第2章 マーリン

第4話 囁きの森と大賢者マーリン

「道が見えるか?」リアムは、目の前の鬱蒼とした森を見渡しながら、かろうじて囁くような声で訊ねた。木々は揺れ、ささやき、その枝は恋人たちの指のように絡み合っていた。


「待って」とアリアはつぶやき、鮮やかな緑の瞳で地面を見渡しながら、わずかな痕跡を探した。森の民族である古代エルフの継承者である彼女は、地面の模様、木々の傾き、風向きなど、自然の微細な変化を感じ取ることができた。彼女にとって、囁きの森にある生き物や植物たちのすべてがビーコンであり、その神秘的な森の奥へと導いてくれる導き手であった。


「ここよ」アリアは土の中のかすかな痕跡を指差すと、リアムは近寄ってそれを調べた。手で触るとわずかに地脈の流れのようなものを感じる。それは微妙な手がかりだったが、リアムは彼女の直感を信じた。


 リアムは青い瞳に決意を込めて、「導いてほしい。俺が君を守る」と言った。この危険な森を一緒に旅するために、彼はどんな犠牲を払ってもアリアを守るだろう。


 奥へ進むにつれて、日差しが樹木の間を通り抜けるのが難しくなってきた。影が舞い、森の静けさがリアムの心を包んでいくようだった。リアムは剣を強く握りしめ、アリアを脅かす何者かに対抗する覚悟を決めた。


「そんなに怖がらないで」アリアは小さな笑みを浮かべながら、肩越しにちらりと彼をからかった。


「怖い?いや、違うよ。ただ……集中してるだけ」


 森は静かだった。リアムは力みすぎていたかもしれない体を少し弛緩させた。


「それでいいのよ」アリアは頷きながら、視線を前方にある影の道へと戻した。


 二人は並んで歩き、歩調を合わせて歩いた。リアムは、足元に目を向け、木の幹や根っこが絡み合ったところを見、二人の足が絡めとられるのを警戒していた。一方、アリアは、森とのつながりを感じる生来の能力によって、道筋を示してリアムを導いた。


「見て」


 アリアは突然立ち止まって、前方の木々を指差した。幹がわずかに折れ曲がり、アーチのような形になって、二人を手招きしている。


「これが道?」


 たしかにそこだけよく見れば周囲とは異なり、道のように木々が整然としているように見えなくもないが、それは全体として森の中に完全に溶け込んでいる。


 アリアはリアムのほうを向き、「そうだと思う。隠れているけど、ちゃんとあるのよ。私にはわかる」と言って足を踏み出した。


「よし、行こうか」


 リアムはそう言って深呼吸をし、木々のアーチをくぐって、囁きの森の奥へと進んでいった。お互いの愛とアンダルキアを救いたいという使命感を胸に、二人は暗闇の奥へと進んでいった。


 ***


 道は曲がりくねり、囁きの森の奥深くへと続いていた。リアムは剣を握る手に力を込めた。冷たい鋼鉄は、影に潜む未知の危険に対する安心感を与えてくれる。


 リアムは、鬱蒼と茂る葉の間に動く気配がないか目を凝らしながら、「離れないで」とつぶやいた。


 アリアは「うん」と答えた。リアムが頼もしく思える。


 さらに進むと、木々の間からうなり声が響き渡り、リアムたちの背筋を凍らせた。


 茂みをかきわけて唸り声の正体が姿を現すと、その口には鋭い牙が、足にも鋭利な鉤爪が並んでいるのが見えた。


 「準備はいいか?」リアムは警告を発し、剣を握って魔獣に相対した。


 「いつでも」アリアは囁きながら、その緑の瞳を決意に輝かせ、魔法の力をいつでも呼び覚めるよう集中を高めた。


 一瞬だった。黒い魔獣が態勢をとり、次の瞬間しなやかに飛び込んできた。


 リアムの剣はビュンと空を切りながら鉤爪の一閃をはじくと、アリアの魔力が奔流となって魔獣を弾き飛ばしのけぞらせ、今度はリアムの返した刀身がそのまま魔獣を斬り裂いた。まるで何年も一緒に戦ってきたかのように、二人の動きはシンクロしていた。


 魔獣は一匹ではなかった。リアムが一匹目を斬り伏せたタイミングを見計らって横腹めがけて魔獣が飛び出してきたが、「食らいやがれ!」とリアムが叫び、刃で魔獣の首筋を薙ぎ払った。その衝撃で魔獣が横に吹っ飛ぶと、アリアの魔法が追撃してさらに浮き上がらせながら後方に吹っ飛ばし、魔獣はその体を地面にしたたかに打ち付けて、衝撃で体が粉々に砕かれる。痙攣したあと動かなくなった。


 アリアは荒い息になりながら、「やった!」と言って、倒した敵を見渡した。


「君のおかげだよ」リアムは、にっこり笑った。実際、一人では2匹も魔獣をここまで簡単に片づけられはしなかっただろう。


「こちらこそ」アリアも同じように、笑みを浮かべていた。「さ、進みましょ」


 道は穏やかではなかった。危険な道は一歩一歩進む必要があった。あるときは、岩肌に指を食い込ませながら、垂直に近い傾斜を登る必要があった。また、急流を泳いで渡ったり、濁った沼地の真ん中をアリアの感覚を頼りに歩いたりと、危険とが入り混じった道が続いた。


「道とは言うけど、とんでもないところだな。本当にこのまま進んでいいと思う?」リアムは肩で息をしながらアリアに尋ねた。


「私を信じて」とアリアは答え、彼女の声も疲れや緊張が感じられたが、自信にあふれていた。「私にはわかるの」


 困難を乗り越えるたびに、二人の絆は強くなっていった。必要な時には手を差し伸べ、迷いが生じた時には励ましの言葉をかけ、肉体的にも精神的にも支え合って道中を乗り切った。


「もう少しよ、リアム」アリアは、急な上り坂を登り切ったところで、目を輝かせながらそう言った。彼女には目的地が近いことが感覚としてはっきりわかるようだった。


「やっとだね」リアムは息をつき、胸を張って目の前に広がる道を見つめた。まだ危険な道は残っているかもしれないが、ここまで来たのだ。どんな困難が待ち受けていても、アリアと一緒に立ち向かうことができる気がした。


「進みましょう」アリアはそう言って、彼の手を握った。「私たちには、これがあるから」と言って、自分の胸の真ん中に押し当てた。リアムは力強く頷いた。決意は愛によって揺るぎないように思えた。


 ***


 森は二人の周囲に迫り、その奥に行くほど影は濃くなる。リアムの胸は高鳴り、肌に湿気がまとわりつくのがわかった。ふたりの前には重厚な石の扉が現れ、それを樫がしっかりと飲み込んでいた。


「見て」アリアは高くそびえる樫の木に刻まれた4つの複雑な彫刻に目を留めた。「強い魔力を感じる。何かの手がかりみたい」


「確かに」とリアムは同意し、幹に絡みつく奇妙なシンボルを観察した。「でも、どういう意味なんだろう?」


 そのシンボルは触れるとかすかに光り、それを通じて樫の木に魔法のエネルギーを伝えているようだった。


「一緒に考えてみようよ」アリアはそう提案し、その緑の瞳は決意に輝いていた。


 二人は彫刻を見つめながら、古代の暗号を解読するために心を躍らせた。リアムは唇を噛みしめながら、彫刻と周囲の森の間を行ったり来たりしていた。


「たぶん」と、彼は突然、小声に近い声で言った。「何かパターンがあるような気がするんだ」


「これらは」 アリアは、印に近づき、4つのシンボルを見比べながら、「おそらく四元素を表していると思うの。火・風・土・水」


 リアムは頷き、「たしかに」と指でシンボルの線をなぞった。「ところで、これは何だろう?」と言って石扉のアーチを指さした。


 「素晴らしいわ、リアム!」アリアはリアムの指さすものを確認するとに、にこやかに言った。「気づかなかった!これは古代エルフ語。私たちの言語だわ」


 アリアは静かにそれを読み取った。



 最初に、眠りし者の声が呼び覚ます、

 朝焼けに浮かび上がる、その安息は最後の鍵を解き明かす。


 次に、眼差しは空を舞う者へと向けられる、

 昼の光に照らされて、その歌は未知の旅路を示す。


 流れゆく者は初めに立つ、

 月光の下で、その涙は秘密の道を描き出す。


 燃えさかるものは三度目の挑戦を告げる、

 星々の間を縫うように、その光は禁じられた答えを照らす。


 天空の旅は四つの試練を告げ、

 月、太陽、星、そして朝の光、

 その順序こそが、謎を解き明かす鍵となる。



「何を言ってるかわからない!」リアムは頭を掻きむしった。


「最初なのに最後。三度目の挑戦……」アリアは詩を反芻していた。「これは最後に言っている通り謎かけだわ。順番を言っているのだと思う」


「月、太陽、星……」アリアは詩の内容を考えながら、水、風、火、土の順番でシンボルを押した。すると石の扉は地響きを立てながら自ら動いて道を開いた。


「やった!アリア、君はすごいね」リアムは小躍りしてアリアの手を取り、その白い肌に思わずキスをした。


 ***


「またか......」とリアムはつぶやきながら、暗号のような文字が書かれた巨大な石板を見上げる。石の通路は少し進むと行きどまり、そこにはまた扉が現れた。近くには巨大な石板が置かれている。


 アリアは目を細めながら、「見てみましょうか」と言った。「これはエルフの謎解きだと思う」


「解けそう?」リアムは期待に胸を躍らせながら、こう尋ねた。


「もちろん、できます」アリアは自信満々に答え、エルフ文字に目を走らせた。「ちょっと待ってて」



 我は全ての生物に共通するもので、皆が我を持っているが、同時に我を与えてしまう。我とは何であるか。賢明なるエルフよ、我の名を扉に向かって叫ぶのだ。



 リアムはアリアが読み上げた内容に頭をひねった。アリアは眉をひそめ、石碑をじっと見つめた。リアムも彼女と同じく謎を解き明かそうと真剣に考え込んでいた。


「これは……何かを象徴しているような……」リアムは口を開きつつも、言葉に詰まってしまった。彼の瞳は迷いと焦りで濁っていた。


 しかしアリアは、静かに目を閉じ、深呼吸をした。そして何かを感じ取ったようにゆっくりと目を開き、再び石碑を見つめた。


「リアム、答えはたぶん……」彼女の声は空間に少しこだましてリアムの耳に届いた。「答えはたぶん命よ。全ての生物が持っている。生物は生きるために命を使う、同時に命を与えることもある」


 リアムはしばし黙ってアリアを見つめ、その言葉を理解するとゆっくりと頷いた。「なるほど、命か。アリア、君は素晴らしいよ」


 アリアがエルフ語で「命!」と扉に叫んだ瞬間、石碑が反応するように光で包まれ、扉が動き、道が新たに開けた。先へ進む道が現れたのだ。アリアはリアムに微笑んで、ふたりは新たな道を進み始めた。


 ***


「この道はどこに続いているんだ?」リアムは、一見同じように見える木から木へと視線を移しながら尋ねた。囁きの森は不気味なほど静まり返り、彼らの足音と木々のせせらぐような音だけが流れていた。


 アリアは意識を集中させながら、「よくわからない」と答えた。「今、森は私たちに道を隠そうとしている。流れが掴みづらくされている」


 リアムはアリアの手を取り、「一緒に探そう」と言った。その指先からリアムの脈拍の鼓動を感じ取り、アリアは勇気づけられた。


 アリアは、2本の樫の木の間にある、ほとんど目立たない隙間に向かって、「こっちに行ってみましょう」と提案した。森の奥に進むにつれて、木々の影が濃くなり、まるで木々がその先にあるものを隠そうとしているかのようだった。


 「本当にこの方向でいいと思う?」リアムは見回しながら心配そうに尋ねた。


 しかしアリアにはわかっていた。土のかすかな模様、枝の角度、葉を伝う風のささやきなど、彼女にしか見えない微妙な手がかりに目を凝らしながら、「私を信じて」と彼女は答えた。


 「もちろん信じてる」リアムはそう言って、彼女の手を強く握りしめ、その信頼をアリアに伝えた。


 囁きの森の中では、時間は意味をなさないように思えた。もう長い時間同じところを回っているようにも感じられたし、最初からほとんど時間がたってないようにも思われた。空は木々で隠されていたが、森はつねに真昼のように光が満ちていて、風がそよいでいた。時は止まってはいないように思えたが、流れているようにも思えない不思議な感覚に包まれていた。こうした雰囲気はそこに踏み入れた者を不安にするが、アリアのエルフの感覚とリアムの不屈の精神が、二人を隠された道へと導いていた。


 「見て!」。アリアは、前方の木々の切れ目を指差して叫んだ。「ようやくまた道がはっきりしたわ」


 リアムは目を細め、道らしきものを見つけようとした。「俺には何も見えない」


 「直感を信じて、リアム」アリアは彼を励まし、その明るい緑の瞳は自信に満ちていた。「目を閉じてみて」アリアは優しく語りかけた。


 深呼吸をしたリアムは目を閉じ、静かな森の音に耳を傾けた。そして再び目を開けると、まるで最初からそこにあったかのように、道ははっきりと見えていた。


 「すごい!アリア、俺にも見える」リアムは驚きを隠さない。


 やがてリアムとアリアは、森の中の小高い丘の上に立つ塔にたどり着いた。まるで森の一部であるかのように周囲の自然に溶け込み、木々のように蔦で覆われ、木々に囲まれてそびえ立ち、その石壁のところどころから木々が枝のように突き出している。


「これは......?」リアムは、その超自然的な雰囲気に畏敬の念で目を見開き、言葉を失った。


「おそらく、マーリンがここにいるわ」とアリアは言った。彼女の声も上気しており、興奮していることが分かった。「ついにたどり着いた」


 その堂々たる建造物に近づくと、扉はギシギシと音を立ててゆっくりと開き、まるで中に誘うかのようだった。リーアムは一瞬、躊躇した。しかし、アリアがそばにいれば、どんな困難にも立ち向かえるだろうと思った。


 不安な気持ちを抱えながらも、リアムはしっかりとした声で「準備はいい?」と問いかけた。


 「いつでも」とアリアは答え、彼の手をしっかりと握った。


 二人は未知の世界に足を踏み入れ、目の前に広がる運命にいよいよ立ち向かおうとしていた。


 ***


 リアムとアリアが敷居をまたいだ瞬間、塔の隅々から放たれるような暖かな黄金の光に包まれた。二人は突然の明るさに目を瞬かせ、その変化に目を慣らした。


「待っておったぞ、若者たちよ」マーリンの上機嫌な声が空間に響き渡り、リアムの胸は高鳴った。「ここまでの旅が困難であったことは承知しているが、試す必要があった。ここにいるということは君たちは無事試練を乗り越えたのだ。それが証明するのは、君たちがこの世界を救うにふさわしい『運命』を持っているということだ。さあ、一緒に世界を救う準備をしよう」


「すごい!」リアムは目の前に展開されている魔法に畏敬の念を込めて目を見開き、塔の上へと誘う螺旋階段を見上げた。


「行こう!」リアムはアリアの手を握って、階段を上り始めた。一歩一歩進むたびに達成感と、決意とが入交じり、彼を奮い立たせていた。


 最上階に到着したとき、リアムは目の前の光景に息をのんだ。天井は透明で、頭上にはどこまでも広がる星々が瞬いている。周囲の景色は無限に広がっているようで、息を呑むようなパノラマに、リアムは感嘆の声を上げた。そこからは穏やかな弧を描く地平線の向こうまで見渡せた。


「ようこそ」マーリンはふたりが来るのがわかっているようにそこで待ち構えていた。彼は、まるでおとぎ話の中にいる古代の占星術師のように、二人の前に姿を現した。長い白髭に縁取られた鋭い青い瞳はウィットに満ち、使い込まれた年代物の杖に寄りかかっている。


「マーリン」とリアムは声を出した。「私たちは、あなたの導きを求めてやってきました」


「そのとおり!」とマーリンは手を振りながら笑いかけ、確かめるように頷いた。「私はおまえさんたちが望んでいるものを与えよう。しかし、その前に学んだことを教えてほしい」


 リアムはアリアに目をやると、アリアは励ますように頷いた。彼は深呼吸をして、考えを整理した。「私たちは、お互いを信頼することを学びました」リアムは道中の困難を思い出した。


「恐怖に立ち向かい、お互いの長所を信頼することを学んできました」リアムは付け加えた。「今ならたとえすべてを失ったと思われたときでも、アリアを信頼できると思います」


 マーリンは目を輝かせながら、「よくやった」と褒め称えた。「そのような教訓は、この先も大いに役立つだろう」


「この先……」アリアは心配そうに眉をひそめた。


「世界を救うのは簡単なことではない」マーリンは真剣な口調で答えた。「大きな勇気と強さ、そして知恵が必要だ。それも1人では困難だ。仲間を集める必要があるだろう。本当に信頼できる……仲間だ。それは容易なことではない。しかし、私はおまえさんら2人を信じている」


 リアムはマーリンが素直に期待を寄せてくれていることを知り、「ありがとう」とお辞儀をした。そして、マーリンの導きなしには、ここまで来られなかったとも感じた。


 マーリンは、「始めよう」と宣言し、目の前の空中に光の球体を出現させた。「おまえさんたちに危機について知ってもらう必要がある。そのうえで、共にアルダキアを救おう」球体は静かに光を増し始めた……。


 ***


リアムとアリアは頭上に浮かぶ光り輝く球体を見つめた。その光は変幻自在で、一瞬で色と形を変える。時には淡い青色に輝き、水面に反射する月の光のように見え、次の瞬間には鮮やかな緑色に変わり、深い森の中の光を思わせる。


球体は静かに輪郭を揺らしながら、リアムとアリアの上を静かに漂っていた。その存在は神秘的で、その動きは優雅で、空気の流れに乗って舞う綿毛のようでもあった。


「リアム、見て……」アリアの声は小さく、しかし感嘆に満ちていた。


「座りたまえ」マーリンは手招きして、複雑な彫刻が施された木製の椅子を指差した。「リアム、アルダキアを救う君の役割は、想像以上に重要だ」


「でも、俺は……どうしたらいいんだろう?つまり、俺に何ができるのでしょうか?」とリアムはとまどいを隠さない。


「マラカーは、この地に静かに苦しみをもたらしはじめている」とマーリンは説明し、その目は悲しみで暗くなった。


「闇の魔術師マラカーはこの世界を静かに震わせている。彼の名前は囁かれ、その度に人々の心は不安と恐怖で冷たくなる。マラカーは世界を自身の野望に従わせようとしている。彼の力は確かで、その影響力は増すばかりだ」


光球に暗い影が映り、広がり始めた。


「彼がこの世にもたらす恐怖は、まるで長い冬の夜のようだ。太陽が全く昇らず、星も見えず、ただ闇だけが広がることになるだろう。彼の存在が引き起こす恐怖は、この世界の全ての生命を覆い隠す。生きることの喜び、愛情、希望……それら全てが彼の影に覆われ、消えていく。マラカーはそうしたものを奪い取り、自らの糧とするからだ」


光球に映し出されたマラカーのビジョンは雷鳴とともにあらゆるものを奪い去っていく。


「マラカーの魔術は、人々の心を蝕む。彼が手に入れた力を見せつけることで、人々は彼に従わざるを得なくなる。彼は人々を恐怖によって操り、自身の思うがままにする」


「そして彼がもたらす最大の恐怖は、彼自身だ。その存在が世界を覆い尽くし、彼がこの世界を支配する日が近いという現実だ。マラカーの影が広がり、闇がこの世界を覆いつくすその日は、確実に近づいている」


光球は闇に包まれ静かに沈黙した。


「しかし、マラカーの存在を人々はまだはっきりと知りません」とリアムは言った。アリアも頷いた。


「そのとおりだ」マーリンは身を乗り出すと老いた目を細めた。 「それにはいくつかの理由がある」


「一つ目は、マラカーが自身の恐怖をうまく隠蔽しているからだ。彼の存在は伝承と噂の域を出ない。だが、それは彼の力が架空のものであるという意味ではない。それはただ、彼がまだ自分のカードを明かしていないだけといえる」


マーリンはリアムとアリアの反応を確かめると、引き続き語り続けた。「二つ目の理由は、人々の誤解だ。マラカーの本当の力は、彼らが想像できる範囲を遥かに超えている。だが、彼らはそのことを知らない。彼の力は未だ全てが明らかになっておらず、そのため、人々は彼の真の脅威を過小評価している」


彼は手を組み直し、静かに語った。「三つ目は、人々の望みだ。人は常に平穏を求めるもの。彼らは恐怖から目を背け、真実を無視したがる。マラカーの存在を認めるということは、それだけで彼らの平穏な生活を脅かすものだからだよ」


最後に、マーリンは厳しく付け加えた。「そして四つ目、それが最も単純で、最も危険な理由だが、彼らはただ知らないのだ。あるいは知っていてもそれを直視することがない。マラカーの力が彼らの生活にまだ直接影響を及ぼしていないため、それを無視することができるのだ。だが、それが顕在化する時、彼らは驚き、そして絶望するだろう。そしてその時は一瞬だ。彼らは対処することができないだろう」


リアムとアリアの顔に浮かんだ疑問の表情をマーリンは見逃さなかった。彼は椅子に深く身を沈め、顔に苦々しい表情が浮かべた。


「おまえさんらは、わしがどうやってマラカーの存在を知ったのかと尋ねているのかもしれないね?」彼は古老の顔を上げ、ふたりを見つめた。「当然の疑問だが、それは一筋縄ではいかない話だよ」


彼は二人から視線を外し、斜め上を見上げながら、自嘲するような笑いを漏らした。「賢者としての力が、すべてを見通す眼を持つことを意味すると思っているのか?そうではない。我々賢者もまた、知識を求め、予知を追い求め、そして真実を解き明かすために戦う者たちだ」


「それに、マラカーの存在については……」彼の声はほんの少し低くなった。「わしが彼を知ったのは、彼の魔術がこの世界に及ぼした微細な影響からだ。彼の暗黒の力が作り出した不自然な揺らぎを感じ取った。その揺らぎは、この世界の自然のリズム、調和を乱していたのだ」


マーリンは深く息を吸い込んだ。「それは微細で、しかも非常に巧妙に隠された揺らぎだった。ほとんどの者には感じ取ることのできない揺らぎだが、わしはそれを見つけ出し、それがマラカーの仕業だと理解した。彼の力が、この世界に深刻な影響を及ぼそうとしていることを悟ったのだ」


マーリンの目がふたりに鋭く注がれ、静かに言った。「だからこそ、おまえらに託すのだ。マラカーを止めるためには、おまえらの力が必要なのだ。」


リアムは戸惑った。「おっしゃることはなんとなくわかりますが、それではマラカーとはあまりに……よくわからない、まるでのように思えます」


「そのとおりだ」マーリンは目を爛々と輝かせた。「実際のところ、マラカーが男であるのか女であるのか、人間であるのか、エルフであるのか、あるいは何か別の存在であるのかまだほとんどわからない。それは魔術を使うから魔術師と考えられているが、正体は分からん」


そして、アリアに向き直った。「お嬢ちゃんのほうがマラカーについて知っているんじゃないかね?」


アリアは深く息を吸った。その憂鬱な表情にリアムは心を痛めたが、口を開くと、その言葉は押し黙った強さに満ちていた。


「私の村……」彼女は一瞬言葉を失ったように見えたが、すぐに再び言葉を紡ぎ始めた。「それは、見る者の心を凍りつかせるような光景だった。マラカーの軍勢が通り過ぎた後に残ったものは、ただの焼け野原だけだった。」


彼女の瞳は遠くを見つめているようだった。「私たちの家は、夜の明ける前に一つ残らず焼き尽くされていました。人々は、マラカーの軍勢の力の前に無力で、絶望的な叫び声が空を裂いた。マラカーの恐怖が、それまで平和だった村を一夜にして死の地へと変えてしまったのだ。」


アリアは沈黙し、彼女の声は震えていた。「彼が通り過ぎた後、何もかもが灰になった。かつて生活があった証、生きていた証すらも、すべてが奪われた。私の故郷は、彼の冷酷な力によって、ただの過去の記憶となってしまったようでした」


彼女の話はここで止まった。その頬からは涙が静かに流れ落ち、彼女は自ら拭った。「だからこそ、私はマラカーを止めなければならない。彼が他の村、他の町、他の人々に同じことをさせないために。」


「闇の軍勢……」マーリンはため息をついて言った。「マラカーは確かに恐ろしい存在だが、彼一人だけでこの世界を脅かすほどの力は持っておらん。そうであれば彼は今頃とっくに姿を現し、その力を振るって世界を亡ぼしていたであろう」


彼は杖を握りしめ、眉間に深い皺を刻みながら話し続けた。「しかし、彼が持つ真の力は、マラカーを盲目的に崇拝する信奉者たちじゃ。彼らは、マラカーの言葉に従い、彼の命令を遂行する。闇の魔法を学び、それを使い、悪意と破壊の道具となる」


「マラカーの軍勢は闇の魔法を用いて悪しき行いを行い、人々を恐怖に陥れる。そして何より、彼らはマラカーの名のもとに、力と統制を求めて無慈悲に他者を虐げる」彼は語気を強め、リアムとアリアの顔を見つめた。「だからこそ、わしらは一瞬たりとも油断できない。闇の軍勢がいつ我々に襲い掛かるか、それは決して予測できない。我々は常に用心し、常に準備を整えなければならん」


マーリンの厳しい言葉に、リアムとアリアは互いに視線を交わし、それぞれの心に固い決意を新たにした。


「リアム、おまえさんには彼の圧制を終わらせるのに必要な力と勇気がある。その鍵は、アルダキアのクリスタルの中にある」マーリンは続けた。


「クリスタル?」アリアは好奇心を刺激され、問い直した。


「そのとおり」マーリンは敬虔な口調で答えた。「アルダキアのクリスタルは、比類ない力を秘めた古代のアーティファクトだ。この世界の心臓だとも言われている」


「もっと詳しく教えてください」と、リアムは身を乗り出した。


「よろしい」マーリンは杖を振って、浮遊する球体にクリスタルについて描かれた古文書の画像を作り出し、彼らの目の前に浮かべた。「この書物によると、クリスタルは人の拳ほどの大きさで、完全な球体のような形をしているとされている。その表面は、何千もの小さなファセットでできていて、想像できる限りの色で光を屈折させて虹色に輝くという」


「きっととてもきれい」とアリアは息をつきながら、その幽玄な映像に魅了された。


マーリンは、「このクリスタルには、単なる美しさ以上のものがある」と警告し、その表情は沈痛さを増した。「このクリスタルには魔法が込められており、使う人の意図によって、どんな使い方もできるという。とにかく非常に強力な魔法具であり、使い方を間違えれば、この世界をバラバラにしてしまうかもしれない」


「つまり、マラカーより先に見つけなければならない」とリアムは気づいた。


「そのとおりだ」マーリンは肯定した。「しかし、この先は危険と隣り合わせだから覚悟しておけ。クリスタルは古代の魔法で保護されており、囁きの森のここよりさらに危険な深みに隠されている」。


 アリアはリアムの手を強く握り、「それを手に入れて見せます」と誓った。「アリアと一緒に立ち向かいます」


 マーリンは、唇の端に笑みを浮かべながら、「その意気じゃ」と答えた。「さあ、旅立ちの時だ。友よ、忘れるな。互いを信じ、自分の力を信じ、そして何よりも、君たちを待ち受ける大きな運命を信じるのだ」


***


 リアムはマーリンの古びた木のテーブルに広げられた地図を眺め、複雑な線と印に目を凝らし、アリアは自分たちの物資を確認した。涼しい塔の空気は、古い羊皮紙や魔法のハーブの香りと混ざり合いながら、彼らの前を通り過ぎた。


「ここだ」マーリンは、びっしりと書かれた地図の一点を指差して言った。「クリスタルは囁きの森の奥に隠されているようだ」と。


「この地図は信用できるのだろうか?」リアムは、指で曲がりくねった道をなぞりながら尋ねた。囁きの森のような魔法やギミックの多い場所で地図があてになるか不安になった。普通の森でも草木がすぐ生い茂り、地形が全く違ってしまうことさえあるというのに。


「今のところは……としか言いようがないじゃろう」マーリンは、青い瞳を知恵で輝かせながら、こう答えた。「どちらにせよ森は常に変化しているから、直感を頼りにする必要があるじゃろうて」


 アリアは緑の瞳で決意を固め、近づいてきた。「準備は?街に戻る必要があるかしら?」


 マーリンは、壁に並んだ武器を指差しながら、「おまえさんたちは幸運だ。私は武器のコレクターでもあるし、魔法のポーションや非常食はたくさんある」と笑った。「好きな武器があったらどれでも持って行っていいよ」


 「ありがとう、マーリン」アリアは感謝の気持ちを込めて、銀色の弓と矢筒を選んだ。「いいものを選んだね。それはリムタールの弓だ。その魔力に気づいていたのかな」マーリンはとっておきだという顔をした。


 リアムは剣をいくつか壁から取り外して握っていたが、迷っているようだった。マーリンはにこやかに言った。「おまえさんの剣は、おまえさん自身のアリアへの想いと強い結びつきをもっている。わしなら、その絆を引き出し、その力を増幅させることができると思うが?」


 「本当に?それはうれしい」リアムは剣の柄を強く握りしめたあと、マーリンに剣を差し出した。


 「もちろんじゃ」とマーリンは答え、刃の上に手を伸ばした。マーリンの手のひらから暖かい光が発せられ、剣は輝くような光で満たされた。「この聖なる光が、二人の旅を守ってくれますように」


 リアムは、魔法を受けて輝くようになった剣に驚きを隠せず、「ありがとうございます」と感謝した。


「若者たちよ、忘れるな」


 マーリンの声は、厳粛でありながら励ましに満ちていた。わしは物理的についていくことはできないが、魔法によって、遠くからでもわしは、精神的にはおまえさんたちたちと共にある。自分たちを信じ、お互いを信じなさい」


 アリアは決意を込めた声で「ありがとう、マーリン」と言った。リアムは、感謝の気持ちで胸がいっぱいになり、頷いた。


 「さあ、運命を全うするときだ」マーリンは、誇らしげな眼差しでこう言った。「アルダキアのクリスタルを見つけ、マラカーの暴虐からこの世界を救う運命を成就させるのだ」


 賢者を最後に見つめ、旅の支度を整えたリアムとアリアは囁きの森のさらに奥へと歩みを進めるだろう。その心は愛で結ばれ、決意は揺るがない。どんな困難が待ち受けていても、二人は共に立ち向かい、邪魔するものは何もないように思えた。

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