ぼくの見た時間
猿田夕記子
第1話 鏡のなかのあいつ
――時間がなくなる、って、どういうことかわかる?
とけいがとまる。うごかなくなる。こおったようになって、そのまま。
ある時、ぼくは「時間」をなくしちゃったんだ。
さて、どこからはなそうかな。
ぼくはふつうに学校にいって、ふつうに友だちとはなして、ふつうにべんきょうして、ふつうにまどのそとをながめていた。こんなにふつうふつうっていうのはイヤだけど、でもそうなんだ。
だけど、いつも「なにかへんだな」っておもってた。
――ぼくは、いま、ここにいる。
だけど、もっとちがった毎日があるんじゃないのかな。
たとえば、どこかの森にたんけんにいくとか、夜のさばくを旅するとか。うちでゴロゴロしてるのだっていい。猫たちと、のんびりしてられるんだもの。
でも、ぼくは教室にすわっていなくちゃならない
なんで? どうして?
なぜぼくはここにいなきゃならないの?
今日は天気がわるい。ざあざあ雨がふって、まっくらな空。ぼくは雨つぶが流れおちるまどを、ぼんやりとみていた。
その時だった。
「かわってやろうか」
だれ? 授業中なのに。だれがぼくに声をかけているのかな――わからない。
「ここだよ、ここ」
そいつの声は、へんにはっきりときこえた。
ぼくは、ハッとガラスのむこうをみた。そこにはぼくがいた。いや……ぼくの顔をして、にやにやわらうやつがいる。ぼくはたずねた。
「だ、だれ?」
「それはもちろん『ぼく』だろ」
「ぼ、ぼくはここにいるじゃないか」
「うそつけ。おまえはいつも、どこかへいってるだろ」
チャイムの音で、気がついた。
みんな、つぎの体育の準備をしている。そうそう、ぼくもいかなくちゃ。
いまの、なんだったのかな? 夢だよ、夢! ちょっとボーッとしてたんだ。ぼくはぶるぶるっと頭をふって、さっきのあいつの声をわすれようとした。
でも、体育館へむかうとちゅう、またあいつの声がしてきたんだ。
「体育なんてしたくないんだろ。なんでいくんだ?」
「だれだよ、おまえ! どこにいるんだ?」
「こっちだよ」
ろうかのまどガラスに、ぼくじゃないぼくが、ぼんやりとうつっていた。
「おまえの時間はあとすこし、だよ」
「なにいってんの?」
「そのうちわかるさ」
ぼくはあいつとならんで、早足であるいた。
なんでこんなことになってるの? これ、夢かなあ。
そして、イヤなことに気づいた。
この先のろうかには、とっても大きな鏡があるんだ。みんなは、ゆうれいが出てくるだの、自分のしぬときの顔がみえるだの、なんだのいってる。
なんだか、やだな。こわい。
でも、体育館にいくには、そこをとおらなくちゃならない。
「時間はすこし、あとすこし」
そいつは、ぼくをからかうようにいう。
ぼくはあるく。いきたくないけど、ほかにいくところもない。
あの鏡が近づいてくる。
「おまえの時間――もらいっ!」
ぼくは、手をぐいっとひっぱられた。
へんに、あついようなつめたいような気がした。それから、きゅうにねむくなった。ぼくは頭がぼんやりしたけど、ひっしで目をさまそうとした。
そして目をあけると。
ぼくがいる。あいつがいる。それはなにもかわっていない。だけど。
「じゃっ、体育、がんばってくるから」
そいつはいって、ろうかをスタスタあるいていった。
――じゃあ、ぼくはどうしたらいい?
ぼくのまえに、ひえびえとした、とうめいなかべがある。そこから先にすすめない。
「まってよ、なにこれ、どうなってるの?」
かべをバンバンとたたいたけど、何の音もしない。
クラスのみんなが、ろうかをわーっとあるいていく。だけど、だれもぼくにきづかない。
鏡のなかにとじこめられた。
まさか、そんな?
うしろをみた。
そこは、まっくらい闇がどこどこまでもつづいていた。
ぼくはひとり。たったひとり――さけびたくなったけど、気づいた。
むこうにあかるい光がみえる!
あそこからでられるかも?
ぼくは、こわごわと光のまどをのぞきこんでみた。
体育館の中、みんながとびばこをはこんでいる。あっ、今日の授業なんだな。
そして、あいつ――『ぼく』がいた。
あいつは、友だちといっしょに楽しそうにわらっている。まるでべつの子みたいだ。あれがぼく? そんなふうには思えないな。ぼくは、あんなふうに明るくわらったりしない。
先生が「さあ、これをとべるやつはいるかな?」といって、七段のとびばこをさした。
むりだよ、むりむり。ぼくは体育がにがてだもの。
だけどあいつは「ハイ!」といった。
なにいってんの? おまえは『ぼく』なんだから、むりにきまってるだろ。
あいつはダッとかけて、ジャンプして――とんだ!
そして、みんなから「すげーな」と声をかけられていた。
しんじられない。
あいつは「ぼくの時間をもらった」といってた。でも、あいつは「ぼく」とはぜんぜんちがう。
くらやみの中にもどって、しばらくすわっていた。そのうちに、べつの光がみえた。ぼくは、そのまどにちかづいていく。
クラスのみんなが、まじめにべんきょうしている。
あいつもいる。
あいつは、先生にあてられたけど、ハキハキと答えていた。
で、授業がおわると、クラスの女の子が、あいつにはなしかけていた。勉強おしえて、とか、そういうこと?
――その時ぼくは「あ、ぼくはいいんだ」と思った。
あいつは、むこうにいる。
さいしょぼくは、むこうにかえりたいと思っていた。
だけど、ぼくがあっちにいてどうなるってんだろ。どうせ「どこかべつなところにいきたい」と思うばっかりだよ。
それに、あいつはぼくよりずっとうまくやっている。ぼくがあっちにいなくてもいいんだ。
なんだかきゅうに、きもちがスッとした。
そして、くらやみの中をじっとみつめた。
とおくに、ぼんやりと白い光がみえる。
一つめのまどには、きれいなドレスをきた人たちがたくさんいて、くるくるとおどっていた。
二めのまどには、ただ青いタイルがうつっているだけだった。どこかのおふろばみたい。
三つめのまどには、町をあるく人たちのすがたがうつっている。でも、ぼくが手をふっても、ちっとも気づいてくれない。
ここは、鏡の中の世界。
きっと、いろんな鏡がひとつにつながってるんだ。
たくさんの鏡のなかには、砂漠のなか、雲のうえがうつっているものもあった。なんでそんなところに鏡があるんだろう。鏡って、世界じゅう、いろんなところにちらばってるんだな。
なかに、きれいな鏡があった。
それは、どこかの海辺だった。
波はしずかにゆれて、そのうえにほそい三日月がかかっている。
その空の色が、まっくらじゃなくて、ふかい青色で、いつまでもみていたくなる。
こういうところへいってみたいな。
うん、ぼくはほんとうは、ずっと、こういう海にいきたかったんじゃないのかな。
だけど……ぼくはいま、どうしたらいいんだろう?
ちょっと心ぼそくなったけれど、それでもどんどんすすんでいった。だって、もどるところもないんだから。
ずっとあるいていくと、まどよりももっと大きい、トンネルのようなものがみえた。そっちには、まっしろな光がひろがっている。
その先には、宮殿のような、ごうかなへやがあった。かべがきらきらと金いろにひかっている。ぶあついまっかなカーテンがかかっていて、かわったかたちのツボがおいてある。
どこかな、ここ。鏡のそとにでられたのかな?
「だれ? だれかいるの?」
「は、はい」
かってに入ってごめんなさい――そういおうとしたぼくは、おどろいて、なにもいえなくなった。
そこには、青い服をきて、髪をのばした、とてもきれいな女のひとがいた。
その人のうでは、どちらもガラスのようにとうめいだった。
どうしたんだろう。
「まあ、いらっしゃい。こんなところに人がくるなんて、めずらしいわね」
「あの……あなただれ? 鏡の世界の女王さま?」
「まさか。あなたといっしょよ。時間をなくしただけ」
「おねえさんも?」
おねえさんは、ぼくをイスにすわらせてくれて、とうめいなうでで、あたたかいおちゃとクッキーをだしてくれた。
「ぼく、へんなやつから、時間をとられちゃったんだ。それで、鏡のなかにきちゃったんだ」
「へえ、それはこまったわね。ときどき、あなたみたいな人がくるわ」
「その人たち、どうなったの? ぼくも――」
かえりたい、といいかけて、やめた。
ぼくは、ほんとにかえりたいのかな?
「ぼく、これからどうなるのかな」
「むこうにかえった人もいるし、そのままの人もいるわ。まあ、ゆっくりしてらっしゃいよ」
おねえさんは、鏡のなかの世界はとってもひろいんだ、って教えてくれた。
それで、くらやみの中に、自分の思ったとおりの世界をつくれるんだって。おねえさんは、ぼくをまっくらい場所につれていって、いった。
「さあ、好きなものをイメージしてごらんなさい」
「うーん」
「なんでもいいのよ。ほら、チューリップの花とかは?」
チューリップの花。そう、ぼくもそだてたことあったな。きゅうこんをうえて、そして芽がでて――すると、ぼくの目のまえに、にょきっと緑色の芽がでてきた。
チューリップはぐんぐんのびて、みるみるうちにつぼみをつけた。
「わあ! すごい、やったわね。そのちょうしよ」
おねえさんがパチパチと手をたたいてくれたので、うれしくなった。
ぼくはいろんな世界をつくってみた。
ゆうえんち、ぼくのへや、それから学校だってつくることができた。
ぼくがかんがえたことは、なんでもできるんだ。まあ、ほかのひとはだれもいないんだけど。べつにいいや。たいくつなときはおねえさんがあそんでくれるし。
でも、ちょっとへんなことがあったんだ。
おねえさんのだしてくれるクッキーは、ぜんぜん味がしないんだ。
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