三話

 こうして、私は次期ゼークセルン公爵夫人となった。婚約した時点から準王族扱いだったのだけれど、結婚して完全に王族になってしまったのだ。


 どういうことかというと、例えば侯爵家当主のお方よりも私の方が敬われる立場になったという事だ。ちなみに実家は伯爵家の中でも下の方の格のお家だから、侯爵様なんて雲の上の人だったわよ。王族なんて伝説上の生き物と変わらなかったし。


 それが今や私は公爵家の女性代表として(エルイード様のお母様の公妃様はお亡くなりになっているので)儀式や社交に出る事になったのだ。儀式の度に一段高くなった王族席に座らされるんだけど、大体私の直ぐお隣には王太子殿下かバミリアン公爵家のどなたかかがお座りになるのだ。場違い感が半端無い。


 物凄くたくさんある(何代目の王の誕生日だとか、何とかの戦いの戦勝記念日だとか、何とかという神様の祝祭とか、本当に毎日のようにある)各種儀式に王族が揃って参加することは難しいので、どうしても王族各家から一人ずつくらいの参加になるのだけど、そうなるとお義父様はお忙しくエルイード様は儀式なんて絶対に出ない方だから、必然的に私の出番が多くなる。


 まぁ、いよいよ足りなくなれば家臣や縁戚の誰かを名代に立てるという手もあるんだけどね。一度お父様に頼んで名代として王族席に座ってもらったら「二度とやりたくない」と真っ青になってたわね。娘の苦労がわかったかしら?


 ちなみにこの頃王太子妃殿下はご懐妊中で、儀式にはほとんどご出席なさらなかった。なので儀式にはほとんど王太子殿下がいらっしゃったのだけど、この美貌で知られる王太子殿下は初対面の時から私に塩対応だった。


 婚約のご挨拶に王宮に上がった時からだ。国王陛下や王妃様は婚約を非常に喜んで下さり、王太子妃殿下もそれはそれは優しく対応して下さったのだけど、王太子殿下だけは硬い表情で型通りの祝福を下さっただけだったのだ。


 やっぱり貧乏伯爵のしかも四女が図々しく王族入りしたのが気に入らないのかしらね? 私はそう思って少し気に病んでいたのだけど、何回か儀式でお会いしてご挨拶を交わす内に、どうもそうではなさそうだということに気が付いた。


 殿下は私と挨拶を交わす際、必ず「エルイードはどうしている?」「エルイードとは仲良くやっているか」と私の旦那様の事をしきりにお尋ねになるのである。近況を聞きたがり、相変わらず引き篭もって人形の軍隊を指揮していると言うと「仕方がない奴だ」と言いながら楽しそうにお笑いになるのだ。


 どうやらエルイード様とずいぶんお仲が宜しいらしい。私との関係は良いかと尋ねられるので、最近は少しならお話もしてくれるようになりましたよ、と言うと、殿下はなんだかずいぶんと喜んで、私への態度も段々と柔らかいものへと変わっていったのだった。


 どうやら、エルイード様が意に沿わぬ結婚を、しかも貧乏伯爵家の野心の餌食になってしまったのではないかと疑っていたのだと分かったのは、もう少し後の事だった。殿下はエルイード様の事を買っていて「あいつはさせれば運動も出来るし頭も良いのだ」とこの頃から何度も旦那様の事を褒めていたわね。このお二人は同い年で幼少時から仲が良かったのだそうだ。


 王太子殿下の誤解はつまり貴族界の共通認識に近かったのよね。つまり私は、野心を持って公爵家に嫁入りした悪妻と見られてしまったのだ。酷い話だけど、エルイード様が嫁取りに苦労しているなんて話は婚約が決まった瞬間みんな忘れてしまって、社交に出ると高位貴族令嬢から「羨ましい」なんて言われる事も多かった。いや、私よりもはるかに家柄が良い貴女が望めば普通に嫁入り出来たと思いますよ?


 勝手なもので、エルイード様とのお見合いを断ったご令嬢(一部は既に他家に嫁入りして夫人だったけど)なんかは「本来は私が公爵夫人になる筈だったのですよ」などと未練がましい事を言うのだった。ふざけた話ではあるけど、私はそういう意見はほほほ、と笑って受け流すことにしていた。今更どうにかなる話じゃないからね。


 それに私は既に次期公爵夫人で、社交に出れば女性の最上位だ。なにしろこの時期は王太子妃殿下がご懐妊中で滅多に社交にお出にならない。バミリアン公爵夫人がお出でも私は夫人代理でもあるので同格である。


 最上位の者が目下の者達の言うことに一々キレていたら王族の品を損ねてしまう。多少の事は受け流し、王族の大度を見せねばならないのだ。もちろん、皆様も身分の事は心得ていて、内心はどうあれ私の事を表面上は敬ってくれるから、多少の嫌味くらいは許してあげなければならない。


 でも、中には加減が分からない方もいた。私はある時、そういう方と一悶着を起こしてしまったのである。


  ◇◇◇


 とある侯爵令嬢、私よりも一つ年下のその方は、かなり早い段階でエルイード様との縁談が取り沙汰されたものの、エルイード様とお見合いしてすぐさま断ったのだ、という話だった。


 そのせいでゼークセルン公爵家のご機嫌を害して(度量のあるお義父様だからちょっと不機嫌になったくらいでしょうけど)しまい、そのせいで他との縁談も上手く纏まらないようだった。公爵家の威光恐るべし。私が婚約破棄なんかしたら、今頃実家は消し飛んでいた事でしょう。


 その侯爵令嬢はその事を後悔しているんだか恨んでいるんだかしているようだった。とある夜会で彼女は私のところに来て「私にもお話はあったのですけど、ご縁が繋がらなくて」などと言いつつ、本当は自分が公爵夫人になるところだったのだというような事をネチネチと私に言い募った。


 私もその頃には大概そういう話には慣れてしまっていたので、社交の微笑み仮面をかっちり被って知らん顔していたのだけど、その内に侯爵令嬢の話はエルイード様ご自身の事に飛び火し始めた。


 なんでもお見合いに行ったのに一言も口を利かず(この時はおそらくお見合いの席に引っ張り出されたのだろう)じっと下を向いて汗を流すだけ。終いには小声で何かブツブツ呟き始めて気持ち悪いったら無かった、らしい。


 太っているし格好ももっさりしているし、良い所など一つも感じられず、こんな男の所に嫁にいっても幸せになどなれっこない。そう考えた侯爵令嬢は父親に強く談判して縁談を取り消してもらったらしい。


 この時、令嬢の父の侯爵が縁談を断る時に何やら失言して、お義父様がご機嫌を損ね、侯爵家まし貴族界での地位を落としているそうなんだけどさもありなん。この娘の親ならば失言の内容は想像が付く。


 エルイード様の妻である私に向かって、彼の悪口を言いまくるというのはどういう神経なのか。私は内心怒りながら呆れ果てていた。多分公爵閣下にもエルイード様の悪口を言っちゃったんだろうね。エルイード様を可愛がっている公爵閣下がご機嫌を損ねるのも無理は無い。


 そして無神経な侯爵令嬢は更に致命的な失言をしてしまった。


「あのような方は次期公爵に相応しくありませんでしょう。あれでは国家の役には立てないではありませんか。そんな方の所にお嫁に行かなくて良かったですわ!」


 夫を侮辱されて既にかなり腹に据えかねていた私はこの発言を聞いてキレた。マジギレた。そしてここは怒っていい、いや、怒らなければならない場面だった。妻たるもの、夫の名誉は守らなければならない。公爵家の名誉まで傷付けられたなら尚更だ。


「無礼者!」


 私は遠慮容赦無く超大上段から侯爵令嬢を怒鳴りつけた。生まれてから一度だって怒鳴られた事が無いのだろう侯爵令嬢の目が点になる。


「我が夫にして次期公爵閣下であるエルイード様に対する無礼な発言、許せません! そこに直りなさい!」


「な、何を言って……」


「貴女のエルイード様に対する発言は王族への不敬の罪に当たります! 今すぐ両膝を突いて謝罪なさい!」


「な……!」


 侯爵令嬢が絶句した。両膝を突いて手を合わせ、頭を深く下げる姿勢はつまり、首を差し出す姿勢で、最大限の謝罪の仕方である。そのまま首を落とすかどうかは相手の意思に委ねますという意味があるので、全面降伏をも意味する。


 それをせよと私は命じたのだ。侯爵令嬢の罪はそれほど重いと私は思ったからである。しかし侯爵令嬢には分からなかったようだ。


「ど、どうして私が謝罪しなければなりませんの? 私は事実を言っただけではありませんか!」


 事実でも王族を誹謗中傷したら不味いのに、彼女はそれ以上にエルイード様を侮辱してしまっている。完全にアウトだ。しかしどうやら分かっていないらしい。彼女は友人と思しき令嬢や夫人にしきりに同意を求め味方にしようとしていた。考えの浅い何人かが「ええ、まぁ、そうよね。本当の話ですものね」などと同意し掛けてしまっている。


 なんと愚かな。私は頭を押さえたくなる。王国の頂点にいる王族を公衆の面前で声高に批判するなど死罪もあり得る完璧な不敬罪だ。それに同意などしたら同罪と取られてもおかしくない。私が貧乏伯爵家の四女だからと甘く見ているのだろうけど、罪は罪である。


 しかし侯爵令嬢は声高に自分の正当性を主張し、良く分かっていない何人かのご婦人がそれに同調し掛けてしまった。これは、不味いわね。このまま彼女を庇う方が増えると侯爵令嬢一人の事で話が済まなくなってしまう……。私だって公爵家とエルイード様の名誉を守るためにここは譲れないのだ。


 問題が大きくなる事を私が危惧し始めた、その時。


「衛兵! その者を牢に繋げ! 不敬罪でその者を逮捕して身分を剥奪する!」


 男性の大きな声が響いた。見ると王太子殿下が大股で歩いてこちらにやってくる所だった。


「ゼークセルン次期公爵に対する誹謗中傷、そしてその妃であるルクシーダに対する暴言、見過ごせぬ! 王太子権限で貴様を不敬罪で逮捕する!」


 エルイード様と同じ金髪に緑の瞳の王太子殿下は、その鋭い眼差しを怒りで輝かせながら、侯爵令嬢を怒鳴りつけた。


 所詮は貧乏伯爵の娘と侮っていた私になら反論出来ても、王太子殿下の叱責には反論出来ないのだろう。侯爵令嬢が愕然と立ち尽くす。騒ぎを聞き付けたか、彼女の父の侯爵が走り寄って来た。だけどもう遅い。裁定は下ってしまっている。


「で、殿下、これは何事ですか!」


「どうもこうも無いぞ侯爵! 其方の娘は不敬の罪を働いた! 断じて許せぬ! 庇えば其方も同罪になるぞ!」


 王太子殿下は衛兵に重ねて命じ、侯爵令嬢を取り押さえさせた。令嬢も侯爵も悲鳴を上げる。


「お許しください! 殿下!」


「殿下! 私が謝罪させます! ご容赦ください!」


「うるさい! 衛兵! 早く牢屋に連れて行け!」


 王太子殿下の毅然とした態度に、周囲の貴族たちは恐縮して動かず、先ほどまで同調しかけていた令嬢の友人や侯爵と近しい者たちも沈黙する。庇う者がいなくなってしまった侯爵令嬢は大騒ぎをしながら王宮の牢に引き摺られて行った。侯爵はオロオロしながら王太子殿下に縋るような目を向けた。


「で、殿下……」


「侯爵! 其方には謹慎を命ず! 別命あるまで屋敷から出る事も書簡を出す事も許さぬ! すぐに退出せよ!」


 有無を言わせぬ王太子殿下の口調に侯爵は反論を封じられた。これ以上の嘆願は逆効果である事を悟ったのだろう。侯爵は沈痛な表情で深々と頭を下げると足早に広間を退出していった。


 ……私は当事者なんだけど、王太子殿下がおいでになってからは立って見ていただけだった。口を挟む余地が無かったんだもの。名家のお嬢様を地下牢に叩き込むという苛烈な処置に私が呆然としていると、王太子殿下が私の方を振り向いた。


 私はビクッとしたのだけど、王太子殿下は一転して非常にご機嫌な表情だった。


「良くぞ言ったぞルクシーダ。それでこそ王族。ゼークセルン家の女主人だ」


 どうやら殿下は私がエルイード様の侮辱に対して激怒した事を褒めて下さっているようだ。


「王族の名誉は其方のおかげで守られた。流石はエルイードの選んだ妃だな」


 いえ、選ばれてません。とは言わない。私だってたまには空気を読む。


「これからもエルイードの事をよろしく頼むぞ」


 私は無言で頭を下げるしか無かった。


 この事件があってから、王太子殿下は私を信頼して下さるようになったのだった。王宮に上がると和やかに対応して下さるようになり、社交の時も色々お話をして下さるようになった。


 ちなみに例の侯爵令嬢だけど、一ヶ月間問答無用で牢に放り込まれた挙句、貴族身分を剥奪されて平民に落とされてしまった。おそらく平民のご家臣に嫁がされたのだと思われる。


 侯爵家は粛々と処置を受け入れたそうだ。ここで異議を唱えると、お家の取り潰しの可能性すらあったそうだから止むを得まい。王族に対する不敬の罪というのはかように重いのだ。


 著名な侯爵令嬢を平民に叩き落としてしまったことは、私への悪評の元にもなってしまったけど、同時に私の評価を上げもした。一番大きかったのは、私が自身が侮辱されても怒らなかったのに、夫であるエルイード様への侮辱に対して烈火の如く怒ったという事で、これは私が自分より夫を大事にする貞淑な妻であるという評価に繋がったのだった。


 同時に、王太子殿下の振る舞いは私が完全に王族に受け入れられた証拠だと見られ、それまでは貧乏伯爵家の娘と侮られていた面が大きかったものが、そういう見方が払拭される契機にもなった。


 そんな感じで私は色々苦労はあったものの、順調にゼークセルン公爵家の次期公妃として貴族界に受け入れられていった。王族の一員として社交に出ていれば、その地位に相応しい友人も出来てくる。儀式にも慣れ、王族席に緊張する事も無くなり、社交も楽しくなってきた。


 結婚前に思っていたよりもスムーズに王族の立場には慣れる事が出来たと言っても良いだろうね。もちろん、お義父様、国王陛下王妃様、王太子殿下ご夫妻などが優しくフォローして下さった結果である。感謝感謝だ。


 私が結婚する前に不安に思っていた事は二つあった。一つは貧乏伯爵家の四女がいきなり王族になる事への不安。こちらの不安はこのように次第に解消された。


 しかしながらもう一つ抱いていた不安の方は、一筋縄では解消しなかったのだった。こちらは本当に苦労した。


 つまりエルイード様との結婚生活に対する不安である。

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