4、紅茶とスコーンとお絵描きと、あなたと
シルフリット殿下がノートをめくる。
「あっ」
そのノートは、そういえば拾い物で。
持ち主を探すのを忘れていて。たぶん、場所的に殿下のものかもしれないわけで。
あと、変なおじさまの声がするあやしいノートで……!
私はあわてて起き上がり、ベッドの外に出ようとしてバランスを崩した。
「きゃ!」
「エヴァンジェリン!」
シルフリット殿下がサッと駆け寄って体を支えてくれる。
今日も推しが優しい!! 鼻血が出てしまいそう。
私はグッと息をつめて、「我慢して!」と体に言い聞かせた。
言い聞かせて止まるものなのかはわからないけど、鼻血は出なかった。
セーフ!
「大丈夫かい。君が何を描いているか気になってしまったのだけど、断りなく中身を見たのはデリカシーに欠ける行為だったね。……謝るよ」
なんとシルフリット殿下、私に申し訳なさそうに謝ってくださる。
「ごめんね、エヴァンジェリン。実は、このノートは父に頼んで借りてきた特別なノートなんだ」
「ええっ……拾いものの持ち主を探そうともしないで絵を描いてしまい、も、も、申し訳ありません!」
「ううん、君が謝る必要はないんだ」
シルフリット殿下はそう言って、「ざまぁノート」という名前と、その効果を教えてくれた。
「この国がつくられたころに、偉大な魔法使いが開発したアイテムらしい。悪意ある者をあぶりだしたり、
『かけー、かけー』
ノートが渋い声で構ってほしそうにしている。声にちょっと元気がない。
「殿下、ノートのおじさまの声が聞こえますか? あのう、かけー、としか言わなくなってしまっています。だんだん疲れてきているような気配です」
「むむ。魔力切れだろうか。
充魔というのは、前世でいう充電みたいなイメージだ。魔法のアイテムにこめられた魔力を補充しないと、動きが悪くなってしまうのだ。
「ノートのおじさま、疲れてしまわれたのですね」
『か……けー……』
あっ、今にも魔力が切れてしまいそう?
「このノートは、使ったあとはこうする……『ありがとう、おつかれさま』」
シルフリット殿下は私が絵を描いたページを丁寧に慎重にノートから外して、ノートを撫でて魔力をこめた。すると、ノートはプルプルと震えて、失ったページをニョキッと生やして静かになった。
「喋るノートは気持ち悪くなかったかい? ごめんね」
「おじさまの声は魔法使いさんのお声だったのでしょうか。低くて渋くて格好良いお声ですよね。私、実は気に入っていました」
「ノートの声が格好良い? ……そうか」
シルフリット殿下は少し考える顔をしてから、「んんっ」と咳払いをした。そして、いつもより低い声を出した。
「あー、あー。ひ、低い声が好みなら、私も出せるよう練習してみようか」
「殿下!? 無理をなさったら、喉を痛めてしまいますよ、いけません。私、殿下のお声もとても好きです」
慌てて言うと、シルフリット殿下は陽だまりのように綺麗に微笑んだ。嬉しそうだ。
「エヴァンジェリンが描いた絵は、芸術品だ。これは見ているだけで心が癒される。私はとても好きだな」
シルフリット殿下はそう言って、「君を疑い、試したことを許してほしい」と頭をさげてくれた。
「い、いえいえいえいえ。私、幸せです。もう悔いはありません。よい人生でした」
「死ぬみたいに言わないでくれ、胸が痛むよ。体調はどうなのかな。失礼……熱はないみたいだね」
ベッドに寝かせてくれて、ぺたりと額に手が当てられる。
「どきどきします」
「大変だ。すぐにお医者様を! 動悸がするらしい」
そういう「どきどき」ではないのですが、殿下。
心配してくれる瞳が優しくて、私は言おうとした言葉をひっこめてもじもじとした。
* * *
シルフリット殿下は、その日から毎日、私の見舞いに訪れた。
雨の日も、風の日も、王都にドラゴンが飛んできた日も。
「私、もう元気です」
「それはよかった」
「ですから、お見舞いはいらないのです」
「うん、うん、そうだね」
お見舞いが必要ないというと、殿下は喜んでくださった。
そして、今度は「君の絵が見たい」と言って会いにくるようになった。
上質な画材と真っ白なノートと王城の料理長に焼いてもらったというスコーンを手土産に。
紅茶を優雅に味わいながら、私のお絵描きを見守るのだ。
「和むなぁ」
木漏れ日のように美しく穏やかに微笑んで、絵を褒めてくれるのだ。
「これは、リスさんかな? 可愛いね」
「とっても強いドラゴンです」
「こちらは、ふふっ、私と君の幸せな将来像かな?」
「……ティーポットとティーカップです」
他愛ない会話は、楽しい。
推しが楽しそうに笑ってくれるのだ。幸せだ。
「幸せ……」
思わずポツリとつぶやくと、シルフリット殿下はかるく眼を見開いた。
「エヴァンジェリン。今なんて?」
私の指先に、殿下の指がそっと絡められる。
長い指には、剣の鍛錬のあとがある。男性らしい指だ。
甘い痺れが、じぃん……と指先から広がっていく。
推しというより、異性として意識して、どきどきする。
触れ合う指先が、
心臓が落ち着かなくて、泣いてしまいそう。こんな風に触れ合える日が来るなんて。
「私といる時間は、幸せかい? そう思ってくれるのかい?」
私に向けられる大好きな殿下の表情は、真夏の太陽より眩しい特上の笑顔だ。
至高の美貌が近距離で輝きを放っている。まぶしい。
「は、はい。それはもう。それはもう」
もう、もうと繰り返していると、自分が牛さんになってしまいそう。恥ずかしい。もう。
頬を赤く染めて恥じらう私をどう解釈したのか、殿下は長いまつげを照れたように伏せた。
「では、婚約は継続でいい?」
「えっ」
甘くて蕩けてしまいそうになる魅惑の美声で、殿下は吐息混じりに告げた。
「私も、君といる時間が好きだよ」
好きだよ。
好きだよ。
好きだよ……。
(きゃあああああああああっ!!)
殿下、その表情と声とセリフのコンボは破壊力が最強です!!
あと、手がずっと握られていて、どうしよう。昇天してしまいそう。
手をはなして。いいえ、はなさないで。この時間、まさに至福……。
「エヴァンジェリン、今度パーティがあるのは知っているかな」
「は、はい」
それはもちろん知っている。
王国の繁栄を祝う祝宴で、小説の断罪イベントの舞台だもの。
頷く私に、シルフリット殿下は可愛らしいプレゼントボックスを渡してくれた。
「わ、あ……っ」
包まれていたのは、シルフリット殿下の瞳の色を連想させるアメシストのイヤリングだった。
「私の色を身に着けた婚約者をパーティでエスコートしたいのだが、いかがだろうか?」
まるで夢をみているよう。
ああ、でもそのパーティ、断罪イベントの舞台でもあるパーティなのだけど、大丈夫……?
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