第10話 村の伝承

 私たちは娯楽もないため、客間で悠久の時を過ごすかのように、暇だった。そこへ、豊さんがやってきた。

「村田さん、これ、今年の正月明けに、屋敷のみんなで撮った集合写真なんです。これが父です」

 豊さんは写真に写る弥太郎さんを指差した。

「んー、とても繊細で紳士的な方に見えますね」

 係長だけでなく、私もそう思った。遺言状公開の場で見た弥太郎さんとはとても同じ人だと思えなかった。

「やさしかった父が、あんなに変わってしまって……」

「豊さん、これ、写メ取っていいですか?」

「ええ、はい、どうぞ」

 係長はスマホで写真を保存した。

「係長ー、弥太郎さんじゃなくてー、メイドさん目当てですよねー」

「違う!」

 係長は少しニヤけていた。たぶんメイドさん目当てで写メを撮った気がした。


 やっと夕方になり、食事の時間になった。私たちは広い洋間へと通された。大次郎さんが私たちを見るなり、杖を振り上げた。

「何だ、お前らも、まだいたのか!」

「おじさん、いい加減にして下さい!」

「明日にでも帰れ!」

 大次郎さんの暴言はみんなを不機嫌にさせていた。弥二郎さんに対しても睨み続けていた。

 おいしい夕食の後、ティータイムで係長は相変わらずコーヒーを飲んでいた。使用人の青田さんと赤羽さんのことをジロジロ見ながら。京子は完璧に係長を見張っていた。

「おう、何だよ、磯田」

「係長ー、見るだけでもー、セクハラですよー」

「おう、俺は庭の景色を見てるんだよ」

 係長は椅子から立ち上がって、ハードボイルドっぽく、少しライトアップされた猫髪屋敷の美しい庭を窓越しに見ていた。全くハードボイルドに見えなかったが。その係長のすぐ斜め後ろの席で、戌井さんがお碗の中に小さな木彫りの人形を投げ入れていた。

「あの、戌井さん、何をされてるんでしょうか?」

「おっほっほっ。占いですのよ。私が発明した犬占いですの」

 戌井さんは、消しゴムくらいのサイズにデフォルメ化された犬の人形を、お碗に投げ入れたり出したりしながら、ぶつぶつと呪文を唱えていた。

「何か、悪いことが起こるかも知れませんわね。おっほっほっ」

 不気味ではあったが、ゆる〜い占いだった。


 それから私たちは客間へ戻った。

「係長、明後日に行われる “猫猫丸びょびょまる祭り” ですが、それまでここに滞在するのでしょうか?」

「おう、そのつもりだ」

「それまで私たちの休暇、んでしょうか?」

「……おう、そうだな……」

「係長ー、報酬もらえるんですかー」

「おう、警官がそんなのもらったらヤバいだろ。でも戌井弁護士に貸しができる。弁護士に貸しつくっとくと、いざという時に頼りになるぞ」

「でも、係長、“猫猫丸祭り” が明後日で良かったですね。もし一太郎さんが亡くなるのがあと数日遅かったら、“猫猫丸祭り” まで一年待つことになってましたから」

「おう、一太郎さんには悪いが、不幸中の幸いみたいな感じだな」

 係長はまたインスタントコーヒーを入れていた。



 私は、持ってきた民俗学の本を読み始めた。“猫猫丸祭り” のこともちゃんと書かれてあった。“猫猫丸祭り” とは、毎年十月、神無月の始めの日曜に “猫猫丸大明神神社びょびょまるだいみょうじんじんじゃ” で行われる祭りということだった。元々は、“猫殺無情左衛門ねこごろしむじょうざえもん” と “猫猫丸びょびょまる” の霊を鎮めるために始まった祭りだった。人々は猫の仮装をして参拝し、境内で酒を飲んだり、踊ったりしていた。だが、明治期に “猫猫丸大明神神社” で、村人の竜田タツコが猫の被り物を頭から被って祭りに参加している時に、足を滑らせ本殿裏の滝壺に落ちて死亡するという事故が起きた。それ以来、“猫猫丸祭り” ではその日の夜に、鎮魂のために女性が猫の被り物を被り、本殿の裏側にあるタツコを祀ったタツコ石に参ることが行われている。タツコ参りする女性は村人の中から選ばれることになっている。それには理由がある。昭和五十年に、一般客が遊びで祭りに参加し、ふざけてタツコ参りをしたところ、誤って滝壺に転落して死亡した。この事故は呪いだと騒がれ、全国紙で報道もされた。そのことから、猫田一族の遠縁にあたる村人の中からタツコ参りの役を選ぶことが慣習化した――。



「いやーーーーー!」

 突然京子が悲鳴を上げた。

「京子、どうしたの!」

「“猫猫丸祭り” 、怖いー!」

 どうやら、私はまた無意識のうちに声を出して読んでしまっていたようだった。

「おう、なんか、心霊特番とかで取り上げられそうな祭りだな」

「いやーーーーー!」

「京子、大丈夫よ、落ち着いて」

 京子は縮こまって震えていた。

「おう、磯田、そんなに怖いんだったらよ、俺に抱きついてもいいんだぞ」

「絶対いやーーー!」

 京子は普段ならセクハラ相談窓口に通報すると言うのだが、それも忘れるくらいに怖がっていた。

「おう、そろそろ寝るか」

 係長はふすまで部屋を半分に仕切った。

「これで、よしと。じゃ、俺寝るわ。覗くなよ」

 係長はふすまの隙間から顔を半分だけ出して言った。すごくキモかった。

「係長、絶対にふすまを開けないで下さい。スマホで録画しておきますので」

「……」 

 係長は想定外のことに驚いていた。私は京子を落ち着かせてから、眠りについた。

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