怒りを食らいし者

サクセン クヌギ

第1話 夜道

「ちょっとそこのお嬢さん」


 後ろから声をかけられた。


 咄嗟に声の聞こえた方を見る。


 そこにはただ闇が広がっている。手に持った提灯を向けるが焼け石に水だ。


 今日は新月。


 提灯がなければ足元でさえも見えない。


 そんなわけで声の主の姿は見えるわけがない。


 思わず持っていた風呂敷を抱きしめる。


 腕の中に抱えている風呂敷からはずっしりとした重みを感じた。


 空気は凍るように冷たく、肺をひりつかせる。


「はい、なんでしょうか」


 あたりは静まり返り、聞こえるのは風の音だけ。


 こんな夜遅くに出歩いている人なんて普通はない。


 今出歩いているのは盗人か街奉行ぐらいだろうか。


 どちらにしてもまだ会いたくない。


「いいものを持っているな」


 心臓が止まるかと思った。


 穏やかなのにも関わらず威圧感に満ち溢れているその声は静寂を切り裂いた後風に飲み込まれた。


 赤く光る瞳が宙に浮いていた。

 

 今まで抱えていた風呂敷をより強く抱きしめる。


 箱の角が腹に食い込む。


 突き刺さすような痛みがすぐにでも逃げ出したい衝動をどうにか抑え込んでいる。


 大丈夫。バレているはずがない。ただ鎌をかけられているだけだ。


「いや、たいそうなものははいっていませんよ。確認いたしますか?」


 嫌でも最悪の想定が頭をよぎる。


「こんな夜中に危ないだろ。最近はこの辺りも治安がいいが女が一人で歩かない方がいい。私が送ってやる」


 声の主が近づいて来る。


 手にある提灯の柔らかい光がぼんやりと姿を照らした。


 大柄な体格に上質そうな服を身にまとっていた。


 顔のあたりはあまり照らされていないのでしっかりとは見えない。だが、力強い赤色の光がしっかりとこちらを捉えている。


「いいのですか?何か用事があったのではなくて?」


「あなたを危険にさらしてまでするほどのことではない」


「ではよろしくお願いします」


 私に選択肢はなかった。


 未だに襲われていないことを踏まえて考えればこの男は街奉行なのだろう。


 ただでさえ夜中に女一人で歩いていて怪しいのだ。これ以上怪しまれたくない。


 私は提灯を男に預けた。男はそれを受け取ると私の前をゆっくりと歩き始める。


 提灯の光は体に隠されに隠され、洩れる光は男の大きな背中を浮かび上がらせる。


「どこに向かっている?」


「街はずれの人形職人の家まででございます」


 この時間に街はずれに向かうというのは変な話だろう。でも、私はそこに着くことができればいい。


 着くことさえできればその後私がどうなろうが構わない。


 この男に怪しがられようが関係ないのだ。むしろ町奉行が付いていれば盗人も手を出してこないだろう。

 

 男は振り返ることなく歩いてゆく。


 男の影は全く動かない。まるで滑っているかのようで、只者ではないことを物語っていた。

 

 しばらく進んだ時、男が急に口を開いた。


「お嬢さん、そんなに私のことを警戒しないでくれ」


「いいえ、警戒なんてしてないですよ。だってあなたはこんなにもやさしいお方なのですもの。するわけがないでしょう」


「隠さなくていい。私はあなたの感情が手に取るようにわかる」


「それはどういうことですか?」


 私は男が言っていることが理解できずに混乱した。ふつふつと込み上げてきた怒り。


「あなたは他人の心を覗き見ることができるのですか?」


「いや、そんな便利なものではない。私がわかるのは怒りについてだけだ」


「では、私がどんな怒りを抱いているというのですか?」


 私はつい語調が強くなる。この怒りが他人に知られるわけがない、理解されていいわけがない。適当なことを言う男が許せなかった。


 そんな私と裏腹に男は淡々と語り始める。


「私が感じる怒りは3つ。


 1つはあなたの心の中に踏み込んできた私への怒り。


 2つ目は姉を追い詰めた男への怒り。


 最後は復讐することを何かと理由をつけて免れようとする自分への怒り。


 この三つだ」


 私は体の中が冷えるのを感じた。


 あらゆるところに鳥肌が立ち、汗が止まらない。私は風呂敷を両手で抱えた。

 

 どうして復讐しようとしていたことがばれたのかはわからない。


 彼が奉行の場合、私の計画は止められてしまう。


 私の頭に冷酷な考えが浮かぶ。


 箱の中には男のような大きな男でも一瞬で仕留められるという『ぴすとる』というものが入っている。


「安心しろ、別に私はあなたの復讐を止めるつもりはない。例え人の命がかかっていたとしても」


「どうしてですか?あなたは街奉行ではないのですか?」


「いや違う」


 男は振り返ることはせずただ歩みを進めていた。ならばこの男は何者なのだろうか。私は整理のつかない感情がこみあげてきて抑えられなかった。


 人知れず涙がこぼれ落ちた。


 おかしい。あの時でさえ落ちなかったのに、落とさなかったのに。止めようとしても次々あふれ出してきて止まらない。


 男の背中が揺れる。私はとうとうしゃがみこんで泣いてしまった。あんなにばれないように音を立てないようにしていたのが馬鹿らしくなるぐらい声を出しながら。

 

 私の肩に大きな手が乗った。暖かい安心する、とある人によく似た優しい手。


 顔を上げるとそこには男の顔があった。片膝をついているので提灯の光が顔をしっかりと照らし出す。


 しっかりとした鼻筋に気の強そうな太い眉毛。暗闇では怖かった赤色のまなざしは優しく私を見ていた。


「私の話を聞いてくれますか?」


 私はそう言わずにはいられなかった。さっきまでバレないように必死だったのに。


 男はゆっくり、けれどしっかりとうなずいた。

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