第2話

 それから。ありすとの交際も順調のまま、長い長い夏休みに入った。


 俺は高校入学時からずっと働いている某コンビニでバイト三昧。

 ありすは来年の受験に向けての夏期講習と、小さな頃から習っているピアノの発表会に向けてレッスンに明け暮れる日々。

 そう、お互いに予定があって、学校の様に毎日会えなくなった。


 でも良いのだ。

 来週は念願の海デートだから。


 今はとにかく働いて、稼いで、ありすとのデート代を稼ぎたい。ありすは誰もが知っている有名国立大学に進学を希望している。

 俺もそんなに頭は悪いほうじゃないが、今の学力じゃ同じ大学へ行くのは無理だろう。

 でも追いつきたい。

 だからバイトの時間以外は勉強をし始めた。お金を貯めて、出来れば進学塾も行きたい。ありすと同じ大学か、せめて同じ東京の大学へ行きたいからね。


 ……俺の家はさ、母ちゃんと二人暮らしだからさ。進学も出来るだけ母ちゃんの経済的負担にならない様に頑張りたい訳よ。


「お、勤労少年、毎日頑張るねえ!」


 早朝からずっと働く俺に声を掛けてきたのは、同じバイト仲間の早川はやかわ美津みつさん。

 薄い色素の髪を一括りにまとめ、切れ長の目をした姉御風美人だ。

 このコンビニの近くにある大学で生態学の研究している旦那さんと結婚して、一年前にこの街にやって来たそうだ。


「ぉはよ、ございます!!」

「うわー、今日は朝からお客が多かったんだね。お弁当とジュースのところがスカスカじゃん!」

「今日はそこの高校で、バスケのインハイ予選があるみたいです」

「なるほど。じゃあお昼時もヤバいね」

「ヤバいっす」

「じゃ、ちょっと裏行って、してきていいよ。レジは私がやるからさ」


 それは俺と早川さんだけの秘密の言葉。

 朝から晩まで働く俺に、ちょっと休憩してきていいよ、と言っているのだ。

 正直、朝の混雑に疲れていた。三分でいいから座りたい。有難く休憩を貰って、バックヤードへと入る。事務所の中には無機質なデスクが背中合わせに二つある。

 店内の防犯カメラ映像が見れる方のデスクに座り、持参したコーラの蓋を開けて飲みつつ、混雑したらすぐにヘルプに出られる様に映像をじっと見ていた。

 今のところは一人でも裁ける感じだな。

 あー……。

 でも、もうすぐ昼便の弁当が届く時間だ。

 ジュースを飲みきったら、すぐに出ようと一気に飲み始めた時、防犯カメラの映像が店内に入って来た一人のお客を映し出した。


 それは小柄な女の子で。

 目深に被ったキャップ帽。そのキャップの後ろから結んだ細い髪が一束出ている。姿はTシャツに短パンという活発な恰好をしていた。その子は商品に目もくれずまっすぐにレジへと進み、何やら早川さんに問いかけている。早川さんは首を振るが、何度も女の子は食い下り何か喚いている。


 ……クレームか?


 俺は、立ち上がり事務所を出ようとしたところで、実物の早川さんと鉢合わせする。早川さんは少し困った表情で、俺に何と声を掛けたらいいのか迷っている様だ。


「カメラ見ていました。クレームですか?」

「ううん、違うの。桐谷君、あの女の子知っている?」

「……いいえ、知りませんが……」

「今ね、その子が君を出せ! って喚いていて……その子が君の知り合いじゃなかったら、危ないと思って、はぐらかしていたんだけど……押しが強くて」


 事務所では埒が明かないと俺はレジへと向かった。

 レジで待っていたのは、先ほどカメラを見た通りの女の子。小柄で、細くて、少し釣り目の活発そうな女の子。

 帽子から覗くきつめの目線が俺に刺さる。


「……あの、俺に何か?」

「お前が桐谷?」


 と、いきなり呼び捨てにされた。

 な、なんだ、こいつ??

 見た感じ、年下っぽいのに!?


「私、小鳥遊たかなしあいら。小鳥遊ありすの妹」

「……あー! ありすの妹か!」


 聞いていた。確か、中学三年生の妹が居るって。

 よく見ればとても似ている。

 小柄なところとか、目の大きいところとか。


「どうしたんだい? ありすは?」

「頼む、今すぐ家に来て欲しい」

「えっ!?」

「お姉ちゃんのところへ来て」

「いや、でも、俺、バイト中で……」

「お願い、お願いだから、お姉ちゃんに今すぐ会って!!」


 あいらの切羽詰まった声に、周囲のお客も何事かと注目し始めた。あいらの後ろでは、会計をしたそうなお客もちらほらと見える。

 困惑した俺の肩を叩いたのは、早川さんだった。


「行ってきなよ。その子の表情見たら、只事じゃなさそうだし」

「でも、お店が」

「いーよいーよ。やばかったら店長を呼ぶからさ。こういう時の店長でしょ」


 早く行けとばかりに、手のひらをヒラヒラさせる。俺は迷った挙句、あいらの縋るような眼差しに負けて、バイトを抜けることを決めた。




 ◆




 無地の白Tシャツと黒のハーフパンツという超ラフな恰好でバイトに来ていた俺。

 しかも、バイト先まで母ちゃんのお古の黒いママチャリで来ている。

 あいらもは汚れ一つないペールグリーンのシティバイクに颯爽と跨ると、付いてこいとばかりに進み出した。

 錆びたママチャリと真新しいシティバイク。圧倒的に向こうの方が速い。

 俺は負けじとばかりに重たくてうるさいペダルを漕いで市街地を激走した。


 やがて市街地を抜けると長閑な緑の稲が揺れる田園風景が続く。

 すると、ずっと小さなお尻だけを見せていたあいらがチラとこちらを見て、スピードを緩めて並走してくる。「ふーん」という感じの悪い言葉付きで。


「な、なんだよ」

「別に」

「気になるだろ」

「お姉ちゃん、こんな感じが好きなんだー、と思って」


 言葉に刺がある言い方。

 あまり歓迎されていないのは、俺を呼び捨てしている時点で気が付いていたが。


「今は俺のことなんて、どうだっていいだろ!? それよりも! ありすがどうしたんだ?」

「……」


 そこはだんまり。

 無表情で口を固く結び、前方だけを見つめている。高く結んだポニーテールだけが風を切って揺れていた。

 ……ムカつくが、やっぱり顔はありすに似ている。


 俺たちはそのまま夏の青い田園を走り抜け、高台の住宅街の一角にあるありすの家に辿り着いた。


 ありすの家は絵本から飛び出したかのようなオレンジ色の屋根をした可愛らしい洋館だった。

 アーチ状の門を開けると、広い庭には夏の花が咲き乱れていた。

 ガレージに自転車を止め、玄関へ立つと思わず緊張から喉を鳴らした。


 ……まさか。

 こんなに予想外の展開で、彼女の家に初めて入ることになろうとは。

 しかもありすの家族と一緒に。

 しかし、俺の緊張などお構いなしにあいらはズンズンと扉を開けて中から「早く入ってよ!」と促してくる。

 慌てて玄関に入った。


「ママ、ママー! 桐谷連れて来た!」


 パイン木材で作られた明るくて整った玄関。

 うちのネット通販で届いた食料品や消耗品で埋め尽くされたコンクリート玄関とは大違いだ。

 土間の部分には見た事がない、珍しい青色の花の鉢があった。朝顔にとても似ているが、ちょっと違うようだ。昼間も咲いているし。そもそも全部の花弁がみんな日光が差す玄関ではなく、室内の斜め上を向いている。変な咲き方。

 その隣、パイン材で作られた下駄箱の上には家族写真。

 厳格そうな父親と、ありすによく似た母親が椅子に座り、それに寄り添う様にありすとあいらが色違いのピンクと水色のワンピースを着て微笑んでいる。今よりも幼く見える。中学生くらいだろうか。


「桐谷、入って」


 あいらは、ポイポイとサンダルを脱ぐと俺に早く上がれと催促する。

 あいらが呼んだ母親が出てくる前なのに、入っては失礼じゃないだろうか? と思いつつ、あいらが早くしろとばかりに足踏みするので、俺も慌ててスニーカーを脱いで、家に入った。

 導かれるまま、二階へと上がると一番奥の部屋の前に人が立っていた。


「ママ! 桐谷連れてきた!!」


 振り向いたのは、さっき家族写真で見た通りのありすとあいらによく似た母親だった。


「あ、あいらちゃん! 本当に、連れて来たのね……」


 二人の母親はやはり小柄。写真と異なり少し痩せこけている様にも見える。

 俺はかしこまり、深々とお辞儀した。


「突然の訪問、失礼します!! 俺、桐谷斗真と言い……」

「挨拶はいいから! 早く!」


 挨拶も遮られて、あいらは俺を母親が佇んでいる部屋の前まで連れて行った。

 そして、足を止めると俺を見上げた。そのありすに良く似た眼差しは少し潤んでいた。


「……桐谷、お願い。お姉ちゃんを助けてあげて……!」


 扉が開かれた。

 扉の先からは、低い苦しそうな唸り声と、ミシミシとが軋む音だけが、俺の耳をつんざいた。

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