夏の独り言

@ajipon009

第1話

僕はフユト。

僕には、兄がいました。名はアキト。

僕たちは双子で、同じくらいの背丈で、同じ顔、同じ声をしており、造形の全てが同じでした。

僕は兄のことが好きでした。たぶん。

――いや、もしかしたら嫌いだったのかも。

兄のことをどう思っていたのか、今となっては、わかりません。


見た目は同じでも、僕と兄は正反対でした。

僕は生まれつき病弱でしたが、頭がよく、ある程度のことは器用にこなせました。そして、みんなから愛され、可愛がられていました。

逆に、兄は頭が悪くて、不器用で、声が大きく、ガサツでした。

だから母は、兄のことが嫌いなようでした。

兄はいつも口汚く罵られ、殴られていました。とても可哀想でした。そしてとてつもなく、みじめでした。

 

一度だけ、兄のことを可哀想に思った僕は、晩ご飯を与えられない兄のために、食べずに取っておいた夕飯を兄にあげたことがありました。

でも、母に見つかってしまい、また兄は殴られました。

兄が絞り出すように、フユトがくれた、と言ったら、母は「嘘つきだ!」「泥棒だ!」と喚き散らしながら、兄を寒い冬のベランダに閉じ込めたことがありました。

僕は兄のことを助けたかったのに、怖くて、本当のことを言い出せませんでした。

…いや、違う。いい気味だと思って黙っていたのかな。わからないや。

まあ、兄のいない今となっては、全てがどうでもいいことです。

 

あの日の。兄が居なくなった日のことは、今でも鮮明に覚えています。

学校からの帰り道、今日と同じ、茹だるような暑い日のことでした。

「どうして家に帰らなきゃいけないんだろ」

兄が言いました。兄だっけ? 僕? まぁいいや。

とにかくもう一人の僕が言いました。

「どうしてって、帰らないとお母さんが心配するじゃない」

「心配されるのはフユトだけだろ…」

ちょうど踏切の音が鳴ったので、はっきりと聞こえなかったような気がしますが、確かに兄は、そう言いました。そして、小さく舌打ちをして、足元の小石を蹴り上げました。

小石は小さく跳ねながら、目の前の踏切を超えて、線路の埋め込まれたレールの溝に、すっぽりと挟まりました。

「ねえ、お兄ちゃん、そんなことしちゃ危ないよ」

「は? 何が?」

「線路に石を置いたら、電車が脱線しちゃうかもしれないんだよ。」

カンカンカンカン―――。耳元で踏切の音が響いています。

「……知らねぇよ。みんな死んじゃえばいいんだ。」

そう言って、ほんのわずかの間、僕は下を向いていました。

油照りの中、狂ったように鳴き続ける蝉。追いかけてもたどり着けない逃げ水のように、僕の望みは叶わず、そして、僕はどこにも行けないのです。


――ふと、気付くと、下りた遮断機の向こうに、僕が居るのを見ました。

背中からはみ出るくらい大きなランドセルを背負って、もう一人の僕がにっこりと笑いかけるのです。

「石、とれたよ」

嗚呼。


そして僕は、何をしたのでしょう。

僕は僕に、何をしたのでしょう。

 

しばらくして、誰かに肩を激しく揺さぶられるまで、僕は意識を失ったように呆然としていました。

どうやら僕はアスファルトの上に座りこんでいたようです。目の前に、母の顔。そして、周りにはたくさんの大人たちがいて、何か大変なことが起きたのだとわかりました。

ぼんやりと母と目を合わせると、母が泣き叫びながら言います。

(母)「あれは、どっち!?」


なんだか僕は急に、すべてのことがどうでもよくなって、可笑しい気持ちになってきました。あんなに可愛がっていた僕のことがわからないなんて。

「お母さん、僕だよ。フユトだよ」


僕がそう言うと、「よかった…!」と言って、母が僕を抱きしめました。

僕の、ずっとずっと望んでいたものが、そこにありました。

僕は踏切の向こう側に。遠い夏の逃げ水に、やっとたどり着いたのです。



(母)「ねぇフユト、いつまでそこに座ってるつもり? せっかく帰ってきたんだから、お母さんの晩御飯、食べて帰るわよね?」

僕にだけ優しい母の声で、我に返りました。

「うん、もちろん。僕、お母さんのご飯が一番好きだもの。」

仏壇の中の、いつかの惨めな僕の写真を眺めながら、僕は答えました。

ゆっくりと母を振り返り、立ち上がります。

「お兄ちゃん、どうして?」

ふと、誰かの声が聞こえたような気がしました。懐かしい、もう一人の僕。

同じ造りのはずなのに、どこか儚く、美しく、愛された僕。健気で、優しくて、いつも妬ましかった。本当に大好きで、大嫌いだった。

僕があの時、石を蹴らなければ。

僕があの時、フユトを――。


いや、そんなこと、もうどうでもいい。

僕のいない今となっては、もう全て、どうでもいいことなのです。

 

茹だるような暑さ。消えゆく線香の煙の先に、あの日と同じ蝉の声が響いています。

これは僕の、夏の日の独り言なのです。

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