桐生清輝の冒険 高速少年編

山﨑或乃

第1話 N県某市Oバイパス

 具体的な地名は伏せる。あえて言うのであれば、N 県某市 O バイパス。地元住民から言わせれば、政府の無駄公共事業によって生まれた無用の長物。とくに利用者の少ないこのバイパスは、深夜にはほとんど車は通らない。地元の数少ない走り屋たちは、こぞってこのバイパスに集まり、絶好の腕試しの場所として愛用していた。加藤もその一人だ。

 バイパスのスタート地点、そこのすぐ側にあるコンビニで加藤は買ったばかりの煙草を開け、一息ふかす。


「ふう、今日こそは最速タイムを叩き出す」


 加藤はにやりと煙草片手に、愛車を眺める。こいつとならどこへでも行ける。違う世界を見せてくれる。


「さあ、行こうか」


 灰皿に火の消えた煙草を放りこむ。車内へ乗り込み、キーを回す。ブウオンと地鳴りのようなエンジン音。走り出す。コンビニを出た。交差点、信号は赤。止まる。

この信号が青になった瞬間、たった一人のレースは始まる。バックミラーの下に取り付けた高性能デジタル時計の時刻を確認する。1 時 59 分 32 秒。


タイムアタック。スタート地点のこの信号から、終着点の信号までの短いコース。彼の最速タイムは 13 分 27 秒。そして最速レコードは 11 分 56 秒。抜けないタイムではない。


 今日こそは抜く。そして信号が青になった。同時にアクセルを全力で踏みこむ。

僅か 数秒で時速 100 キロに到達する。そしてそのまま 120 キロへと突き進む。

加藤の全身が総毛立つ。心臓は恋するピュアボーイのように五月蠅く鼓動を刻み始めた。


「そうだよ、この感覚だ」


 思わず呟く。日常では味わえない圧倒的恐怖と緊張感。高速道路ではない、バイパスとはいえ僅か一車線しかない一般道。通らないとはいえ、僅かながらも車は通るし、合流してくる車もある。対向車も考えそれをかわさなければならない。ほんの僅かなミスで重大な事故になりかねない危険走行。しかし加藤はそのスリルに魅入られてしまった。故に走る。


 チラリとメーターを見る。130 キロ。道路状況から考えて 150 近くまでは出せる。それほどまでに道路が空いてる。走ってるのは加藤一人だと言っても過言ではない。前このタイムアタックを行った時にはまだもう少し車があった。通る車が少ないとはいえ一切通らないというのは珍しい。


 まあそれも当然かと加藤は心の中で呟く。ここ最近このバイパスで派手な事故が多発している。しかもそれらが全て怪事故。地元住民は忌避してこの道を通らなくなったし、走り屋たちですら気味が悪いと自重するようになった。


「まあ人がいないことを見越して来たんだがな」


 ククッと思わず加藤は笑う。今日は最速レコードを塗り替えれそうだった。


『貴殿もまた、風の中の住人とお見受けした。貴殿に勝負を申し込む』


加藤の脳内に声が響く。


「なんだ!?」


思わず声が出た。周囲を見回す。何もない。


「幻聴か…」

ふとバックミラーを見る。そこには化け物がいた。


「な、なんだ、あれは……」


それは鎧騎士だった。西洋の意匠。白銀の鎧、そしてフルフェイスの兜。右手に長槍を構えていた。ただし普通の鎧騎士とは大きさの桁が違う。鎧騎士が跨る騎馬は大型トラッククラスの大きさ。乗る騎士もそれに見合うだけの巨躯。間違いなく人間ではない。


 ふと加藤は最近の怪事故が脳裏に浮かぶ。理解した。コイツが幾人もの走り屋の命を奪ってきた元凶。


 バックミラーに映ってる鎧騎士が動き出す。騎馬が吠える。蹄の音と共に駆けだした。


「クソッタレエエェェェェ」


更に強くアクセルを踏み込む。クラッシュの恐怖より、この鎧騎士への恐怖が勝った。バックミラーを見る。騎馬はその体躯に見合った加速。既に 140 キロにまで到達している加藤へと迫りつつある。


 あと 10 メーター、8 メーター、6 メー…。バックミラーから消える鎧騎士。加藤の頭が唐突に消えた鎧騎士に疑問を覚えるより先に彼の本能が叫んだ。


 まるで踏み潰すかのような、アクセルへの踏み込み。急激な加速に車体が唸り、慣性に身体が持ってかれる。


 ドカンと地面のコンクリが沈む音。加藤の 3 メートル後ろ、そこに騎馬の蹄が落ちる。消えたと思った鎧騎士。なんてことはない、上空から加藤の車を踏み潰すために飛んだだけ。


『ふはははは。よくかわした』

鎧騎士の喜悦に染まった声。なんとか鎧騎士のファーストアタックを回避した加藤。全身が冷汗に濡れていた。


 意味がわからない。何故深夜のバイパスにこんな化物騎士がいるのか。これじゃまるで劇画の世界じゃないか。

加藤の思考が幾つもの疑問を挙げていくが、今の彼にはどうでもよかった。どれも答えが出ないものだし、今重要なのはこの鎧騎士にとの勝負に負ければ自分は命がない。ただそれだけだった。


 鎧騎士に背後を完全にマークされてる。なんとかこいつを引き離さなければ…。

直進的だった道路はいよいよカーブに差し掛かる。ブレーキをこまめに踏み込み、ドリフト走行。出来る限り今までのスピードは殺さない。


『先程は見事な走りであった。だがこの一撃かわすことが出来るかな』


 再び鎧騎士の言葉が脳裏に浮かぶ。ミラーを確認。鎧騎士の右手、そこには長槍が握られているのを失念していた。加藤の車を串刺しにせんと迫る穂先。


「ちいぃ」


ハンドルを切る。かわす。だが同時にその動きが彼のドリフトに致命的なまでの崩れを引き起こした。遠心力。車体のコントロールが効かない。


「――――しまっ…」


ガードレールを突き破り、壁へと突っ込む。クラッシュ。炎上。


『ふはははははははは』


鎧騎士の哄笑が木霊する。

無音の深夜を切り裂くサイレンの音。今日もまた魔のバイパスで一人の走り屋が逝った。

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