09 オンステージ(下)

孵化ハッチング』の演奏が終了すると、客席にはこれまで以上の歓声と拍手が渦を巻いた。

 しかし、ステージ上の照明は暗く落とされて、町田アンナは何も語ろうとしない。ここはこのまま立て続けに演奏をする段取りであったのだ。


 やがて歓声がフェードアウトしていくと、栗原理乃がひそやかな音色でピアノの旋律を響かせる。六拍子で、こまかな雨粒を思わせる物悲しいフレーズ――本日の三曲目に選ばれたのは、『青い夜と月のしずく』であった。


 和緒はライドシンバルでひっそりとリズムを刻み、町田アンナは不穏なハウリングを響かせて、じょじょに切迫感を上乗せさせていき――それが頂点に達したとき、四人全員がいっせいに轟音を轟かせた。


 ベースは、B・アスマスターとラットをブレンドした音色である。

 和緒は表の拍でバスドラを鳴らしつつ、スネアとシンバルを乱打する。もとが機械のように正確なドラムであるので、壊れた機械が暴走したような迫力だ。こういう荒々しい演奏にも、和緒の成長がはっきり感じられた。


 めぐるもその荒々しさに拍車をかけるべく、もっとも激しい音色でもっとも激しいフレーズをかき鳴らす。スライドとグリスとビブラートとチョーキングを多用した、めぐるにとってもっとも難解なフレーズである。その難解さが、めぐるをまたとなく昂揚させるのだった。


 町田アンナも空気を引き裂くような高音のカッティングを響かせており、栗原理乃も右手で低音のバッキングを受け持ちつつ左手で尋常ならざる速弾きを見せている。ピアノそのものが苦悶に身をよじっているような、恐ろしいまでの迫力であった。


 そうしてAメロに入ったならば、スイッチが切られたように沈静する。

 栗原理乃は哀切な歌声とピアノを響かせて、和緒だけが音圧を控えた六拍子のリズムでそっと寄り添う。ベースの音をフェードアウトさせためぐるはノイズを鳴らさないように、チューナーでミュートした。そして、来たるべきBメロに備えて、ラットのスイッチを切った。


 哀切なワルツを思わせるメロディとリズムでAメロが終了し、めぐるはミュートを解除しつつB・アスマスターの粘ついた音色でゆったりとしたフレーズを紡ぐ。町田アンナもボリュームを絞ったクリーンサウンドで、高音のアルペジオだ。


 そしてサビに入ると同時にギターのボリュームはマックスに戻されて、町田アンナとめぐるは同時にラットのエフェクターを踏む。この静から動への移り変わりは、いつもめぐるの心臓を痛いぐらいに躍動させてくれた。


 ステージ上には、青を基調にしたスポットが乱舞している。

 それはまるで、砕け散った月が粉々になりながらなおも下界に月光を届けているかのようであり――めぐるにそんな印象をもたらしているのは、この曲の歌と演奏であるはずであった。


『KAMERIA』の中でも屈指の激しい演奏の上で、栗原理乃の歌声が鮮烈に響きわたっている。ピアノは力強いバッキングで、栗原理乃は歌に集中していた。その集中が、同じステージに立っているめぐるを戦慄させるほどの迫力を生み出しているのだった。


(栗原さんは……やっぱり、すごい)


 めぐると和緒と町田アンナの演奏は、我ながら暴風雨さながらである。ベースとギターはもっとも激しく音を歪ませているし、和緒も壊れた機械さながらにスネアやシンバルを乱打しているのだ。しかしめぐるたちがどれだけ暴虐な音色を渦巻かせようとも、栗原理乃の歌声はアイスブルーの稲妻さながらに世界を引き裂いて、もっとも鮮やかに光り輝くのだった。


 ふっと客席に目をやると、めぐるの視界に入る人々はみんな身動きを止めてステージに見入っている。呆然としていたり、陶然としていたり、表情はさまざまであったが、誰もがこの曲の歌と演奏に身動きを縛られていた。ベース側の最前列に陣取った少女などは、滂沱たる涙を流してしまっていた。


 めぐるもまた、恍惚としながら演奏に没入する。

 暴風雨のごときサビを終えたならばAメロに戻り、そして間奏だ。ここではドラムとベースは土台を支えることに徹して、ギターとピアノが泣きながら踊るピエロのようなソロプレイの掛け合いを見せた。


 そして、スネアの連打によってピエロのダンスは打ち切られて、ピアノだけを伴奏にしたBメロに突入する。

 その後は、また暴風雨のごときサビであった。

 演奏はいっそうの激しさを帯び、さらに町田アンナが低音のハーモニーを響かせる。それがまた、もともと鮮烈であった栗原理乃の歌声にさらなる存在感を上乗せさせた。


 最後はピアノの独奏となって、フェードアウトする他の楽器を追いかけるように、すべての音を消失させる。

 一瞬の静寂の後、歓声が爆発した。

 めぐるは大きく息をつき、町田アンナは『ありがとー!』という声を響かせる。


『三曲目は、「青い夜と月のしずく」でした! この曲を弾いてると、ウチはトリップしちゃいそうなんだよねー!』


 町田アンナの朗らかな声音が、ステージ上に残されていた幻想的な雰囲気を緩和させていく。客席の人々も我を取り戻したかのように、拍手や指笛を鳴らしていた。


『なんか気づいたら、めっちゃ人がいるし! もしかしたら、「KAMERIA」のために来てくれた人もいるのかなー? もしそうだったら、ぜーったい最後まで観ていってねー! トリの「イエローマーモセット」はコピバンだけど、めっちゃかっちょいーから!』


 町田アンナの言葉を聞きながら、めぐるはチューニングに勤しんだ。

 しかし、これまでの曲間でもさりげなく調整していたので、そうまで大きくは狂っていない。早々に準備を終えためぐるがステージ上を確認すると、町田アンナはマイクで語りながらチューニングに励んでおり、栗原理乃は客席に背中を向けて水分の補充、和緒はスネアの位置を調整していた。


『ウチらはこれまで好き勝手に活動してたから、あんまり軽音学部の部員って自覚がなかったんだけどさ! 春になったら二年生だし、今まで気楽にやってたぶん頑張るつもりだよー! だから、ブチョーもフクブチョーも心配しないでねー!』


 なかなかチューニングが安定しないらしく、町田アンナは語り続ける。そもそも彼女はチューナーで音を合わせることを苦手にしているのだ。今は自分の声でギターの生音がかき消されるため、いっそう難儀であるのかもしれなかった。


『あと、春からブチョーになる森藤センパイが、意外におっかなくてさー! 部活の活動をサボったら怖い目にあいそうだから、みんな気をつけよーね!』


 そんな言葉には、客席から笑い声があげられる。気の毒な森藤は、どこかで顔を赤くしているかもしれなかった。


『よーし、こんなもんかな! 残り二曲は、ぶっつづけで行くよー! まずはカバー曲で、「線路の脇の小さな花」! めぐるサン、どーぞ!』


 めぐるは反射的に頭を下げてから、ミュートの機能を解除して、指板に指を走らせた。

 ラットとビッグマフの音色による、『線路の脇の小さな花』のイントロである。このフレーズもまた、今のめぐるにとっては限界いっぱいの難解さであった。


 大歓声の中、ギターとピアノとドラムの音色も重ねられる。

 スネアの連打で緩急をつけた、16ビートだ。和緒はもともとスネアのロールを得意にしていたので、このイントロのフレーズも格段に魅力と迫力が増していた。


 そしてめぐるも日を重ねるごとに技量が増していたので、今ではだいぶん原曲のフレーズを再現できるようになっていたが――今は自らの判断で、アレンジを加えていた。和緒や町田アンナも原曲とは異なるフレーズであるし、そもそも原曲にはピアノも存在もしないのだから、『KAMERIA』の演奏にもっとも合致するようにベースのフレーズをアレンジしたのだ。


 これでますます、原曲のイメージからは遠ざかっていくことだろう。

 しかしそれが、『KAMERIA』の選んだ道であった。めぐるたちは『SanZenon』の再現を目指すのではなく、その楽曲をお借りして、自分たちなりのベストを目指そうという所存であったのだった。


(だからむしろ、『リトル・ミス・プリッシー』のほうが原曲に近い感じなんだよね)


 しかしあちらもベースはウッドベースであるし、パーカッションが入っているものだから、それだけで独自性が打ち出されている。それにドラムも地を這うようなどっしりとした雰囲気であるため、『SanZenon』の躍動感とは異なる趣になっていた。


 しかしそれもまた、めぐるたちにとっては些末な話である。

 自分たちは自分たちの思いに従って、『SanZenon』の楽曲を演奏する。他のバンドがどのような演奏を見せていたとしても、『KAMERIA』には関係のない話であったのだった。


 客席の人々は、また大いに盛り上がってくれている。『青い夜と月のしずく』で内側に押し込められた熱情が噴出する先を見出したかのような熱狂だ。

 こんなにたくさんの人々が、『SanZenon』の楽曲を楽しんでくれている。『SanZenon』のおかげでバンドの楽しさを知っためぐるにとって、それは胸が震えるぐらい嬉しいことであった。


 そんな中、ミサキはうっとりとステージを見上げており、最前列の少女はまだぽろぽろと涙をこぼしている。

 しかし、それでめぐるの喜びが減じることはなかった。めぐるとて、どんなに素晴らしいステージを目の当たりにしても声をあげたり腕を振り上げたりはしないのだ。こんなに間近から『KAMERIA』のステージを見守ってくれているだけで、めぐるには十分であった。


(そういえば……今日は知ってるお客さんがほとんどいないんだっけ)


 演奏に没頭して大いなる悦楽にひたりながら、めぐるは頭の片隅でそのように考えた。

『V8チェンソー』は都内でライブ、町田家のご家族は次女ローサの試合、そして『マンイーター』の面々は『V8チェンソー』のライブ観戦に出向くらしい。出演者である軽音学部の先輩がたを除外すると、本日めぐるが名前までわきまえているお客というのは、ミサキただひとりであるのかもしれなかった。


(まあ、それでも全然かまわないけど……というか、かまわないことがわかったよ)


 見知った相手がほとんどいなくても、めぐるはこれほど幸福な気持ちで演奏に没頭できている。それが、答えであった。


 そうして『線路の脇の小さな花』を終えたならば、最後の曲は『小さな窓』である。

 けっきょく今回セットリストから外されたのは、バラード曲の『あまやどり』であったのだ。さまざまな組み合わせと曲順をシミュレーションした結果であったので、めぐるとしても後悔はなかった。


『それじゃー、最後の曲だよー! 心残りがないように、かっとばしていこー!』


 めぐるは決してハシってしまわないように脳内のメトロノームを入念に鳴らしてから、イントロであるスラップのフレーズを披露した。

 ドラムとギターとピアノが加わると、普段通りの心地好さが完成される。そしてそれが客席の熱狂を浴びて、普段以上の昂揚と悦楽を呼び起こした。


(……やっぱり、大丈夫だ)


 めぐるは満ち足りた心地で、そんな思いを再確認する。

 八人がかりのセッションバンドでは、この『小さな窓』を演奏したのである。あの夜には、『KAMERIA』でも得たことのない調和を現出させることがかなったが――めぐるが『KAMERIA』の演奏を物足りなく感じることはなかった。


 浅川亜季と7号のギター、めぐるとフユのベース、ハルのドラム、ノバのパーカッション、柴川蓮と鞠山花子のヴォーカル――あの八名にはあの八名でしか実現できない演奏があった。それがあの、奇跡のような時間を生み出したのだ。


 しかし『KAMERIA』にも、『KAMERIA』にしか実現できない演奏がある。

 その演奏を磨きぬいて、あの夜にも負けない調和を目指す――それがめぐるの、『KAMERIA』の見果てぬ目標であったのだった。


 そしてべつだん、それがゴールというわけではない。

 めぐるの目標はいつまでも『KAMERIA』の活動を楽しむことであり、さらなる調和を目指すというのはその目標を実現させるためのひとつの指針に過ぎなかった。


 めぐるはもっともっと、『KAMERIA』の活動を楽しみたい。

 そして、和緒や町田アンナや栗原理乃にも同じだけの楽しさを感じてもらえたら――『KAMERIA』は、どこまで転がり続けることができるはずであった。

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