第3話
6、
小さな
動物ではなく人間を捜すならわけない、と考えたくなるのだが、そう簡単にはいかないのが、【
どんな仕事にもコツというものがある。何の経験もない自分が、独力でことを進められると自惚れるほど「大人」のつもりはない。そんな甘いものでないことは、昨日の基礎調査で嫌というほど思い知らされてしまった。
わたしが金曜日の学校帰りに向かったのは、【應龍寨城】西辺に隣接する第七区の、昔ながらの喫茶店だった。
雑居ビルの地階にあるガラス扉の奥には、合板のテーブルに安っぽいビニール貼りのソファが据えてあって、オレンジ色のシェードの照明器具が温もりのある光を投げかけている。これが意図したレトロ感なのか、単に昔のままなだけなのか、わたしには区別がつかなかった。
第七区にある調査会社〈アーバン・インクワイリー〉は、父の友人が営む探偵事務所だ。所長のバクーニン氏には、わたしも小さいころにずいぶん可愛がってもらった覚えがある。あらかじめ連絡をとると彼は、会社ではなくこの店を指定してきた。
「やあ、遅れてごめん」
ニコライ・バクーニン氏は、ウォッカ焼けのような赤ら顔に、氷のような薄い色の瞳を持つロシア系男性で、灰色のスーツ姿のためか石壁みたくそびえ立って見えた。この巨体で、まったく目立たずに尾行できることを、父が感心していたのを思い出した。
「久しぶり、シオンちゃん」
厳めしい顔つきからは想像もできない穏やかな声が、口髭の奥から洩れた。
「ご無沙汰しています。ーーコーリャ小父さん」
昔みたく愛称を使ったりして不躾でないかしら、とわたしはドキドキしていたが、小父さんは莞爾として笑ったのだった。
「で、どんな仕事なんだい?」
詮索したいことは山ほどあるだろうに、すぐに要件に入ってくれるのは、随分と気をつかってくれている。それだけで感謝の念がわいてくる。わたしは、手帳を取り出して話し始めた。
*
「ふうん。で、その三日前から失踪している庭師が、〈有翼飛天〉を連れている可能性があると?」
コーリャ小父さんが持つと珈琲カップは、まるでおままごとで使う玩具のようだった。
「そこまで判っているのに、警察に通報しないのは、
「そうです」
ヱミ夫人がしぶしぶと教えてくれたところによると、くだんの庭師はどうやら彼女に懸想して、ストーカーめいた付きまといをしていたとのことだった。彼女は当然拒絶したのだが、その腹いせが原因で庭師が〈有翼飛天〉を持ち出した、と夫に話すのは憚られた。
「そこで探偵を頼ることにした、というのが彼女の主張です。まあ、あくまでヱミ夫人の一方的な云い分ですけど……」
しゃべりながらわたしは、依頼内容を他人に喋るのはルール違反になりはしないだろうか、と不安になってきた。そこでおずおずと小父さん訊いてみた。
厳密には良くないがそこまで問題にならないだろう、というのが小父さんの答えだった。
というのも、同業者同士で調査協力をし合ったり、外注のような形で調査そのものを融通したりすることは、ままあるらしい。もっとも、わたしがこうして小父さんに相談しているのが「調査協力」に当たるか、判断ができなかったけど。
わたしの煩悶をよそに、小父さんは話を先に進める。
「【受肉】した【幻生動物】は高値で売れるなーー」
コーリャ小父さんは、考え込むような目になった。
「【應龍寨城】内には【幻生動物】専門の密売業者が集まったビルもあると聞く。そこら辺を当たるのが筋だろうがーーいささか危険かもしれないね」
さっそくアドバイスをしてくれた。探す場所の第一候補だ。自分だけでは、〈有翼飛天〉を探す手順を思いつかなかったろう。でも。
「危険というのは?」
わたしは、小父さんが話した内容をメモしながら尋ねる。
「
「だから、その方面をシオンちゃんが直接調べるのは止めたほうがいい。少なくとも、小父さんに一言欲しいな」
わたしは、心がざわついていた。
いずれは真正面から向き合う必要が出てくるーーそんな気がした。
密売業者の情報を得るには警察に訊くのが一番だが、無論、民間人においそれと教えてくれるはずもない。すると小父さんが、ある提案をしてくれた。
「私の知り合いに、ヴィクトリア大学の関係者がいる。そいつに研究者を紹介してもらおう。研究者ならば、そうした業者に詳しいかもしれない」
「それは助かります。ついでに〈有翼飛天〉の習性や育成環境も確認したほうがいいかもしれませんーー」
思いついたことを口に出した。
【應龍寨城】の中で人間は容易に紛れてしまうが、反対に珍奇な【幻生動物】のほうが目立つかもしれないと思ったのだ。もしすぐに売り飛ばさないで、しばらく手元に置いておくとすればだが。
その場合の探し物は、【幻生動物】に焦点を当てた方がよいのではないか。〈有翼飛天〉を飼う環境が分かれば、持ち去り犯の住居を絞り込むのに役立つかもしれない。
コーリャ小父さんは、うんうんと頷くと、
「だとすると、不動産屋にも聞き込みをしたほうがいいかもしれないな」
と指摘してくれた。
不動産屋は【應龍寨城】の情報が集まる場所だ。居住スペースが限定された街衢ゆえ、
相談に乗ってもらったお陰で、調査の道すじが立ったような気がする。実際にはまだ何も始まっていないのだが。少しだけリラックスしたわたしは、ようやくオレンジジュースに手が伸びた。
ストローでゴクゴク飲んでいると、
「シオンちゃん」
と小父さんが、真剣な声音で話しかけてきた。
「本当に、自分ひとりでやるつもりかい?」
つかの間、依頼人を尾行していた謎の男のことを話そうか迷った。飲みきったグラスが、ズズズ、と音を立てた。
だが結局わたしは、オレンジジュースとともに言葉を呑み込んでしまった。そしてできるだけ自信がありそうな表情をして頷いたのだった。
7、
古代遺跡めいた石の巨大な門柱に、厳めしい鉄製の門扉がついているのが、ヴィクトリア大学の正門だった。
門をくぐるとすぐに階段が始まる。大学のキャンパスは丘を一つまるごと擁しており、校内は至るところに階段やスロープ、そして木立の緑がみられるのだった。
階段を登りきったところの古風な煉瓦造りの建築物ーー博物館として一般市民に開放されているーーでエレベータに乗り込む。
二階分フロアを上がると、たくさんの学生が行き交う講堂前広場にたどり着いた。
ランドマークである時計塔を横目に、学部棟エリアに向う。校内マップによれば、鬱蒼とした雑木林の先に、歴史学科の建物があるはずだった。
コンクリートの建物に侵入すると、ヒンヤリとした空気に包まれた。それはエアコンの効果というより、素っ気ないこの建物自体が、外界を拒絶して暑気を内に入れないよう踏んばっているみたいだった。
教えてもらった研究室では、ラウ助教が待ってくれていた。
「いらっしゃい。話はリャン教授からうかがっていますよ」
ラウ助教は、三十代半ばのひょろりとした体格のアジア系男性で、白衣からのぞく手足もまた、細くて長かった。アフロヘアのように拡がった黒髪は多分、ファッションでなく地毛と思われる。丸眼鏡の奥で、小動物めいた目がくりくりと動いていた。
「【受肉】した〈有翼飛天〉の生態について知りたいということでしたね?」
「お忙しいところ、お時間を割いていただきありがとうございます。それと、【幻生動物】を扱っている業者をご存知でしたら、そちらについてもうかがいたいです」
「いえいえ、そんな恐縮なさらずとも結構ですよ。むしろ、今の時機だから、ちょうどよかったというかーー」
「と、いいますと?」
助教は少し寂しげに笑って、
「本学の歴史学科は、来春、廃止になるんです。これからそれに向けてやることが山積みでしてーー」
そういって気安く椅子を勧めてくれるのだが、どうにも居心地が悪い。わたしの視線は、彼の全身の〈不自然さ〉に釘付けになっていた。
というのも、助教の身体にオーバーラップするように、
「おっと、すみません。こいつが気になりますよね」
助教はバリバリとアフロヘアをかくと、追い払うように手をふったが、それで
もちろん【幻生動物】自体が物珍しいわけではない。だが正直、
知識として、「外」での目撃例が皆無でないのは知っている。もとより【應龍寨城】はヴィクトリア市の一部なのだし、【
「研究者仲間の実験に付き合っている途中でして」
助教が説明してくれた。
ヴィクトリア大学では、【幻生動物】についてのさまざまな研究が行われている。彼が協力している実験は、生物学部の友人が行っているもので、【幻生動物】に特有な反応を引き起こす
古今東西の文献や先達の記録から割り出した幾つかの化学物質を被験者が身につけて(具体的には化学物質を発散する機器を携帯して)、その物質のところに【幻生動物】が出現する頻度や種類を計測するのだという。特定の場所に置いて実験をすると、場所に寄ってきたのか物質に寄ってきたのかわからなくなるからだそうだ。
助教によればその仮説は、今のところかなり有望らしい。というのも助教のところには種々の【幻生動物】が、入れ替わり立ち替わり出没しているとのことだった。
「まあ、しばらくすれば慣れますよ。それよりも……」
と助教は、あらたまった口調で密売業者について注意をうながした。
そうした業者は官憲の目を逃れるため、今では店舗の場所を頻回に変えるようになっている。つまり直接コンタクトを取るのは困難らしい。
そしてそれ以上の懸念はやはり、
「基本的に彼らには近づかないことです。研究者が、【受肉】した【幻生動物】の保護目的で接触することはありますけど、命がけですから」
また、【受肉】した【幻生動物】の育成記録は極めて少なく、生態はいまだ謎に包まれている。したがって〈有翼飛天〉のこともほとんど分かっていないらしい。
「ただーー」
と助教は、続けた。
十七世紀イタリアの古文書に〈有翼飛天〉のことと思われる記録がある。そこで研究者の一部ではこれを、歴史上初めての【受肉】とみなしている。
さる大貴族に献上されたその生き物は、オウムのように人の声を覚えてしゃべることができ、聖書の一節をそらんじた。イタリアが分裂と外国支配で混乱していたこの時代、大貴族が、〈有翼飛天〉を陰謀をめぐらせる際の
わたしが、必要な事項に絞って教えてもらうにはどう講義を中断すればいいか考えあぐねていると、逆にラウ助教の方から、思わぬことを尋ねてられた。
「ひょっとしたらだけど、あなたがおっしゃっているのはラザロフ家の〈有翼飛天〉のことじゃありませんか?」
ズバリと云い当てられたわたしは、ちょっと口ごもった。
「どうして、お分かりになったんですか?」
「このヴィクトリアで【受肉】のような珍しいケースは、限られています」
助教は、こともなげに答えた。
「それに私は以前、ラザロフ家で書生をしておりまして」
どうやら癖らしく、またもアフロをかき回す。
「ラザロフ商会はもともと、ヱミちゃんのお父さんのニコライ・ラザロフ氏が創業した会社なんですよ」
生まれ故郷の縁故で、ラウ助教はニコライ氏の世話になり、学費も出してもらった。ヱミ夫人とは、彼女がずっと幼い少女だったころからの顔見知りなのだという。
「というか、今でもヱミちゃんには、たまに相談を受けます」
いろいろと難しい〈有翼飛天〉の飼育について、ヱミ夫人はラウ助教にアドバイスを求めていたようだ。
この思いがけない縁はラッキーと思うべきだろう。わたしは、「もし〈有翼飛天〉を飼育するとすればどんな環境が適しているか」という形で、ガビについてもろもろ尋ねることにした。何を食べているのか、どんな環境を好んでいるかなどである。本来は、依頼を受けた時点でヱミ夫人に聞いておくべきことかもしれないが、昨日は思いつかなかったのだ。
「そうですねーー」
助教によればガビ君は、見かけによらず(?)草食で、主にキャベツの葉っぱや人参などを食べるらしい。特別に調達が難しい食材が必要なわけではないから、エサの方面から見つけるのは困難だろう。好む住環境は、風通しがよく、日当たりがよい場所。何日も日光浴をさせないと、てきめんに弱ってしまうそうだ。
「何かこう、好物みたいな物はありませんか。たとえばーー」
「マタタビみたいな、ですか?」
ええ、とわたしは期待をこめて尋ねたが、そのような物はない、とすげない答えがかえってきた。というより、そういう物質を求めていま実験に協力しているのだ。わたしは、自分の考えなしの発言に顔が熱くなった。
これら飼育面の情報を、ホアンは知っているだろうか、とわたしは自問自答する。
それとなく尋ねてみると、そもそもヱミ夫人がこの研究室にガビを連れてくるときお供をしていたのは、ホアンだったという。さらに、ヤーロフ氏はヱミ夫人にガビの世話を任せていたが、高価なペットが弱ってしまわぬよう、使用人たちにも細かな注意点を云い聞かせていたらしい。つまりホアンは〈有翼飛天〉の生態について詳しい可能性が高い。
「しかしまた、どうしてガビのことをあなたが?」
助教の疑問はもっともだ。だが依頼内容を話すわけにはいかない。なのでわたしは、煮え切らない答えでお茶を濁したのだった。
不信感をにじませ始めたラウ助教が、何か思い当たったのか、ふいに声を荒げた。
「ひょっとして、ヤーロフの差し金じゃないのか?」
気色ばんで、詰め寄ってくる。
「あいつは、貴重な個体をカネにあかせて買い、しかも閉じ込めている。それで、どうしたら身体が大きくなるかとか、サルと交配してみろとか、無理難題を突きつけるんだ。こっちはブリーダーじゃないんだぞ。学問を何だと思って……」
「いえ、あのーー。ご協力ありがとうございました」
わたしは礼を述べて、ほうほうのていで研究室から退散した。
話しぶりからすると、ラウ助教は、婿養子どのにいい感情を抱いていないのは間違いなさそうだった。
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