第56話 悪徳市長を許すな

 僕の名乗りを聞き、ドブルは竦み上がっていた。目の前の男は自身が住む世界の王だったのだ。その王に向かい、キレ散らかし、カップを投げつけた。不敬罪も不敬罪だ。それに剣の腕も確かだ。重厚な扉がバラバラになる程の実力。自分なんて一瞬でひき肉になるだろう。


「ひっ、ひぃぃ……!」


 僕の想像通りに怯えたドブルはシーツを手繰り寄せて隠れようとする。しかしそんな抵抗は無駄である。


「ドブルさん。僕は別にあんたを攻撃するつもりは一切ないよ」

「へ……?」

「いくつか聞きたいことがあるんだ」


 にこりと微笑むと、ドブルは冷や汗を垂れ流しながら釣られて歪な笑みを浮かべた。左右に立つアイザとヴァネッサに目配せをする。こくりと頷いた2人は、すぐに行動してくれた。


 ヴァネッサは扉の前に立ち、ドブルの退路を塞ぐ。アイザはドブルの周りにいる女性達の手を取り、ついでにシーツも引きはがして部屋の端で介抱を始めた。


 有難いね……僕のしてほしい行動をしてくれる。心の中でありがとうと言いながら、汚いものを丸出しにしたドブルの座るベッドの端に座った。


「まぁ色々あるんだけど……まずはこれだろうな」

「……っ」

「ここで何をしてるの?」


 純粋な疑問だった。ドワーフ達はあんなに痩せ細るまで働いているのに、こいつはここで何をしているんだろうか。彼等が休み、食事をするだけでこの惨状はなくなるはずだ。なのにそれを指示せず、こいつはベッドの上で女と……。


 答えは待てど暮らせど、返ってこない。そりゃあそうだ。答えられるはずがない。


「外のドワーフ達……あんなになるまで働かせて、何が目的なんだ?」

「……」


 これも答えられない。自分の私腹を肥やす為だなんて、王の前で口が裂けても言えない。だが現状がそれを如実に語っている。見ればわかる。


「僕は深層から来たんだけど、この階層に来た時はびっくりしたよ。ドワーフがいるってんで楽しみにしてたんだが、目の前にいたのはゾンビのように痩せ細り、虚ろな目をした者達の行列だ。ボロボロのピッケルを背負って、誰かの為に働かされる彼等を見て、これは尋常ならざる事態だと判断した。で、ここへ来た」

「お、王様……これには訳が……」

「訳? 僕の質問には答えられない癖に、言い訳はできるのか?」

「ひ、ひぃ……っ」


 僕みたいな弱い人間の一睨みで息を呑むような、こんな小物に皆が働かされていると思うと不憫で仕方ない。これ以上の対話に意味があるのか……そう考えていたが、僕より先にその答えを出したのは八咫だった。


「もういい、将三郎」

「八咫?」

「飽きた」


 そう言い切る前にチリ、と紫色の火花が爆ぜた。その瞬間、先日見たのと同じような火柱がベッドから発生した。


「んぎゃああぁぁぁぁあぁあぁあぁあぁあああああ!!!!」

「八咫!」

「見るに堪えん。聞くに堪えん。神罰執行だ」


 僕としては色々情報を聞き出してから始末しようと思っていたのだが、それよりも先に八咫の堪忍袋の緒が切れてしまった。王剣に触れた訳でもなく神罰が執行される。


 まさに天罰。まさに神罰。悪徳の限りを尽くした市長ドブルは神の怒りに触れ、今ここで焼き尽くされたのだ。


 収束し、消えた火柱の中にドブルはいない。焼け焦げたベッドと穴の開いた天井が残るのみだった。


「せめて屋外でやろうよ……」

「何故か屋内なことが多いな」


 まぁ、こういうのはタイミングだよな……。しかしこれで悪徳市長を倒したのでめでたしめでたしとはいかない。上司を失った会社は倒産するのみだ。腐っても上司。上がいるから下があり、両方揃ってこそ会社だ。頭を失った今、社畜ドワーフだけを残した状態では皆、近い内に共倒れになってしまうだろう。


「さて、頭のすげ替えはどうしたものか……」

「将三郎さん、ちょっと」


 今後の事を考えようとしたところでアイザに呼ばれる。視線の先にいたのはドブルの被害に遭っていた女性達だ。アイザが切ったであろうシーツを身に纏い、最低限の部位を隠しながら立ち上がり、僕の元までやってきた。


「彼女から話があるそうです」

「ありがとう。……それで、話って?」

「じ、実は……」


 彼女の話を聞いたところ、なんとドブルに監禁されている人物がいるという。名はジーモン。驚いたことに、元はこの階層都市ガルガルの市長だったというではないか。


 棚から牡丹餅だ! 最悪、しばらくは自分が上司となってある程度持ち直すくらいまでは頑張る気持ちでいたが、めちゃくちゃラッキーだ。そいつに復職してもらえば僕の悩みの種も解決するだろう。彼が悪人でなければ、だが。


「その人の居場所はわかる?」

「こっちです……!」


 なんでドブルがジーモンを始末せずに監禁という選択をしたのかは分からないが、助けられるならすぐにでも助けたい。そしてこの町を救ってもらうとしよう。



【禍津世界樹の洞 第79層 階層都市ガルガル 市長邸地下牢】



 湿った空気が頬を撫でる。暗く狭い石の階段は螺旋を描きながら地下へと続いていた。先頭に立つのは先程ジーモンについて教えてくれた女性のドワーフだ。名はミーリィだと教えてくれた。彼女は松明を手にゆっくりと下っていく。その後ろを僕達はぞろぞろとついていった。


 やがて階段は終わり、辿り着いたのは石で組まれた通路と太くて立派な鉄格子の群れだった。


 その向こう、牢屋の隅で何かが動く。


「ジーモン様!」

「うっ……」


 松明の明かりから逃げるように両手を突き出し、顔を覆おうとするジーモン。彼もまた、外のドワーフ達のように痩せ細っていた。伸びきった髭は髪は白髪交じりでまだまだ現役のようにも見えるが、細く干からびた四肢からはどうにも老人のような印象が勝ってしまう。


「ミーリィ、少し離れて」


 スクナヒコナに手を掛けながら前に出る。アイザがミーリィの肩を抱き、退かせたのを確認してから素早く鉄格子を切り裂いた。ガランガランと大きな音を立てて崩れるのを見てから剣を仕舞い、中へ入る。


「ジーモンさん、あなたを助けに来ました」

「う、うぅ……誰だ……?」


 牢の中は酷い有様だった。薄っぺらい千切れかけのリネンと木桶しかない。考えたくないが、ベッドとトイレだろう。そんな場所で生き抜いたジーモンの目にはただ、警戒の色だけが見えていた。


「導きの神、八咫烏の信徒、月ヶ瀬将三郎と申します」

「それが本当なら、あんたはこの世界の王、という訳か……」

「そうなります。さぁ、一先ず外へ」


 ジーモンの前でしゃがみながら後ろを向く。ジーモンは暫く躊躇っていたが、やがてゆっくりと立ち上がり、ふらつきながらも僕の肩に手を置き、負ぶさってくれた。


 地下牢から外へ戻ってくるとがやがやとした声が聞こえてくる。地下牢のある部屋から廊下へ出ると綺麗だった絨毯はぐちゃぐちゃになり、並んで行進していたドワーフ達は右往左往する有様。ちょっと離れていただけなのに市長邸内は大騒ぎになっていた。


「市長がいらっしゃらない!」

「この書類はどこへ運べば……」

「次の仕事がない!」


 まるで先頭が迷子になった働きアリの行列だった。彼等はもう心の底から仕事に囚われている。普通の精神をしていれば、悪逆市長がいなくなったことを喜ぶはずだ。なのにいなくなったことに不安すら感じている始末だ。


 完全な洗脳状態である。


「静粛にーーーーーーーーー!!」


 僕の声に一切の音が消える。今までずっと目も合わせようとしなかったドワーフ達とやっと真正面から目が合った。落ち窪み、酷い隈に覆われた目だ。健康状態も、お世辞にも良さそうには見えなかった。


 そんな多くの目が一斉に僕を見た。ちょっと怖い……。


「市長のドブルはここに降臨された導きの神、八咫烏様によって煉獄へと送られました。そして前市長であるジーモンも救出しました!」

「ジーモン様……」

「ジーモン様が……」


 僕の話を聞けるレベルにまでは落ち着いてくれているようだ。僕へ向けられていた視線は、僕に背負われているジーモンを捉える。僕の言ったことが嘘ではないと理解したのか、泣き始める者も現れた。


「しかし、ジーモンは過酷な環境に監禁されていたのでまだ本調子ではないです。なので、八咫烏の使徒である禍津世界樹の王、月ヶ瀬将三郎があなた方ドワーフの一次的な上司として支持を出します」


 これからまた仕事ができる! なんて声が聞こえてくる。互いに顔を見合わせ、笑顔になる。爛々と輝く目は狂気の色に染まっていた。ワーカーゾンビ共め……残念ながら、僕が出す指示は労働ではない。


「今日から3日間の労働を禁ずる! どこでもいいから一旦寝ろ!!」

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