第4話

「暗い顔してるね。そんなに殿下が恋しいかぁ」

 夕食後。喫茶スペースの片隅でぼんやり窓の外を眺めているアンナに声をかけたのは、ベルタのいうただ一人の同期メリメだった。

「おぉ、久しぶり」

「久しぶりだね、元気…はないか」

 正面に座ったメリメは眉をひそめる。

「本当にひどいね…たった一日で殿下ロス?」

「そんなじゃないよ、色々あって」

「色々」

 メリメは少し考えて府に落ちた、という顔をした。

「ジャスナとエルザのことだよね…アンナに隠してた訳じゃないよ、ほら皆こうシフトが合わないというか」

 ジャスナとエルザはベルタの言っていた後宮を出てく当てのある同期達だ。

 アンナは曖昧に笑ってみせた。

 確かにそれもあるか…それだけでもないが。

「ごめんね、私がも少し配慮すべきだったんだ…二人は取り込んでてさ」

「─どっちがおめでたなの?」

「ジャスナ」

「ジャスナ、じゃあ相手は」

「例の幼馴染み」

「幼馴染み、かあ」

 確か南部の辺境の砦勤務になったと、べそをかいてたことがあった。

「彼氏の帰郷に合わせて宿下がりしてさ、押し倒してきた、って言ってた」

「やるな」

「やるときはやる子だね」

「エルザは?」

「こっちはたいへん」

 メリメの表情は冴えない。

 エルザはアンナと同じ孤児だ。篤志家に引き取られたと聞いたことがある。

「商家だったね」

「メッシナ家の分家だね。王都では輸入品を扱ってる、海産物の乾物と香辛料スパイスは王宮にも納品しているね」

 メッシナ家は大陸全土をまたにかけて活動する大商人の一族で、大富豪だ。なまじな小さな国より財力がある、なぞという噂も聞く。

「何々、そこの跡取りに嫁ぐの?玉の輿じゃない」

 メリメはちょっと首を傾げた。

「惜しいな。エルザが」

 アンナの目が見開かれた。

「玉の輿以上じゃない?」

 王都の店舗は目抜通りの一等地に構える大店おおだなだ。

後宮ここを出てく日取りが決まったのは急だったけど、跡取りに、って話自体は結構前から決まっていたらしいよ。エルザは頭の回転が早いし、数字に強い。物腰は柔らかくて根気強い。後宮で勤めたことで箔もついた」

 才能が道を切り開く、か。

 内心羨ましいとアンナは思う。

 ただ、とメリメ眉をひそめる。

「本人はどうも乗り気じゃ無いようなんだ」



修道女シスターになりたい?」

「詳しく言うと、自分の育った孤児院で修道女として働きたい、んだと。同じような身の上の子供を支えたい、って」

「……ふーん」

「どう?わかる?」

「わからん」

 アンナは軽く頭を振った。

「私の育った孤児院ところはもう無いからかな。いつも空腹で、建物も半壊して雨風も凌げなくて、弱った子や院長も凍え死んだんだ。良い思い出ひとつ無い。残ってたとしても近づこうとも思わない」

 メリメは黙って肩を竦めた。



 旧アスガルド帝国は国教を持たず、信仰は個々の自由に任された。

 最盛期にはアースガルト大陸のほぼ全域に版図を拡げた超大国は多民族、多宗教の共存共栄を可能にする寛容さがあった。

 ただひとつの宗教的制限は、唯一神ゼイラスに対するもので、彼の神への信仰は帝室に限られていた。

 帝国は滅んで久しいが、帝室の流れを汲むワグナス家に信仰は受け継がれているらしい。

 先王メリウスが、アスガルド帝国の後裔を僭称しゼイラス神への帰依を決定したことから、以来エークレット王国内ではゼイラス教が盛んになった。

 しかし現国王の即位後は急速に廃れて、教会の多くが取り壊され、残ったものは救民院や孤児院に転用された。アンナやエルザの育った孤児院もその一部だ。

 ちなみにゼイラス教には十二の聖人がいて、うち女性はアンナ、エルザ、マリヤの三人。名も無き孤児達の多くは聖人の名を付けられる、というのが広まって我が子に名付ける親は減った。名前で素性までバレる、最低最悪なシステム。


「私が物心ついた頃にはアンナが七人いたからなぁ。拾われた月も三人同じ」

 直ぐに減っちゃうんだけど、というアンナの呟きをメリメは無視した。

「アンナ、って呼んだら七人が『おう』って返事するんだ」

「おう、なんて言わないわよ」

「そうか。女子だもんね」

 メリメは笑う。

「でも初対面の時のアンナは『おう』って返事しそうだった」

「ひどい。本当に『おう』なんて言ったことないのに」

「じゃあ何て答えるの」

「声をあげた相手の様子と状況で逃げるか隠れるか決める。大人が孤児こどもを呼ぶときってロクなこと無い。近づかないのが正確だよ」

 孤児院時代も妓楼時代も、大人には良い思い出がない。

 メリメが席を立つ。気付くと喫茶スペースには他に人影はない。

 アンナはため息をついた。不幸自慢をしたかった訳ではなかったのだが。

 誰しも暗い話は聞きたくない。よりによって夕食後、一番の心安らぐ時間に。


 アンナも立ち上がる。そこにメリメが戻って来た。

 大事そうに何かを抱えている。蒸留酒の瓶だった。

「続きは飲みながら」

 ニコッと笑ったメリメにつられてアンナも笑顔になる。


 メリメ持参の琥珀色の蒸留酒を炭酸水で割る。メリメは酒2水1、アンナは酒と水を同量で。穀物で作られた蒸留酒は侍女には高価な逸品だが、メリメは四階の住人達に好かれていて、このくらいの差し入れには事欠かない。アンナはよくお相伴にあずかっている。といっても普段はヒルダを寝かせてからでないと宿舎に戻ってこられないので機会は少ないのだが。


 メリメが元はお針子見習いだった、というのは聞いていた。地元の大店の下働きも兼ねて。

「お店はね、後宮ここにも出入りするような王都の高級店から仕事を請けることもあったの。腕利きの職人揃いの人気店だから見習いに入るのも大変だったわ」

 メリメの実家は養蚕農家で、そのツテをたどってようやく下働きに潜り込んだのだ、と言った。

 修業の成果か、メリメは器用でちょっとした衣類の修繕やサイズ直しなどはお手のもの。アンナ達侍女もずいぶん世話になっている。


 でも一番恩恵を受けているのは侍女宿舎四階の住人達だ。彼女達はいちおう侍女という名目で後宮に居るが、本来の目的は王の妃の座だ。自分以外皆ライバル。

 そんなご令嬢達にとってメリメは貴重な戦力だ。メリメのような庶民出の侍女はご令嬢にライバル視されていない。その容姿に関わらず。

 侍女にはお仕着せの制服がある、いやあった。

 ご令嬢達は絹服でなければ袖を通せないだの、スカートのボリュームが足りない、丈が短い、袖の膨らみがショボい等、注文をつけるだけつけて、原形とは似て非なるモノに改造した。もはや制服ではなくただの受注服。それでも他者と比べてああだこうだと手を入れる、マイナーチェンジにメリメの手腕が生かされるのだ。

 他者よりも華やかに着飾って。何しろ王の目に留まらなければ。

 というのも、ヒルダの父、ステファン王は十二年前に妃マチルダと死別して以来特別な女性の存在がない。世嗣たる男子もいない─旧アスガルド帝国圏では男女の別なく長子が世嗣ぎとなるが、ここエークレットは男子のみが継承権を有する。

 王の目に留まれば、国母となる機会チャンスがある。

 次期国王の外戚として権力を欲しいままにできる。当人がそう思ったか、周囲の家族、一族の意向かは知れないが、多くの貴族の令嬢が侍女として後宮に送り込まれてきた。

 迷惑を被ったのが後宮だ。ご令嬢達は例外なく乳母日傘で育っていた。身の回りの事さえ使用人の手を使う彼女達に侍女の仕事など土台無理な話なのだ。かといって後宮に断る理由はなかった。王子のいない今、王の意志はともかくも、王子を産める可能性のある女性を追い払う訳にはいかない。いつ、王の気が変わらないとも知れないのだから。


 幸い、というか当時(現在に至るまで)後宮に暮らすのはヒルダと王女に仕える侍女だけ。ほとんどの建物は閉鎖されている。王は母親とは幼い頃に死に別れているし、三人の姉妹姫は皆、とっくに国外へ嫁いでいる。

 それで彼女達、仕事の出来ない侍女の世話をする侍女を雇うことにした。

 侍女専用の宿舎が建設され(以前は宮殿内の部屋を割り振っていたらしい)見習いを含めての大量採用時代の到来だ。


「私みたいのが採用されたのも」

 アンナは理解できた、と頷く。

「私も。勤め先にお針子の引き抜きが来たんだけど、商売に差し障るでしょ、職人を手離すと」

 それで見習いが後宮に送り込まれたらしい。

 見習い、といっても店の名を背負って後宮に送り出すからには相応の実力がなければならず、メリメを含む七人は即戦力として重宝した。

 重宝過ぎて、三人は、後宮を去るご令嬢に引き抜かれて行った。


 年頃の娘を一応(侍女として)後宮へ入れる、花嫁修業の一貫として慣習のように貴族から裕福な商人や富農、庶民へと広まった。一方で貴族の間では変化が起きていた。

 国王ステファンが後宮を訪れない。

 一人娘のヒルダに会いに訪れることもない。ヒルダは一日に一度、ベルタに連れられ父の元を訪れることになっていた。

 この習慣が知られると、後宮を去る貴族令嬢が増えた。

 貴族といえど女性の適齢期は短い。男は若い女性を好むので、よほどの大貴族か大商人か、縁づく付加価値がなければ良縁は望めないのだ。

 もうひとつの理由に先王メリウスの存在があった。

 彼の代には、王妃亡き後も多くの側妃が後宮で暮らし、王も毎夜のように訪れていた、という。それぞれの側妃の元には商人や贔屓の芸人が頻繁に出入りして、昼も夜もなく賑やかできらびやかで、不夜城と呼ばれていたとかいないとか。

 現在、メリウスは西部の湖畔の離宮に、この不夜城を再現し暮らしている。

 退位後さすがに新たな側妃を迎えたという噂は聴かないが、ステファン王に側妃を迎える意向が無いと知った一部の貴族は、娘を後宮から離宮へ移している、というのは事実のようだ。


「貴族のお嬢様がた、みんな浮き足立ってるのよ」

 メリメは四階の住人達の動向に詳しかった。

 この宿舎の四階の住人は直近の三ヶ月で四人減っている。来月までにあと二人減る。

 メリメは減った四人のうち二人、次に減る予定の一人と親交があった。

「その三人が三人共、離宮へ移るんだよね」

 次、後宮を去るのはポルロック男爵家の三女なのだとメリメは言った。

「可愛いなんだ、貴族っぽくないというか」

 ロベリアという名のその令嬢にはアンナは面識がない。メリメが説明する。後宮に来て二年、現在十八歳。明るいブルネットのストレートヘアに薄緑の瞳。表情豊かな美少女だという。何より性格が良く裏表がない。

「親御さんの教育の賜か持って生まれた素養かはわからないけど」

 後宮に来たその日に、先輩や同僚にあたる侍女から下男下女に至るまで顔を合わせた全ての相手に挨拶と自己紹介をして回った。侍女とはいえ貴族の令嬢から声をかけられ、あまつさえ「ロベリアと呼んでくださいね、よろしくお願いします」と笑顔で頭を下げられた下男や下女は目を白黒させ戦いていたという。

 エークレット王国では旧アスガルド帝国圏時代から受け継がれた慣習として貴人の名を口にすることは禁忌とされているのだ。

「お屋敷では三姉妹に叔母様、従姉妹と九人も女性が暮らしていて不便だから名前呼びしていたそうだけど」

 メリメは苦笑する。アンナは相づちを打ちながら内心ヒヤリとしていた。ヒルダと二人の時は名前で呼びあっている。傍らに居る下男も下女も何も言わないが、アンナの不遜な振舞いを良く思っているはずがない。

 ロベリア嬢が去ると四階に残る令嬢は十三人になるという。

「寂しくなるよ」

 メリメは四杯目を飲み干していた。寝酒にしては量が多すぎる。

「ま、しかたないんじゃない?いつまでも後宮ここに居たって芽は出ないだろうしなぁ」

「陛下の御成りがなきゃ、そもそもも無いわけだしね」

 アンナは六杯目、メリメは五杯目を注ぐ。二杯目からは割らずに飲んでいるので瓶はもう空っぽだ。

 高級な酒は舌触りも喉越しも格別だ。一瓶丸ごとだって飲めそうだ、と思っていた─明日仕事がなければ。

 アンナが名残惜しく琥珀色の液体を見つめていると、メリメはふらふらッと喫茶スペースを出て行き─両手に酒瓶を提げて戻って来た。先のと同じ蒸留酒だ。

 アンナは卓上の空き瓶を見る。六十五という数字が読めた。アルコール度数だな、と思った。

 なみなみと五杯目を注ぎ、アンナにも注ごうとする。継ぎ足されるのが嫌なアンナは慌てて空にしたグラスに六杯目を注いでもらう。

「メリメ、明日の予定は?」

 通常勤務だよ、と答える同期に大丈夫なの?と眉をひそめる。

「何言ってるの、アンナ」

 メリメは可笑しそうに笑う。

「この酒はね、穀物と水だけで出来てるの─ほんのちょっぴりの穀物のエキスとそれ以外は水、つまりほとんどは水なんだから幾ら飲んでも問題なんかないでしょ、水なんだから」

「そうだね、水なら問題ないね」

 でも。アンナは首を傾げる。

「アルコール度数が」

「アルコールはすぐに蒸発するから残らないよ。気化熱っていうじゃない」

「─打ち水とか?」

 そう、とメリメは大きく頷いて次を注ぐ。

 ─ほんとにそうなのか?

 浮かんだ疑問を酒で流し込み、まあいいかと納得するアンナだった。

 どうせ明日もヒルダは居ないのだ。


「でもこの調子だと、四階のお嬢様がたはみんな、離宮へ移ってきそうね」

 後宮は一段と寂しくなるだろう。アンナには関係ないが。

「ところがそうもいかないんだなぁ」

 メリメは二本目の空の瓶をじっと見つめて言った。三本目に手を伸ばす。

 口寂しいな、とアンナは思う。何かツマミがあれば良いのに。

 そんなことを考えながら適当に話を促す。 

「どして?」

「離宮でのこ、雇用条件が厳しいの」

「そっか」

 当然だ。退位したとはいえ国王の身辺に仕えるのだから。

後宮ここが緩すぎってことかな」

「違ッっうって」

 メリメが勢いよく左右に頭を振った。ぶんぶんと音が聞こえる気がする。

「酔いがまわるよ、メリメ…」

「だいじょぉぶ」

 メリメは目がすわってる。言葉も少し怪しくなってきた。

「せんだいさま、メリウスさまのお好みがね、むつかしいらしいよ」

「メリウスさま…」

「そう、アンナのだいじなおひめさまの、おじーちゃん」

「おじーちゃん……」

「そ、ア、こらッふけいであろ、おじーィちゃん、とはなんだ。へーかと呼ばんかへ、い、か、」

「メリメがおじーぃちゃん、て言ったんじゃン」

 うふふ、えへ、と二人して笑いだす。

 

 一杯だけネ、のはずが、いつの間にか瓶は二本が空になった。三本目の中身ももう三分の一も残っていない。これっぽっち、残したところでしょうがない。

 しょうがないから全部飲んじゃえ、と二つの硝子杯に注ぎ分けた。

 最後の一杯を飲み干して上機嫌なメリメは、あやしい呂律で滔々と喋り続ける。

 アンナは、ふん、へーえ、そーなんだ、ほぉお、の四語を駆使して話を促す。

「でねメリウスさまがね、むつかしくて、うるさいんだとさ、ぇー、おんなのこの、おんなのこのみ、おんなの、このみ、が。ね」

「ほぉお」

「もっちろん、びじょ、でなきゃだめなんよ。でね、うるさいことになってるのはなの」

「ふん」

「お目目、ぱっちり、きらきら。」

「へーえ」

「おうさまはにじいろきらきらお目目がだいすき」

「そーなんだ」

「おきさきさまはみぃんなにじいろオメメ」

「ほぉお」

「おこさまもみんな、にじいろ、ね」

「ふん」

「おやといになるのもみんな、にじいろ。ほかのはきらぁい、ヤなんだっ」

 両腕を突き上げてぐるぐる回し─ながらメリメはソファーに仰向けに伸びた。

 そのままいびきをかき始めた。

 アンナは琥珀色の靄のかかりはじめた頭で思い出す─努力を始めた。

 なるほどステファン王は虹色の瞳。王母様も─肖像画でしか知らない方だが両目は確かに虹色だった。

 

 唐突に、ヒルダが言っていたのを思い出す。

 お父様は、お父様のお父様と、お父様のお母様とおんなじなの、ホラ。目の色も髪の色も。でもヒルダは一緒じゃないの─

 そう言って目を伏せた、今よりだいぶ小さかったヒルダ。

 あの時自分はなんて答えたんだっけ?

 後宮に来てまだ日が浅かった─こともないか。

 当たり障りのない事を言って誤魔化したんだっけか?

「そーなんだ」

 呟くアンナにメリメがいびきで応じる。規則正しいリズムが心地好く眠気を誘う。

 瞼が重い。

 思考と視界が琥珀色の闇に覆われるなか、ひときわ鮮やかな金色と青の煌めきを見た、気がした。

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