ライク・ア・ローリング・ガール

EDA

-Disc 1-

-Track 1-

01 青天の霹靂

 その日、遠藤めぐるの人生を大きく変転させたのは、動画サイトで公開されていたロックバンドのライブ映像であった。

 めぐるはそれまで音楽などには何の関心も抱いておらず、そちらのロックバンドも名前すら知らない存在であったのだが――そのライブ映像を目にした瞬間、めぐるは落雷に直撃されたような感覚に見舞われてしまったのだった。


 ずいぶん古い動画であるのか、映像は粗いし音もひび割れてしまっている。歌の内容もまったく聞き取れず、かろうじて日本語だろうなと察せられるレベルである。

 しかし、それでめぐるの受けた衝撃が薄らぐことは一切なかった。

 とりわけ、エレキギターと思しき楽器をかき鳴らしながら歌声を張りあげている女性の姿が、めぐるの心を揺さぶってやまなかった。


 歌詞は日本語であるようだから、きっと日本人なのだろう。ただ、肩まで垂らしたぼさぼさの髪は、金色をしている。痩せた体に纏っているのは、黒いTシャツと穴だらけのデニムパンツだ。

 その女性は金色の髪を振り乱して、照明に汗を光らせながら、マイクに噛みつくような迫力で歌っている。ただ、音のバランスがわやくちゃで、歌声よりも彼女のかき鳴らす楽器の音色のほうが圧倒的な迫力でもって、めぐるの心を翻弄していた。めぐるはヘッドホンを装着していたため、凝縮された爆音が頭蓋の内部で逃げ場もなく反響しまくっているような心地であった。


 そちらの動画は、わずか四分ていどで終了する。

 そうして世界が静寂を取り戻しても、めぐるはしばらく指一本動かすことができなかった。

 そして――気づくとめぐるは、半ば無意識の内にネットカフェを飛び出していたのだった。


                ◇


 次に正気を取り戻したとき、めぐるは楽器店の前でたたずんでいた。

 ネットカフェから歩いて五分の場所に位置する、大型ショッピングモール内のテナントである。そちらにずらりと陳列された楽器の威容が、めぐるの脆弱な心を脅かした。


(……わたし、何やってんだろ)


 見も知らぬバンドのライブ映像で我を失うほど興奮し、その足で楽器店に突撃するなど、とうてい正気の沙汰ではない。かつてないほど感情を昂らせた反動で、めぐるは普段以上にぼんやりとしてしまっていた。


 ネットカフェで一日を過ごすというのは、めぐるにとって月に一度の贅沢である。まだ予約の時間は一時間ぐらい残されていたはずであるのに、それを無駄にして店を飛び出してしまった。心の中にたゆたうのは、後悔と自己嫌悪のさざ波ばかりであった。


(まさか、ギターでも買おうっての? そんな贅沢、許されないでしょ)


 そんな思いを抱きつつ、めぐるは覚束ない足取りで楽器店の内へと足を踏み入れた。

 そうすると、またひそやかに心臓が高鳴っていく。ところせましと展示された数々の楽器のきらめきが、めぐるの心をむやみに騒がせるのだ。


 ただやっぱり、エレキギターというのは高価な商品であった。

 安いものでも数万円、十万円以上もざらである。高校に入学したばかりの十五歳という若年で、そこそこ苦しい生活を送っているめぐるには、とうてい手の出る金額ではなかった。


(初心者セット、一万二千円だって。これぐらいなら、出せないこともないけど……別にそそられないな)


 店内をひと巡りしたら、家に帰ろう。

 めぐるがそのように考えながら、最後のコーナーを曲がったとき――心臓が、おかしな感じにバウンドした。

 見覚えのある存在が、壁の高い位置に掛けられていたのだ。

 これはさきほどのライブ映像で、あの女性がかき鳴らしていたギターに間違いなかった。そちらは他のギターといくぶん趣の異なるデザインをしていたため、素人のめぐるでもひと目で見分けることができたのだ。


 めぐるの心臓が、どくどくと胸郭を叩き――

 やがてそれが、冷水を浴びせられたように沈静化した。


 非情なる現実が、めぐるを正気に戻してくれたのだ。

 税込四十四万五千五百円――そちらのギターには、そのように記載されたプレートが提示されていたのだった。


「いらっしゃいませ。気になるやつがあったら、試奏もできますよ」


 傷心のめぐるに追い打ちをかけるように、店員が接近してくる。

「あ、いえ、ごめんなさい」と意味もなくお詫びの言葉を申し述べてから、めぐるは逃げるように楽器店を後にした。

 もはやこれ以上、他なる楽器を見て回る意味はない。めぐるの白昼夢は、ここで終焉を迎えたのだった。


(あーあ。ひとりで興奮したり落ち込んだり、馬鹿みたい。身のほどをわきまえろって話だよね)


 ショッピングモールを出ためぐるは、重い足を引きずるようにして街路を歩いた。

 時刻はそろそろ午後の六時ぐらいであろうか。今日は日曜日なので、ショッピングエリアの街路は人で賑わっている。その賑わいが、今のめぐるには物悲しかった。


 ふっと横合いに目をやると、ショーウィンドウのガラス面にめぐるの冴えない姿が映し出されている。おさげにくくった水気のない髪に、十五歳にしては小さな体、三年前から着続けているパーカーに、膝のぬけそうなスウェットパンツ――こんな姿でよくも楽器店に突撃したものだと、めぐるは苦笑いしてしまいそうだった。


(こんなわたしがギターを構えたって、滑稽なだけだよね。本当に、どうしてあんなに我を失うことになったんだろう)


 めぐるは溜息をこぼしつつ、ネットカフェの駐輪場を目指して歩き続けた。

 そうしてショッピングエリアの外れまで到着し、ネットカフェのビルが見えてきたとき――めぐるは再び心臓を騒がせることになった


 ビルとビルの狭間に、細い路地がのびている。

 その路地の出入り口に、小さな立て看板が出されていた。

 きっとこれまでも、この看板はずっと出されていたのだろう。しかしめぐるの人生には無縁かつ無用の存在であったため、まったく意識に残されていなかったのだ。


 その看板が、めぐるの目と心を奪っていた。

 そこには、『リペアショップ・ベンジー』という店名とともに、『中古楽器も取り扱っております』という一文がしたためられており――そのかたわらに、めぐるの心臓を騒がせたあのギターのイラストが描かれていたのだった。

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