シンクの卵

名前も知らない兵士

第1話

「この世界は卵


 地球は卵


 中身は何だか分からない


 何人いる? 


 気づいている人が何人いる?


 世界は秘密であふれているってこと


 世界が秘密で出来ているってこと


 さあ 自我に目覚めろ


 すぐに旅立て


 お前の脳内にクエッションを打ちつけろ」


(原文 サクライアキ)

 



 教室の窓際に並んだクリーム色のカーテンが、航海する帆船の帆のように膨らんでいる。


 もしも内側で泳いでいる風に色が付いていたなら、何色になるのだろう? 


 そんなことを考えながら、パルコは春の陽気にまどろんでいた。


 カーテンから目を離して、パルコは一つため息をついた。机の色は、相変わらず彼をうっ屈させた。

 それから気を取り直して、手元に再び目を向ける。


 教科書を盾にして、パルコはステッドラー製の青いシャープペンシルをいじくっている。これは、実はシャープペンシルのようでシャープペンシルではない。


 彼の相棒マルステクニコは、いわゆる芯ホルダーで、鉛筆の芯ほどの太さ2ミリ芯を入れて書くペンのことを指す。

 製図用で、プロのためのペンと言えるだろう。鮮烈なボディの青色はマルスブルーと呼ばれ、この青色がステッドラー特有の色として支持されている。


 パルコはニヤついている。

 そして、いつものように声に出さないで胸の内に言う。


「まあ、この良さを分かってくれる友達は、周りにはまずいないよ。この前結成した秘密組織のメンバーの中にもいないんだ。やっぱり……」


「桜井春!」


 ビクってなった。

 教室に漂っていた春の陽気を、マーヤ先生のつんざく声が切り裂いた。


 ハイ来ました。桜井春、つまりパルコの名前のことである。

 彼は椅子を引いて、無言でその場に立った。


「聞いてたの? また文房具を分解してたんでしょう?」


 マーヤ先生がそう言うと、教室中がどっと笑い声で満たされた。パルコはしぶしぶ応えた。


「……ステッドラーのマルステクニコをカスタマイズしていました」


 クラスメイトの笑い声がクスクス聞こえる。

 わかってる。次はマーヤ先生のお決まり文句だ。


「どこのゲームの呪文なの?」


 待ってました! と言わんばかりに教室中がまた、どっと笑い声で満たされた。




 昼放課、校庭の隅にあるクライミングネットによじ登った四人の中の一人が言った。


「ハルちゃん、先生からシャーペン返してもらった?」


「まだだよ。秘密の時は、秘密のアダ名で呼び合うのが秘密ルールだからね」


 パルコは、不機嫌な顔でアンテナに言った。


「ごめん、そうだった!」


 アンテナのお腹の肉が網目状のネットにうまいこと乗っかっている。


 パルコと同じ五年生のアンテナは、保育園の頃からの幼馴染だ。少し心配症のアンテナは、秘密メンバーの中では情報屋だ。


 同じクラスじゃないのに芯ホルダーを没収されたこと、もう知ってる。パルコは肩をすくめた。


 シャーペンじゃなくて、芯ホルダーだと説明する前に、六年生の閣下が言った。


「帰りまでには返してくれるさ。この前もそうだったろ?」


「マーヤ先生は若いし可愛いし優しいよねえ?」


 アンテナはやたらとマーヤ先生の肩を持つから、その発言はパルコにとって不愉快だった。

 この前だって、秘密メンバーで回覧している交換日記を取り上げられそうになったばかりだった。


「エロ目になってるぞ、アンテナ」

 閣下が茶化して言った。


「なってないって!」


「優しい? 僕にだけ当たりが強いんじゃないかなって時あるよ。この前だってクオバディスのノートを……」


「そりゃお前が授業中によそ事やってるからだろ? 毎度毎度マニアックな文房具を改造してたらアンタ、毎時間、図工じゃねえか」


「言えてる」


 アンテナがうなずき、閣下とゲラゲラ笑い出した。つられてパルコも笑ってしまう。


 秘密メンバーの年長者である閣下は、いつもリーダーだ。成績良し、顔良し、おまけに背も高く、髪の毛も細く綺麗でサラサラだ。少し口汚いところがあるが、本当に優しい男だ。


 パルコの父親が交通事故で死んだ時も、閣下は一番に駆けつけてきてくれた。そしてパルコを抱きしめて、閣下は泣きながらパルコを励ましたのだった。

 閣下の父親もまた早くに亡くなっているから、パルコのことがほっとけなかったのだろう。


 パルコはそんな心優しい閣下に憧れている。密かにね。


 パルコに近すぎるほどに、すぐ隣りにいる女の子が、ツツーッとパルコの首すじをなでた。


「わっ! くすぐった!」


「……」


 秘密メンバー唯一の無言キャラで、四年生のキキが、目にかかる前髪を揺らしてクスクス笑ってる。

 この前髪のせいで、彼女の目を(おそらく)誰もがろくに見たことがない。


「なんだよキキ?」

 パルコがそっけなく言った。


 キキは、パルコの耳に手を押し当てて、ささやくように耳打ちした。


「………」


 彼女は、人前で話をしない。


 原因はよく知らないが、パルコはキキが誰かと会話したところを見たことがない。


 唯一キキが話すのは、秘密メンバーの前だけで、それも彼女の気分が良い時だけで、単語をポツリポツリ言うだけだ。その時以外は、秘密メンバーの前でもパルコだけにしか話をしたがらない。


 だからほとんど、いつも内緒話のようにパルコに耳打ちして内容を伝える。パルコはそれが、まるで彼氏彼女のようで恥ずかしかった。そっけなくなるのはこのためだ。


「は?」


 パルコは、本当に? という顔で声を上げた。

 キキはいつも突拍子なことを話す。パルコは面白くてしょうがなかった。


「何だよ?」

 閣下が間髪入れずに、ニヤニヤして聞き返した。


「鳩のモノマネが出来るようになったって……」


「マジで?」


「やってやって!」


 閣下もアンテナも、わざとらしく盛り上げる。


「クルックー」


 キキが、本当にポツリと鳩の声マネをして見せた。そのリアルなこと。今日は気分が良いらしい。いや、それよりも鳩の声マネが上手すぎた。


「激似じゃん!」


「すごっ!」


「ものまね士かよっ!」


 皆んな爆笑した。メンバーの中で、一番よく分からないのがキキなのだ。人と会話したがらないくせに時に大胆だ。


 パルコはそう思って、クスクス笑っているキキを見つめた。その時に白い校舎の丸時計が目に入ってハッとした。


「そうそう! 忘れるとこだった。集まってもらったのは、とんでもないことが起きたからなんだ! キキの鳩マネで昼放課が終わるとこだったよ」


 アンテナも閣下もキキも、急に静かにして、パルコに注目した。三人とも、いつもパルコが面白いことを閃いたり、変なことを思いつくことを知っているからだ。


 この時も、皆んなパルコが何を言い出すかワクワクしだした。そして、またもや彼の発言は期待を裏切らなかった。


「昨日、死んだお父さんから手紙が来たんだ」

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