勇者殺しの白銀少女
猫之 ひたい
プロローグ
プロローグ ㈠
深い闇が京の町をおおっている。
今日は良夜。空には大きな満月が張りついており普段よりも幾分明るかったが、それでも夜はもう遅い。草木も眠る丑三つ時と言って良いだろう。昼は多くの人々が行き交う道も深い眠りに落ち、辺りはしんと静まりかえっていた。
そんな道を四人の男が提灯を片手に進んでいく。
「随分と遅くなってしまいましたね、菊兵衛さん」
「まぁそれも仕方なし。元々の立場も意見も違う者同士だったのだ。それが、どうにか協力を取りつけられた。これで倒幕の動きはさらに加速する。いつまでも古い体制にしがみついていては、日ノ本はあっというまに列強諸国に呑まれてしまうだろう。それだけは避けねばならん」
「とは言っても、最近は物騒な話も聞きます。どうかご自愛いただかないと……」
「そのためにわしのような者にも君たちのような腕利きの護衛が三人も付いていてくれるんだろう?」
そう言って四十ほどの男は呵々と笑った。
「使い走りのようなわしのお守りに将来有望な君たちとは、あまりにも役不足というものだ」
「何をおっしゃいますか。ご自身のお立場をお考えください」
「そうです。今や菊兵衛さんは要の一人。失うわけにはいきませぬ」
「わしはそんな大人物じゃあないよ」
男はそう言うが、三人の護衛は「何にせよ今が大切な時ですから」と言葉を口にする。
江戸幕府が安泰の揺るぎないものだったのはもう過去の話になっている。亜米利加からの開国要求から始まった一連の騒動。先進技術を持った諸外国の圧力は想像をはるかに絶するものであり、今の日ノ本は長い眠りについていた動乱という名の獣が目覚めたかのような慌ただしさがあった。
夜の町を早足で歩き、倒幕派の仲間が抑えている宿までもう少しというところだった。
脇に外れた細い路地からふらりと影が現れた。
「あれは……?」
咄嗟に男たちが足を止める。誰も一瞬それが何なのかわからなかった。菊兵衛など最初は幽霊か何かが現れたのかと思ったくらいにそれは薄気味悪いものを感じさせた。
年は十ほどに見える。夜風になびくの白銀の髪は後ろの高い位置でまとめられている。つりあがり気味の目に、瞳は鮮血を閉じ込めたかのように紅い。幼い顔立ちではあったものの、本来あるだろう子供らしい愛嬌はどこにも見当たらない。
「白髪赤目の少女……だと?」
護衛の一人が声を詰まらせて刀に手をやった。
話には聞いていた。
いや、そんなはっきりとしたものじゃない。
少し前から倒幕派の志士たちの間で流れていた噂でしかなかったと言って良い。
―― いわく、その者は十になろうかどうかというほどの少女である ――
―― いわく、その者は日ノ本人らしからぬ白銀の髪と深紅の眼を持っている ――
―― いわく、その者は常人離れした技を持ち、時すらも斬り伏せる ――
―― いわく、その者に狙われた人間で助かった者は誰ひとりとしていない ――
「ざ、戯言だ」
気がつけば、すがるような言葉が口からもれていた。
話を聞いた時笑い飛ばしたのを思い出したのをよく覚えている。深紅の瞳。外国の人間なのかどうか知れないが、厳しい修練を積んだ日ノ本の剣客が幼子に負けるわけがない、と。しかし、笑い飛ばした裏でどこか不気味な何かを覚えたことも紛れもない事実だった。
いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。その少女が噂の人斬りであるかどうかは些細なことだった。
胴着に袴。手には少女の姿にはあまりにも不釣り合いに長い日本刀が持たれている。
この京の都にて倒幕派の人間たちを襲っている組織はいくらでもある。たとえそれが十ほどの幼子であってもだ。
護衛の三人がシュルリと刀を鞘から抜いて少女に向けた。
唾を飲み込んで菊兵衛はじりと後ろに下がる。
「
護衛の一人が何者かを問おうとしたその時、出鼻をくじくように少女が問うた。冷たい氷を思わせるような声。
護衛も菊兵衛自身もそれに返答しない。いや、返答するしないの問題ではなかっただろう。そこにいた誰もが少女の放つ何かに気圧されていた。
そして、辺りに漂う無言を肯定と受け取ったのだろう。
少女の姿がゆらりと揺れたかと思うと――
「そのお命、頂戴させてもらいます」
「――早いっ!?」
――驚異的な瞬発力に、目にもとまらない速度の抜刀。
その速度に全くついていけず、護衛の一人が下腹部に深々と居合いの刀を受けてしまう。前のめりに倒れたその姿はあっという間の絶命を意味していた。
次。
そうとでも言うかのように少女が続けざまに別の護衛に焦点を合わせる。護衛はなんとか刀を合わせようとしたが間に合わない。辛うじて身体をひねって致命傷は免れたが、肩に激しい痛みが走った。
こちらはすでに刀を抜いた状態だった。にもかかわらず二人ともまともに応じることも出来ず斬撃を受けてしまった。手練れという言葉さえも生ぬるく感じるほどの相手だ。
「せいっ!」
残ったもう一人の護衛が助太刀のために少女目がけて素早く刀を振り抜く。が、少女は宙に舞う木の葉のような軽やかな身のこなしでそれをかわすと、流れるような動作で護衛の足を払った。
「――くっ!」
「源吉っ!」
なんとか体勢を持ちなおそうとしたがもう遅い。
体術と剣術の見事な融合。少女の刀は深々と男の身体に食い込んだかと思うと、一息に振り払われた。
男から致死に十分な量の血が噴き出し少女を汚すが、彼女はそんなもの気にも留める様子はない。
「くそっ!」
肩の痛みに気を取られている場合じゃない。精神を集中させ、今まで培ってきた全てを発揮して少女に刀を振るうが、そのどれもが容易く応じられてしまう。数度も刀を交えれば目の前の年端もいかぬ少女が自分の幾倍もの力量をもった格上の存在であることは明白に思えた。
「菊兵衛さん! 早く宿へっ!」
そう言った直後。
少女が高く跳び上がったかと思うと――
<
「がっ……」
空間ごと断絶するような早さで振り下ろされた刀は、応じる刀より幾分も早く男の頭を裂いた。
一瞬に命が消える。男の全身から力が抜け、糸の切れた操り人形のようにその場に倒れ込んだ。
菊兵衛の口はからからに渇き、粘っこい唾がじわりとわいてくる。
「こ、こんな、ことが……っ」
三人は護衛の中でも優秀な剣客だと聞いていた。それなのにその三人はまだ幼子と言って良い相手にまともな抵抗すら出来ずに倒された。
菊兵衛は今までに覚えたことのない寒気を背中に感じながらも、なんとか刀を抜いてじわりじわりと後退する。今の騒ぎで人が来ればなんとか命を拾えるかもしれない。それまでどうあっても時間を稼ぐ。
そう考えた瞬間、
「なっ……?」
今の今までそれなりの距離があったはずの少女の顔が目の前にあった。
俊足という言葉では足りない。神速。二人の間の空間が一瞬で丸ごと削られたかのような錯覚すら覚える。
それと同時に腹部に焼けついた火箸を突っ込まれたような強烈な熱を感じた。
「ぐ、ぷ……っ」
全身から力が抜けていく。口から多量の血が溢れ、命の源とも呼べるような何かが深々と刺さった刀に奪われていくかのような気がした。
少女が刀をねじるようにしてから引く。
菊兵衛の身体はそのままドサリと倒れ込んだ。見開かれた目からは光が消えている。
刀を振って血を飛ばす。少女は小さく息を吐いてから懐の手布で刀に残っていた血を拭い、慣れた動作で刀を鞘へと収めた。
「お疲れさまです、
コトが完全に終わり、辺りが再び静寂に包まれたかと思うと、わき道から四人の男たちが少女に近寄ってきた。
「お怪我は? 手練れが護衛についているという話でしたが……」
「怪我などは特に何も。この血は全て返り血です」
男たちの、機嫌をうかがうような言葉に少女が答える。
仕事を終えたその目からは未だ鋭さが消えていないように思う。はるかに年下の子女なれど、何か間違った言葉を発したら最後、斬られるのではないかと思えるような雰囲気をまとっている。十の少女がする表情にはとても思えない。
「湯浴みの用意がしてありますので、早くそちらに」
「ええ、そうさせてもらいます。後片づけのほどよろしく願います」
そう言って小さく頭を下げると、少女は夜の京の町へと消えていった。
「……あれで、『仕事』を始めて一年足らず、ですか」
一人の若い男が大きく息を吐くように言った。
「
「巫家だけじゃない。日ノ本の救世主だよ、千影さまは」
こと切れた剣客たちの死体を手慣れた様子で片づけていく別の男が応える。
「きっと、我々の道しるべとなってくれるはずさ」
「道しるべ……」
千影の走り去った方を見やり、青年が大きく息を吐く。
「その先には、何があるんでしょう……?」
その声はあまりに小さく、他の誰の耳に入る事なく夜闇へと溶けていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます