旅人よ風雲乱れさせ
綾成望
忘れられない夢の中
「頼むから、動かないでくれ。殺したくはない」
か細く揺れる蝋燭の灯りが、アルトとルッツと、とある名も知らぬ一家を照らす。
アルトが一家に向けている剣は、それなりに手入れされているため蝋燭の灯りもよく写している。
今、街では至る所で惨劇が繰り広げられていた。
老若男女を問わない悲鳴が、街中で響いている。
平和だった街に惨劇をもたらしたのは、遊牧民崩れの盗賊団による襲撃。
そう、アルトとルッツが共に所属している、サンドラット盗賊団によるものだ。
「おとうさん、おかあさん……」
「大丈夫よマリー……あなた」
「大丈夫。命だけは絶対に取らせないから」
アルトが剣を向ける先では、怯える子供を母が、母を父が、と励ましている。
アルト自身、この一家の命を奪う気は全く無い。いったい何故こんな平凡な一家が酷い目に合わなければならないのかと、酷い目に合わせている側が抱くには少し矛盾した感情すら抱いている。
とはいえ、アルトにはアルトで事情がある。
ルッツが腰の鞘に剣を収納したまま、声を上げる。
「よーしそうだな……。お前、そう。お前だお前」
ルッツは、一家の父を指さした。
「お前、とりあえず家中の金目のもんかき集めてこい。早くしろよ?あんま長いと、大切な家族がどうなるか分かんねえからな」
そう言ってルッツは、アルトに目配せした。
何かあったら、人質はアルトが殺せとルッツは暗に伝えて来ている。
これは、ルッツなりの優しさだ。
サンドラットは盗賊団とは言うが、元は遊牧民。
構成員は成人した男に限らず、当然女や子供も一定数存在する。
そして、ある程度歳をとった子供は男なら皆、女なら才能があれば、盗賊団としての稼業に参加させられる。
そして今回の大規模な襲撃。これが、アルトの初陣だ。
(ま、アルトにも手柄のひとつくらい立てさせてやんねえとな)
ルッツは、団内での立場が不安定なアルトを気遣う数少ない人間だった。
とはいえ、アルトとルッツは普段から話すほど親しい訳でもない。
ルッツのその優しさがアルトにとっては重圧となっている事を、ルッツは気付けていなかった。
その時突然、室内が闇に包まれた。
か細く揺れていた蝋燭の灯りが消えたのだ。
突然の暗闇にアルトもルッツも戸惑っていたが1人、この状況に戸惑っていない者がいた。
「うおぉぉぉぉぉぉ!!」
どこか気の抜ける様な声。
しかしその声には、家族を助けようという強い意志がある。
アルトは名前も知らぬ、一家の父としか言いようの無いあの男。
男が、暗闇の中から剣を構えてルッツの元に走って来た。
この暗闇は男が閉じられた室内の中、窓を微かに開けることで生まれた風によって灯りが消えた事で生まれたものだ。
「んなっ!テメェこのやろっ」
暗闇からの襲撃にルッツの対応は全く間に合わず、男の持っていた食事に使うであろうナイフによって喉をかき切られた。
致命傷を負ってなおまだ辛うじて息があったルッツだが、男はルッツの持っていた剣を奪い取り、そのままルッツを殺してしまった。
「ルッツ!!」
アルトは直ぐに男の家族を盾にすることを考えたが、そこで悩んでしまった。
そして、そんな僅かな隙すらもこの状況では命取りとなる。
月明かりで辛うじて姿を見て取れる男が、ルッツの血で塗れた剣を持ってアルトに向かってくる。
そんな男の一撃をどうにかアルトは剣で防いだが同時に、アルトは後ろに大きく吹き飛ばされる。
まだ年若いアルトと、既に幼い子供もいて毎日働きに出ているような男との間には、埋めがたい筋力の差があった。
こんな状況になっても、アルトはまだ男に反撃する決心がつかずに、男に対して防戦一方でいた。
男の一撃を防ぐ度に、その衝撃を殺しきれず剣を握る手が痺れていく。
男も、中々アルトを殺しきれずに焦燥感を募らせつつある。
男には、早くアルトを殺さないと、盗賊団の増援が来て家族とも殺される恐れがある。
同時に、殺しさえしたら闇夜の中、家族を連れて見つかることなく、近くの下水道に逃げ切れるであろうという勝算が男にはあった。
男の家族もまた、男を信じて黙っている。
そしてとうとう、アルトは男に防御をはじかれた。
がら空きのアルトの胴体。
男は勝利を確信した。
(死ぬ……のか?こんな、こんなところで……)
「それだけはっ!」
瞬間、アルトは考えるよりも早く、衝動的に後ろに下がり、剣を握り直す。
勝利を確信した油断からか、この時の男の振りは大きく、男はまだ体勢を戻せてはいなかった。
アルトの中の、思考の外に存在する衝動はまだ生きていた。
「いやだっ!」
アルトは死への拒絶を口にしながら、最小限の動きで男の心臓の位置を正確に貫く。
戦いの終わり。
アルトは、男を貫いている剣の重さに耐え兼ねて、剣から手を離す。
同時に男も、既に亡骸となっているその身からは力が抜け落ち、手にしていた剣を落とす。
「おとうさん?」
母親に抱きしめられた、幼い子供の父を呼ぶ声が室内に響く。
外の喧騒は先程よりも騒がしくなっていたが、アルトの耳には子供の父を呼ぶ声しか入らなかった。
何とか生き残った安堵と、決心のつかぬままに罪の無い人を殺してしまったという事実に、アルトは立ち尽くす事しか出来ないでいる。
仮に今、例え真正面からであっても何者かに襲われたらアルトは、一切の抵抗も出来ず殺されてしまうであろう。
「なんで……抵抗してきたんだ…………命を奪うつもりは、無かったのに……」
どこか自分に都合が良すぎるような自身の発言にすら、違和感を抱けないほどアルトは気が動転していた。
そんな、どこか沼の底に沈みつつあるようなアルトの意識を目覚めさせたのは、アルトを呼ぶ、聞き馴染みのある声だった。
「おーい、アルト。どこにいるんだー。返事しろー」
「ねえ……ちゃん?」
「お、ここにいたかアル」
返り血一つ無い、街を襲撃する前の綺麗な服のままのアルトの姉、レーダがカンテラを携えて室内に入ってくる。
「アルお前、血だらけじゃないか!大丈夫か」
アルトの元にレーダが駆け寄る。
「大丈夫……全部……返り血だから」
「そうか?ならいいが……って、ルッツの野郎、死んでんじゃねーか!アル、大変だったんだな」
そう言って、レーダはアルトを優しく抱き抱える。
そんなレーダからは、返り血一つないはずなのに、強い血の匂いがする。
アルトは血の匂いに拒否感を感じてレーダを引き剥がす。
負傷も無く、返り血もないというのに強い血の匂いがするという事は、今まで血の匂いが強く漂うような空間にいたということだ。
いったいレーダが何人の人間を殺したのか。
アルトには見当もつかなかった。
アルトに力づくで引き剥がされたレーダは、アルトが恥ずかしがっているのだと思い、笑った。
「さて、もうそろそろ他の連中も仕事を終える頃だ。アルは馬の用意をしときな。後始末はあたしがしといてあげるから」
「後始末……?――!?」
アルトがレーダの言葉を繰り返したのとほぼ同時。
レーダは懐から、小さなナイフを2本取り出した。
そして、それらを投げた。
――どこに?
そんな問いは馬鹿らしいものだ。今この空間に、アルトとレーダ以外で生きているのは2人しかいない。
アルトは部屋の片隅、つい先程まで夫を、父を、亡くした悲しみと恐怖に包まれていた母子に目を向ける。
「あ……あぁ……」
初めから、殺すつもりはなかった。
ふざけた事を考えていると、自分自身でも分かっていた。
仲間のルッツが殺され、自分が殺されるという事態に陥っても、それでもまだ決心はつかなかった。
それでも、殺した。
それどころか、殺した相手が守ろうとしていたものまで、見殺しにしてしまった。
そんな、アルトの心には辛すぎる現実が、たしかに今ここにはある。
しかしレーダ、そんなアルトのおかしな様子に気付くことなく、明るく言った。
「どうした?疲れたか?お姉ちゃんがエスコートしてやろうか?」
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