プロローグ 幼少の頃の起億

 右手に、接ぎ木のときのナイフを持って走り出す。

 勢いのままドアを開ける。

 テレパシーを使い、魔物の視界を見る。

 以外にも、彼はすぐに見つかった。


「囲まれてるじゃん!」


 施設を出て右! 広場のようになっている場所。

 そこに、ゴブリンや鬼、牛頭が固まっている場所があった。

 脇目も降らず走り出す。


「デルコマイ!」


 駆けて、叫ぶ。


「でかくなれ!」


 瞬間。それは魔物の群れを吹き飛ばして出現した。


 逆三角形の白い頭は顎を上げ、曲がりくねった体は脈を打つ。黒い鱗は瘤のように隆起していて、鋭い背びれを幕を張る翼。そして、太く長い尻尾が生えていた。


 ここにあるあらゆる生物は、それを意識する。地を這う虫から、空を飛ぶワイバーンまで。

 あれが動けば、自分は成すすべもなく殺される。潜在的な意識が悲鳴を上げている。

 思わず心臓までも動きを止める。しかしそれでもいい気がしてくる。

 こんなものが誕生している以上、自分が生きる意味もないわけだし――


 敵に気づくための触覚も、弱点を守るための意識も、すべてが薄れ、消えて行く。


 それだけで十分だ。


 デルコマイの巨躯は萎んでいく。

 背反、魔物の意識は膨らんでいく。


 敏い者は私に気が付き、猛烈な殺意をぶつけてきた。

 例えば鬼。こいつは右手に持った金棒で、上から私を叩き潰そうとする。もし成されたら、一たまりもない攻撃だ。

 が、それがわかってしまうので。

 ついでに、意識の強弱で弱点がわかってしまったので。

 反射では絶対に避けられない攻撃も、先に動いて回避できる。

 絶対に見つからない、腹の奥という弱点も見つけてしまう。

 

 振り下ろしは横に動いて回避できる。

 そのままジャンプして、重力と一緒に腹を裁断した。

 鬼がひるんでくれたから、そのまま右手を突き出し止めを刺す。


 その時点で他の魔物も私に気が付いた。しかしそれも読めた。

 ゴブリンの右フックをしゃがんで回避。ナイフを上げて殺す。

 牛頭の金棒による、左からの叩きつけは、私の身体能力では間に合わない。なのでナイフを投げて隙を作る。それは左腕に命中したので、攻撃はキャンセルされた。

 彼の意識がそっちに向いたので、その隙に鬼が持っていた金棒を持ち上げる。牛頭が気付いて右腕で殴ってこようとする、それに方向と時間を合わせて金棒を落とす。

 意識していない重さが急激にかかるとひっぱられるもので、牛頭は体勢を崩して転んだ。左腕からナイフを抜き取り、衝撃で空いている口に突っ込んで殺す。


 私が殺した魔物をぼうっと見つめる。やっぱり、紫の煙を出して消えていった。


「ハ――ハハっ!」

 

 唖然としているデルコマイに向きなおる。


「すごいなお前! あんなにデカくなった事なかったでしょ!」

 

 興奮が収まらない。

 デルコマイは以前から、特技か異能かで巨大化することができた。しかし。それは50cmも伸びればいい方だったのだ。

 それが今回、優に3mは超えていたし、なんなら体の形も少し変わっていた。


「なんかあったの!? 火事場の馬鹿力ってやつ!? すごいなぁまた見たいなぁ! いまはもうできないの?」


 デルコマイはこちらをじっと見つめている。


「あ……ごめん、1人だけ興奮しちゃって」


 彼は首を横に振った後、子供たちがいる施設の方を指した。


「そ、そうだね。ごめん。今はそんな場合じゃないや」


 空を飛んでいるのはワイバーンだろうか? デルコマイから腕をとったみたいなシルエットだ。

 何にせよ、まだ異変が終わっていないことを示している。

 戻りながら施設を確認したところ、なにも異変は内容だった。

 しかし急いだほうがいいのは変わりない。今に異変が起こるかもしれない。

 私はデルコマイと共に走り始めた。


「ただいま! みんないい子にできて偉いね」


 声をかけながらドアを開ける。幼い子はデルコマイの姿にびくっとしたが、直ぐに彼だと気が付いてほっとしていた。

 また、温かい空気が優しい。

 さっきまでの興奮が嘘みたいだ。


「デル、ウロ! おかえり! 結局何があったんだよ?」


 すっかりまとめ役が板についた役次えきじ君が質問してくる。

 

 しかし、今起きていることを知らせていいはずがない。私もそうだけど、ここにいる人間はまだ幼い。

 必要以上に怖がらせるのはよくない気がする。


「動物がいっぱい来てるみたいでね。寺島先生も対応中なんだ」


 自分で言って気が付いたが、寺島先生を忘れていた。合流できたことを伝えなければ。

 すぐに彼女の思念を探す。さっき見た位置には既に居ないようだ。

 探すために範囲を広げて気が付く。見られる思念がやけに多い。この近くにも。

 平時はほんの数十人だったはずだ。しかも、何人か殺害されるところを目撃している。

 なのに、今存在するのは数百体。

 

 嫌な予感がして、さらに範囲を広げる。横へ、下へ、上へ――見つかった。


 その思念は、上空にあった。


「て、寺島先生!」


 思わず声に出してしまう。周りの子供たちの視線が私に集中するが、それを気にしている場合ではない。


(大丈夫ですか!)

「……ぁあ、ウロちゃん。ヤバいね、これは」

(や、ヤバいって――)

「施設の事だよ。私の目を見ればわかる」


 促され、正直に盗み見る。

 一瞬の躊躇。しかし止められない。

 そして映し出されたのは、地獄だった。


 すべて、燃えている。

 母がいたはずの研究棟も、私たちの薬がしまってある倉庫も、よくわからない四角い家も。

 何もかも燃やされて、変形している。至る所で今も爆発が起こり、耳をすませば悲鳴が聞こえる。

 それに、すごい数の魔物。地面にはいろんな大きさがうごめいて、今も破壊と略奪を続けている。

 なにより、なんで――


(なんでこれが、上空から見えているんですか……?)

「これ? あは、気にしなくてもいいよ。何もいいことないし、ね。それより、さ。逃げてほしいんだ。見たでしょ、この惨状。ここにいても助からないから」

(いや、でも……)

「早く逃げなさい。私は手遅れだから」


 はっきりと、事実を告げられる。


「そうだ、所長から、伝言を頼まれてたんだ」

(え……)

「『6688』貴方なら、これを必要とする日が来るでしょう。だって。よくわかんないこと。いうよね」


 瞬間。今まで見ていた地面が近づいてくる。


「ゎっぷ」

(や、ヤバいなこれ。想像以上に怖いぞ……ごめん、私も1つだけいいかな)

(い、今何が――)

(ふふ、わかってるでしょ。そういうのいいから)

(え――)

(正直に生きなさい)


 そう聞こえ、ブラックアウトした。


「――――――」


 みんなの視線を感じる。

 不安の目、恐怖の目。

 最年長は、私だ。

 私が彼らの命を持っている。

 何をするのが、正解か――よく考えた。


「みんな、ここから逃げ――」


 最後まで、言えなかった。

 まるで隕石が降ってきたかのような衝撃、爆音。

 同時に、強い熱風と、ガラスの欠片が飛んできた。

 思わず目を閉じてしまう。

 しかし束の間、熱風も欠片もなくなる。

 目を開けて、ドアを見る。

 いや――すでにドアは、壁はなかった。

 あるのは炎から生まれる熱風と、床を埋め尽くす瓦礫。

 そして、それをモノともしない魔物たち。

 ゴブリン、鬼、キメラ、ハーピー。そしてドラゴン。

 数十体はいて、とても加須切れる物ではない。


 耳がキーンとなっていて、音が聞こえない。第二波の熱風で目を閉じてしまった。

 腕が痛い。ガラスが刺さったのかもしれない。

 せめて何か情報を得ようと、適当な魔物の感覚を、盗み得る。


 目に映るのは、瓦礫と血にまみれたぼろぼろの壁。

 誰もが必死に呼吸していて、1人だけがそこに立っていた。

 そう、1人だけ。デルコマイだけが立っていた。

 私たちを守るように前に出て、血まみれで。


 彼は、人を凌駕するその体いっぱいに空気をため込んだ。

 そして、魔物に向かって走った。


 彼らはデルコマイに目をやり、いますぐ始末しようと攻撃の準備をした。


「――ァ――――レ!」


 デルコマイは叫んだ。

 聞くに堪えない発音。何を言っているか、おおよそ人間には理解できない。

 しかし、確実に意思を孕んでいる事だけはわかって――


 それが伝わったのか、魔物は動きを停止した。


 ――は?


 熱風もやんで、壁にそう私たちは次第に目を開けた。

 あらゆる魔物が頭を下げ、その中心に彼は居た。

 何が起こったのか、わからない。答えを求めるようにこっちを見て――


「ァァァァ!」


 幼い子供が泣き始めた。

 生き残ったすべての人間に、恐怖が伝搬していく。

 やはり、だとか。そんな、だとか。

 とにもかくにも、私たちは彼に恐怖を感じてしまった。


 そうして彼は脈を打つ。

 ただでさえ曲がった体をさらに曲げ。頭を膝の位置まで垂らす。翼、腕、尻尾は縦横無尽に暴れまわる。

 体を丸めたり、広げたりしている様子も不気味に映る。


 恐怖を増幅させるには十分だった。

 

 呼応するかのように、デルコマイの体は変質していく。

 爪は長く、尻尾は鋭く。頭からは鈍い角が生え始めて。


 なんでか、ほんとうなんでかよくわからないけど。

 私はそれに近づくように、立ってしまって。


 目についたのだろう。


 私の心臓は、いつの間にか彼の手にあった。


「っごぷっ」


 血を吐いて倒れる。視界が揺らぐ。

 めまいが起こった時のように、すべてが白っぽくなっていく。

 煙ったいような、そうでもないような。

 なんだか、瓦礫の頂点が集約して供養にも見えて。

 完全に意識を失った。



 で、その後。私は普通に目を覚ました。

 普通じゃなかったのはその視界。


 横を見ると、さっきまで一緒に遊んでいた子供の死骸があって。

 周りを見ると、銃を持った大人が大勢いた。

 そして、手元に違和感を感じて視線を移すと。

 そこには。

 首のないデルコマイの死骸が。

 私の目覚めを待っていた。

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