二話

 こうして私はゼークセルン公爵家に嫁入りする事が決定したわけなんだけど、それからが大変だった。なにせ私は貧乏伯爵家の四女。社交にも碌に出ていない有様の嫁ぎ遅れ令嬢だったのだ。


 お父様もお母様も、四女である私には何の期待もしていなかった。だから教育だって最低限で、よく言えば伸び伸びと過ごさせ、悪く言えば放任していたのだ。


 そんな私だから結婚式準備のためにゼークセルン公爵邸に通うようになると、公爵家の侍女たちは私の出鱈目な所作や作法に頭を抱えてしまう事になる。ちなみに公爵家の上級使用人なんて非常に名誉な職であるから、彼ら彼女らは然るべき家出身の者たちばかりだった。ぶっちゃけ、伯爵の四女よりもいい血筋の者は沢山いるわけ。


 しかし、もう婚約は公表されてしまった。後戻りは出来ない。公爵家の使用人たちは結婚式までの半年間でなんとか私を公爵家に相応しい淑女に仕上げるべく奮闘する事になる。


 ちなみに婚約期間がわずか半年だったのは完全に私の都合だ。それ以上婚約期間が長引くと、私が二十一歳になってしまう。


 お作法の復習や所作をいちいち侍女に指摘され、修正しながら結婚式の準備を進めるのは大変だったわよ。なにしろ王国二大公爵家の一つゼークセルン家のご嫡男の結婚式だ。王族の結婚式なのだ。それはちょっと想像を絶するような規模のお式だったのだ。


 まず、当たり前かもしれないけど国王陛下、王妃様、王太子殿下、王太子妃殿下が揃って出席される。まぁ、ご親戚だものね。当然もう一つの公爵家であるバミリアン公爵家の皆様も揃って出席なさる。つまり王国の王族が勢揃いするわけだ。


 王族が勢揃いということは、上位貴族の皆様も揃って出席なさるということだ。王国において上位貴族とは、伯爵以上の貴族を意味する。家も一応伯爵家だから、一応上位貴族だけどね。一応。


 ……て、何人いるんですか上位貴族って。ご当主様、ご夫人、ご嫡男だけに限定してもまぁ、一千人くらいになっちゃうんじゃないの? 神殿に入り切るの? 心配ご無用。王都の大神殿は巨大で、儀式の時などは王族含め貴族が大集合することもあるから、ちゃんと入り切れるらしい。すごい。


 という事で、私とエルイード様の結婚式は推定一千人の方々に見守られながら行われるらしい。……簡単に言わないで欲しい。王国の貴族の皆様に「へぇ、あれがゼークセルン公爵家の嫁か」と品定めされるという事ではないか。変なお作法を晒したら「プッ」と笑われるだけならともかく、末代まで「あの公爵夫人は……」と語り継がれてしまうではないか。大変だ。


 そんなわけだから私はかなり真面目にお作法の習得に励んだわよ。それはもう特訓のレベルだったわね。朝に公爵邸に行って、真っ暗になってから帰る。時には客間に泊まったからね。


 もちろん準備はお作法の習得だけではない。一番大事なのは私的にはそれだったけど、一般的には嫁入りする前に、婚家に自分のお部屋を準備するのが最も重要な準備となる。


 つまりお部屋を選んで、私個人のお部屋の他、私とエルイード様が共用で使うリビング、ダイニング、談話室、それと大事な寝室、その他を決めて家具などを入れ、場合によっては内装なども変えるのだ。壁画が気に入らない場合は好きな画家を招いて描いてもらうといい、とかお義父様は仰ってたわね。画家に知り合いなんていないけどね。


 もちろん、家具などはギルドの職人を呼んで新たに作成してもらうのだ。出来合いや中古などとんでもない。そのデザイン、素材、使い勝手などを職人と綿密に打ち合わせるだけでも一苦労だ。しかも本来一年がかりくらいで作成する物を、半年で超特急で造ってもらうのだから大忙しなのだ。


 まぁ、私には内装だの家具だのはチンプンカンプンだったので、侍女たちにお願いして私の好みを反映したモノを注文してもらったけどね。ちなみに、お部屋はエルイード様が自室を替えたくないと仰ったらしく、今の彼の自室に近い部屋を改装して使う事になった。


 他にも私が着るウェディングドレスとお披露目で着るドレスがなぜか十着以上。これのデザインの選定、サイズ測定、仮縫いだけでも大騒ぎだ。他にも目も眩まんばかりに豪華な装飾品を選んだり、お化粧品が山になるくらい送られてきて、侍女達が私の十人並みの顔をどうにかしてマシにしようと研究したりと、色々と忙しかったのだ。私は。


 さて、肝心のエルイード様だが。一応婚約に同意をしては下さったらしい。


 というのは、エルイード様は気が弱く、お義父様が強く仰った事にはほとんど逆らわないのだそうで、お義父様が「これを逃すと結婚出来なくなる」と仰ったら承諾して下さったのだそうだ。


 だけど私は公爵邸に行けばエルイード様のところへ行ってご挨拶をするのだけど、彼はものすごく会うのを渋り、お会い出来ても私の顔を見るなり真っ赤な顔をして動けなくなって「あうあう」とか呻いている始末なのだ。


 これには困った。こうも会話が成立しないのでは結婚生活が成り立つかも怪しいではないか。それにこんな状態では、共用のお部屋を相談して整備する事など出来ようもない。


 困った私は侍女を通じて、エルイード様とコミュニケーションを取ることにした。エルイード様も侍女や侍従(これも相当長い付き合いの者に限られるようだけど)とは普通にお話ができるらしい。私は二人のお部屋をどうするのか聞いてもらった。すると、エルイード様は共用部は私の好きにしてくれ、と仰ったとの事だった。


「それと『本当に私などと結婚しても良いのか?』と気にしていらっしゃいましたよ」とフレインが言ってたけど、それは本来私のセリフだと思うのよね。


 侍女曰く、エルイード様からは私への不満は全く聞こえて来ず、逆に私を気遣う言葉ばかりであるらしい。お優しいお方である事は間違いないようだ。私はこまめに婚約者様に会いに行き、あんまり緊張させないように気をつけながら徐々に慣れてもらう作戦をとった。昔、怪我した野鳥を拾って庭師のアドバイスをもらいながら、怪我が癒えるまで世話した時の要領だ。次期公爵を野鳥扱いして悪いけども。


 そうして何ヶ月かお会いしていったら、エルイード様はようやく少し私に慣れて、硬直はしなくなってきたようだ。言葉を掛けても返そうと努力して下さるようにもなった。うんうん。良い傾向だ。


 しかし、そうこうしている間に、あっという間に結婚式が来てしまった。婚約が決まってからこの間、私たちはまともに会話も交わしていない。手も握っていない。プラトニック過ぎる。こんなんで結婚できるのかしらね。


  ◇◇◇


 王都の大神殿になんて年一度の大祭くらいでしか行った事が無かったのだけど、そこで結婚式を挙げるなんて思わなかったわよね。ちなみに私のお姉様達は、王都に沢山ある神殿の一つで結婚式をしている。普通に。


 それなのに末の妹の私がこんな盛大な結婚式を挙げるのではお姉様達が嫉妬して怒り出すのでは? と思ったのだけど、出席して下さったお姉様達はお式のあまりの規模に恐れ慄いてしまってそれどころでは無さそうだったわね。


 なにしろ、お父様お母様とお姉様とその旦那様達は新婦親族席に座ったのだけど、中央通路を挟んだ新郎親族席には公爵閣下はもちろん、国王陛下御一家が座っていらっしゃったからね。今回は王族ではなく親族としての出席なので、結婚式の主役はあくまでも新郎新婦だからと、あえて私の家族と同じ高さのお席に座られたらしい。


 それを知ったお父様お母様、お姉様達はパニックを起こしていたわよ。何しろ国王陛下から親しげにお声まで掛けて頂いたのだから。伯爵家当主のお父様でさえこれまで国王陛下と会話したことは数えるほどだったのだそうだ。それが突然「これから親族としてよろしく頼む」などと言われてしまって卒倒しかけたらしい。


 お父様お母様にも、王族に娘が嫁ぎ、自分達がその係累となるというのがどういう意味なのかがよく分かっただろう。このとんでもなさが有るが為に、エルイード様の婚約者は中々決まらなかったのだ。王族の係累になることを畏れて話を断った家も多かったのよ。けしてエルイード様の女性人気が無さ過ぎたことだけが原因ではないのですよ。


 親族席の後には上位貴族当主の座席が並び、その周囲にはその夫人やご嫡男が立ち、二階席三階席にはやや格の低いお家(でも我が家よりいいお家だったりする)の皆様が参列して下さっている。皆様華やかな格好で私達への祝意を現して下さっているので、広い大神殿に花が咲き乱れるような光景になっていた。


 その光景を私は大扉が開いたその瞬間に目にしたわけなんだけど、流石の私も一瞬固まったわよね。どんだけだ。その一千人くらいいると思われる皆様が一斉に拍手をして下さるに至っては、圧倒されて頭が真っ白になってしまった。


 しかし、この時私以上に硬直してしまった方がいた。誰あろうエルイード様だ。


 エルイード様は真っ白な燕尾服姿で私の横に立っていらした。この方は少し太っているけど背は高く、こういう見栄えのする格好をしてらっしゃると、ふむ、なかなか良い感じなのだ。いつもはふわっとした金髪も綺麗にセットされているし。


 だけどその緑色の瞳は驚愕に見開かれ、口は半開きで唇は震えているから、格好良くはなかったけどね。


 私たちはここから腕を組んで大神殿の中央を進み祭壇の前に出て、大神官様の祝福を得て婚姻を成立させなければならない。この大観衆の中を静々進み、儀式作法通りの動きで大神官様の祝福を得て、トドメには皆様に見守られながら誓いのキスをする、なんて私だって怖気付く程の難題だけど、果たして人見知りする上に臆病なエルイード様にこなせるのだろうか?


 と式が始まる前から思ってはいたんだけど、実際に大観衆を目にしたエルイード様は全く動かなくなってしまった。私が控室にやってきた時にも結構長い時間フリーズしていたし、私が手を彼の左肘に絡めただけで慌ててらしたけど、今度の硬直はそれどころでは無さそうだ。


 実際、入場曲が奏でられ、私が一歩を踏み出そうとしても、エルイード様は岩のように動かない。少し手を引っ張ってもダメだ。


「殿下、行きましょう?」


 私は小声で声を掛けたのだが、エルイード様は完全に意識が飛んでしまっていた。緑色の目の瞳孔が開き掛けているもの。ダメだこりゃ。どうしようもない。


 と、諦めるわけにはいかない。こんなところで気絶されては結婚式は台無しになり、ゼークセルン公爵家の威信は地に落ちてしまうし、何よりエルイード様の評判が暴落してしまう。妻の私だって他人事ではないだろう。


 どうにかしなければ。って言ってもねぇ……。一体どうすれば……。


 そうだ。私は少し呼吸を整え、小声で、しかしなるべく鋭く言った。


「全軍、気を付け!」


 エルイード様の身体がビクッと震えた。よし! 行けそうだわ! 私は続けて言った。


「全軍、前へ進め!」


 するとエルイード様の足がようやく動き始めた。まだ表情は飛んじゃっているから無意識なんでしょうね。


 後で聞いたけどエルイード様は幼少時から軍隊が大好きで、軍隊の訓練を見ることが殊の外お好きだったらしい。ゼークセルン公爵は将軍だし、エルイード様も当然軍人になる事を期待されていて、本人もなりたいという意向だったのだけど、あまりにも気が弱く人見知りするし、引き籠もりがちなので、これは無理だろうと公爵閣下はエルイード様を軍人にさせなかったのだそうだ。


 だけど軍隊への憧れを消せなかったエルイード様のご趣味がこじれた結果が、例の人形での軍隊遊びなのだろうね。ちなみにそれ以外にも、最新式の軍隊の装備品やら各国の軍隊の事には異常な興味を示されるとのことで、お部屋に隣接する図書室にはそういうご本が山のように積まれている。


 あと、実は運動神経はお悪くないということで、乗馬や剣術、弓術、鉄砲射撃などはかなりお上手なのだそうだ。人見知りし過ぎるので人前でご披露する事は多分一生無いのだろうけど。


 兎に角、軍隊式の号令に反射的に動かれたエルイード様を、私は腕を引きながらなんとかエスコートする。私の方も超豪奢な真っ白なウェディングドレス姿で宝石をジャラジャラ着けた挙げ句、儀式作法通りの繊細な動きをしなければならないんだからもの凄く大変だったのだ。なんとか真っ直ぐ歩いて頂いて、大神官様の前に到着する。


「控え!」


 と小声で号令してエルイード様に跪いて頂く。私もさっと膝を落とした。大神官様が進み出て祝詞を下さった。


「偉大なる大女神の名の下に、二人の結婚を祝福する。水が木々を育てるように、太陽が大地を暖めるように、二人は不可分の存在として常に助け合い、夫婦として共に歩んで行かねばならない」


 大神官様の祝詞の間にエルイード様のご様子を盗み見る。ようやく意識が戻ってきたようだけど、今度は置かれている状況を理解し始めたのか、汗を顔中に浮かべてブルブル震え出していた。でも、これなら号令は要らないと思うけどどうかしら。


 祝詞が終わると聖水とお香によるお清めを受けて、私達は立ち上がる。巫女から受け取った麦と花の束を大女神像の足下の祭壇に捧げて、跪いて誓いの言葉を声を揃えて言わなければならない。私はエルイード様を促し、捧げ物を奉納して、エルイード様を横目で見ながら「せーの」と合図をした。誓いの言葉で声が揃わないと夫婦になれないと言われているから大事なのだ。


「「私達はこれより夫婦となり、何時いかなる時も助け合って生きて行く事を誓う。いつか大女神様の御許に召される、その日まで」」


 しっかり声は揃ったわよ。エルイード様頑張った。見ると真っ赤な顔で震えていたけど。でも、この方は大事なところでは踏ん張れる方なんだわね。


 でも、これで終わりではない。結婚式のクライマックスはこれからだ。


 そう。これから私達は祭壇の端に行き、わざわざ少し高く設えられた台の上に上り、そこで一千人の大観衆に見守られる前で誓いのキスをしなければならない。どんだけだ。なんでそんな辱めを受けねばならないのか、と思うような仕打ちだけど、それが決まりなのだから仕方が無い。


 脳天気な私でさえ怖じ気づくようなこのイベントを、果たしてエルイード様がこなせるのだろうか。いや、でも、こなしてくれなければ困るのだ。私はエルイード様の腕を引いて台の方へ向かった。エルイード様はあからさまに怖じ気づいていたわよね。気持ちは分かる。私だって本音を言えば怖い。


 しかしそんなのは無視せざるを得ない。私はグイグイとエルイード様を引っ張って、階段を三段踏んで白い台に上がった。神殿の上から吊り下がる荘厳なシャンデリアが台の上を白々しく照らし出していて、まるで舞台俳優にでもなったかのような気分だった。いや、間違っていないわね。この時の私とエルイード様は間違い無く見世物だった。一千人の人の好奇に満ちた視線に晒される気分は、まぁ、やってみなければ分からないわよ。


 台の上で私はエルイード様と間近で向かい合う。見上げる位置にあるエルイード様のお顔はもう茹でたような状態で、大汗を掻いていた。緑色の目が泳いでいる。私だって大概テンパっていたけれど、このイベントを乗り越えないことには先には進めない。私は覚悟を決めてエルイード様を睨んだ。


「エルイード様! 行きますよ!」


 だが、エルイード様はパニックを起こしたように首を振り、逃げようと身体を反らしてしまう。あんまり下がると台の上から転げ落ちかねない。そんな事になったら大変だ。私は力を入れてエルイード様の背中を引き寄せながら、自分で踵を浮かせてエルイード様に顔を近付けた。でも、それでも届かない。どうしてもエルイード様に自らキスをして貰わなければどうしてもこのイベントは終わらない。


 私は小さな声で鋭く命じた。


「エルイード!」


 エルイード様がピクッと反応した。


「突撃!」


 エルイード様が反射的に顔を近付け、私はその隙を見逃さず全力でつま先を伸ばしてエルイード様の唇を奪ったのだった。歯と歯がちょっとぶつかってしまったのはご愛敬だ。


 ギリギリ成功したキスシーンを見て、大観衆が歓声と大拍手で私達を祝福した。こうして私達の結婚式は無事に、何とか、成功の内に完了したのだった。

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