エピローグ
嘘と秘密と真実と
その後――『ニュー・ジェネレーション・カップ』は動画サイトで話題の小学生ピアニスト、クラヴィアの優勝で幕を閉じることになった。
まあ、至極順当な結果であろう。和緒の目から見ても、そちらの女児のステージは大したものであった。小学生というブランドを取っ払えば、取り立てて特筆する部分はないのかもしれないが――実際に小学生であるのだから、文句のつけようはない。日本全国の小学生をかき集めたって、これほどのパフォーマンスを発揮できる人間はそうそういないはずであった。
それよりも驚くべきは、『KAMERIA』に審査員特別賞などというものが授与されたことであろう。審査員長いわく、最後までクラヴィアと優勝を争うことになった『KAMERIA』のために、急遽そのような賞をでっちあげたという話であったのだ。
その副賞は、二万円分のギフトカードである。
『KAMERIA』の演奏には、それだけの価値があると認められたのだ。遠藤めぐるも町田アンナも嬉しそうな顔をしていたので、和緒も内心では素直に喜ぶことができた。
しかし和緒にとってそれ以上に嬉しかったのは、『V8チェンソー』のメンバーを始めとする客席の人々の評価であった。遠藤めぐるの体調が落ち着くのを待ってから事務室を出てみると、さまざまな人々が『KAMERIA』のステージをほめちぎってくれたのだ。
『V8チェンソー』のメンバーも、軽音学部の先輩がたも、町田家のご家族も、ついには何の面識もなかった『ケモナーズ』の面々までもが、きわめて好意的な感想を届けてくれた。それで和緒も、心から安堵することがかなったのだった。
(正直言って、このバンドが客観的にどう見えるのかは想像しにくいからな。……何にせよ、あたしが足を引っ張ってなかったんなら何よりだよ)
とりわけ浅川亜季たちの評価が、和緒にまたとない自信を与えてくれた。きっと彼女たちはプライベートでどれだけの交流を持っていようとも、ステージの評価で言葉を飾るような人柄ではないのだ。そんな彼女たちの言葉であるからこそ、和緒は心から信頼することがかなったのだった。
そうして授賞式を終えたならば、荷物を抱えて撤収作業である。
まあ、和緒はスティックケースと私物を詰め込んだバッグひとつであるので、簡単なものだ。いざとなったら遠藤めぐるの荷物を受け持つ心づもりであったが、彼女も失神から目覚めたのちは普段以上に元気な様子であった。
「じゃ、あたしらはこれからリハだからさぁ。めぐるっちたちはメンバー水入らずで、打ち上げをしっぽり楽しんでねぇ」
ライブハウスの外に出ると、ふにゃんと笑った浅川亜季がそんな言葉を投げかけてきた。
「あ、みなさんはこれから練習だったんですか。お忙しい中、ご来場ありがとうございました」
「いやいや。めぐるっちたちのライブを観たら血がたぎるんじゃないかって想定して、スタジオの予約を入れておいたんだよぉ。予想はずばり的中だったねぇ」
のんびりと微笑む浅川亜季のかたわらで、ハルも「うん!」と大きくうなずいた。
「あたしもドラムを叩きたくて、うずうずしちゃってるもん! フユちゃんも、今日はヘヴィなプレイになりそうだねー!」
「ふん。誰がこんなちびっこに感化されたりするもんかい」
フユはずっとかけっぱなしであったサングラスを外すと、切れ長の目で遠藤めぐるの姿を見下ろした。
「……あんたたち、次のライブは決まってないの?」
「え? ああ、はい……何せ、持ち曲が二曲しかないもので……しばらくは、新曲の完成が目標になるかと思います」
「あっそう」とフユが口をへの字にすると、ハルが「あはは」と笑い声をあげた。
「あたしも次のライブが待ち遠しくてたまんないなー! 何かあったら誘うんで、そのときはよろしくねー!」
「な、何かと申しますと……?」
「何かは、何かだよー! じゃ、他のみんなもお疲れさまー! 打ち上げ、楽しんでねー!」
「うん! ハルちゃんたちも、練習頑張ってねー!」
町田アンナはぶんぶんと手を振り、リィ様の変身を解いた栗原理乃はフレアハットをかぶった頭を深々と下げる。そんな中、『V8チェンソー』の三名は宵闇の向こうに立ち去っていった。
十組の出演者とそれがお招きしたお客たちがいっぺんに排出されたので、あたりはけっこうな人混みである。そこでこちらに近づいてきたのは、軽音学部の先輩がたであった。
「それじゃあ、わたしたちも帰るね。その前に、ひとつだけ確認させてもらいたいんだけど……文化祭は、出てくれるよね?」
「文化祭? あー、体育館とかでライブかー。うーん、体育館って音響がイマイチだから、ウチはいまひとつそそられないんだよねー」
「それはそうかもしれないけど、部室で練習してるからには、軽音学部に貢献する義務が生じるはずだよ」
「コーケン? ウチらが出たって、誰の得にもならないっしょ?」
「そんなことはないよ。あなたたちがライブを披露したら、入部希望者が増えるかもしれないじゃん。力のある人間には、それに相応しい責任が生まれるってことさ」
そう言って、宮岡部長は力強く微笑んだ。
「あと、夏休みが明けたら、わたしたちも練習を再開させるからね。そうしたら部室の争奪戦だから、そのつもりでね」
「あー、そっかー! ま、そんときは自腹でスタジオに通うだけさ! じゃ、センパイたちも気をつけて帰ってねー!」
すると、黙って話を聞いていた遠藤めぐるも大慌てで頭を下げた。
「あ、きょ、今日はご来場ありがとうございました」
宮岡部長は「うん」と笑ってきびすを返し、それ以上に朗らかな笑みをたたえた二年生の男女コンビもそれに続いた。
軽音学部の先輩がたとはまだまだ交流の深まっていない遠藤めぐるであるが、この調子でいけばいずれ真っ当な関係性を築くこともかなうだろう。遠藤めぐるはベースプレイを披露することで、数多くの人間の心をつかんでいるはずであった。
「よーし、それじゃあウチらも出発だねー! もー、おなかがぺこぺこだよー!」
ひと通りの相手と別れの挨拶を済ませると、町田アンナがそのように宣言した。
イベントの終了は午後の六時であったため、まだまだ宵の口だ。七月の空は淡い紫色に染まり、地上には熱気と人いきれがあふれかえっていた。
『KAMERIA』のメンバーは元気に言葉を交わしながら、大通りを目指して歩を進める。この後は打ち上げを兼ねたディナーを楽しんでから地元に戻る手はずになっていた。
黒いギグバッグを背負った遠藤めぐるは、和緒の隣でちょこちょこと歩いている。和緒や町田アンナの呼びかけに答える声も元気そのもので、もはや不調の影はいっさい残されていなかった。
「ど、どうしたんですか、栗原さん? どこか具合でも悪いんですか?」
と――遠藤めぐるがそんな声をあげたのは、大通りに出てからしばらく歩いたのちのことであった。
さしもの和緒も気がゆるんで、ずっと静かにしていた栗原理乃に注意を向けていなかったのだ。フレアハットを深くかぶった彼女はわずかにうつむきながら、その白い頬に透明の涙を伝わせていた。
「わーっ! なんで理乃が泣いてるのさ! まさか、今さらおなかが痛くなっちゃったとか?」
町田アンナが慌てふためきつつ呼びかけると、栗原理乃は「ううん……」と力なく首を横に振った。
「そうじゃなくって……私は……悔しいの」
「悔しいって、何がさ! 今日は最高のステージだったじゃん!」
「うん……最高のステージだったのに……優勝できなかったから……」
栗原理乃は往来で立ち止まり、ぽろぽろと涙をこぼしてしまう。町田アンナは大慌てで幼馴染の肩を抱き、歩道の端まで引き寄せた。
「そんなのが、なんで泣くほど悔しいのさ! ウチらは最初っから、優勝なんて目指してなかったっしょー?」
「うん……だけど……みんな、あんなにすごい演奏だったのに……それで私も、実力以上の力を出せたはずなのに……小学生の女の子に負けちゃうなんて……」
その言葉には、和緒も少なからず驚かされることになった。
しかし、そんな内心は押し隠して、いつもの調子で言葉を投げかける。
「ふーん。でも、完成度で言ったら完敗なんじゃないかなぁ。あちらさんは、ずいぶん場慣れしてるみたいだったしねぇ」
栗原理乃は「でも……!」と一瞬だけ口調を強めてから、またがっくりと肩を落とした。
「でも……私は、悔しいです……もっと練習を頑張れば、優勝できたかもしれないのに……」
「あはは! 理乃って意外に、負けず嫌いだったんだねー! だからピアノのコンクールとかでも、気負いすぎちゃったのかなー!」
町田アンナは陽気に言いながら、とても優しい目つきで幼馴染の泣き顔を覗き込んだ。
「まあ、悔しいんだったら、好きなだけ泣いてかまわないさ! それで明日から、また頑張ろーよ! ウチは優勝とかどーでもいいけど、世界で一番かっちょいいバンドにするのが目標だからさ! そうしたら、どんなイベントでも優勝まちがいなしだよー!」
「世界一のバンドが、コンテスト形式のイベントなんぞに出場するもんじゃないよ」
和緒が茶化すと、町田アンナはいっそう愉快げな笑顔になった。
「今のは、もののたとえっしょー? もー、和緒もクールぶってないで、理乃をなぐさめてよー!」
「そんな大役は、幼馴染におまかせするよ」
そのように答えながら、和緒も大きくは心配していなかった。勝負に負けて悔しがるというのは、きわめて真っ当な感情であり――幼少の頃からさまざまな抑圧を受けていた栗原理乃には、必要な感情なのではないかと思えてならなかったのだ。
(町田さんの言う通り、泣きたいだけ泣けばいいさ。それでくじけるようなタマじゃないんだろうしね)
今では和緒も、栗原理乃の強さを信じることができるようになっていた。おそらくは、こういう悲しみや不満の思いというのも、彼女にとっては大きな原動力であるのだ。彼女が和緒のようにクールな皮肉屋を気取った人間であったなら、きっとあんな物凄い歌は歌えないのではないかと思われた。
「なんだか……わたしももっと、ベースを弾きたい気分です」
と、遠藤めぐるがいきなりそのような言葉を口にした。
あまりに唐突な発言であったため、和緒も思わずきょとんとしてしまう。町田アンナはもちろん、泣き伏していた栗原理乃もそれは同様であった。
遠藤めぐるは、とても幸せそうな面持ちでたたずんでいる。
きっと彼女は彼女なりに、栗原理乃の涙から何かを感じ取ったのだろう。それがどのような道筋を辿ってこのような発言に至ったのかは、まったくもって計り知れなかったが――もはや彼女も、固い殻の中で眠っていた時代の彼女ではなかったのだった。
「なにそれー! いくら何でも、トートツすぎるっしょ! めぐるって、たまーに天然がバクレツするよねー!」
「今のはまさか、ブイハチの方々がスタジオに向かうっていう発言に対するアンサーなの? だとしたら、尋常でない時間差攻撃だね」
「遠藤さんは……そんなに音楽を楽しんでいるから、こんなに物凄いスピードで成長できるんでしょうね……」
メンバー一同が口々に言いたてると、遠藤めぐるはいっそう幸せそうににこりと笑った。
「的外れなことを言ってしまって、どうもすみません。これからも、何かとご迷惑をかけるかと思いますが……どうかよろしくお願いします」
「だから、フォローになってないっての」
和緒が遠藤めぐるの頭を小突くと、町田アンナばかりでなく栗原理乃も笑った。
そんな三人の笑顔を見回しながら、和緒はひとりで息をつく。ステージを終えても、やはり振り回されるのは和緒の役割であるようだった。
(まあ、それに不満があるわけじゃないけどさ)
和緒は、空っぽの人間である。
ただ今は、その空洞がさまざまなもので満たされていた。それらはのきなみ、目の前で笑っている三人の娘さんたちがもたらしたものであるはずであった。
和緒はいまだに、さまざまな隠し事を抱えている。そしてこの先も、それを打ち明ける気持ちになれるとは思えない。忌々しい家庭環境や、根深いコンプレックスや、自分がどのような心持ちでバンド活動に取り組んでいるかなど――そんな話を打ち明けたところで、自分にも相手にも好ましい結果になるとは思えないのだ。
だけど彼女たちは、そんな臆病な和緒を許してくれるのではないだろうか。
和緒が何を語らなくとも、「いいんだよ」と手を引っ張ったり背中を押したりしてくれるのではないだろうか。
和緒はそんな期待に甘えつつ、彼女たちのかたわらにこうして身を寄せているのだった。
かつての和緒は遠藤めぐるの去就を見守ろうなどという思いで、つかず離れずの位置に立っていた。それが今では、ともに同じ道を歩いている。和緒は今でも、遠藤めぐるのことをそっと見守っているつもりであったが――それと同時に、自分も見守られているような心地であった。
そしてそこには、町田アンナと栗原理乃も含まれている。
四人全員がおたがいのことを見守り、ともに歩いている。ここ最近の和緒が抱いているのは、そんな感覚に他ならなかった。
(あたしはめぐるみたいな熱情も、町田さんみたいなエネルギーも、栗原さんみたいな切羽詰まった思いも持ち合わせちゃいない。でも……)
自分は彼女たちと同じぐらい、今の生活を楽しんでいる。
『KAMERIA』というバンドを、大切に思っている。
それだけが、和緒が断言できるたったひとつの真実であった。
(そこだけは、絶対に嘘をつかないから……どうか、これからもよろしくね)
和緒は遠藤めぐるの頭をひとつ小突いてから、宵闇のおりた道へと足を踏み出した。
はにかむように微笑む遠藤めぐるも、にこやかに笑う町田アンナも、涙をふいた栗原理乃も、同じように足を踏み出す。それだけで、和緒の心は深く満たされてやまなかったのだった。
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ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
新章は、しばらくの書き溜め期間をいただいたのちに公開する予定です。
更新再開の折にはまたおつきあいいただけたら幸いでございます。
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