3、王子シルフリットの困惑
王子シルフリットは困惑していた。
婚約者エヴァンジェリンが、変わったのだ。
前は他の令嬢にマウントを取りまくったり、ワガママを言ったり、毒々しい濃い色合いの化粧や視線を向けるのも
多忙を理由に断っても、シルフリットの都合を無視して訪ねてきたのに。
「殿下、エヴァンジェリン嬢が別人のようになられたという噂で持ちきりですよ。お城に訪ねてこなくなってしまいましたし……嫌われちゃったんですか?」
護衛騎士が茶化して、侍女たちも一緒になって噂を披露してくる。
「殿下、エヴァンジェリン嬢は別人になったようにお
拾ったノートというのがとても気になる。
そういえば、何か忘れてる気がするんだ。
「目撃者によると外見も見違えるようになったのだとか。化粧やドレスの趣味が変わって、たいそう清楚で可憐なのだそうですよっ」
知っている。彼女は、彼女は……人気者になっているのだろう。
伯爵公子とか騎士とかがプレゼントを贈ったりしているのだろう。
ひとことで言うと、モテているのだろう!
そんな噂がどんどん耳に入ってくるのだ。
(私の婚約者になぜアプローチするのだ? 私の婚約者なのだぞ?)
まだ婚約者なのに。破棄してないのに。
めらめらっと心に燃え上がる嫉妬心をおさえこみ、シルフリットは余裕のあるふりをした。
王子たるもの、「ぜんぜん気にしていないが? 余裕だが?」と装うのは得意だ。
「……そうか。よよよよし。これから彼女に会いにいくので、全力で知らせてくれ。私が訪問すると。他の男は追い出しておけと」
「殿下。余裕を装えていません」
騎士が即座につっこみをいれてくる。
こういう時は気付かないふりをしてほしい。つっこみやめて。
「今朝などは、エヴァンジェリンの家から『娘は病です。王子妃は務まりそうにありません』という手紙が送られてきたのだ」
「お元気そうですけどねえ。殿下、嫌われちゃったんですか」
「嫌われてしまったのだろうか」
家を訪ねると、彼女は仮病をつかって迎えてくれた。
(思えば、彼女は私を
ドレスも化粧も、私の気を引こうとしていたのだ。可愛いではないか。
褒めてあげればよかったのではないか。繊細な年頃のレディに、婚約者の私はもっと別の接し方をするべきだったのではないか。
そんな思いを胸に再会したエヴァンジェリンは、仮病全開だった。
「ごほ、ごほっ、はぁはぁ、ああ、死んでしまいそう。私、余命あと数日です。さようなら殿下。あ、でも婚約破棄したら治るって占い師さんが言ってました」
それ、ぜったい今思いついただろう。
「殿下ぁあああ!! うつります、病がうつりますからぁぁあああ! お引き取りをぉぉぉ!!」
侍従たちは必死になって追い返そうとしている。
目が血走っている。そんなにみんなして帰そうとしなくてもよいではないか。傷付くぞ。
部屋の中に視線を巡らせて、シルフリットは気付いた。
「あ」
テーブルに一冊のノートがある。
「私が忘れていたノートじゃないか。ざまぁノートだ」
国宝のノートだ。そうだ、これを忘れていたんだ。
「アッ、殿下ぁあ!!」
「ははは、すっかり忘れていたよ。そうそう、これを渡して君が使うかどうか試そうと思ったのだった」
ざまぁノートには強い魔法がかけられていて、他人への害意を持つ者が触れると心に問いかけるのだ。
『お前が「ざまぁみろ」と言いたい相手の名前を書いてみろ。どんな目に遭わせたいのか、書いてみろ。願いをかなえてやろう!』
……と。
しかし、問われるままに相手の名前を書いても何も起こらない。
単に本心を暴くだけの罠だ。
誘惑して自爆を誘うだけで、害はないのだ。
「どれどれ?」
シルフリットはパラリとノートをめくった。
そして、ぽかんとした。
絵だ。
全体的に曲線が多い。
丸々とした絵は、動物やお花……かなぁ?
ニコニコ顔だったり、うるうる顔だったりな愛嬌のある絵だ。「これは人間を描いたのかな」と思われる絵はヒョロッとしてて、……いや、これは人間かなぁ……。
うーん。独特の良さがある。
なごむ。
それに、少なくとも、他者への悪意は書いていない。
「……可愛い絵だね」
ノートには、ゆるゆる、ふわふわとした可愛らしくて和み系の絵がたくさん描かれていた。
見ていると、なんだか心が癒される。
(私の婚約者は、こんな絵を描く人なのだな)
そう思うと同時に、ずきりと心が傷んだ。罪悪感が湧いた。
(私は今まで、自分を慕う婚約者の令嬢のことを表面上だけで評価して、よく理解しようとしなかったのだな)
シルフリットは、そっと後悔して美しい瞳を物憂げに伏せた。
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