さらば親バカ

仲乃 斉希

第一話


「家を出るぅぅぅ!?」


 ちゃぶ台をひっくり返すなんていう時代遅れなシチュエーションとむさい怒号を前に、千里ちさとは重々しい嘆息を漏らした。

 「花のJK」なんて夢想も微塵も味わえなかったしょっぱい高校生活の幕が閉じたこの日、不快も一周回って無の表情の写真が貼られた卒業証書を部屋にほおってから、千里は父、千尋ちひろに言ったのだ。そっくりそのまま返された台詞を。


「どどどどどういうことなんだ千里ぉ!? お父さん聞いてないぞ!? いや聞いても許さないぞ!? いいか? お前はアイドル顔負けの絶世な美少女にしていたいけな十八歳なんだっ! そんな超絶可愛いお前が家を出るなんて、野獣がうろつく夜の森に入る子兎みたいなもんなんだぞっ!!」


 そう、理由はこの男にある。

 生まれてすぐに病死した母の代わりに、男手一つで蝶よ花よと育ててもらった逞しい父親────といえば聞こえはいいし、もちろん幼き頃の二人の思い出を走馬灯みたく脳裏に描いてみれば、涙の一粒や二粒が落ちるほどの恩も感じている。


 が、蝶よ花よと育てたこの父は、一生にも残るJKの花という花を食い散らかした大罪人にも妥当するのだ。


「あのね、全部お父さんのせいだから」


 千里は眉根をひそめて、ぷるぷると水を被った子犬みたいに震える父を睨んだ。


「もうこの際だからはっきり言うけど、お父さんの親バカ、シャレにならないほどうっざいから!」


「うっ! ざいっ!?」


 ガーン! という効果音が鳴り響きそうな衝撃的な顔で、父は素っ頓狂な呻きを漏らした。


 そうだ。どうせ最後になるのなら、これを機に膨れ上がった堪忍袋の緒を自らぶち切ってやろうと、千里は半ばヤケクソに指を差した。


「まずねっ! 毎日登下校で仕事ほっぽり出してストーキングしてくんのマジきもい!! グラサンとマスクで変装してるつもりだけど、逆に職務質問されまくって友達の前で私まで警察に謝らせるとか恥ずかしすぎて死ねるわ!!」


「何ぃ!? 俺の可愛い千里の寿命を縮めるとはッ!! 国家権力許すまじ!!」


「着地点ズレすぎだし!! あとね、さすがにカバンから盗聴器見つけた時はそのまま警察にお渡ししようかと血迷ったわ!!」


「何言ってんだ千里!! GPSだけじゃ防犯が緩いぞ!! 今までだって、千里に言い寄る不届き者を察知してお父さん秒速で駆けつけてやっただろ!?」


「そう!! 秒速で出会いの芽まで摘みやがったわねバカ親父!!」


 ガガーン! と娘に半年ぶりぐらいにバカ呼ばわりされたのがショックだったのか、父は頭を抱えて膝をついた。


 されども千里の啖呵は火を噴くようにヒートアップする。


「高校生にもなって恋愛まで禁じられるって何なの!? このクソ時代遅れなルール何なの!?」


 『恋人は二十五歳から作ってよし! 条件は勤勉で誠実な年収一千万以上の次男の男!!』という赤いペンで殴り書きされた我が家の恋愛ルールとやらの貼り紙を激しく叩いた。

 幼稚園児の頃から拝まされたある意味おぞましい脅迫文である。


「二十五歳から作ってよしとか超手遅れだからっ! 年収一千万以上の次男の男とかすでに売約済みだからっ!! 何で二十五!? 何でアラサー!? 修行僧にでもさせたいの!?」


「そっ、それはなっ! 恋愛ってのはもっと人生の経験を積んだ大人がするもんだから………」


「私もう十八歳なんだけど!?」


「千里はまだいたいけな子供だ!!」


「現実見なさいよ現実!!」


 ぶんぶんと指を振り回して、千里は啖呵を切る。


 しかし、父も負けじと立ち上がって胸を張った。


「大体、大学だって家から近いじゃないかっ! いくらバイトしてるからって、一人暮らしなんてお金がかかるだろ!? 千里の好きなものならいくらでも買ってやるが、こればかりはお父さんも許さないぞ!!」


「別にいいし。っていうか、一人暮らしじゃないし」


 は? と父の顔筋がフリーズする。


 ふん、と千里は涼しい顔。


 てん、てん、てん、と漫画みたくしばし沈黙が続いたあとに、


 父はわなわなと肩を震わせ、カラクリ人形みたくぎこちなく首を揺らして顔を上げると、目がくわっと見開き殺気を帯びた。


「おっ、おおおおおお男ができたのかぁッ!? どこのどいつだ!? 殺す!!」


「うるさっ!!」


 鼓膜を突き破るいかずちの如く怒声に、千里は顔を歪めて両耳を塞ぐ。


 毎度毎度、「男」の気配を察知した刹那、父は赤いマグマが燃えたぎる活火山みたく噴火する。


 「うちの愛娘に近づくなんて百年早い」だの「こんな雑草みたいな男にお義父さんと呼ばれる筋合いはない」だの古くさい台詞を吐きまくり、どれほどの運命的な予感も完膚なきまで潰されたことか。


 しまいには、千里に近づいた男は殺されるなどと物騒な噂も立てられてしまうわけだ。


 「娘はやらんぞーっ!」と獣性剥き出しに叫んで、虚空にパンチを連打する父を横目に、千里は大きなため息を吐いた。


「………男じゃないから。友達とルームシェア」


 ほゎ? とくうを切る拳を止めて、父はまたフリーズする。


「幼馴染の香奈かなちゃん、知ってるでしょ。高校は違ったけど、偶然同じ大学に行くって知ってから、二人でキャンパスの近くのアパート借りることにしたの」


 千里は少し口調にトゲを残しつつ、間抜けづらを浮かべる父に説明してみせる。


 父はぐぬぅ、と苦しげに呻いて、まだ納得していない顔つきだが、千里はかまわず告げた。


「というわけで、今月末に、家出るって決めたから」


 返事の余地も与えず、部屋へ向かおうと背中を向ける。


 父はまだ半泣きに呻いていたが、その子供みたいな泣き顔にトドメを刺すように、千里は振り向きざまに言った。


「今度こそ、恋人作るからね。もうお父さんにはぜっっったい邪魔させない!」


 絶対宣言が下されたその刹那、


 主婦たちのお喋りが弾む平穏な住宅街に、悲痛な雄叫びが響き渡ったのであった。

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