交わることのない平行線~堂々巡り③~
森本 晃次
第1話 成長
義之が、香澄の元にサイボーグを送りこんでから、香澄との間に愛が芽生えていたが、サイボーグは、何を思ったのか、ある時、香澄の前から忽然と姿を消した。
最初は、香澄も彼がいなくなったことで、精神に異常をきたしたような気がしていたのだが、すぐに冷静さを取り戻した。
ただ、香澄の頭の中には、
「裏切られた」
という感情が芽生えていた。その理由は、
「やっと信じることができそうな相手が現れたのに、いきなり消えるなんて」
というものだったのだが、裏切られたという意識が、次第に薄れていくのを感じた時、自分というものが、
――熱しやすく冷めやすい性格だ――
ということに気が付いた。
自分に冷静さを保つことができる性格を持ちあわせているなど、今まで知らなかった香澄は、元々、「孤独」を感じたとしても、「寂しさ」を感じるわけではないだけに、「孤独」と、「寂しさ」が、本当は同じ次元で考えるものではないことを、次第に知るようになる。
「孤独」を感じても、「寂しさ」を感じることはないと思っていたことで、
――自分には、「寂しさ」なんて感情はないんだ――
と誤解していたようだ。しかし、「孤独」と「寂しさ」が同じレベルでの思いだということをどこで知ったというのだろう? 自分が育ってきた環境や、今までの記憶を思い起しても、知り得たであろう過程を思い起すことはできなかった。
そういう意味では、サイボーグである彼と惹き合ったというのも分からなくはない。心の中にある冷たさのようなものを、彼も自分自身で感じていた。だが、それは自分がサイボーグだという自覚があり、人間のような血が流れているわけではないという思いがあることで、暖かさを感じないことが、一番人間と違うところだと思っていた。
しかし、香澄はそんな彼を好きになった。なぜ、彼女が彼に惹かれたのか、彼は分からなかった。
いや、分からなかったというよりも、考えようとは思わなかったのだ。考えることで、自分に対して不利な結果が導き出されてしまうことが怖かった。
――怖い?
サイボーグに「怖い」などという感覚が存在するなどあるのだろうか?
「自分を犠牲にしてでも、人間を守らなければならない」
と、基本基準に入っている。「怖い」などという感覚を持ってしまうと、一瞬の判断が遅れて、人間を助けることができなくなる。サイボーグやロボットに、「怖い」などという感覚は、
「百害あって一利なし」
と言わざるおえないだろう。
ただ、彼の頭の中には、義之の考えや、心が埋め込まれている。それは紛れもなく人間のものである。
「人間というものはロボットと違って、『恐怖』というものを感じる」
ということは、義之の心が教えてくれる。しかし、サイボーグである以上、基本基準が埋め込まれているため、人間としての「心」と、サイボーグとしての「基本基準」との間で、
「何が正しいのか?」
ということを模索している。
特に彼は、発展途上であり、「学習機能」により、成長するサイボーグだった。そのことを知っているのは義之だけで、サイボーグである彼には最初から意識させないように設計されていたのだ。
それでも、成長していく間にそのことを悟るであろうことは義之にも分かっていたことで、義之の行動は、
「成長を見守る親の気持ち」
というよりも、
「人間とサイボーグの違いを実践で感じる」
という研究面からの方が大きかったに違いない。
それでも、自分の「心」が入っているサイボーグ、他のロボットたちに比べても、気になる存在で、情が移っていないとは言えないだろう。
ただ、それでも彼がどうして香澄の前から姿を消したのか、義之本人には分からなかった。その理由が、サイボーグにあるのではなく、人間側に問題があるなど、想像もしていなかったからである。
香澄が沙織と出会ったのは、その頃だった。色彩をイメージすることで、予知能力を持つことができるという沙織に、香澄は興味を持った。その時香澄は、
――彼女とは、ずっと一緒にいるような気がする――
と思い、沙織に何か言いたげな様子を浮かべ、
「どうしたんですか?」
と、沙織に言われてドキッとするが、
「い、いえ、何でもないの」
と、あからさまに動揺した態度を示した。
――この娘は、私の考えていることなら、すべてお見通しなんだわ――
と思いこんでしまったことで、気弱になりかかっている自分を何とかしないといけないと思い、必死に自分の優位性を表に出すよう、心掛けていた。
沙織にある予知能力は、相手が考えていることを、見透かすものではない。香澄は沙織の特殊能力を、相手の気持ちが分かるというところまで広げて解釈してしまったことで、自分の中に結界を作ろうとしてしまっていることに気が付いた。
香澄は、人に知られることなく、自分の中に結界を作ることができるようになっていた。以前には、そんなことはできるはずなどなかった。できるようになったのは、義之サイボーグに出会ったからで、知らず知らずのうちに、香澄にも人に気付かれないような特殊能力が備わっているのではないかと思われた。
ただ、香澄は沙織の前に出ると、優位性が香澄にあるということを、沙織が感じているのを分かっていなかった。香澄は先生になって沙織と出会い、自然の中で沙織と一緒に絵を描くことで、未来に飛んでいってしまいそうになっている自分に気付くことなく悩み続ける自分を、引き留めていられた。
「沙織ちゃんと一緒にいる時だけが、今の私を支えているのかも知れないわ」
そう思うと、どちらに優位性があるかなど、関係ないように思えてきた。
香澄は、沙織と一緒にいる時の思い出が、一番好きだった。
――もっと長く続いてくれたらよかったのに――
この意識は、ずっと持っていた。
思い出の中の時間に対しての意識は、
「長いと思っていても、思ったよりも短い」
あるいは、
「あっという間だったように感じるのに、結構長かった」
と、感じ方は様々だが、沙織に関しては、
「長かったと思っていたのに、思い出すには、遠すぎる」
というイメージが付きまとった。もちろん、こんな思い出は、それまでにはなかったことだった。
――思い出すには、遠すぎる――
香澄が、絵画に興味を持ったのは、色彩に対して意識が強かったからだが、その時同時に感じたのは、
「遠近感」
というものの意識だった。
遠近感を最初に感じたのは、絵を描く時ではなく、自然を見ている時に感じた、何とも言えない懐かしさだった。
遠くに見える緑の木々が、日の光に照らされて眩しく光っていた。その中には影の部分も含まれていて、暑さの中で、揺れている木々が、木漏れ日を感じさせ、静かにしていると遠くから、川のせせらぎが聞こえてくる。
目を瞑ると、眩しい緑が瞼の裏に焼き付いているのを感じたが、
「待って」
目を瞑って瞼の裏に映し出されるものに、「色」を感じたことなど、今までに一度もなかったことのはずだった。
それなのに、緑という色を感じたというのは、それだけ香澄が色に対して敏感になっているからなのか、それとも、
「木々は緑色をしているものだ」
という意識が、ついてもいない色を感じさせたのかも知れない。それを潜在意識というのだろうが、香澄の場合は、自分では、
「色に対して敏感になっている」
と、感じるようになっていたのだ。
ただ、潜在意識を思い浮かべなかったわけではないので、意識としては根底にあるのは間違いない。潜在意識を感じるようになったのも、
「色に敏感になってきたからだわ」
と言えなくもないだろう。
香澄は、自分がなぜ沙織に対して優位性を感じているのか分からなかった。沙織を見ると、自分を慕ってくれているように見える。
「私はそんな他人から慕われるような女じゃないのに」
と思いながらも、慕われることに甘えながら、沙織に対して優位性を求めている自分を感じた。
そこには苦悩も感じられたが、元々、香澄は自分が人間嫌いであることに気が付いていった。
それは今さらのことなのかも知れない。
サイボーグである彼に惹かれたのも、彼が人間ではないからで、人間だったら、必ず相手の悪いところを探そうとするはずだった。しかし、彼に対しては、嫌いなところを探そうという気はなく、最初からどこを見ていいのか分からないところがあった。それが、香澄にとっての戸惑いとなり、自分が人間嫌いだということを隠そうとする本能が働いたことで、惹かれていく自分に、相手に対しての優位性を考える余裕もなかった。
今まで香澄は、まわりの人間に対して、優位性ばかりを感じていた。特に子供の頃は、優位性だけしか考えていなかった。それは母親から受けた教育がそうさせたのだった。
香澄の家庭は、裕福ではなかったが、貧しいわけでもなかった。普通の家庭という中でも、さらに平凡で何もない家庭だった。
今から思えば、
――平凡に過ごすことが、本当は一番難しくて、そのことに気付きにくい――
ということが分かる。
子供の頃は、それが退屈で仕方がなかった。
一年に一度、夏休みになると、家族で旅行に出かけるのが恒例となっていた。場所はさほど遠い場所ではないが、日帰りは難しい温泉がほとんどだった。
父が老舗旅館が好きだったので、部屋は和室で、露天風呂があるようなところがいつも宿泊場所の候補になった。
父も母も宿に着くと、宿の人から一通りの説明を受けるまでは、緊張していたが、
「ごゆっくりお過ごしください」
と言って、女中さんが襖を閉めて部屋を出ていくと、
「ふう」
とばかりに、一気に緊張を解いてしまい、脱力感から普段の姿に戻ってしまった。
一仕事終えて、満足した表情ではなく、ただ「疲れた」というだけの表情は、香澄をいつもガッカリさせた。
――何のために旅行に来ているのかしら? 息抜きのためじゃないのかしら?
と、子供心に不思議に感じた。
――そんな顔するのなら、最初から来なければいいのに――
と思い、いたたまれなくなり、その場から少しでも早く離れたい気分になっていた。
「ちょっと、私、出てくる」
というと、父親はすでにグッタリしていて何も言わないが、母親はいかにも訝しげな表情で、
「遠くへ行くんじゃないわよ。本当に貧乏性なんだから」
と、まるで投げやりになっているかのような捨て台詞を吐いた。
「貧乏性?」
最初は、子供の香澄に分かるはずもない言葉が飛び出して来た。
――うちの家庭って、貧乏じゃないのに、何を言っているのかしら? 私だけ貧乏に見えるってこと?
と、母親としては、疲れからなのか、それとも一般家庭のしつけの行き届いた子供は、
――落ち着いて、歩き回らないものだ――
という考えが頭にあるからなのか、子供が分かろうが分かるまいが、思わず出てきた言葉なのかも知れない。
しかし、子供としては、
――貧乏――
という言葉を言われると、
――本当はうちは貧乏だったんだ――
と感じ、それでも他の家庭に合わせようという努力をしている母親を見ると、惨めにしか感じられなくなった。
肉親が、しかも、父や母が無理をして背伸びしようとしている姿を見るのは、子供としては、本当にいたたまれない。今のままの性格では、その環境に耐えられないことを感じていた。
その思いを小学生の頃、ずっと感じていた。なぜ、そんな思いを感じなければいけないのか分からなかった。
中学に入り、あれは二年生の冬のことだっただろうか。友達同士でスキーに行こうという話が持ち上がったことがあったが、そのことを母親に話した。
「友達同士で行く」
というと、
「ダメです。友達同士だなんて、とんでもない」
「どうして? 皆、親の了解を貰っているのよ。うちだけ行かないなんて変だよ」
「よそ様はよそ様、うちはうち」
と、言って聞く耳を持たなかった。
――よそ様? よそ様って何よ――
香澄は、また母親の言葉に対して反応した。母親は別に意識して言っているわけではないだろう。
だが香澄には、よそ様という言葉に反応した。
それは、「様」という言葉がついていることで、母がまわりに対してコンプレックスを持っているということを知ったからだ。それは、温泉旅行の時に聞いた、
――貧乏――
という言葉を彷彿させるものだった。今回の言葉に、母親の無意識さが伝わってきたことから、温泉旅行の時に言っていたあの言葉も無意識であったことが、この時ハッキリと分かったのだ。
そして、もう一つは、自分の言った言葉に、母は一切責任を感じていないということだ。口から出た言葉は吐き捨てられただけで、躊躇いもなければ、後になって、
「言いすぎた」
という印象もない。
それだけ、母の言葉は軽いものであり、自分が大人になってくるにつれて、
――母親は、尊敬に値するようなことは一切ない人なんだ――
と感じてきた。
露骨に軽蔑する気持ちにもなった。
――実の母親なのに?
と、思うこともなかった。逆に、
――実の母親だから、余計に感じることなんだ――
と、香澄は感じた。
そのうちに、香澄は人を信用しなくなった。
人を信用しないということは、
――自分も信用しない――
ということでもあった。
さすがに、中学時代までは自己嫌悪に陥ったという意識はなかったが、何を信じていいのか分からず、そんな時に出会ったのが、絵画だった。
――色彩感覚と、遠近感さえあれば、絵は描ける――
ということを、香澄はすぐに看破した。他のことは、深く考えてもなかなか分かることはなかったが、絵画に関しては分かったのだ。
それでも、美術館に出かけて本格的な芸術作品を見てみたが、
「どうにも私には分からない」
という感覚しかなかった。
あまりにも高貴すぎて、自分には理解できないという気持ちが強いのか、それとも、芸術作品の中に、元々自分が感じた、
「色彩感覚と、遠近感」
この二つが感じられなかったからなのかも知れない。
どうして感じられないのか分からない。自分の絵だったり、まわりの人が描く絵には感じるのに、不思議だった。
だが、色彩感覚と遠近感が分かったからといって、それが合っているかどうか、答えがどこかにあるわけではない。むしろ、答えはどこにもないような気がする。そういう意味では、他の人の絵にはいざ知らず、自分の絵に色彩感覚と遠近感が分かるというのも、おかしな話に思えてきた。
「あくまでも感覚であって、直感であっても、時間を掛けて感じることであっても、感じることができれば、それがその人の『感性』だ」
という話を聞いたことがあった。
それを思い出すと、自分が絵画について行き詰ったことも納得できた。
それは、一度は乗り越えなければならない一つの道だったのかも知れない。人はそれをスランプと呼ぶのかも知れないけど、
「スランプなんて格好のいいものじゃないわ。自分に自信を持てない人に、スランプなんて存在しない」
と、言いきったことがあった。
相手は絵画の先生だったが、
「まあ、そんなに深く考える必要なんてないのよ」
と、言われたが、その時の先生の顔が、小学生の時に感じた母親に似ていた。
――先生と言いながらも、しょせん、そんなもんなんだ――
と、感じると、急に自分が先生になってみたいと思うようになった。
実は、自分がどうして先生になろうと思ったのかという感覚を、香澄は忘れていた。母親への意識が強すぎることで、母親への何かの反発から、先生になろうという選択肢が浮上してきたと思っていたが、まったく違うとは言い難いが、忘れてしまうくらい、意識が薄かったのかも知れない。
母親に対しての疑問と、先生に対しての疑問。本来であれば、
――自分の成長の背中を押してくれる人たち――
であるはずの人たちを、香澄は信用することができないのだ。他の人を信用しろという方が無理があるというものだ。
香澄にとって、他人との優位性を人との接し方の第一条件に掲げたのも、そんなまわりへの不信感が招いたものだ。香澄は、その意識を持っている。持っているだけに、
――自分で身につけたものではなく、勝手にまわりが意識させた――
という性格だと思っていた。
これは香澄の中で、大きな矛盾を含んでいることに、ずっと気付かなかった。気付かなかったことが、香澄を長い間、
――自分で意識していない「堂々巡り」――
を繰り返させていることになったのだ。
矛盾というのは、他人を信用できない香澄の肝心な性格が、
――他人によって自分の意図しないところで作り出されたもの――
だということになるからだ。
香澄は、すぐには意識していなかった矛盾だったが、分かってくると、
――もう、これ以上、人のことで悩みたくはない――
と思うようになった。
そうなると、他人との境界線を作ることを考えるようになった。
それが、「結界」であればいいのだが、そんなものまで作れるほど、自分に強さがないことは分かっている。
まず手始めに考えたのは、
――相手に対して、優位性を持つこと――
だったのだ。
優位性というのは、一つではない。
たとえば、同じものを目指しているのであれば、必ず自分が先にいるということ、そして、絶えず後ろから見つめられる立場にいるということが一つの優位性だと考える。
また、まったく違うものを目指しているのであれば、あくまでも、相手に対して毅然とした態度を取り、目指しているものが目の前に迫っていることを相手に示唆することも自分にとっての優位性の一つだと考えていた。
優位性がいずれは、「結界」になるものだと、香澄は考えていた。
実は、香澄は他人に対しての優位性をあまり好きではなかった。
まわりを信じられないことから生まれた発想である「優位性」、しかし、本当は、他人との「結界」を築くことが最終目的だと思っているので、そのステップアップのために必要不可欠なものが、相手に対しての優位性だと思っていた。
だが、「結界」を作るというのは容易なことではない。
そもそも「結界」と呼んでいるものがどれほどのものなのか、段階があるような気がして仕方がない。こちらからは相手に近づくことができるが、決して向こうからこちらに入ってくることのできないものが「結界」だと思っている。
義之サイボーグと出会った時の香澄は、どれほど自分の中で「結界」ができていたのか分からない。だが、彼が感じたのは、
――他の人にはない「結界」のようなものを感じる――
というものだった。
だが、それは一瞬のことだった。すぐに香澄は彼に対して心を開いた。人間のように、「錯覚だったのかな?」
と感じながらも、どこか気になっていることはない。それは、人間が自分に自信がないからで、サイボーグは、自分が錯覚だと思えば、その感覚を信じるように設計されている。だから、香澄に対して、
「錯覚だ」
と感じたら、錯覚として、それ以上は考えないようになっていた。
義之サイボーグが、香澄に対して感じた「結界」のようなものは、あくまでも人間に対してのもので、自分に対しての結界ではないことが分かると、自分だけを特別の目で見てくれることに喜びのようなものを覚えた。
それも、実は紙一重だった。
彼の成長がもう少し早ければ、自分にだけ特別だという意識が、
――わがままな性格を押し出している――
ということが分かったかも知れない。
また、逆に遅ければ、自分にだけ特別だという意識すら感じなかったに違いない。ちょうど波長が合う流れに、お互いの意識が乗ったのかも知れない。
彼の成長は、人間の成長に比べると、何百倍、何千倍という単位のものだ。もちろん、限界もある。ある程度まで成長してくると、途中でトーンダウンして、限界の一歩手前で、ちょうどよく着地できるように設計してあった。ただ、成長の過程でのスピードは、加速しているものなので、どこで制御を掛けていいものなのか、考えさせられることだろう。
人間の場合は、精神同様に身体も成長する。
「身体の成長に合わせて、精神が成長する」
と言った方がいいくらいではないだろうか。
しかし、サイボーグやロボットは、人間のように、身体が成長するわけではない。精神だけが成長するのだ。しかも、そのスピードはハンパではない。それを思うと、どこまでサイボーグの身体が、精神回路の成長に耐えられるかということも、問題だった。
実際に、義之もそこまで計算していなかった。確かに肉体の成長のない精神の成長を計算はしていたが、精神の成長に、加速装置が影響してくるなど、計算外だった。いろいろなことを吸収しながら、理屈も理解しておかなければいけないという成長は、想像以上に、義之サイボーグの精神回路を、抑圧していたようだ。
ロボット工学とは、
「人間のように成長するロボットを意識しなければいけない。それは、人間とロボットが決定的に違うものであって、その違いを意識するためには、人間の成長を勉強する必要がある」
という説があった。
ロボット工学の本には、人間との違い、そして、人間と共有できる部分、つまり、人間を意識した部分が、たくさん含まれている。ロボットのことよりも、人間のことの方が多く書かれているかも知れない。
考えてみれば、人間の歴史とロボットの歴史の深さの違いは歴然としている。特に人型ロボットの開発は一番身近であるが、その分、いろいろな問題を孕んでいる。人間に近いというだけで、どうしても意識しなければならないのは、
「人型ロボットを造るのは、何と言っても人間なのだ」
ということだからである。
義之サイボーグは、自分の成長の早さに耐えることで、一つ大きなものを得とくした。それは人間にとっても、大切なことである「自信」というものである。人に命令されたことを忠実に守るだけであれば、自信というものは存在しない。下手に自信というものを感じてしまうと、命令に服従するだけの自分に、疑問を感じることも考えられるからだ。
ロボットにとって、「自信」は、諸刃の剣のようなものだ。そんなものを義之は「成長」という形で、自分のサイボーグに組み込んだ。
――より人間に近づいた――
と言えるだろう。
人間に近づいたということは、人間と同じような「副作用」も伴う。つまりは、「自信」が生まれれば、そこには必ず「自信喪失」というものが背中合わせに存在していることを伴っていることになる。そこが、諸刃の剣と言われるゆえんであった。
人間自身、存在自体が諸刃の剣なのかも知れない。
そうでなければ、未曾有の大戦争を引き起こしたり、そんな中から、あくなき精神で復興を遂げるのである。義之が自分のサイボーグに「成長機能」を組み込んだというのは、かなりの冒険だったのは間違いない。
ただ、その分、自分の精神をサイボーグの回路にも組み込んである。
――同じ状況に陥れば、自分も同じ行動を取るに違いない――
と、いう思いがある。
自分が、超えるわけにはいかない過去への旅を、義之サイボーグに任せるのも仕方がないだろう。
どうして、自分がサイボーグに任さなければいけないかというと、
――自分の身体は一つしかない――
ということだ。
いくら、出発地点が違っていたとしても、行く先が同じ時代であれば、そこには存在してはいけない自分がいることになる。それは許されないことだ。
義之は、香澄をサイボーグに任せて、自分は沙織に会いに行くことを考えていた。そのために、サイボーグに香澄を任せたのだった。
義之は、サイボーグが香澄の前から姿を消すという行動を取ることを予想していなかった。サイボーグには敢えて最初からいろいろな機能をつけることなく、成長を促す回路をセットするようにしていた。それが確かに災いしてサイボーグを苦しめる結果になってしまったことも、かなり低い確率ではあるが、予想していなかったわけではない。それでも、自分の「分身」として香澄の前に現れることで、二人が惹き合うことは高い確率で予想していることだった。
――でも、どうしてやつは香澄の前から姿を消すような行動を取ったんだ?
成長する彼の回路の中で、自分で納得できない出来事に出会ってしまったのだろうが、それが一体何なのか、なかなか分からなかった。
義之本人がこの時代にやってきた時には、すでに、サイボーグが香澄の前から姿を消した後だった。
「確かに、こちらにやってくる前、やつは香澄のところにいるのを確認できていたはずなのに」
香澄の時代には当然なかったタイムマシン。架空の存在としてSF小説の中でだけでしか確認できないので、誰もが同じものしか想像できなかったはずだ。
同じものといっても、
「形状が同じ」
という意味ではない。
「形状が違っても、用途や性能は同じだ」
という意味である。
過去にしろ、未来にしろ、「タイムトラベル」をすると、その間、トラベラーに時間の意識はない。あっという間に、目的の時間のその場所に到達しているという発想である。つまり、トラベルの間に、その人は一切の時間を費やしているわけではないというものである。
さらに、曖昧なこととしては、その到達地点である。
いわゆるベクトルという意味だが、未来や過去のまったく同じ場所に到達するのだとすると、ちょっと考えれば、
「そこには一体何があるか分からない」
と思うのではないだろうか。
確かに、映画やマンガの世界では、自分のいた時代とまったく違った世界が広がっていて、到達地点は必ず危険のないところになっている。当然そうでなければ、そこから先の話は進展しないからだ。
だが、そんな都合よくいくものだろうか。到達地点を最初から分かっていないのに、まったく違う場所に飛び出すなど自殺行為。危険極まりない暴挙としか言いようがないではないか。
テレビのドキュメンタリーで、探検家が奥深い洞窟に入って行く時、その表情を写そうとすると、探検家よりも先にカメラマンが入って行く必要がある。しかも後ろ向きで歩いているのである。探検家よりも何よりもカメラマンの方がよほど危険ではないか。
タイムマシンの到達点を計算せずにタイムトラベルをするのがどれだけの暴挙かというのは、そう考えれば分かってくる。
だが、SF映画でも中には、そのあたりまで映像化した作品も少なくはない。タイムトラベルという発想は、SFファンで、タイムマシンというものをキチンと理解しようとして見ている人と、子供番組のアニメで、タイムトラベルということをただの「興味」として見る子供の目では、難しい話はタブーである。子供の発想で見ている人が、香澄の時代の人に多いのは、
「子供はアニメを見るが、大人になってSFに興味を持つかどうかは、子供のアニメ人口からすれば、かなり制限されてくる」
と、考えることができるだろう。
義之の時代のアニメでは、タイムマシンに対しての知識をキチンと謳っている。香澄との時代との一番の違いは、
「香澄の時代では架空の想像でしかなかったものが、義之の時代では、実際のものとして存在している」
ということである。
さらに、実際に開発されたタイムマシンは、香澄の時代に想像されていたものとは若干違っている。
違いの一つとして、香澄の時代に考えられていたタイムトラベルの時間は、まったく本人に意識がないために、一瞬にしてタイムトラベルを終えたように思われているが、実は違っている。
もちろん、香澄の時代の科学者の中には、タイムトラベルの理論に近い形の発想をしている人はいた。だが、開発が不可能であれば、それは机上の空論。しかも、もし、理論を解決できるだけのものを開発できたとしても、そこには致命的な欠陥がある。それは、
「タイムトラベラーの生命に危険がある」
ということだった。
要するに、
「タイムトラベルに耐えられるかどうか」
ということである。
タイムマシンの発想は、アインシュタインの「相対性理論」の発想と、宇宙空間での「ワープ航法」という考え方の組み合わせである。
タイムトラベルというのは、要するに「時間短縮」である。
「どれほど短い時間で、たくさんの時間を飛び越えることができるか?」
この発想がタイムマシンだと言えるだろう。そうなると、考えられるのが「相対性理論」である。
「相対性理論」では、
「高速になればなるほど、時間は遅くなる」
という発想である。
自分だけが、まわりに比べて同じ時間でも、時間が進むのが遅ければ、それだけ年も取らない、時間も経たないのである。浦島太郎の竜宮城の発想でもあるが、自分だけ時間が遅ければ、自分だけの意識として、
「あっという間に、まわりだけ時間が早く時間が進んだ」
と考えるだろう。一種のマジックのような発想である。
ただ、この発想をタイムマシンに応用するには、致命的な欠陥がある。
「未来に行くことはできるだろうが、過去に戻ることはできない」
という発想である。
考えてみれば、過去に戻るということは、「パラドックス」という大きな問題を孕むことになる。そう簡単に、機械の開発だけで解決できる問題ではないはずだ。
未来へのタイムトラベル開発は、結構早い段階で完成し、実用化にこぎつけ、実際に未来へのタイムトラベルをした人もいた。もちろん、人間が高速に耐えられるだけの機械の性能が求められたわけだが、その問題を解決した上でのことだった。
この時代の科学の発展は目覚ましかった。その時代というのは、香澄や沙織の時代の孫の世代に当たるのだが、この科学の進歩が人間に「過信」というものをもたらし、
「恐怖兵器の中での均衡」
が破られる結果にもなった。
「過信というものが、人間の理性や本能をマヒさせた」
と言われる。
「人間には、理性と本能があり、理性が本能を抑制する力を持っていた。それでも人間というのは強いもので、理性が外れても、本能の中で危険性を察知するので、危機的状況を回避することができるものだ。二段階になっているので、今まで人間は自分たちを滅亡させるほどのことはなかった」
過去の歴史の中で、確かに未曾有の大戦争はあったが、人類を消滅させるほどのものはなかった。それが、過信という考え方ひとつで、安全装置である理性を外し、さらに本能までもマヒさせてしまい、動物以下の知能で、世の中を破滅へと導いたのだ。
奇跡的に人類は復活できたが、
「二度目はない」
と、悟ったことだろう。
一度滅んでしまった人類が復活した経緯は、やはりそれだけの時間を要しての話になるので、話をするのは難しい。中には理解に苦しむところもあるはずなので、ここでは割愛することにするが、復活した人類が「浄化」されたのも一つの事実だ。
「腐ったりんごを根っこから排除」
という意味では、「浄化」と言ってもいいだろう。ただ、それだけの代償はあまりにも大きすぎたのであるが、そんな中で、前の時代では完成不可能と言われた二つのものが、完成することになった。
「一つは、ロボットであり、もう一つはタイムマシンである」
二つとも不可能と言われてきた。タイムマシンは未来への一方通行はできても過去に行くことはできない。半分しか実用化されていなかった。
どんな人がタイムマシンを必要としたかというと、
「不治の病で苦しむ人を未来に送る」
という発想だった。
昔であれば、人間の「冷凍保存」などという発想もあったようである。
「今の時代で不治の病とされるものも、たとえば五十年先であれば、特効薬も見つかって、治せるかも知れない」
という究極の選択である。
「どうせ、このままにしていても、すぐに死んでしまうのは確定しているんだ。それならダメもとで掛けてみるか」
と思う人もいるだろう。
だが、そんな人ばかりではなかった。冷凍保存の話をすると、おそらく半分近い人が、
「私はいい」
というかも知れない。
目が覚めて、いきなり知らない時代に飛び出して、まわりは誰も知っている人もおらず、何をどうしていいのか分からないまま過ごさなければいけない。病を治すにしても、お金もないのだ。
そもそも未来に、貨幣などという概念が存在するのかというのも、疑問だった。紙幣や貨幣などは存在せず、すべてが、カードやコンピュータ管理された電子マネーであれば、飛び出した時代は、自分にとって暗黒でしかない。
「あの時死んでおけばよかった。そうすれば、大切な人皆と最後の別れもできたんだ」
と思うかも知れないが、冷凍保存を望んだのは、そんな別れの辛さを味わいたくなかったからだというのも本音である。いきなりどうしていいか分からない状況に飛び出したことで、その時の心境を忘れてしまったのだろうが、頭に浮かんでくるのは、玉手箱を目の前にした時の浦島太郎の心境なのかも知れない。
タイムマシンの開発は、香澄の時代の発想とは、違った発想から始まった。
もし、あの時代の発想をそのまま続けていれば、解決できないことを目の前に、まるで「結界」のようなものにぶち当たるだろう。
しかも、その「結界」は、透明性である。シールドのようになってはいるが、気を付けなければ、そこに「結界」があることが分からない。つまり「見えない壁」が目の前にあるのと同じ発想だ。
「見えない壁」「結界」という発想が、実はタイムマシン開発に一役買っている。
――見えないという発想――
それは色の特性が発想になっている。
見えないものの開発に、義之も一役買っているが、この色の発想は、香澄や沙織の血の遺伝が、義之に生きているのだろう。
「一つの円盤を作って、中心点を基準に、いくつもに細かく分割して、直径の線を引く。そこに様々カラフルな色を催した状態で、中心点の軸にして高速で回す。まるで自転車の車輪のようにだ」
「すると、次第に色は混ざってきて、最後には白い色に変わってくる。それをさらに高速にしていくと、最後には円盤自体が見えなくなる」
という発想が、色を使った「見えないもの」を作る理論だった。
実はこれはものを見えなくするための一つの工法でしかない。だが、その時の「高速」という発想が、タイムマシンに応用できるのだ。
タイムマシンも、「アインシュタインの相対性理論」における高速の理論が時間を短縮させるという発想に繋がっている。つまりは、
「色彩感覚が、タイムマシン開発には大切だ」
ということを意味している。まるで三段論法のようで、安直すぎて、危険に感じられそうだが、
「自分が香澄や沙織の子孫であることには違いないんだ」
と、色彩感覚の遺伝を否定できないものだという考えで固まっていた。
ただ、義之の開発したタイムマシンは、他の人が開発したものとも、過去に想像されたものとも若干違っている。
一番の違いは、
「トラベラーは、あっという間に時間を移動した感覚に陥っている」
という発想だ。
時間が経過していないわけではなく、若干だが経過していた。
「それが大きな問題になるの?」
と言われそうだが、タイムトラベルでは大きな違いだった。
「飛び出した時代に同じ時代の人間は存在できない」
という理論を考えると、
「トラベルの後、どこに飛び出すか?」
ということも重要である。
考えてみれば、「ワープ航法」などを使った映画やアニメでは、必ず、
「どこに飛び出すか?」
ということを綿密に計算して、ワープを行うようになっている。いきなり飛び出したところの目の前にブラックホールの入り口などあったらたまらない。それと同じことが、「タイムトラベル」にも言えるだろう。
SFチックな「タイムトラベル」であれば、そこまで計算しているものもあるかも知れないが、ほとんどの映画やドラマでは、飛び出した場所について、多くの時間を費やしていない。
ストーリーの中で、さほど重要ではない描写ということであれば仕方がないのだろうが、実際に研究をしている人間からすれば、それではすまないのだ。
タイムマシンには、その計算ができるだけの『頭脳』が必要だ。それを一般的にタイムマシンとして一人乗りのマシンでどこまでできるだろうかと思うのも無理のないことである。
義之サイボーグの行方を義之自身が掴めなかったのは無理もないことだった。義之本人がタイムトラベルを行い、沙織に会いに行った時、ちょうど、未来に戻っていた義之ロボットにすれ違ったのだ。
もし、これがまったく違う人間がタイムトラベルをしているのであれば、タイムマシンが反応するのだろうが、ほぼ同じ感覚を持ったサイボーグがすれ違ったのでは、すれ違ったことすら意識がないのだ。
義之の開発したタイムマシンでは、時間を飛び越える意識を持ったままのトラベルになる。昔から信じられているような、
「気が付けば、違う時代に飛び出していた。その間に時間は掛かっていない」
というものとは違っていた。
タイムマシンを開発する人の中には、この発想を原点にして、
「この感覚を感じることができれば、タイムトラベルは可能だ」
と考えることで、開発に成功した人もいた。義之の場合は、最初から昔から言われているような発想では、タイムマシンを作ることは不可能だと思っていた一人だった。どちらにしても、
「開発されたものの使用目的は同じものである」
と、言えるだろう。
義之サイボーグは、元の時代に戻っても、そこに義之本人がいないことを分かっていた。分かっていての行動だったのだ。
なぜ、それが分かったのかというと、義之サイボーグは、義之が自分を香澄の元に送った理由を成長する過程で分かった。それは、考えてみれば分かることであって、結果から考えるという考え方を義之サイボーグは、自分の得意とするところだと思うようになっていた。 サイボーグは、義之から、
「自分はタイムトラベルができないから、お前に香澄のところに行ってもらう」
と言っていたが、
――それは嘘なんだ――
ということが分かっていた。
沙織に会うために行くという目的のために、香澄を放っておくわけにはいかないからだった。自分にハッキリ言わなかったのは、
「まだ、やつには理解できるまで成長していない」
ということが頭の中にあったからだろう。
実はそれが「予知能力」と同じ効果を生むのだということを知ったことで、サイボーグは「予知能力」を持った沙織をいずれ意識することにもなるのだった。
元の時代に戻ったサイボーグには確かめたいことがあった。
それは、人間の歴史についてである。
人間の歴史として、今一番確認したいことは、未来の人間に埋め込まれている、
「他の人を傷つけてはいけない」
という回路が組み込まれていないことでの、彼女への疑念が、彼がサイボーグであるがゆえに増幅させるのだった。
一種の、
「無限ループ」
に突入したのかも知れない。
このまま香澄のそばにいれば、自分はそのうちに動けなくなってしまうと考えたのだ。
そのため、未来に戻って、未来の人間の頭の中と、それが組み込まれるようになった背景をまず、確認する必要に迫られた。
「本当はこのままずっと香澄と一緒にいたかった」
という思いが後ろ髪を引かせたが、動けなくなるわけにはいかない。
香澄には確かに、
「人を傷つけてはいけない」
という回路は組み込まれていなかった。
「どうしてなんだ? 人間は自分たちロボットとは完全に違うもので、何も組み込まれていない自由な存在だというのか?」
サイボーグは混乱した。
自分たちの回路の中には、人間の中に回路が含まれているということは当然のことであり、だからこそ、人間と一緒に成長できたのだと思っていた。そして、ロボットを造った創造主は本当は人間ではなく神ではないかという思いも、義之サイボーグの中にはあったのだ。
それは、彼が人間でもなく、他のロボットでもないということを示していた。他のロボットは最初から完成品であり、しかも、そのほとんどに、「自分の役目」というものが決まっていて、その通りに動くことが本懐なのだ。しかし、義之サイボーグには、これと言ってハッキリと決まった役目はない。役目というのは、そのロボットの特性を生かした、人間で言えば「生きがい」のようなものである。義之サイボーグには、何かに特化した才能があるわけではない。最初は「未完成」だったものが、成長を遂げることによって、「完成品」となっていく、発展途上ロボットなのだ。そういう意味では彼は他のロボットに比べて自由であり、高度なロボットなのだが、彼にはその意識はない。
「俺には、他のやつらのような特化したものがない中途半端な存在なんだ」
という意識があるだけだった。
彼が過去に行くことになったのも、
「この時代では役に立たないんだ」
という思いが最初にあった。被害妄想なのだが、それは自分がロボットだという意識が人間から比べて、劣っているということをハッキリ理解させているからなのかも知れない。
ただ、自分が成長を続けていることだけは分かっていた。そのうちに、
「他のロボットとは違うんだ」
という思いも、いい意味での優越感であった。この間までの劣等感がウソのようである。彼の成長は、「自分に自信を持たせる」という意味で、大きな効果があった。それは、ロボットの中で、彼が先駆者として成長している証拠に違いなかった。
まず、義之サイボーグは、義之本人がいないことをいいことに、本人の知らない人のいる場所を選んで、調査することにした。義之本人でしか入ることのできない場所にも、彼なら入れる。それだけ義之はサイボーグを精巧に作り上げていた。
大学の図書館でも、関係者以外には入ることのできない場所にも、入ることができた。元々、資格はあっても、ロボット研究に忙しく、なかなか大学の図書館などに近寄ることのなかった義之だ。
「珍しい人が来たものだ」
という程度で、他の人は怪しむことはない。義之はまわりから怪しまれるような人物ではなかった証拠だ。
だが、それは友達が少ないことを示していて、この場合はそれが功を奏したということだろうか。
図書館にも無事に入り込むことができた彼は、そこでまずは、ロボット工学のところへ立ち寄った。
そこには、ロボットの歴史が書かれていたのだが、ロボットはサイボーグが感じていたよりもずっと後になって人間によって開発されたものであることを知る。
そして、ロボットには大いなる期待と、その裏腹に危険性を孕んでいるものだとして両方の面で研究が行なわれていた。
義之が時々、
「諸刃の剣」
という言葉をロボットに対して使っていたのを思い出した。もちろん、彼の前で面と向かっていうわけではない。そのため、彼は「他人事」として聞いていたが、それが、まさか人間全体の問題となって、ずっと過去から、そして未来に続く問題になっていたことを今さらのように思い知らされた。
読み込んでいくうちに、ロボットという「想像上の創作物」は、開発までにかなりの時間が要していることが分かった。それは人間が、ロボットを造るだけの能力に欠けていたからなのか、それとも、作り上げたロボットをどのように「運用」していけばいいのかという点で、大きな問題を孕んでいたのか、それぞれに大切なことであるが、彼は、
「後者の方なんだろうな」
と感じていた。
それは彼が成長するサイボーグだからで、他のロボットやサイボーグには装備されていないものだからだ。
ロボットの歴史から考えて、人間の科学力からして、自分のようなサイボーグが希少価値なのは、成長するロボットが増えてしまうと、運用するのに、必要な回路の開発が急務になってくる。
しかし、成長するロボットは、自由な発想を任されているので、ロボットの数だけ、いや、考えられることすべてをロボットの制御として使用しなければならないだろう。
それは、人工知能の「フレーム問題」同様、無限の可能性を考えなければならない。いくら、
「問題に必要のないことは排除すればいい」
と言っても、排除する可能性も無限にあるのだ。
「それこそ、『フレーム問題』ではないか?」
と、彼は考えた。
彼の人工知能も、「成長型」である。まだ「フレーム問題」は完全に解決されているわけではないが、問題を理解できるところまで成長していた。
――ひょっとすると、彼は俺よりもすでに知能の上では成長しているのかも知れない――
義之本人もそこまで考えていた。
なぜなら、義之本人は、彼と行き違いで過去に赴き、彼を意識させないように、沙織に近づいていたからである。
義之は、沙織と一緒にいる時、香澄と彼のことが気になっていた。
義之が辿り着いた時代は、まだ彼がこちらの時代にいた頃である。ちょうど彼を送り出して少しした時間である。そこには、サイボーグの成長を見守りたいという気持ちがあったのだ。
義之は、彼が香澄と恋に堕ちる可能性を最初は否定していたが、実際に陥っている二人を見ると、
――最初から分かっていたような気がした――
と、感じた。
そして、成長していく彼を見ていると、まるで自分の成長を思い出すような気がしていた。
人間というのは、自分の成長に関して意識を持っているものである。
「人間は思い出の数だけ頑張れるものだ」
という話を子供の頃に誰かから聞いた気がした。
その言葉を思い出すと、心地よさを思い出すのは、その話を最初から信じていなかったからなのかも知れない。
最初にその言葉を信じたのは、何を感じた時だっただろう。そんなに印象深いことで、その時の言葉を思い出そうと思ったわけではなかったはずだ。
義之は、過去にあった忌わしい戦争を知らない。戦争が終わって、著しい復興の時代も知らない。完全に今の世の中になって生まれた人種である。
つまりは、
「この世界の第一世代」
と言ってもいいかも知れない。
浄化された世界だと言っていいのかどうか分からないが、この世界は香澄や沙織が住んでいた世界とは完全に違う。
「違う宇宙なのかも知れない」
という発想を持ったこともあったくらいだ。
この発想は、義之の恩師が語っていたことだった。
「私は、戦争前の世界は、過去の時代という一言では表せないような気がするんだ」
「それはどういうことですか?」
「あの時代は、最初、次元が違っている時代だって思っていたんだ。君は『パラレルワールド』という言葉を聞いたことがあるだろう?」
「ええ、知っています。過去も未来も、それぞれ無数の可能性があって、それぞれに世界が広がっているという考え方だと思っています」
「そうだね、でも、その考え方にいくつも種類があると思うんだ。それは感じる人それぞれで違っているんじゃないかって思うんだけど、たとえば、『次元の違い』だって思う人がいると思うんだけど、私もその考えには反対ではない。だけど、完全に賛成というわけでもないんだ」
「というと?」
「その考え方でいけば、次元というものも、無限に存在することになるだろう? でも、それも本当なのかって思うんだ。たとえば、自分の前後に鏡を置いたとしよう。すると、自分の姿は、無限に増えていくことになるだろう?」
「ええ」
「でも、実際には世界が無限に増えていくということはないんだ。実態は一つなんだからね。ただ、『一つの世界が、もう一つの世界を生む』という考えが、いくつも繋がったと鏡の世界は証明してみせているように見えるだろう。それが錯覚であり、『パラレルワールド』の発想にも繋がるのさ。だから、『パラレルワールド』という発想には賛成でも、次元が無数に存在するという発想には、賛成することができないんだ」
「じゃあ、先生はどのように解釈するんですか?」
「僕にも解釈しきれないんだけど、今考えていることはあまりにも突飛なんだけどね。それは、『相対性理論』の発想に似ているかも知れないね」
「アンシュタインの?」
「そうだよ。僕の考えは、『次元が違う』というわけではなく、『宇宙が違う』という考えなんだ。つまり、時間ではなく、距離という意味だね」
「それは、縦のものを横にしたような考え方に見えますが」
「面白い発想だね。そう、まさしくその通りだ。時間軸を考えると、どうしても、次元という発想になる。でも、時間じゃないとすると、距離だと考えるのも一つの考え方だろう? だから、一人の人間が、もう一つの時間に存在することが不可能なんだと思うのはおかしいかな?」
「なるほどそうですね。確かに、アインシュタインの理論ですね。タイムマシンの原理にも繋がってきます」
「科学を志すものは、別々の研究をしていても、まったく違う発想ということはないと思うんだ。いつも近くを進んでいて、時々重なることもある。お互いに直線で平行に進んでいるはずの線が重なることもあるんだ。科学というのも、次元や宇宙の発想と、切っても切れない関係にあるんじゃないかな?」
義之は、教授の話を聞いたことが、自分の中の頭にあったモヤモヤを少し解消してくれたのを感じた。その発想は、義之サイボーグにも移植されていたが、まだそれを理解するだけの成長が、彼になされているわけではなかった。
サイボーグは、図書館でいろいろな本を読み漁ったが、そのほとんどは人間の歴史であり、その考え方を知りたかった。
だが、人間というのが、
「臭いものには蓋をする」
という性格のものだとは、知らなかった。
心情として、
「言いたくないことは言わない」
ということも分かっている。
だが、その問題が人間の中で、しばしば精神の葛藤を繰り返していることは、成長している今、分かってきていた。
たとえば、裁判などでは、
「黙秘権」
は認められている。
しかし、言わなければいけないことを言わないことは、罪であることも事実だった。
香澄の時代には、そこまで確固たる法律も判例もなかったが、義之の時代では、言わなければいけないことを黙っているのは、罪になった。ただ、黙秘権は認められている。一種の矛盾であったが、これも、過去からの教訓を生かした法の解釈だったのだ。
サイボーグは本を読みながら、おかしなことに気付き始めた。
「これだけ、まったく違った世界ができあがったのに、歴史の本はそのことについて、詳しく言及していない」
というものだ。
その考え方が、
「臭いものには蓋」
という考え方で、歴史の本には、未曾有の大戦争の話を詳しくは書いていない。
教科書にも数行しか載っていないことだった。
昔であれば、
「教科書では教えない歴史」
などという本もあった。
だが、裏話のような本は、香澄の時代のことを示したものは、一切出版されていない。
「出版規制でもあったのだろうか?」
とも思われたが、そうでもないようだ。
小説やドキュメンタリーとして著わそうとする人が本当にいなかったのだ。
それだけ未曾有の大戦争が悲惨なものだったということと、生き残った人間が、
「今さら過去のことに触れても仕方がない」
と皆が思っていた。
裏を返せば、それ以外の考えの人は、ことごとく死んでしまったということである。
生き残った人間には、意識はなかったが、何の力が働いたのか分からないが、発想や思想が一定の人間しか生き残れなかったようだ。義之のような戦後に生まれてきた人間の中には、違う発想の人も増えてきたが、生き残った人は、間違いなく、発想に種類はなかったのである。
そのせいもあってか、今は、過去の歴史を教えるための検定は、かなり厳しくなっている。
特に、未曾有の大戦争の話はタブーになっていて、もっとも、細かく語ろうにも、詳しいことを知っている人もいないわけなので、話しようもなかった。
大戦争の前の過去の時代も、義之の時代では、ほとんど知られていない。書物も歴史遺産も、戦争で消失してしまっているので、「一度滅んだ文明」としての認識しかないのだ。
ただ、アトランティスや、ムー大陸の伝説は、義之の時代でも語り継がれている。それと香澄の時代の世界は同等の世界だった。
だが、義之の先祖は、未曾有の大戦争でも、自分の先祖を大切にした。生き残った人間の中には、先祖を大切にする人もいるようで、先祖の墓や仏壇を大切にしている人もいる。生き残った人のほとんどが、そんな人たちだと言ってもいい。それは、過去を断ち切る時代だったからこそ、せめてもの繋がりを持たせようとする、これも見えない力の影響だったのだろうか。
その中に、沙織の脳の中に香澄の脳を組み込むことを余儀なくされたこと。そして、沙織という人が、「予知能力」のようなものを備えていたことが書かれたものがあったはずだ。
義之の時代の人間には、「特殊能力」を持った人間は存在しない。
ただ、「特殊能力」というのは、
「人間の中に最初から組み込まれた能力であり、それを使いこなすことができるかできないかで『特殊能力』と呼ばれるものだ」
ということは分かっている。
生き残った人間から「派生」して生まれた人間も、同じように『特殊能力』は使えないのだ。
その代わり、ロボット開発では、自分が生み出すロボットには、何か能力を持ったものを生み出そうとする。
なかなかうまくいかないが、とりあえずは、何かに特化したロボットが最優先であった。そして次に考えられるのは、「意志を持ったロボット」であり、それと並行して研究されたのが、「成長するロボット」だった。
言うまでもない、「成長するロボット」とは、義之の開発したサイボーグのことである。
彼は成長しながら、いつの間にか意志を持つようになっていた。「意志を持つロボット」の開発は遅れていた。
その一番の原因は、ロボット基本基準に準拠できるかという問題が残っているからだ。
義之サイボーグの場合は、過去に送り出すことで、いざとなれば、秘密裡に破壊することもできるからだ。
義之の時代は、開発したものを、いくら創造主とは言っても、勝手に壊すことはできない。一旦、登録が必要で、ロボットは、国家の所属となる。それは、まるで市民権のようなものだが、これも、ロボットの数と状況を分かっていないと、どんな災いが起こるかも知れないというロボットに対しての偏見から生まれたものだ。仕方がないと言えば仕方がないが、基本基準の考えには逆らえない。
ただ、この時、人間は、恐ろしい国家政策が水面下で進められていることを知らなかった。それは、人間の洗脳作戦である。
「二度と未曾有の大戦争を引き起こしてはいけない」
という教訓から、人間といえど、国家の強力な監視下に置かれることも仕方がないという考えだ。
「人を傷つけてはいけない」
というチップが人間に埋め込まれているのも、その初期段階であり、
「これ以上、人間が拘束されることはない」
という大方の考え方を裏切った形になっていた。
義之サイボーグがいくら調べても、過去のことが載った本が出てくるはずもない。そんなことを知ると、余計な考えを持った人間が生まれる。国家とすれば、これからの計画に対してそんな人間が生まれることは、出鼻をくじかれることになる。そんなことは絶対に許してはいけないことだった。
義之サイボーグは、成長するサイボーグだ。本を見ていて、過去を故意に隠そうとしている発想や、チップを埋め込んだという発想をいろいろ計算して考えた。
人間なら、
「おかしいな」
と思いながらも、それ以上発想することはない。なぜなら、発想する方も、世の中に対して画策する方も、
「同じ人間」
だからである。
どうしても、そこには情が入り、「同じ」という言葉が、発想を邪魔するのである。
しかし、サイボーグは違う。最初から違う発想から入っている上に、ロボットは人間ではないのだ。情が挟まる必要など一切ない。違う種別として冷静に、いや、凍り付いた目で見るだけだった。
義之サイボーグは、次第に、
――どうして、戦争の歴史がないのか――
ということを理解してくるようになる。
しかも、そこには一切の妥協を許さない考えだ。
もっとも、妥協を許してしまえば最後、そこまで考えてきたことがクリアされてしまう。考えていたことがクリアされたりリセットされたりするのは、ロボットの宿命でもある。それは「成長するロボット」である彼も例外ではなかった。
義之は、彼を作り出した時、ある程度の想定はしていたことだろう。何しろ「成長するロボットなのだから。
しかし、サイボーグの成長は、義之が最初に目論んだこととは少し違っていた。それは彼が香澄と恋に堕ちることで変わってきたことだった。
二人が恋に堕ちるかも知れないという考えは、少なからず義之にはあったのだが、そのことがサイボーグの成長にここまで違いを感じさせるとは思わなかった。
一番の違いは、
「成長の速度」
である。
ある程度まで考えてはいたが、それは成長のスピードの違いである。
人間と同じような成長のスピードを考えていた。
感情にはたくさんの種類があり、人間であれば、成長のスピードは感情の違いごとにさほど差はないものだ。
しかし、義之サイボーグに関しては、かなり成長に差があった。
本当は、義之本人が、他の人と違っていたことで、それがサイボーグにも影響したことなのだが、人間というのは、悲しいかな、
「人のことはよく分かっても、自分のことにはなかなか気付かない」
という生物である。そのことを、義之は「忘れていた」のだ。
義之は、子供の頃に、そのことを意識し始めて、ずっと意識してきたことだったはずなのに、いざサイボーグを作り始めると、そんな大切なことを忘れてしまったのだ。
だが、忘れていたと言っても、記憶の方に移動していただけで、その理由をすぐには理解できなかった。
しかし、
「あの時だ」
と、義之に感じさせた時があった。
それは義之が自分の脳の中や考え方をサイボーグに移植した時であり、
「自分がサイボーグに対して、思い入れが激しすぎたからだ」
と言っても過言ではないだろう。
サイボーグには、
「俺よりも優秀じゃなければいけないんだ」
と、言い聞かせていた。
それは、自分の考えを移植しているからであり、自分の分身だと思っているからこそ、ロボットに対して語り掛けることができた。
それを聞いてサイボーグは、
「俺は、人間よりも優秀なんだ」
と思うようになった。
しかし、彼には、自分が成長するロボットであり、つまりは、まだまだ未完成であるということは分かっていた。それなのに、人間よりも優秀だという考え方を植え込まれてしまっては、自分で自分を理解できなくなる。最初の頃はそのジレンマで、かなり悩んだ時期があった。それを救ってくれたのが、香澄だったのだ。
彼にとって香澄は、
「好きになった女性」
というだけではなく、
「自分を悩みから救ってくれた女性」
というニュアンスもあった。だから、創造主が義之であっても、香澄は何よりも大切な存在になってしまったことを、後悔したりはしなかった。
彼の成長は、「人間」の成長が基本だった。そういう意味では、
「彼は、人間に近づいている」
この意味は、サイボーグ本人にも、香澄にも分かっていた。サイボーグが悩んでいるのは、自分が人間に近づいていることにも原因があった。
「俺が人間に近づいていいのだろうか?」
という思いが、一つ大きく存在した。
それは、自分の創造主である人間に近づくというのは、自分の存在意義である、
「人間のためになることだ」
という意識を、迷わせるものだった。
「自分が人間になってしまったら、何を信じて、何を目指せばいいのだろう?」
という思いに至るからだった。
そして、もう一つは、
「自分は人間のためになるために生まれてきたが、決して人間が好きではない。このままロボットでいる方がいい」
と思っていたからだ。
「人間は、支配階級と、支配される階級に分かれ、支配階級の一存で、勝手にこの世を滅ぼしてしまうではないか」
人間の個性は、なるほど、成長や進歩を呼ぶものだ。自由な風潮の中で、自分たちだけが文明を築き、ここまで生物の中で一番の高等動物として進化してきたのだ。
しかし、そのためにエゴや妬み、そして自分たちの都合だけで、滅ぼしてしまうのだ。
もちろん、滅ぼそうと最初から思っている人は誰もいないだろう。なるべくそんな事態にならないように努力しているはずだ。
それも人間なのだという意味では悪い面ばかりではないが、やはり、悪魔の兵器を開発し、「パンドラの匣」を開けてしまうのも人間なんだ。
――成長するロボット――
である彼には、おおよそ想像のつくことではなかった。そんな人間に近づいているなど、彼には、悩みでしかなかったのだ。
香澄が、彼のことを好きになったのは、
「最初は、気になる存在だった」
という意識が強かったからである。
出会った時はまさか彼がサイボーグだなどと、信じられるわけもなかった。いつ、最初に彼がサイボーグだと気付いたのかは、曖昧であったが、
――人間だったら、こんなことを言われたら、普通なら、ムッとするはずだ――
と、思うようなことを、思わず口走ってしまった時、
――しまった――
と感じたが、後の祭りだった。
それなのに、彼からは怒りの感情が伝わってこない。ただ、言われたことに、悩んでいるのは分かった。まるで母親に叱られることをやらかした子供が、
「一体僕は何をしたから、お母さんに怒られたんだろう?」
と、悩むのに似ていた。
――初めて出会った時に感じた彼は、まだまだ子供のような無垢な考え方をしている人だ――
ということを、香澄は今でも思い出すことができる。
彼が香澄の前から姿を消した時、最初は、
「一体、どうしてなの?」
誰に言うともなく、呟いた言葉が、その時の香澄の心境を物語っていた。
だが、彼がいなくなって数日過ぎれば、少し落ち着いてきた。
「彼はきっと帰ってくる」
と、香澄は自分に言い聞かせた。
ただ、その気持ちに根拠があるわけではなかった。もし、根拠があるとしても、裏付けのない根拠であり、彼が帰ってきたとしても、いなくなった理由を突き詰めようとはしないだろう。
――でも、それでいいのかな?
という思いは半分あった。
――またいなくなったりはしないかしら?
と感じるはずだからである。
彼がサイボーグだから、自分が好きになったのだと思っていた。だが、いなくなってしまって、ここまで辛いと、相手が人間だとしても、思うだろうか?
――それもやはり彼がサイボーグだから?
そう思うと、どこか発想が堂々巡りしてしまいそうだった。
香澄は自分が寂しい人間であることを知っている。だが、寂しさがそのまま辛さに繋がってしまうとは思っていない。
「寂しいと思っているのは、孤独の中にいることへの錯覚なのかも知れないわ」
と、感じるようになっていた。
錯覚というのは、最初に何か思いこみがあって、思いこんだことが違っていた時、
「錯覚だ」
と感じるものだ。
しかし、もし、最初に思いこみがなければ錯覚とは言わないのだろうか? 確かに寂しいということを感じたこともあったが、他の人がいう、
「寂しいから、誰かを求めてしまう」
という感覚とは少し違っているような気がする。
――誰かを求める理由が明確だったことってあったかしら?
そばに誰かにいてほしいと思う時、自分の話を聞いてもらいたいと思うことがある場合を思い出すことができるが、そんな時、寂しいという感覚になったことはない。一人では堂々巡りを繰り返してしまいそうな気がした時、誰かと話したいと思うのであって、堂々巡りを繰り返すということは、寂しいと感じないほど、一つのことに集中している時であった。
寂しさの定義は人それぞれで違うのだろうが、彼がいなくなってポッカリと空いてしまった心の隙間をどう表現すればいいのか、香澄は悩んでいた。
香澄が彼をサイボーグと知りながら好きになったのは、人間の男性が信じられないという思いもあったからだ。
あれは、香澄が大学に入学してからすぐだった。高校時代までずっと女子高だったこともあり、男性と知り合うことがなかった香澄だったが、男性に興味がなかったわけではない。むしろ、興味津々であった。
大学に入ると、いろいろな男性が声を掛けてくる。
最初に声を掛けてきた男性は、あまり女性経験もないような男性で、彼もずっと男子校だったという。香澄は、
――せっかく大学に入ったんだから、いきなり一人に決めずに、いろいろな男性を見ていきたい――
と思うようになっていた。
最初に声を掛けてきてくれた男性とは、
「まずは、お友達で」
ということで、他にも声を掛けてくる男性を物色していた。
中には露骨に軽薄さを感じさせる男性もいたが、
――こんな人と恋愛関係になることはないわ――
と、感じながら、適当にいなしている自分を感じた。
――自分に、男性をいなせるだけの技量があったんだわ――
と、それを「技量」だと感じた香澄だった。
サークル勧誘などで声を掛けてくる先輩の男性を見ていると、一年先輩であっても、だいぶ大人に感じた。それは成長の度合いの大きさなのか、それとも、自分がまだまだウブな証拠なのかハッキリと分からなかったが、次第に自分も大学に慣れてきて、男性と対等に話ができるようになるのだということを実感してきたのだった。
香澄は、最初から美術関係のサークルを考えていた。ただ、すぐに決めなかったのは、いろいろな勧誘を見てみようと思ったからだったが、ある程度サークルの勧誘を見ていると、次第にサークル勧誘への興味が薄れてきた。
――一体、何を求めていたのかしら?
何かを期待していた自分がいたのは確かだったが、ふと我に返ると、何を期待していたのか、すっかり忘れてしまった。気が付けば、その足で美術関係のサークルの門を叩いていた。
美術サークルの先輩は歓迎してくれたが、
「どうせ、ここに決めるはずだったのなら、どうしてもったいぶった真似をしたのかね?」
という目で見ている人がいるのではないかという思いに駆られた。その目は、男性からよりも、女性から強く感じた気がする。
男性と女性を比較して、女性からの方に強く感じたということは、少なくとも「錯覚」だったわけではないだろう。
その時の女性の目は、
――自分が彼女たちの立場だったら、同じ目で見たかしら?
と思ったが、たぶん、同じ目では見ていないような気がした。
――私は他の人とは違うんだ――
という、元々の自分の性格を、今さらのように思い出したような気がした。
それは、高校の頃までは毎日のように感じていたはずのことだったのに、大学に入るとすっかり忘れてしまっていた。そして、高校の頃、ある時感じた、
――私は、教師になるんだ――
という意識も、忘れてしまっていた。
――私は浮かれていたんだわ――
「大学に入ると、浮かれた気分になるので、皆さん、気を付けるようにね」
と、高校時代の先生が、大学進学者だけを集めて話をしたことがあったが、その時の言葉だった。
確かに、大学というところは、高校までと違って、自由がなかったり、入試という関門を感じる必要もなく、しかも、その関門を突破して入学したのだから、
「有頂天になるな」
という方が無理というものだ。
もし、露骨に言われたら、
「まわりはどうであれ、私はそんなことないわ」
と、答えるだろう。
だが、同じ思いは誰もが持っているものだったようだ。
――私だけは違う――
と思っていたことが勘違いであると知ると、身体の中から力が抜けていくのを感じ、目の前にある流れに任せてしまうことの心地よさを安易に選んでしまう自分を、
――悪いことだ――
とは思うことなく、許してしまう甘さを露呈してしまうことだろう。
それは次第に後悔となって自分に襲い掛かる。そして、自分の中にあった「弱さ」を知るのだ。
――「弱さ」が自分の中にあったなんて――
という思いと、
――やっぱりあったのね――
という思いが交錯する。
――私は他の人と違う――
という意識が、本当は自覚ではなく、願望だったのではないかと感じることになるのを予感していたのではないかと、後になって感じるが、それは結果論であって、そんな予感などあったはずもない。
ただ、自分が他の人とは違うという思いが願望であったとしても、それは自覚が願望だったというだけで、本当になかったのかということを思い返す時期があった。
――願望だっていいじゃないか――
願望があるということは、潜在しているものを呼び起こそうとしている意識なのかも知れない。それを香澄は次第に感じるようになっていた。
香澄が自分の中に寂しさがあるという自覚があったのは、その頃だった。
声を掛けてきた中の男性の一人と香澄は付き合っていた。
自分の人生と、その男性をなるべく切り離して考えようという気持ちがあったが、彼と一緒にいる時、そんな感覚は吹っ飛んでいた。その男性は言葉巧みなところがあった。香澄の知らないところで、他の女性とも付き合っていたのだ。
言葉巧みで、うまく立ち回ることにも長けていた彼は、自分が二股を掛けているそれぞれの相手に、
「この人は私だけのものだ」
という思いを抱かせることがうまかった。
香澄もまんまと引っかかったと言ってもいいだろう。その男の言葉巧みさに誘導されるように、次第に自分の人生と彼とのことをシンクロさせるようになっていった。
その男も、付き合っている女性には、そう思ってもらうことに快感を覚えていた。
「これこそ男冥利というものだ」
と、感じていた。
しかも、
「声を掛けて、ホイホイ寄ってくるような女なんだ」
と、相手を彼女というよりも、
「自分のオンナ」
として、明らかに見下しているような態度だった。
典型的なプレイボーイなのだが、香澄は彼と別れることになった時に、一番悔しかったのは、
「こんな男に引っかかってしまったということは、自分が引っかかりやすい女だったということだったんだわ」
という思いだった。
ただ、この男の本性を知ることができたのは、大学に入って最初に声を掛けてきてくれた男性。
「いい友達」
として、お互いを認め合っていた彼から、説得されたことだった。
さすがに、最初は彼の言うことでも、信用できなかった。
「どうしてそんなことをいうの? あなたは私が彼とうまく言っているのを妬んでいるんだわ」
と、罵倒したくらいである。
それだけ香澄は盲目になっていたのだが、その一番の理由は、
――自分にとって何が大切で何が大切ではないかということが分かっていなかったんだわ――
と、いうことだった。
友達と彼氏だったら、当然彼氏を優先するだろう。それは、まわりの人たち誰に聞いても同じことを答えるかも知れない。しかし、それは友達の話をまったく信用できないほど彼氏に集中しているというのは、危険な兆候であるということである。そのことは、高校時代に、漠然としてではあったが、感じていたことだったはずだ。
冷静さがあるかどうかの境は、どれだけまわりを見ることができるかということであることは、いうまでもないことだが、人から言われて思い出すものではない。何かのきっかけがあって、思い出すことがあれば、それこそ、
「冷静さを思い出した」
と言えるのではないだろうか。
その時に思い出したことが偶然であったとしても、ちゃんと冷静さを取り戻すことができれば、
「それは偶然ではない」
と言えるだろう。
香澄がそのことを意識できるようになったのは、大学に入ってから最初に声を掛けてきた、
「いい友達」
だったのだ。
彼と本気で付き合ってみようかと思った時もあった。
「私のこと、好き?」
と、彼に聞くと、最初はビックリしたような表情をしていた彼だったが、すぐにニッコリと笑って、
「ああ、好きだよ」
と答えてくれた。
「ねえ、私たちお付き合いできるかしら?」
と聞くと、
「さあ、どうだろう? 付き合ってみないと分からないけど、僕はうまく行くんじゃないかって思う」
というと、
「じゃあ、お付き合いしない?」
この言葉に、彼はしばらく悩んでから、
「いや、やめておこう。お互いに適度な距離というのがあるはずだよ。僕と君とは、その距離がピッタリと嵌っていると思う。でも、それはお付き合いする距離ではないと思うんだ。僕には、たぶん君も同じことを感じているんじゃないかって思うよ」
確かに彼の言う通りだった。
今までに、男女の距離というのを感じた男性はいたが、その誰とも、お互いに感じている距離がピッタリ合っているという気持ちを感じなかった。自分が好きになれるかも知れないと思った相手も、自分とは適度な距離を持っていて、見えない壁のようなものを感じたり、逆に、相手の露骨な距離の接近を感じることで、無意識に自分で「結界」を作っている自分がいるのを感じたりもした。彼とはそういう意味では距離がピッタリだった。しかも、それが自分が感じている「友達」としての距離とピッタリなのである。
「男女に親友という概念ってあるのかしら?」
「さあ、分からないけど、僕たちにそれがあると思ってもいいんじゃないか?」
どちらかというと、二人の仲をボカシて話す彼にしては、ハッキリと「思ってもいい」と言ってくれたことは嬉しかった。それと同時に、彼から、
「二人は恋愛関係にはなれないね」
と宣告されたようで、一抹の寂しさを感じたが。それもすぐに解消された。これが二人の距離であり、この距離を感じることのできる相手がいる限り、香澄は「寂しさ」を感じることはないだろうと思った。
彼にはしばらくすると、彼女ができた。
「よかったじゃない。彼女ができたんだって?」
というと、
「そうだね」
と、苦笑いを浮かべる彼、その表情を見ていると、複雑な心境になった。それは、彼の表情に複雑な思いを感じたからであり、二人の「複雑な思い」は、平行線であるはずなのに、どこかでいずれは交わるような不思議な感覚がしたのだった。
だが、彼に彼女がいた時期は短かった。理由を聞いてみると、
「あなたは、私の後ろに誰かを見ている」
と言われたという。
香澄はその相手というのが、自分であることにウスウス気付いていた。しかし、それを認めることはできないと思った。認めてしまうと、せっかく親友のつもりでいる彼を失うような気がしたからだ。
「男女の付き合いに発展すればいいじゃん」
と言われるかも知れないが、香澄にとってはそんな問題ではない。男女の付き合いに発展したからと言って、親友から男女の付き合いが「発展」に繋がるとは思えなかったからだ。
それは彼も同じ考えのようで、
「平行線を、捻じ曲げるようなものだよ」
と、香澄が感じていたのと同じような表現をした。
いや、香澄がおぼろげに感じていたことを、どう表現していいか分からないと思っていた時、彼の言葉がその穴を埋めてくれたのかも知れない。香澄の考えが不完全である時、その穴を埋めてくれたのは、考えてみれば今までも彼だったような気がする。
香澄が、教師を目指そうと思ったのも、彼の影響だった。
中学の頃から絵に興味を持ってはいたが、それを生かそうというつもりもなく、大学に入った時も、何ら目標はなかった。
「俺は、先生になりたいって思うんだ」
と、彼が言っていた。
その言葉を聞いて、
「いいわね。あなたなら、きっといい先生になれそうな気がするわ」
というと、彼はゆっくりと、
「君はどうするんだい?」
「えっ」
考えたこともなかったことを言われ、ビックリした。元々、香澄はギリギリにならなければ、自分から何かをしようと思わない性格なので、何になりたいかなど、卒業前に思いつくくらいだろうと思っていた。
別にそれでいいと思っていたし、何になりたいと思うかは、その時次第。つまり今考えてみても、いずれは変わるのであれば同じことだと思ってしまう。だが、その考え方が逃げであり、ある意味、楽をしようとしていることだと気が付いたのも、彼のおかげだったと言えるだろう。
年齢は同じだったが、彼には兄のような感覚があった。それは、他の人には感じることのない
「慕う」
という感覚があったからだ。
親に対してのものとは違う。親にだけは「慕う」という感覚を持ってはいけないと思っていた。同じ肉親でも、
「親と兄妹とは違う」
ということを示しているのだと思った。
香澄は、彼が自分に対してどれほどの影響を及ぼしたのかということについて考えたこともなかった。しかし、それを考える時がやってくるなど、想像もしなかった。
いや、想像していたのかも知れないが、もっと違った形で訪れると思っていたのだろう。逆に、想像していなかったのは、こんな形で訪れてしまうことをウスウス分かっていたからなのかも知れない。
「まさか、予知能力なんて、私にはないわよね」
と、感じたが、彼女が後にも先にも「予知能力」という言葉を自分に感じたのは、その時だけのことだった。
「予知能力なんてありがたくないもの。そんなものを感じなくてよかったのに」
と、一度でも感じてしまったことを後悔していた。
「もし、あの時……」
と感じることがあったとすれば、香澄はいつのことを思い出すだろう。
好きになってしまったことを自覚していたはずなのに、それをごまかそうとした自分がいた。それは、相手も同じこと。いや、相手も自分をごまかしていたから、
「自分に正直になっちゃいけないんだ」
と香澄も感じたのかも知れない。
香澄にとって彼はそんな存在だった。本当は好きだったはずなのに、本人に言えないまま、結局、自分で抱え込むことになってしまった。どうして彼がそんな結論を出したのか分からない。ただ、
「彼が世の中の人全員を敵に回しても、私だけは信じることができる。私にしかできないんだ」
と感じた。
彼がこの世にいないなど、香澄にはしばらく信じられなかった。彼が自殺したと聞いた時、まわりの音一切が遮断され、風ではない空気の流れだけを感じていた。
しかも、彼の死は自殺だった。人知れず誰も近づかない山小屋で、発見されたのも、死後二週間ほど経っていたという。
「猫など、自分の死が近づいた時、人知れず、一人で死んでいくっていうけど、あの人もそんな感じだったのかしら?」
と、彼の親戚は話していた。
彼は自殺だという話だったが、自殺しなくとも、彼はすでに余命が決まっていたという。
通夜の時、出席した香澄の耳にもいろいろな噂が飛び込んできた。それは、今まで彼と一緒にいて、彼からだけしか話を聞けなかったことで、彼の一部分しか知らなかったことを思い知らされた。
だが、香澄はそれでもよかった。
「あなたたちの知らない彼を、私だけが知っている。それは、私だけが知らない皆が知っていることよりも、ずっと貴重なことなんだわ」
と、自分に言い聞かせていた。
彼が自殺したという話を聞いた時よりも、彼の余命が決まっていたという話を聞かされた時の方が、ショックが大きかった。
「自分の死を知っていたのかしらね?」
「医者からは、告知されていなかったはずよ。でも、自殺するほど思い詰めていたようにはとても見えなかったけどね」
「彼女ができた」
と言っていたその彼女は、通夜にも葬儀にも出席していなかった。
彼女というのは、彼とはすぐに別れ、しばらくすると、遠くに引っ越して行ったようだ。なぜ二人が別れたのかというのは分からない。彼からは一切話を聞かされなかったし、まわりからも、その話が伝わってくることはなかった。どうやら、彼と彼女の話はタブーだということが暗黙の了解のようになっていたようだ。
後から伝わってきた話だったが、彼が自殺を思い立ったのは、彼女の影響があったようだ。
彼女も以前、自殺を試みたことがあり、その話を彼にしたことがあったという。その話があまりにもリアルで、恐怖を感じた彼は、彼女との別れを決意したということだが、ひょっとすると、その時、彼女は何か彼の余命について、気が付いたところがあったのかも知れない。
そのことを彼女に聞かされたことで自殺にまで発展したとは、俄かには信じられないが、それが引き金になったのかも知れない。
ただ、彼が一人静かに、誰にも気付かれないところで死のうと思った気持ちは分からなくもない。
「私も、何だかおかしな気分になってくるわ。『死』というのは、怖くないんだ」
という気分にさせられたような気がした。感覚がマヒしてしまったとでもいうのだろうか。
「死にたいという気持ちは伝染するのかしら?」
そういえば、彼と話をした時、そんな本を読んだことがあると言っていたっけ。
あれは確か、自殺には連鎖反応があり、誰かが自殺すると、まわりの人から、また自殺者が出る。それはまるで伝染病のように、病原菌のようなものがあるからだという話だったように思う。その時香澄は、笑って聞いていたが、本心から笑っていたわけではない。心の中で、
――私は、絶対にそんなことはない――
と、自問自答していたような気がする。その答えは出てくるわけもなく、気が付けば、堂々巡りを繰り返していた……。
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