Part4 シャワールーム

*リーナ*


 シャワールームは、地下3階にある白いタイル張りの横に長い部屋だった。


 廊下から更衣室を挟んだ先に、仕切り板とビニール製のシャワーカーテンで区切られた無機質なシャワーブースが、整然と並んでいる。


 多くの人が避難してきているというのに、彼らの寝起きの場となるホールの喧騒が嘘のように静まり返り、人っ子一人いない。


 いや、人の気配はあるにはあった。


 更衣室から入って、左へ行った方のシャワーブースから水音が聞こえる。

 視線を向けると通路の壁際に、先ほどハイドが持って行ったアタッシュケースが置かれていた。


 近付いてみると、その前のカーテンが一つ閉められていた。誰かが使っているのだ。

 とりあえず声を掛けてみる。


「ハイド……?」

「……ごめん」


 少し間を置いて返事が来た。


「どうして謝るの?」


 尋ねながらリーナは、アタッシュケースの横に膝を抱えて座り込んだ。


「母さんに聞いたなら、分かるだろう。ずっとずっと、君に隠し事をしていた。僕はハイドラ・エネア。人の皮を被った怪物だよ。僕は普通じゃないんだ」


 僕は普通じゃないんだ。

 それはリーナが恋をするきっかけになったあの一件の直後、ハイドが呟いた独り言だった。


 あの時は自分でも「普通とは何なのだろう」と疑問に思っていたけれど、今のリーナならその言葉をはっきりと否定できる。


 違う。

 普通じゃなくなんか、ない。

 わたしは知っている。

 あなたが少し勇気があるだけの、普通の人だっていうことを。


 でなければ、誰かがいじめられている時、割って入ったりなんかしない。

 誰かが嬉しい時、一緒に笑ったりなんかしない。

 誰かを助けるために、危険に飛び込んだりなんかしない。

 自分が強化人間なのを気にしたりなんかしない。


 そんなあなただから好きになった。

 そんなあなただから支えたいと思う。


「気にしてなんか、ないよ。ハイド」


 自然と、言葉が出てくる。

 カーテン越しにハイドがこちらを向く気配がした。


「こんな僕のことを、まだハイドと呼んでくれるのかい?」


 呼んであげる。何度でも。だってあなたは。


「そうだよ。あなたは怪物なんかじゃない。ハイドの大事なところは、人だよ。大切なもののために、一生懸命になれる、悲しいくらい普通の人。他の誰がどう呼ぼうと、わたしだけはハイドって呼ぶよ」

「…………」


 鼻をすする音がした。ディシェナさんとよく似ているとリーナは思った。


「もう一つ、ごめん」


 しばらくしてまた、ハイドが口を開いた。


「だから、どうして謝るの? ハイドが謝る必要なんて、どこにもないのに」


 立ち上がって尋ねる。


「いや、どうしても謝りたいんだ」


 どこか切羽詰まっているような声だった。


 だがリーナは、ハイドが何を言おうと許すつもりだった。

 彼の全てを受け止める。自分の"好き"の形を貫くだけだ。


 また少しだけ間を置いて、ハイドは話し始めた。


「君の父さんや母さんが死んだのは、僕のせいだ」


 改めて父と母の死を突きつけられるが、リーナの心に波風が立つことはなかった。

 目の前で家を破壊され、家族を失ったのが、遠い昔のように感じる。

 何も言わず、次の言葉を待つ。


「町を攻撃した奴らの狙いは、僕だったんだ! 君の家族は、巻き込まれただけなんだ! 僕が代わりに死ねば、君はこれからも変わらない暮らしを送れたはずなんだ! なのに、なのに……」


 ハイドが捨て鉢気味にまくし立てる。


「そうだね。本当にそうだよね!」


 リーナもやけくそ気味に答える。


 ハイドは今、自分を罰してほしいと願っている。

 でも、意味もなく罰するのは違う。


 胸の奥に、町を焼き払った者達への怒りが湧いてきた。


「ハイドを殺したいなら、ハイドだけをピンポイントで狙えばよかったのに、町ごと焼こうとするなんて、いくら何でもひどすぎるよ。ねえ!」

「…………!」


 ハイドが息を呑んだ。そんな仕草もディシェナとよく似ていて、血は繋がっていなくても親子なのだと、確信させられる。


「こういう時はさ、開き直ってあいつらのせいにしちゃえばいいんだよ。わたしならそうするよ」

「ああ、君の言う通りだ。ありがとう」


 彼の言葉にはもう、落ち着きが戻っていた。


 多分ハイドは自分の中に、わたしと同じ怒りを見出したのだろう。

 それでいい。戦って。戦えないわたしの代わりに。


「リーナ、バスタオルを取ってくれるかい?」


 シャワーカーテンが少しだけ開かれ、隙間から手が伸びてくる。

 見回すと黒光りするアタッシュケースの上に、おそらくシェルターの備品なのだろう、白いバスタオルが丁寧に畳んで置かれていた。


 広げて引っ掛けてやるように渡すと、手はすぐにシャワーブースの中へ引っ込んでいった。


 水音が止んだ。体を拭く音が聞こえてくる。


「スーツを着る。見ないでくれると助かる。できればシャワールームから出ていってくれると、もっといい」

「ううん、見てていい? わたしは見たいな」

「見たいなら別にいいけど、面白いものでもないと思うよ」


 唐突にカーテンが全開にされ、上半身裸のハイドが姿を現した。

 下も先程のバスタオル一枚を腰に巻いただけだ。


「ひゃっ!?」


 リーナは思わず後ろに飛び退き、顔を両手で覆う。


「見たいって言った割には、恥ずかしがるんだね」

「急にカーテンを開けるからびっくりしただけ。ちゃんと見てるし」


 からかうように言うハイドに負けじと言い返す。

 実際、指の隙間から覗き込むようにハイドの姿を見ていた。


 彼は意外といい身体つきをしていると思う。

 体型は痩せ型だが筋肉が適度に付いていて、腹筋もしっかりと割れている。

 しなやかそうな手足と相まって、どことなく狼を思わせる精悍さがある。


 今、ハイドはリーナの前で屈みこんで、アタッシュケースを開けた。


 その背中に、右肩辺りから斜め下に向かって大きな傷跡があるのを見つけた。


 統合大戦の時、戦いの中で付いた傷なのだろうか。

 右手を伸ばし、指先でなぞるように撫でる。


 不意にケースの中身を取り出そうとしていたハイドがこちらを向いた。

 背中に触れていた右手首を掴まれ、アイスブルーの瞳に見つめられた。

 リーナは彼の瞳を、その奥の闇を見つめ返す。


 ああ、これからわたしは、彼に抱きすくめられ、息を塞がれ、誰にも踏み込ませなかった場所を暴かれ、その向こうにある自分の内側を掻き乱され、彼のことだけしか考えられなくさせられるのだ。


 構わない。


 それであなたを救えるなら、わたしはこの身も心も差し出そう――


 リーナは頭や胸ではない場所に、それを望む自分が居るのを自覚する。


 だが、ハイドは首を静かに横に振って、リーナの手を押し戻した。


「今はこれ以上、君を傷付けたくない」

「そう……ならいいの」


 望んでいないなら、無理に求めたりはしない。

 大丈夫。大切に思ってくれているのは伝わったから。


 ハイドがアタッシュケースに視線を戻す。

 リーナも見守るように一歩下がる。


 ハイドがまず引っ張り出したのは青灰色をした、上下一体のタイツ状のスーツ。所謂いわゆるインナースーツだろう。


 バスタオルを腰に巻いたまま、首の部分から足を入れ、器用にずり上げていく。途中でバスタオルは外し、そのまま袖に腕を通す。


 次は赤地に黒のラインが入ったパイロットスーツ本体。リーナが実物を見たのはこれが初めてだが、各所に付いた強化プラスチック製らしい簡易プロテクターで思ったより厳つい。


 胸のファスナーを開けて身体を入れる。袖口と裾から手足を出し、ファスナーを上げる。左前腕の長方形のタッチパネルを操作すると、腰のベルトが締まり、背骨のラインに沿って付いている細長いパーツが点灯した。


 続いてグローブとブーツ。どちらも口部分のそばにアジャスターが付いている。

 スーツから出ていた手と足を入れ、口を手動で締める。

 これもハンディ・ターミナルのような左腕のタッチパネルに触れると、電気的な音がしてスーツや身体と密着する。


 最後にアタッシュケースの中に残っていたヘルメットを小脇に抱え、立ち上がった時――


 そこには立派なウォーレッグパイロットの姿となったハイドが居た。

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