8.

 俺の高校入学と時期を同じくして、この春に中学生になったばかりの妹――有間みつねの帰宅は俺より遅い。


 不良とかじゃない。

 みつねは毎日バスケ部で部活を頑張ってるんだ。


 母親のせいでウチの家庭環境は複雑だけど、みつねには目いっぱい好きなことをして学生生活を楽しんでもらいたい。父さんにだって仕事を頑張ってほしい。


 そういう想いもあり、俺が一家の飯担当を買って出ている。


「弁当のリクエストも聞いてやりたいよなぁ。ロールキャベツ」


 今日の昼休みのラインの通り、帰り道にはひき肉やキャベツを買い揃えた。

 ……自分から言いだしておいて早速大森さんの要望を叶えてあげられないのは申し訳なかったけど、


 ――「はいはいはいっ! 私もロールキャベツ、大賛成です! ぜひぜひお願いしますっ!」


 と、目を『一』の形にして喜んでいたし。

 きっと大森さんはある程度、どんな料理を食べても大喜びする。そんな安心感めいたものがある。


「偏食なウチの妹にもちょっとは見習って欲しいもんだな」


 みつねの意志強めのキリっとした目と、薄い体を想像しながら俺はまな板にそう呟いた。



 ♢



「兄貴、ただいま」


 玄関のドアがゆっくり開く音がし、体操服のジャージ姿の妹がノタノタとリビングまで上がってきた。これは相当お疲れだな。だって、


「結構拘束されるんだね、部活の新歓って」


 今日は部活動後に、バスケ部の新入生をもてなす軽食パーティーがあると聞いていた。

 保護者やOB会が中心になって行われるらしい。


「ちかれた」

「ただでさえ部活でクタクタなのにな。みつねがそういう大人数の集まりを好むタイプなわけないし」

「間違いなぁ〜い」


 みつねは気の抜けた声で言い、指でつくった銃口を俺に向ける。コイツの癖みたいなものだ。


「あぁ……マジで疲れた」


 伐採された木みたいにソファに倒れ込むみつね。


(このふにゃふにゃした感じで、ホントによく頑張ってるよな。最近)


 みつねを一言で表現するなら『アンニュイ』。


 世の中を見透かしたようなジト目。

 ムダな肉の少ない薄い体。

 へにゃりへにゃりとした話し方。


 長く伸ばしっぱなしの髪の毛――その中でも前髪は、外界との干渉を避けるための防護壁のようだ。


 総じて、守ってあげないと、と思わされる。


 何かと神経質な妹にとって、家が安らげる場所であったら良いなあ……とも。


「軽食って何が出されるの? ピザとか?」

「お寿司」

「マジか。意外と豪華だね」

「ウチのバスケ部、結構強豪だもん。だから縦の繋がりとかも強くて」


 ソファに顔を突っ伏したまま返事するみつね。先輩とかに揉まれるのって絶対しんどいよな、同じ血を引く者としてよくイメージできる。


「で、しっかり食べてきた?」

「聞いてよ兄貴。1貫も食べた」

「寿司1貫の助詞は『しか』だと思うけど」

「アタシ比では『も』だし」

「それはそうか……。ちなみにネタは?」

「芽ネギ」

「しっぶいな……。みつねの寿司ドラフトの1位は芽ネギなのかよ」


 芽ネギなんて守備が売りの社会人二塁手みたいなもんだ。

 もっとこう、甲子園のスター(マグロとかサーモン)をいっとこうや。


「だって芽ネギが一番人畜無害な感じするじゃん?」


 ……そう。こういうところこそ、みつねが偏食すぎると言われるゆえん。


「ご飯なんてただの栄養だからね〜。一日に必要な栄養を詰め込んだ錠剤があったら、アタシはそれで十分」


 怠けた感じでゴロリと体を翻して、ソファの背もたれに向くみつね。


 あらゆるものに対して厭世的なみつねだが、飯にはとりわけ興味がないのだ。


 だからそんなにほっそりしてるんだぞ。

 大森さんの肉を分けてあげたい。いや、あれはあれで男からしたら最高か……。


「そっかー。じゃあ今日の晩につくったハヤシライスが余ってるけど、いらないかー」


 イジワルに言う。みつねの背中がぴくんと波打って反応する。


「ハヤシ、ライス?」


 未知の単語に触れたみたいな声で聞き返す。

 実際はそんなわけがないんだけど。


「あぁ、野菜とお肉をふんだんに使ったハヤシライス」

「ごちそうじゃん……絶対美味しい」

「でも、ご飯は栄養補給なんでしょ? みつねからしたら美味しさなんて知ったこっちゃないと思うけど〜?」


 偏食すぎるみつねをからかうように言う。

 これはきょうだいならではのじゃれ合いみたいなもの。


 だって俺は知っている。

 みつねの過度な偏食が条件つきであることを。

 そう――、


「……食べさせて。兄貴がつくってくれたハヤシライス」


 みつねはこの世のご飯の中で唯一、俺の手料理だけは好き好んで食べるんだ。


「もう、ちゃんと食べないとダメだよ」

「ありがとう。兄貴のおかげで今日も生きられる〜……」


 みつねはキュッと背をすぼめてソファの上に正座している。


 こんな感じで、根は素直な子なんだよな。


「よそでも普通にご飯を食べたらそんな大げさなことにはならないけどね」

「無理無理無理。兄貴のご飯しか無理」

「極端だなあ、相変わらず」


 とまあ若干依存気味。

 みつねの面倒を見るのも俺の仕事のうちだ。


「……兄貴はもう晩ご飯食べたんだよね?」

「うん。このハヤシライスは自分の晩飯に作ったやつだから」

「もう勉強部屋に行っちゃったりする?」


 こっちをガン見して、無言でそばにいろと言われる。

 あぁ、もう!


「行かない行かない。みつねが食べてるの、横で見てる!」

「さっすが誇りの兄貴。一生アタシから離れないでな?」

「みつねはしれっと男作ってどっか行きそうだけどなあ」

「アタシに男が寄り付くかね」

「…………普通にしてりゃ可愛すぎるけど」

「けど、な?」


 肩をトーンと叩かれ、遠回しにまだまだ俺のそばにいると言ってくる。

 やや歪な関係の自覚もあるけど、俺にだけ心を開いている妹は、なんだかんだ言って可愛いでしかない。

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