27
「お…………おはよう、ございます大森さま」
キョドりながら大森さんを凝視しつつ、下のほうでは強引にみつねの手を引き剥がす。
さすがにみつねもお客様にえらいもんを見せてしまった、とすんなり腕を戻す。えらいもんというか……エロいもん?
「こ、この子が妹のみつね。有間みつね。い、いやぁ! 会えないなんて言っておきながらたまたまばったりだねぇ!」
どうにかごまかしたい。大森さん、何を思ってるんだろうか。怖すぎる。
「……そっか、そうなりますよね。というか今日は他に人もいないって言ってましたし」
まだ昼寝から覚醒しきっていないのか、見えづらそうな目をこすってぐぬぬと凝らす。
「は、Hi」
その視線を受け、ロボットみたいに固まりきるみつね。
大森さんの発するキラキラふわふわオーラに気圧されている。貧弱な対人性能だ。
「ん、はーいっ! この挨拶けっこういいですね?」
「声でっか……」
「えへへ、座右の銘はいっぱい食べる子よく育つ! ですから!」
「薄くない? というかただの生物学の説明じゃん」
「ねえ有間くん、なんだか妹さんの当たり強くないですか⁈」
「そ、そうかも……」
警戒してるなぁ。
でも仕方なくもある。大森さんと会って話す心の準備なんてしていなかったろうし。
「ところで有間くん」
「うんうんどうかしたかな明日のお弁当の相談とかかな」
「さっきはすっごく妹さんとの距離が近くなかったですか?」
「ンンンンンンっ⁈ そんなことないと思うけどっ⁈」
ごまかすのは無理があったか! いくらぽわぽわの子が相手とはいえ!
「そう……ですか? 有間くんのお股がさわさわされていたような」
「幻覚幻覚! げんかーくっ!!!!!」
大森さんの口から『お股』なんてワードを出させてはいけない。口内のサジェスト汚染もいいところだ。
「……まあ、幻覚と言われれば確かに。よくあることですし」
もしかしてバスターコールばりの勢いで119番した方がいい?
「うんうん、よくあるよくある! きょうだいでそんなアブナイことをするはずないよー! あははー!」
しちゃうんだなぁ、ウチに限っては。
でも大森さんが持ち前の素直さで納得してくれたみたいで一安心。俺らの変な距離感がバレずに済んだ。
「くうう……」
「! お兄ちゃんの背中に隠れちゃいましたね〜?」
羞恥からか俺の背中を隠れ蓑にしたみつね。Tシャツの布を二本指でつまんでいる。
「やっぱりすっごい懐かれてるんですね! か〜わ〜い〜い〜!」
「そう……だよ!」
「猫っぽい感じも可愛いですし、有間くんは幸せなお兄ちゃんですね〜?」
微笑ましそうな大森さん。
『仲良し』という平和な見方に落ち着いてくれたみたいだ。仲の良すぎるのが問題なんだけど。
「でも、こっちの猫ちゃんも忘れちゃヤですよ!」
にゃあ、と猫の手を顔の近くに寄せ舌を出す大森さん。
あざとく、俺の気を引こうとしている。
自分で言うのもおこがましいけど、軽い嫉妬心のようなものがあるみたい。
「有間くん、明日はどんなご飯をくれますかにゃ?」
「か、かわ……っ」
「ふふ、心の声が漏れちゃってます。でも嬉しい」
んにゃあ、と日向ぼっこ中のニャンコロみたいな表情を浮かべつつ、大森さんが一歩、近づいてきた。
それは同時に、みつねとの距離が縮まったということでもある。
(大丈夫か、これ…………?)
背中をつままれる力が増したような気がした。
それはきっと、離れてほしくない意思の表れ。
「にゃあお、ご主人様ぁ♡」
咄嗟に出かけた『可愛い』の一言に気をよくしたのか、大森さんはノリノリで可愛い猫になっている。俺の気を引こう、とする蠱惑的な攻め。
2人の女の子から向けられる特別な気持ちの間で、俺は文字通り板挟みになっていた。大森さんに悪気がないのはわかっているんだけど、いかんせん相手は気難しいみつねちゃんなんだもん。
「…………ないで」
「にゃ?」
みつねの鋭利な口ぶりに、猫さんの前進が止まる。眉毛をくいっと上げ、『何事ですか?』と心当たりなさげ。
「ウチの兄貴を…………奪わないで」
(あぁあぁ、恐れていたことが……)
悪い予感、的中。
唯一の拠り所である兄貴がたぶらかされかねない甘い仕掛け。
それを目の当たりにした恐怖感はみつねの不安定なメンタルにのしかかり、『負』の方へ彼女を傾けた。
「えっと、急にどうしたんですか……?」
「そうだよ、アナタは兄貴を奪ってアタシを不幸せにする。猫は猫でも泥棒猫だ」
「奪う、なんて言われても……。私は有間くんと仲良くしたいだけですよ?」
みつねの剣幕に押されおろおろと動揺する。いきなりこんな絡まれ方をして、大森さんが不憫でならない。
「仲良くするってことは、兄貴の時間と心がアナタに割かれるわけだよね? アタシの分、減ってんじゃん」
「そ、それは……」
「そういう顔もズルいよ。今の大森さんみたいな、守ってあげたくなる困り顔、アタシはできない」
ジャージの肩に乗ったホコリをデコピンで払う。
中1と高1の年齢差なんて微塵も感じさせない気の強さをみつねは見せていた。
「一つ質問します」
「は、はいっ」
「アナタは、兄貴がいなければ死にますか?」
突拍子もない問いかけに、大森さんは『え?』と眉を顰める。
だがみつねは真剣そのもので、瞬きひとつせずに目の前の丸い顔を凝視し続け、
「残念、アタシは死ぬ。死ぬほど兄貴が好きですし、ちゃんと生きがいでもある。兄貴がいないと生きられない。つまりアタシの勝ちなの。兄貴を渡せるわけないの」
ホントに好きなら、シンキングタイムなんていらないはず。即答できていない時点でアナタはお話にならない。
とばかりに、みつねの早口が大森さんを斬り捨てた。
「…………ごめんなさい。アタシ、最低」
そして半泣きの顔を俯けながら、自室に飛び返る。
何から何まで不器用だ。みつねだって、頭では人に言っちゃいけないことの分別はついているし、兄を縛り付ける不当さも知っている。
けれど。
理性に付き従い、整合性のある行動を取るのは大人の特権だから。
「「……」」
しんとした廊下には、少し湿っぽいジャージの香りだけが残っていた。
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