断片:6 (その2)
「まず第一に、君はメアリーアンじゃない」
「……」
「恐らく、メアリーアンという女性は元々この世には存在しない。王都にもいなかったし、戦略科学研究所に籍をおいていた経歴も、勿論ない」
「じゃ、私は誰?」
「君は否定するだろうが……君はイゼルキュロスだ。それが事実だ」
嘘だ。
そんなの嘘に決まっている。どうにかして否定しないと……そう思ったけれど、私は何も言えずに押し黙ってしまった。
アシュレーはそんな私に構わずに、先を続けた。
「第二に、君の言う『戦争』はとっくに終結している」
「……」
「国境線もすでに確定している。戦科研で研究、開発された兵器の幾つかは、結局研究段階のまま完成には至らず、実戦にも投入されなかった」
「……」
「そこで、今一度君に質問する。君のいうイゼルキュロスは、今どこにいる?」
私は……唇を噛んだまま、苦しげに回答した。
「それは……あの人は、戦場に」
「戦争が続いていれば、確かにそうなるはずだった。攻性生物〈イゼルキュロス〉は戦場に投入され、実戦テストが行われる予定だった。もしかしたらゆくゆくは量産され、本格的に配備されていたかも知れない。……が、その前に戦争は終わった。戦争後の両国間の協定で、そういうたぐいの兵器の開発、製造は禁止され、〈イゼルキュロス〉も結果的に廃棄処分にされる事になった……つまり、君の事だが」
「……」
「君は人間じゃない。人間のDNAをベースに、人間に近しい外見と、人間から遠く離れた卓越した運動能力・殺傷能力を併せ持つべく開発された、兵器――攻性生物なんだよ」
「嘘よ」
「嘘じゃないだろ。君は実際、人間じゃない。ロブスターは美味しかったか?」
「美味しかった」
「けど君の身体は、そいつを拒絶したぞ」
「……」
「第三に」
「まだあるの?」
「まだあるとも。第三に、何より否定できない証拠として、俺は過去に〈イゼルキュロス〉としての君に接触し、捕獲に失敗している」
「何ですって? ……ちょっと待って、じゃああのとき列車で……」
「ずっと一緒に旅をしてきた友達だ、って言ったろう? ある意味、そいつは嘘じゃない。実際俺は王都からずっと君を追跡してきて、今こうやってようやく追いつめたんだからな。これまで散々な目に遭わされてきた相手だ。俺にしてみれば君の事はどうにも忘れようがなかったが、君の方はすっかり忘れてしまっていた」
「……」
「何があったのかは知らないが、君の記憶は欠落していた。俺の事も忘れていたし、自分が〈イゼルキュロス〉だった事も忘れちまっている。メアリーアンの件は……よくわからんが、多分潜伏用にでっち上げた偽名を、そのまま自分の名前だって信じ込んでしまったんだろうな、きっと」
……なんて事だ。
私は呆然としたまま何も言い返せなかった。何も言い返せないまま、その場にへたり込んでしまった。
「……私、一体どうなるの」
「捕獲して、王都に連れ戻す」
「廃棄処分って言ったじゃない。だったら私、殺されるってこと……!?」
「決定は確かに廃棄処分だが、実際の実験体の処遇はまだ議会でも紛糾したまま結論が出ていない。国際法に触れるきわどい実験を色々やってたってのが明るみに出て、戦科研はすっかり悪者さ。……まぁ問答無用で抹殺するのも人道的とは言えないから、多分どこか郊外の施設で、穏やかに余生を過ごす事になるだろう」
「余生」
「君はもう長くないだろう。見ていればそのくらいは察しが付く……イゼルキュロスは、試作体としては失敗作だったのかも知れないな」
「……」
「まぁ過去の君と、俺との間には色々あったけれど、俺はそいつに関しては不問にしておくよ。どのみち俺は、通常の武器で君が殺害出来るとも思っていないしな。大人しく同行してくれるなら、それが一番いい」
黒服の男達は納得いかなさそうな表情だったが、殺害ではなく捕獲があくまでも任務だというのは確かなようだった。どうあっても私をこの場で射殺する、という雰囲気でもなさそうだった。
「荷物をまとめろよ」
私は自分の考えもろくにまとまらぬままに……ふらふらと、アシュレーの言うがままにのろのろと立ち上がった。
その時、ふと目に止まったのだ。
私が長い長い旅の間……この地までずっといっしょに持ち運んできた、例のスーツケース。この部屋に持ち込んだきり、ずっと部屋の片隅に置かれたまま、ほとんど触ってもいなかった。
考えてみたが、その中身が何なのか、思い出せなかった。
馬鹿な。そんな事があるだろうか。
しかし今の話の通りだと、私は逃避行を続けていたことになる。普通の旅行者を装う必要があったとしても、それでも逃げるには随分と大荷物過ぎやしないだろうか。しかも……。
しかも、これをアパートに来てから、開けた記憶がない。
開けた記憶が欠落しているのか、それとも本当に開けた事が無いのか。
男達が、私の動向を黙って見守っている。何も手出ししないし、口も挟まないけれど、おかしな行動をしないように目を光らせているのが、何となく気配で分かる。
私はそんな監視の視線の中、よろよろとスーツケースに近づいた。
床に無造作に横たえられたそのスーツケースの前に、へたり込むようにして腰を下ろす。そんな私に、アシュレーが声をかける。
「おい、どうするつもりだ?」
私はその声を無視するようにして、スーツケースの留め金に手をかけた。
バチン、とやたら大きな音がした。
私はそのまま、よろけながらも何とかケースのふたを押し開ける。中に入っていたものを見やって、私は小さく息を呑んだ。
いや……。
私だけではない。後ろにいる男達も、やはり息を呑んだのがかすかに耳に入った。
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