると、人垣の向こうに立ち去っていった。

 周囲の人々は、まだ宮岡部長を取り巻いて大騒ぎをしている。それを横目に、寺林副部長はめぐるのほうに向きなおってきた。


「……悪かったな」


「え? い、いえ。わたしも別に、轟木先輩のことは嫌いじゃありませんので……」


「そうじゃなくって、これまでのことだよ。轟木の馬鹿が言ってた通り、先輩らしいことなんてひとつもしてやれなかったもんな」


 そのように語る寺林副部長は、とても真剣な面持ちであった。

 めぐるが彼と真正面から言葉を交わすというのは、これが初めてのことである。


「お前らも気づいてると思うけど、俺も宮岡も去年の夏ぐらいまではすっかりやる気をなくしてたんだよ。で、やる気を取り戻した頃にはもう受験対策で、お前らの世話を焼くこともできなかったんだ」


「え、あ、そ、そうだったんですか?」


 めぐるは心から驚かされたが、しかし思い当たることがないわけでもなかった。めぐるが軽音学部に入部した当初、先輩がたはおしゃべりを楽しむばかりでまったく練習する素振りも見せていなかったのだ。


「……小伊田たちの世代ってさ、最初は六人ぐらい新入部員がいたんだよ。でも、俺は短気だし、轟木もああいうやつだから、ちょっと部内の空気が悪くなって……お前らが入学する頃には、小伊田と森藤しか残らなかったんだ。それで、さすがの宮岡もめげちまって……あとはもう残された人間で楽しくやれればいいやっていう雰囲気に落ち着いちまったんだよな」


 少し遠い目つきになりながら、寺林副部長はそう言った。


「それで宮岡は、お前らのライブを観に行って火がついたみたいだけど……お前らはもう指導の必要もないようなレベルに達してたから、自分のバンドをひたすら頑張るしかないって思いなおしたんだ。何も指導できないなら、せめて先輩として恥ずかしくないライブを見せるしかない、ってよ。そんな話を聞かされて、俺も一年坊に負けてたまるかって燃えまくったよ」


 そこで寺林副部長は、照れ臭そうに口もとをほころばせた。


「おかげで今日も、最高のライブができたよ。ロクな先輩じゃなかったけど、どうか勘弁な」


「い、いえ。わたしもその、『イエローマーモセット』は素敵だと思います。これで解散しちゃうのは、すごく残念ですけど……て、寺林副部長も、どうか新しいバンドを頑張ってください」


 寺林副部長はびっくりしたように目を見開いてから、「サンキュー」とまた笑った。


「お前たちこそ、頑張ってな。……あ、あと、森藤にもこっちの気合が伝染しちまったみたいだけど、あいつは本当にいいやつだからさ。愛想を尽かさず、仲良くしてやってくれよ」


「は、はい……愛想を尽かされるとしたら、それはわたしのほうだと思いますので……」


「なんだよ、そりゃ。ほんとお前は、ステージを下りると別人だな」


 そんな風に言ってから、寺林副部長はふいに首をすくめた。


「やべえ。彼女がにらんでら。……じゃ、他の連中にもよろしくな。って言っても、まだまだ先は長いけどよ」


 そうして寺林副部長も、めぐるの前から立ち去っていった。

 めぐるが溜息をついていると、ずっと静かにしていたミサキがおずおずと微笑みかけてくる。


「ど、どうもお疲れ様でした。……素敵な先輩さんですね」


「はい。……わたしみたいに不出来な人間を後輩にもって、みなさん大変だっただろうと思います」


「ええ? そんなことはないと思いますけど……」


 そのとき、どこからともなく森藤の声が聞こえてきた。


「それではこのまま、卒業ライブの打ち上げに突入します! こちらのホールは午後の九時まで貸し切っていますので、思うぞんぶん楽しんでください!」


 森藤のそんな言葉に、またあちこちから歓声や指笛が響きわたる。

 そして、『KAMERIA』のメンバーが人垣をかきわけるようにして姿を現したので、めぐるはほっと安堵の息をついた。


「さー! いよいよ打ち上げだねー! 飲んで騒いで楽しもー!」


「まるで酒でも飲みそうな勢いだね。ま、飲酒で活動停止処分ってのは、よく聞く話だけどさ」


「あはは! そんなことになったら、めぐるが大暴れしちゃうっしょ!」


「べ、別に暴れたりはしませんけど……」


 めぐるの周囲には、すぐさま馴染み深い温かな空気が蘇った。

 しかし決して、これまでの時間を不満に思っていたわけではない。轟木篤子や寺林副部長がわざわざ自分から声をかけてくれたことを、めぐるは心からありがたく思っていた。


(あとは宮岡部長にも、きちんと挨拶をさせてもらわないと……ライブの感想も伝えたいしね)


 しかし人気者の宮岡部長はまだたくさんの人間に囲まれているため、小心者のめぐるが近づくには頃合いを見計らう必要があるだろう。あと二時間近くは打ち上げと称して店内に居残ることが許されているのだから、いずれは機会が巡ってくるはずであった。


 かくして、卒業式から五日を経て、宮岡部長と寺林副部長と轟木篤子は本当の意味での卒業を果たして――さくら高校の軽音学部は『KAMERIA』を含む六名のメンバーで再スタートを切ることに相成ったのだった。



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2024.5/5

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

今回の更新はここまでです。更新再開まで少々お待ちください。

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