第6話

14、

「男の正体がわかったよ」

 四人がけのボックスシートにドサリ、と腰かけたコーリャ小父さんは、メニューも見ずに店員さんに、パンケーキと紅茶を注文した。

 火曜日の晩わたしは、再び第七区の喫茶店にやって来ていた。わたしの目の前にはすでに、サンドイッチの皿とミックスジュースが並んでいる。

 小父さんは、反射的に取り出していた煙草の箱を慌ててしまいながら、話し出した。

「名前はテレンス・ロートン。金持ち専門の探偵、あるいは、一流の覗き屋ピーパーかな」

覗き屋ピーパー?」

「ロートンは、上流階級の人びとを相手に、主に不倫や浮気の調査を請け負っている。だが、度を越した盗み撮りや盗聴の癖があってね。一種のマニアだ。で、ときどき画像や音声データを調査対象に売る」

「調査対象に、ですか?」

「そう。つまり依頼人には〈何もなかった〉と報告しつつ費用をせしめ、調査相手には〈証拠〉を買い取らせるわけだ」

「それって……恐喝とかにならないんですか?」

「『誰が見張りを見張るのか?クゥィス・クストーディエト・イプソース・クストーデース』だね。かなり巧妙に持ちかけているみたいだから警察が立件できるかどうかはわからない。それと、奴が相手にするような依頼人は結局、醜聞スキャンダルが表沙汰にならなければ、多少の出費はいとわない人びとだ。ロートンは、そこら辺も読みきっている」

 コーリャ小父さんの心当たりとは、同業者間の噂話だった。ラザレフ家のような家柄を顧客にする同業者は限られている。そこで仲間内に探りを入れた結果、テレンス・ロートンに行き着いた。そして、ロートンの洒落たオフィスに赴くと、耳打ちしたのだという。

「同業者として忠告しに来た、と云ってカマをかけたんだ。あんた、殺人の容疑者になってるぞ、とね」

 テレンス・ロートンは最初とぼけて、小父さんをオフィスから追い出そうとしたが、小父さんがホアン殺害現場の詳細を述べると蒼白になった。常日頃やっていることの悪辣さに比べると、意気地がないように思えるが、自分が絶対的な優位に立った上で相手を小突き回すのと、脅される側に立つのとでは勝手が違うのかもしれない。結局ロートンは、依頼の内容を白状した。

「……守秘義務違反ですよね?」

「もちろん。だがああいった手合いは、その手の情報を〈うっかり〉洩らすんだよ」

 まったく同じ内容の台詞を以前、ヱミ夫人が吐き捨てたのを、わたしは思い出した。

 テレンス・ロートンを雇ったのは、ヱミ夫人の夫ヤーロフ・ラザレフ氏だった。ヤーロフ・ラザレフ氏はヱミ夫人の不貞を疑って、探偵に行動確認調査をさせていたのだ。

 行動確認調査は、探偵が対象者を尾行・張り込み・撮影などで監視することだが、ロートンはそれに加え、盗聴器をしかけ、SNSを見張り、仕込んだアプリで衛星測位システムを使い夫人の位置情報を把握していた。

「その探偵が、どうしてホアンさんの殺害現場でウロウロしていたのでしょう?」

「どうやら奴さん、対象者ーーつまりヱミ夫人だがーーに関して美味しいネタを掴んだようでね。その〈証拠〉として〈有翼飛天〉が必要だったらしい」

「でもどうやって、ホアンさんの部屋に行き着いたのでしょう? わたしたちと同じような調査をした形跡はなかったように思いますけど」

「逆なんだよ」

 小父さんが鼻息荒く言い捨てた。

「逆?」

「ロートン本人は絶対的に認めなかったがーー。ホアンに〈有翼飛天〉を盗むように持ちかけたのが、ロートンなんだと思う」

 わたしは絶句した。しかし、それならつじつまがあう。すべての探偵がこうだとは思わないが、探偵が疎まれるにも、一定の理由があるのかもしれない。

 それにしても、コーリャ小父さんは流石の手際だった。〈謎の男〉にあっという間に行き着いてしまうなんて。

 いやいや、と小父さんは、ちょうどやって来たパンケーキを受けとりながら、手をふった。

「シオンちゃんから、あらかじめ〈見立て〉を聞いていたからさ。よく筋書きが読めたね」

 わたしは面映ゆい心持ちで、サンドイッチをパクついた。お世辞とわかっていても、褒められると嬉しいものだ。

 そのあと小父さんは、ホアンさんの遺体についての情報を教えてくれた。また、わかっている限りで、アンダーグラウンド・マーケットで〈有翼飛天〉が取り引きされた形跡は見つからなかったことも。つまりガビちゃんはまだ、売りに出されてはいない。

 お返しとばかりにわたしも、聞き込みの様子やタクシー会社からの情報などを話した。小父さんは、メイプルシロップをたっぷりとかけた三段重ねのパンケーキを頬張りながら、聞いてくれた。

 幾つかの事実を付き合わせると、ますます自分の妄想に符合しているように思えてきた。

 

15、

 ヤローフ・ラザレフ氏の邸は、ヴィクトリア市第一区の閑静な住宅街にあった。

 水曜日の午後、わたしは、立派な門の脇にある通用口をくぐって、左右に並木のある石畳のドライブウェイを進んだ。

 しばらく歩くと、ようやく車寄せが見えてきた。車寄せは煉瓦造りの直方体で、アーチを描いた出入口が三面にあり、一番奥が邸内に続いている。

 使用人の男性が開けてくれた玄関扉を入った先は、奥に長い階段広間だった。足下は豪奢な絨緞が敷かれ、植物の緑がシャンデリアの灯りに艶やかに耀いている。

 広間の行き止まりには二階へ通ずる階段がのぞいていたが、わたしが通されたのは入ってすぐ右手にある、第一応接室だった。

 応接室は大理石の暖炉がある落ち着いた空間だった。庭に面して、床から天井まである大きな窓があって、立派な庭が堪能できるようになっていた。手入れされた芝生は、見せてもらった写真に写っていた場所だろうか。梢では小鳥が囀ずり、秋の気持ちよい風がカーテンを揺らした。とてもではないが、自分と同じ都市の光景には思えない。

 わたしは三人掛けのソファに腰かけたが、どことなく居心地悪く、身じろぎした。メイドさんが供してくれた紅茶が、良い香りを立ち昇らせている。ソーサーごとカップを持ち上げてそっと口をつけると、濃いめで美味しいアールグレイだった。

 目元がヱミ夫人に似た男性の肖像画に見入っていると、邸の奥へ通ずる扉が開いて、ヱミ夫人が入室してきた。わたしはあわててカップを置いて、出迎えた。

 彼女は艶を抑えた水色のミモレ丈のスカートに、金糸で刺繍の施されたゆったりとしたシルエットの黒い上着を着ていた。細い鎖のロングネックレスが上品だ。

「直接訪ねてくるなんて、どういう料簡なの?」

 ヱミ夫人は切り口上で尋ねてきた。

「申し訳ございません。大至急お耳に入れなければいけない事態が発生しましたので」

 夫人は舌打ちせんばかりだったが、どうにか自分を抑えたようだった

「それで、調査報告をしてくださると云うことでしたけどーーガビは見つかりまして?」

「いいえ、まだです」

「どういうこと?」

「〈有翼飛天〉はまだ見つかっていません。ーーホアンさんは別ですが」

「ホアンが見つかったの?」

「ニュースをご覧になっていませんか? ホアンさんは亡くなりました」

 え、と夫人の面貌が蒼白になる。わたしはじっとその様子を観察した。

「じゃあ……じゃあ、〈有翼飛天〉はどこに?」

 彼女の自問自答の後半は、ほとんど囁き声のような大きさになった。

「それを今からお話しようと思います」

 わたしは、自分がホアンさんを見つけた経緯を説明し始めた。

 

「ーー今お話した通り、ホアンさんを発見したとき、彼の身体におびただしい【幻生動物】が群がっていました。もちろん應龍で【幻生動物】は珍しいものではありません。ですが、わたしは少し引っかかりました。ほんのすぐ前に、似たような光景を見たばかりだったからです。わたしが見たのは、ヴィクトリア大学に【幻生動物】について訊きにいったときに見た光景でした。具体的に云えば、ラウ助教が研究者仲間の実験で【幻生動物】まみれになっていた場面です」

 ラウ助教の名前が出たところで、ヱミ夫人の仮面のような表情にさざ波が走った。

 そして、コーリャ小父さんが入手した警察内部の情報によれば、警察署の遺体安置所に運び込まれたホアンさんの遺体にも、【幻生動物】が群がっていたというのだった。

「ホアンさんの死因は扼殺でした。残念ながら当初は、犯人を指し示す証拠は検出されませんでした。ですがわたしは、【幻生動物】を目撃したことで、次のような想像を巡らせました。犯人がホアンさんの首をしめたときに、ホアンさんの遺体に犯人の身体が接触し、それによって遺体に犯人由来の物質が移ったのではないか。その結果、【幻生動物】が群がったのではないか。つまり、実験で使われたフェロモンが犯人からホアンさんに付着したと考えたわけです。はっきりと云えば、ホアンさんの部屋にいたのは、ラウ助教だったのではないか?」

「ずいぶんと飛躍した考えだこと……」

 ヱミ夫人の声は震えている。

「ええ。突拍子もない想像なのは承知です。しかし、ラウ助教とホアンさんという二人に出会ったわたしからすれば、疑念を無視することは出来ませんでした。ほんの二日のあいだに、【幻生動物】まみれの人間に立て続けに会ったのですから。疑念は晴らさなければなりません」

 わたしは話を続けた。

「まずヴィクトリア大学で確認したところ、問題の実験に参加したメンバーは、二十人ほどいました。仮に、あの部屋の【幻生動物】の出現が実験の成果だとすると、部屋にいた人物はその二十人の中にいる可能性があります。もちろん、あくまで可能性ですよ」

 疑問を差し挟もうとした夫人を、わたしは押し留めた。

「さて警察の検死結果によると、ホアンさんの死亡推定時刻は、前夜の午後八時から十二時くらいになるそうです。これに隣室〈弐號室〉の住人の証言を合わせると、推定犯行時刻は、午後十一時ごろになります。そしてその時間に、誰とも一緒におらずフリーだったのは、二十名の中ではラウ助教だけなんです」

「あなたさっき、次の日に怪しい男とすれ違ったって云ったじゃない。そいつが犯人じゃないの?」

 ヱミ夫人が柳眉を逆立てて、反論する。わたしはうなずいた。

「もちろんその可能性も大です。前日にホアンさんを殺害した犯人が、何らかの目的で舞い戻ったという場合もあり得ます。ですからわたしは、その男も探してみました」

「見つけ……たの?」

 夫人が喘ぐように云う。

「はい。実は男を見たのは初めてじゃなかったんです。男はヱミ夫人、あなたを尾行していた男でした」

「え……」

 ヱミ夫人が絶句した。

「詳細は省きますが、男はあなたのご主人であるヤーロフ氏が雇った探偵でした。ヤーロフ氏はあなたを監視していました。何故かと云えばヤーロフ氏は、あなたとラウ助教の関係を疑っていたからです。それはあなたもご存じでしょう」

「……」

「この邸内は盗聴されていました。携帯電話でのやり取りも危険でした。それもご存じですよね。そこであなたたちは、奇抜な手段で連絡を取ることにしました。〈有翼飛天〉にメッセージを覚えさせて、ホアンさんに届けさせたんです。失礼ですが、あなたのクレジットカード情報を調べました。今週末にヴィクトリア空港発の国際便のチケットを購入されていますね。ヤーロフ氏が外地に出張されているあいだに、駆け落ちを計画していたのではありませんか? だからどうしても連絡を取る必要があった」

「……」

「でもホアンさんが、〈有翼飛天〉を持ち出して逃げてしまった。慌てたあなたは、当事務所にホアンさんの行方を探させることにしました。一方……」

 わたしは紅茶で、唇を湿らせた。

「わたしが訪ねて行ったことで、ラウ助教は、〈有翼飛天〉があなたの許からいなくなったことを知りました。そこで【幻生動物】に関する知識を使って、ホアンさんの居場所を突き止めたんです」

 ヱミ夫人が、よろけるようにローテーブルに手をついた。

「ヤーロフ氏の雇った探偵は、実は、ホアンさんを唆してガビを盗ませた張本人でした。そこで、ホアンさんの許を訪ねて、遺体を見つけたんです」

 小父さんは、わたしの推測を警察に話した。そしてそれが、科学捜査でも裏づけられた。証拠保管所に納まっていたホアンさんの衣服に付着していた成分を、警察の科学捜査機関が分析計測機器にかけた。その結果、ラウ助教の実験担当である特殊なフェロモン物質と、遺体から見つかった成分が一致したのだ。

「事件当日、應龍から犯人とおぼしき人物がタクシーを拾っていました。その人物がタクシーを降りたのがヴィクトリア大学の近くです。〈有翼飛天〉を自宅に持ち帰ると目立つので、大学研究室に隠したのでしょう。実はさっき、大学にいるラウ助教宛に、あなたの名前でメッセージを送りました。といっても電話もメールもSNSも使えないはずなので、ごくアナログな手法を取りました。人に伝言を届けてもらったんです。知り合いのタクシー・ドライバーに、そのタクシーに乗ってここに〈有翼飛天〉を持ってくるよう、伝えてもらいました」

 そのとき、庭に面したガラス扉に人影が映った。コンコン、とガラスを叩いたその人影は、大型の鳥類用の鳥籠を手にしたラウ助教だった。

 ラウ助教が、背後の気配に気づいて振り返る。驚愕で、鳥籠が滑り落ちた。

 彼の周りを、いつの間にか接近したコーリャ小父さんとキム刑事、マクレイン警部補が取り囲んでいた。

 助教がガラスに貼りついて、こちらを見た。ヱミ夫人がそこに駆け寄る。

 ガラス越しに、恋人たちが手を重ねて見つめ合った。蓋が開いた鳥籠から、ガビちゃんがのそのそと出てきた。ガビちゃんは、首をかしげ、不思議そうな表情で二人を見上げていた。

 ラウ助教の肩に、マクレイン警部補ががっちりとした手を置く。キム刑事とコーリャ小父さんに促されて彼は、ガラスから離れていった。

 あとには、わたしと夫人だけが残された。

 沈黙を破ったのは夫人だった。ガラスに顔を向けたまま、不意に質問を投げかけてきた。

「あなた、どうして探偵になったの?」

「父が蒸発したからです。わたしは父を見つけたい。父の顔を見るまで、探偵事務所を続けたいんです」

 そう、とまるで上の空な口調でうなずく。

「周りの人間に、何か云われたんじゃなくて?」

「正直、反対されました。今でも反対されています。でもやってみてよかった。ほんの少しですが、父に近づけた気がします」

「わたしも、思い切って踏み出せばよかった」

 夫人が振り向いて、わたしのほうを見た。年相応の、若い女性に見えた。わたしと同じく、独りで立つことの難しさにあえいでいる娘に。

「夫はーーヤーロフは文科省に働きかけて、歴史学の講座を廃止させた。ラウが憎いという、ただそれだけの理由で」

 ヱミ夫人の両目に涙が盛り上がり、磁器のように滑らかな頬を伝っておりた。

「結婚するとき、一緒について来てくれって云われたの。あのとき何もかも捨てて飛び出せばよかった。父に託された会社なんて放り出せばよかった。そうすればこんなーー」

 言葉を詰まらせた彼女を、わたしは美しいと思った。

 こんな鳥籠に、閉じ込めておいてはいけないと。


13、

 こうしてわたしの初めての事件は幕を閉じた。だがその中身と云えば、わたしにとって不本意きわまりない出来だった。小父さんのアドバイスと協力がなければ、わたしは何一つ解決できなかったろう。

 もしわたしが、いつの日か父さんに見せるために、自分が手がけた事件簿を編むことになったとしたら、今回の案件はさしずめゼロ番目の事件とするだろう。探偵未満の事件だと。

 なので、ファイルナンバーはない。

 

 (了)

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短編「file:0 幻燈城市」 @ikuesan

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