Chapter2:惨劇

Part1 カウントダウン

*リーナ*


 なだらかな坂道に沿って、三角屋根の家が並ぶ住宅街。

 その入り口に置かれたバス停を黄色いスクールバスが出発する。


 家に帰ってきたリーナが、カードキーアプリを起動し玄関のドアノブにハンディ・ターミナルをかざすと、画面に"鍵が既に開いています"という内容のメッセージが出た。


「ただいま……」


 まさかと思い恐る恐るドアを開けると、家の奥から大型犬が駆け寄ってきた。

 毛の色はイエロー。垂れ耳に凹凸の少ない筋肉質の胴体、付け根から先細りしていく尻尾が特徴の、ラブラドール・レトリバーだ


「トビー!」


 名前を呼び、かがんで頭を撫でてやる。まさか、トビーが開けたのだろうか。

 いや、それはない。家に来た時、ドアの内鍵を勝手に開けないようにきつく躾けたはず。


 家の奥の方から何かを焼く音が聞こえてくる。キッチンに向かうと、答えはすぐに分かった。


 リーナの黒い髪とブラウンの瞳は、彼女から受け継いだものだ。


「ママ、お仕事はどうしたの!?」


 料理をしていたのは、今の時間はまだ勤め先のドラッグストアに居るはずの母だった。


「あらおかえり。リーナが彼氏君をうちに呼ぶっていうから、早く上がって来ちゃった。今日の夕飯は、腕によりをかけて作っちゃうんだから」

「だからって早退するなんて! ハイドはパパとママに会うって言っただけで、まだうちで食べるって決まったわけじゃないの!」

「あらあら、リーナったら二人っきりになれる時間が欲しかったのかしらー?」

「そういうのは後でいっぱい取れるからいいの!」


 リーナの抗議に母は耳も貸さなかった。


「そうそう、パパも早く帰ってくるって、今朝言っていたわよ。ほら、噂をすれば……」


 会話の最中、玄関の方でドアが開く音が聞こえたのは、リーナも把握していた。

「ただいまー」の声に振り向くと、案の定スーツ姿の父だった。


「もう! パパもママも、邪魔だけはしないでね!」


 いたたまれなくなってリーナはその場から逃げ出した。


 地下室にシェルターがあることを示すステッカーを横目に階段を駆け上る。

 2階の自分の部屋に飛び込んでドアに鍵を掛け、もたれかかりながらため息をいた。


 まったく、二人共大袈裟なんだから。


 でも、ハイドに身体の結びつきも求めていることを、暗にながら人前で認められたのが少しだけ嬉しい。


 本で愛し合う二人が肌を重ねる場面を多く目にしてきたリーナにとって、恋愛とは、心の繋がりも体の繋がりも含むものだった。

 またその二つに優劣は付けられず、どちらも同じくらい尊いものだと考えていた。


 だからこそ、自分はそういう形でもハイドの全部を知り、受け止めてあげたいのだとも。


 今日、彼を家に招くのはそこへ向かう一歩なのだ。そう思い直し、リーナはクローゼットを開けた。


 制服を脱ぎ、ハンガーでクローゼットの中に引っ掛ける。

 そのまま中に掛けられたハンガーをずらしていき、こういう時のために自分で用意しておいた服の中から、どれがいいかと考える。


 途中、クローゼットの扉の内側に貼られた姿見に映った、下着姿の自分の姿が偶然視界に入り、知らず知らずのうちに手が止まった。

 我ながら貧相な体つきだと思う。もしもハイドに見せることになった時、失望されたりしないだろうか――そこで手が止まっていることに気付き、服選びに戻る。


 最終的にリーナが身に着けたのは、白のボウタイブラウスに黒のアコーディオンスカート、それにベージュ色のボレロだった。


 約束の時間まであと20分32秒。そろそろ行かないと。

 リーナは革製の肩掛けバッグにハンディ・ターミナルを入れ、部屋を出た。


「じゃ、行ってきます」

「あんまり遅くならないようにね」

「変な場所に寄るんじゃないぞ」


 階段を下りながら1階の両親に挨拶をすると、リーナはそのまま玄関に向かった。






*マリアンネ*


 再び太平洋。


 何の前触れもなく、海面に黒い円盤型のブイが浮かび上がってきた。


 それは浮上できたことを認識すると、すぐにキノコ状のアンテナを出し、周囲をレーダー波とカメラセンサーで走査し始めた。海中にいる者が水上の様子を詳細に確かめるため放った、センサーブイだ。


 そのブイに接続されたケーブルを辿ること、海面下約40メートル。


 ミサイル発射深度まで浮上したレヴィアタンのブリッジは、緊張感に包まれていた。


 慎重にジョイスティックを操作する操縦手。

 ヘッドフォンとコンソールモニターで機外の音波を探る聴音手。

 目標海域への航路を細かく修正する航法手。

 アナログキーボードで火器管制システムに諸元を入力する砲雷手。

 センサーブイから送られてくる情報を整理し他の搭乗員へ送る通信手。

 そしてそれらを監督する機長。


 マリアンネが腕時計を覗くと、作戦開始時刻まで残り5分を切っていた。


 静かに新たな指示を出す。


「速度落とせ、両舷前進微速。垂直発射管VLS、1番から3番、11番から13番、ロック解除。ミサイル照準誤差、最終修正」


 レヴィアタンの速度が落とされ、僅かだが全身を前に引っ張られるような感触が伝わってくる。


 搭載ミサイルの責任者を担う砲雷手と通信手は、コンソールモニターで指定された番号のミサイル発射管を選択。呼び出したデジタルキーボードで、6つの数字とアルファベットからなるミサイルの解除コードを入力する。


 続いて二人は、自身のコンソールモニターの下にあるダイヤルロックで施錠された、小さな引き出しを開けた。中に入っているのは、金属製のアナログキーだ。


 砲雷手はコンソールモニターの左側に、通信手はコンソールモニターの右側にキーを差し込む。


 お互いにキーの準備ができたことを確認した通信手が口を開く。


「カウント、どうぞ」

「3、2、1!」


 砲雷手のカウントと共にほぼ二人同時にキーが回され、コンソールモニターに"UNLOCKEDロック解除"のメッセージが出る。


 レヴィアタン背部の左右各10基、計20基の垂直ミサイル発射管の内、前方の3つずつの計6門の整流ハッチがまず上に向かって少し持ち上がり、垂直に起き上がるように開く。次にその下にある耐圧ハッチが開かれ、ミサイルを保護する最後の障壁となる防水膜があらわになる。


 最後に、その様子をコンソールモニターに表示した、機体稼働状況を示す三面図から確認した砲雷手が、レーダーブイの観測データを基に、推測照準の誤差を修正する。


発射準備完了オール・グリーントリガーを機長へユー・ハブ・トリガー


 砲雷手の言葉と共に、マリアンネの前のコンソールモニターに、上に"LAUNCH発射"と書かれたボタンが表示される。

 このボタンを押した瞬間、ミサイルは発射され、目標を焼き尽くすことが確定するのだ。


 ミサイル発射まで、残り30秒。


 一度深呼吸し、腕時計を嵌めた左手首をコンソールモニターの横に置く。


 弾頭は単弾頭の通常弾が1つと手製の焼夷弾が5つ。

 決して良いとは言えない"組織"の懐事情ゆえ、核弾頭すら手に入れられなかったのは残念でならないが、その分は発射数で補う。あの町を火の海にするには十分すぎる数だ。


 残り10秒。


 右手の人差し指が発射ボタンに向けられる。


 5秒前。4、3、2、1――


「LLBM(Leg-Launched Ballistic Missile=ウォーレッグ発射弾道ミサイル)、発射!」


 マリアンネがボタンを押した瞬間、発射管下からの高圧ガスに勢いよく押し上げられ、防水膜を突き破ってミサイルが撃ち出された。ガスの勢いのままに海面上へと躍り出る。

 そこで6本のミサイルは自身に搭載されたエンジンに点火すると、入力された情報に従い目標へ向けて弾道飛行を開始した。


「続いて8番から10番、18番から20番、ロック解除。アサルトポッド、イヴリース、射出態勢へ! 全弾弾着を確認次第、順次射出!」


 間髪を入れず指示を出す。


 そう、ミサイルによる攻撃はあくまで第1波に過ぎない。


 マリアンネの目に炎が宿った。

 激しく燃える、憎しみの炎が。

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