4.

 散歩中の犬みたいに腕を引かれ、大森さんに連れてこられたのは。


「り、理科室……?」

「はい! 空いている教室がここしかなくて!」


 確かに教室から移動はできたけど、飯を食べる場所としては向いていない。薬品や植物を持ち出して実験とかしまくってる場所だし。


「別に教室でも良かったんじゃ」

「それはダメです! どこで食べるかもすっごく大事ですから!」


 外で食べるご飯は何倍か美味しい、みたいなことか。


「ででーん! ここで有間くんに豆知識のプレゼントですっ!」

「ほう」

「じーつーは。味って舌以外の影響をとんでもなく受けるものなんですよ?」

「ほう……?」


 大森さんがエアめがねをクイクイと上げた。

 飲食周りの知識はしっかりしているみたい。


「教室だったら他の子もいるわけで。有間くんと2人っきりになりたかったのもありますけど、耳や意識が持っていかれてお弁当に集中できないじゃないですか!」


「なるほど、理解はできた」


「えへへ、ちょっとは賢いでしょ? なでなでしてくれます?」


「自分で言わなければほんの少し賢いと思えたのに……」


「……有間くん、なかなか私にイジワルなときがあります」


 膨れられる。

 これまで弁当をあげまいと壁をつくっていたところもあったし、それも含めてむっとされている気がする。


「ご飯は5感で楽しむ……確かに大事だね、うんうん」


「そうです、感覚研ぎ澄ましていきましょう! 感覚っ!」


 とはいえ主張に納得し、教室の倍ぐらい大きな理科室と、その中心でテカテカ微笑む大森さんを見ていると。


「あ、大森さん。5感分の1が終わってる」


 とある物が視界に入った。ご飯を楽しむ感覚をエグいぐらい削ぐ、とある物。


「またまた~。有間くんは私にケチをつけたがるんですから~」

「あれを見て」


 えいえい、と俺の背骨をあざとく平手する大森さんの視線をのほうへ誘導する。

 教室の右前を指さした。


「私はこの理科室を有間くんとのカンペキなお昼スポットだと思ってるのに……って、ひゃいっ!!!!!!」


 大森さんのふくよかな体が猫みたいに飛び跳ねた。

 ぽよん、という擬音が鳴った気がした。


「さすがに不気味すぎるね、人体模型」


 そう、内臓丸出しでギョロ目の人体模型がたたずんでいた。

 しかもまだ理科室の電気をつけていなかったので、薄暗闇の中でじっとこちらを見据えている。


 いや落ち着くかぁ!

 大森さんに昼飯を見られるのでもあんなに落ち着かなかったのに。

 こんな激キモオーディエンスの前でまともに飯なんて食えんだろ!


「は、はあ~い……?」


 いきなり大森さんが人体模型に手を振り始める。

 友好的にいこう、と交信を図っているのか。おバカさんが滲んでる。


「人体模型なんで、ジン君って呼んでいいですか?」


 ……。


「じ、ジン君、なかなかマッチョさんですね~。実はモテたりして? 彼女さんは?」


 …………。


「む、無視しないでください……っ。アナタのお口は飾りなんですか?」

 

 飾りだろ。歯の機構を説明するためだけの。


「大森さん。それで万が一返事をされたらどうするつもり?」

「やめてください怖いです泣いちゃいます」

「だったら話しかけないほうがいいでしょ」

「だって視線が気になりすぎますもん! どうにか処理したいんです!」


 うぅ、と肩をすぼめてうらめしそうに人体模型を見ている。


「ジン君のおバカさん! 嫌い…………」

「珍しくご立腹だね」

「だってぇ……、私と有間くんの時間を邪魔されたくないのにぃ……」


 本格的にムッとしている大森さんはレアかも。いつもはふわふわ平和な子だから。


 そしてそのぷりぷりした様子は……どこかあどけなくて可愛いような。


(これがギャップ萌えってやつ……?)


 親に抵抗する子どもみたいに無邪気な大森さんに俺の心臓はピクリと動いてしまい。もうしばらく見ていたいな、なんて思ってしまい。

 これまでの昼休み分のちょっとした仕返し、みたいな気持ちも混じり。


 なぜか衝動的に俺は……、俺は。


「ダレノコトガキライダッテ?」


 声のトーンを低くし、不気味な棒読みでジン君がホントに喋ったかのように演技しちまった。全く柄にもないことをした。


「…………あ」


 大森さんは声が出ないぐらいに驚いて、口をパカパカさせている。マズいやりすぎた。


 そのままガクガクガクと膝から崩れ落ち、床にへなりと女の子座り。


「……うぅ」


 ふるふると震える肩や、力が抜けたように垂れ下がるボブが恐怖をこれでもかと表していた。


(何やってんだ、俺……)


 やっと冷静さが追いついた。

 それはほんの少しの気の迷い。

 ろくに女の子付き合いをしてこなかった男が、不器用にもしでかしたミステイク。


 可愛い女の子にこそ男はちょっかいをかけたくなるってこういうこと?

 でもそんなの言い訳でしかないし。


「…………あーりーまーくーん?」


 大森さんも子どもではない。その声の主がホントにジン君でないことは察したようで。


「……有間くんのおバカさん、嫌い……」


 ジン君へのセリフとまったく同じものが向けられる。

 座り込んだまま、かつてないジト目の上目遣いで見られている。


(でも、これはこれで良い……)


 この期に及んで最低か!

 さっき感じたギャップ萌え成分が自分に向けられていることで余計にドキドキしているのだ。マジで申し訳ない。


「ごめん大森さん、ほんの出来心だったんだ」


 謝るしかない。

 何かに怖がるか弱い女の子を軽はずみにからかってしまった。男としてのセンスがない。一生童貞やってたいんか?


「……くすっ。ダメです、許しません」


 だが、大森さんはまるで聖母で。

 慈愛に満ちた半笑いで、失態を犯した俺を見つめていた。


(他の人だったら詰んでたろ、これ)


 謝れ、とにかく謝るんだっ!


「ごめん、ホントにごめんっ!」

「そんなに謝らないでください。プチお化け屋敷みたいで楽しかったです!」

「ほ、ホント……?」

「はい! むしろ楽しませてくれてありがとうって感じですよ?」


 あー、大森さんに救われてるー。


 これで丸く収まればホントにありがたい。

 そう思っていたところで、ふと。弱った俺を見て、大森さんはらしくないしめしめ顔をつくる。


「でも。あんなに怖がってた私に追い打ちをかけるなんて、やっぱり有間くんはイジワルなとこがありますね?」

「すみません……」

「あーあー。これはかなりの減点ですね~」


 むん、と腕を組んで俺と相対す。

 取り締まりポリスみたいに注意している風。


 やべえ、形勢が傾いている。

 今までは大森さんが俺の弁当うんぬんでワガママを言っていたから、多少強気で接しても良かったのに!


 グイグイ来られる隙を作っては、いよいよ逃げられなくなるぞ……!


「『大好き』になりかけてたのに、これだと普通の『好き』に戻っちゃうかもなあ~」


「⁈ げほっ! げほっ!」


 俺のさっきの行いは普通に罪だぞ⁈

 パトカーで連行しろよ、リムジンじゃなくて!!!


「はいっ、このお話おわり! 早くおべんと食べましょ!」


 切り替えたい大森さんはそう提案する。

 もうジン君も無視するみたい。


「食べるって言っても……地べたで?」


 大森さんは人魚姫みたいに床から動く気配なし。


「はい、どーぞっ!」

「…………立たせろってこと?」


 俺を見上げて、右手を伸ばしてきたのでそういうことだろう。


「座らせたのは有間くんなんですから、当たり前です!」

「それを言われると……」

「えっへん! これでさっきのは許してあげますんで!」


 こんなのでいいのかよ。

 と思わなくはないが、今の俺は大森さんに借金中なわけで。


 素直に手を掴んだ。

 まだ大森さんの手の柔らかさは未知の領域を出ず、触れているだけで胸がトクトク早くなる。


「離さないでくださいよ?」

「この期に及んでそんなクソ仕打ちしないよ」

「どうかな~? 有間くんは私にいじわるするからなぁ~?」


 やっぱりヤバい。

 俺が下手に出て、自由奔放な大森さんが主導権を握る構図。


 なんだかとても、とんでもない方向に振り回されそうな気がしてならん!


「にゅにゅにゅ……っと!」


 俺に引っ張り上げられ、大森さんは立ち上がった。

 天真爛漫でしかない笑顔の下が、今だけは奥が見えなくて、ビクビクする。


「さっ、ご飯の時間ですよ! 目いっぱい楽しみましょうね、あーりーまーくんっ!」


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