SideB 隠し要素は早めに教えて下さい09

 コンコンと俺は101号室の扉を小突く。以前にも言ったがこの年季だけがアイデンティティのようなボロアパートに呼び鈴なんてものはない。


 結局あの後泣き崩れた有栖をずっと宥めていたが、途中からなんだか有栖が抱き着いたまま俺に寄り掛かるようになったのを感じ、どうやら泣きつかれて眠ってしまったようで。まあどうせ食堂のすぐ横だからとそのまま抱きかかえて連れてきたわけだ。


 夜ということもあって辺りは静かだからそんなに大きく小突かなくとも十分音は聞こえるはずだ。あと、先ほどの様子だとあの幼女、絵芽はもう寝ているだろうし起こしたら可哀想だ。あと、起こそうもんなら志亜さんの中の眠れる獅子も目を覚ましそうでなんか怖いというのがまあ理由のほんの九割位を占めている。


 ドアが開くと志亜さんがぎょっとした表情で俺を見る。どうやら向こうも先ほどのやり取りの後すぐまた俺が来ると思ってなかったのだろう。


 俺はその仕草に反射的に身構えそうになるがすぐさま頭を深々と下げる志亜さんを見て口をへの字にする。


「あ、有栖がまたご迷惑をおかけしたみたいですみません。迎えに行っていただいただけでもお手間おかけしたのに、本当にすみません」


 肩透かしを食らったというのが率直な感想だ。というよりももしかして志亜さんは先ほどの俺とのやり取りの記憶が無いのか?


「え、ええっとまあ有栖も今日はなんだかんだ疲れがたまってたんでしょう。はは、あとはお願いしてもいいですか、"管理人さん"」


 俺はそう言って有栖を起こし、地面におろして一旦立たせようと姿勢を低くしようとしたが、すっと腕の中の温もりが重みとともに消える。


「なんだ……志亜さんと呼んでくれるんじゃなかったのか?」


 俺の腕から有栖を奪った女の声は志亜さんであってそうじゃない。なんだよ……騙して俺の反応でも楽しんでたっていうのかよ。


「ふふ、そう怒らないでよ"クロス"。いや、この世界では十字だっけか? ふふ、そうでしたね、十字さん」

「あんた、もしかして二重人格かなんかか? 今までも俺の正体を知って偽っていたんだろ?」


 俺の問いに"シーア"はくすりと小さく声を漏らす。


「どうだろうな。私もまたあなた同様"安定していない"身だ。だから正直あなたのことはあまり意識していなかった……というのが正直なところだ」

「安定していない? さっき有栖や零華にも言われたが俺やあんたは他の住人と違ってなんだか訳ありみたいだな」

「そうだな、まああなたの存在が破壊されかけたのは私のせい。その点に関しては好きに恨むといい」

「……そこはふつう"ごめんなさい"じゃないのか」

「まああまり気にするな」

「少しはお前……気にしろよ」

「ぷっ……あはは!」


 それまでのどこか余裕に満ちた表情から一変しての無邪気な笑いに思わず驚いてしまった。そんな俺の様子を見てすぐさままたどこか小ばかにしたような嫌な笑みを浮かべてくる。


「まさかあなたとこんなたわいもない会話ができる時が来るだなんて」

「なんだ、元の世界じゃ険悪だったのか?」

「いえ……嫌ってたのよ、私が一方的にね」

「お前やっぱり一回俺に謝っとけ」


 シーアは笑いをこらえるよう口をぐっと閉じている。本当に憎たらしいが……いやな気分ではないのはどういうことか。


「これからも有栖の傍にいてやってくれ……十字」

「ん? な、なんだよ急に」

「言葉通りだ。有栖はさみしがり屋だ。誰かが傍にいてやらないと可哀想」

「それならあんたが……」

「私じゃ駄目だ」


 抱きかかえている有栖を決して俺に向けることはないであろう愛おしそうな表情で見つめるシーア。


「私は"エメル"の傍をもう離れたくない」

「"エメル"? あー……もしかして絵芽のことか?」

「そうだ、私の一番大切な人。もう片時も離れたくない。そうじゃないと……私は"また"壊れてしまう」

「え?」


 俺が色々と驚いているのを見てまたくすりと笑うシーア。


「おしゃべりはおしまいだ。明日からはまた"管理人さん"と呼んでくれ。その方が私もあなたという存在を意識しなくなる。その方が、あなたの理想とする"志亜さん"のままでいられるぞ」

「理想ってお前……」

「はは、まあ同じこの世界にいるが、面倒ごとはあなたたちに任せてしばらくは大人しくしている」

「面倒ごとってわかってるなら手伝えよお前……」

「そうだな……"四度目"になったらさすがの私も力を貸そう」


 "四度目"とは何かと思ったが、すぐさまその意味を悟る。


「つまり三度目までは傍観ってことか」

「ふふ、言っておくが私に手を出すなといったのは有栖なんだぞ……」


 そう言って志亜さんはそっとドアを閉じた。まだ色々聞きたくもあったが、なんだか俺も色々あって疲れたし眠い。睡淵アビスビズとか言ってたっけかあのトカゲの毒は。はは、そんな毒くらわなくたって疲れるし眠気はくるんだよな……人間は。


* * * * * *


「いやぁ、持つべきものは大型車という素晴らしき輸送手段を持つ仲間だな」

「せめてもう少し誠意というものを込めてそういう台詞は言うがいい、十字」


 助手席で腕を組み気楽な姿勢をとる俺を横目で恨めしそうに睨む力也。相変わらずのタンクトップに作業服のズボンを履いてのガテン系スタイルだが、こいつ今日仕事は休みだって言ってたよな?


「お前、もしかしてそれ作業着兼普段着なのか?」

「うむ。なんとも身軽で汚れも気にせず着ていられる良きデザインの服だ。我が国でも是非採用したいぞ」

「王族がその服を着て人前に出たら威厳ないと思うんだが……」

「立派な衣に頼らないと威厳もないというのならそれは王ではあるまい」

「む……」


 くそう、かっこいいこと言いやがって。俺は思わぬ返しに言葉が詰まり、すっと後部座席へと視線を逃がす。3列タイプのワゴン車……というか力也の社用車なわけだが、後ろに乗っているのは全部で四人。


「なんですの? そんなやる気ない顔で?」

「一応これ普段の表情のはずなんだが?」

「あらあら、それは失礼しました」


 俺の真後ろ、真ん中の列に座る女性は開かれた窓から流れ込む風にその長髪をなびかせ、快適そうに微笑んでいる。相変わらずの無駄な上品さと不要な高飛車スタイルでこちらを小ばかにする零華。土木工事用のどこか土や木材のにおいが香る場違いな車内で優雅に足を組み、窓の外へと視線を戻す。


「んー? 着いたのか?」

「あと5、6分ぐらいとかじゃないですかね? だからそろそろ起きて下さいねどら子さん……もう肩が痛いです」


 最後部の座席に並ぶ二人の女性。どら子と飛鳥ちゃんだ。どら子は道中ずっと飛鳥ちゃんにもたれかかるようにして眠っていたようで、飛鳥ちゃんはようやく解放されたとどら子を支えていた右肩をほぐしている。


「今日はやけに静かだが……もしかしてお前も寝てるのか? 有栖」

「ね、寝てませんよ!」


 俺の言葉に顔を赤らめしどろもどろ答える有栖。朝に食堂で顔を合わせてからずっとこの調子だ。まあ……昨日のことを引きずっているんだろうな。


「何かあったのか? お前たち?」

「な、何もありません! それよりちゃんと前向いて運転してください、力也さん!」

「う、うむ……」


 アリスの気迫にすっと視線を前に戻す……かと思いきや横にいる俺のところで寄り道をする。


「何かやらかしたのか十字?」


 有栖に聞こえぬよう小声で実に失礼なことを俺に問いかける力也。


「やらかしたのは俺というか有栖じゃないかな」

「じゅ、十字さん! 助手席なら口を閉じてナビに集中してください!」


 それだとナビできないだろ、と思うも力也もさすがにこれ以上聞くのはまずいと悟ったようで苦笑いを浮かべたまま前を向く。


「ふふ、あのあと早々にお二方を残して去った私の判断、気配りは正解でしたのね」

「え、あの後何かあったんですか? 零華さん」


 零華の意味のない意味深な言葉に飛鳥ちゃんが思わぬ食いつきを見せる。それを有栖がこれまたしどろもどろ何もないと弁明をしている。まあ飛鳥ちゃんぐらいの年齢だとこの手の話題は興味がわくのだろうか。


 どや顔を浮かべる零華と目を輝かせ座席の間から顔をのぞかせる飛鳥ちゃん。そしてその二人のやり取りを必死に止めようと慌てる有栖。そして大きな欠伸をかいてだるそうに頬杖をつくどら子。


「一名色恋沙汰には興味なさそうなのがいるみたいだな」

「ああ、そういうのは退屈だ。それよりも、目的地は本当にこっちであってるのか? もう周りに何もなくなってからだいぶ走ってるぞ」

「ん、ああ、あってるぞ。その証拠にほらあそこに神社が……あれ?」

「ふむ……妙だな。以前貴様らはバスを降りて歩いてあの神社まで来たと聞いたが、この何もない道を走って"車"でも十数分の道を歩いたというのか?」

「おかしい……こんなにも長い道のりじゃなかったはずなんだが」


 どら子と力也、そして俺の疑問が一致する。力也は車を止め、目の前にどこかそびえたつような神社に目を向ける。


「これは……世界が調和のため変化しているということか?」

「はは、そういや前のネズ公のときもあたしたち以外にあの場には人がいなかったな」

「もとからあの路地裏を早々好んで歩くような奴はいないだろうが、あの時は確かに俺たち以外にあの場に人が来る気配もなかったな。おい有栖、お前何かこの状況を……」


「だから何もなかったんですって! 昨晩は!」

「じゃあ教えて下さいよ有栖さん。零華さんが去った後の抱き合う二人の顛末を」

「ふふ、野暮ですわよ飛鳥さん。私にはわかりますわ……まあ聞かないのが大人の女というやつですよ」

「えー、でも今後の参考にもう少し具体的に、ね? ね? 有栖さん?」

「だーかーらー!」


 俺と力也、そしてどら子の冷ややかな視線に気づく様子もなく、依然としてじゃれあう残り三名。まだやってたのかよこいつら……。


* * * * * *


 人気がないというよりは人の気配がなんだか消えたというほうがしっくりくるな。俺は眼前に広がる鬱蒼とした木々、その中を伸びるように続く石階段を見上げ、あらためてこの場所の異常さを実感する。


「この世界もどうやら希源種オリジンワンという異物を隠ぺいするのに必死というわけだな」


 力也がすっと階段の一段目に足を乗せ、俺同様その先に続く木々でできた影のトンネルを見て表情を引き締める。


「おそらく、この世界の防衛機能みたいなものでしょうか。明らかに異物を隔離するように……世界が創り変えられていますね」


 俺はすっとズボンのポケットに手を伸ばし、スマホに触れる。先ほどの記憶、マップアプリでこの地を見た時の異常自体に思わず息をのむ。


 結論だけ言うと、この地は"存在しない場所"になっている。"ハビグマ湖"や"カルレウム"といった日本じゃ見かけないであろう地名が現れては消え、俺たちの位置を指すピンも現れては消えてを繰り返している。


「"ハビグマ湖"……"カルレウム"……ふふ、思い出しますわね、あの時を」

「なんだ零華んところの国なのかここは?」


 どら子の問いに零華は首を横に振る。


「いいえ、ここは異世界。私の故郷ではありませんわ」


 おそらくだが、この謎の地名は零華たちがいた元の世界の地名なんだろう。だが、それがこうしてこの世界で表示されるとは……なんかこれってまずいんじゃないか?


「なあ有栖」

「はい?」

「この世界って俺たちを受け入れるためあの共会荘の住人の存在を今の俺たちで上書きしたみたいなこと言ってたよな」

「そうですね」

「そこまでして俺たちの存在を隠す世界で万が一希源種オリジンワンなんてものの存在が知れわたったらこの世界はどうなるんだ?」

「……最悪世界そのものが私たちのいた元の世界に上書きされ……いえ、もしかしたら調和がとれず崩壊なんてことも?」

「何その隠したらまずいタイプの隠し要素……は? え? それ最高にまずいし早めに教えておいてくれないとやばい奴だろ。前のスーパーで"ランビレオン"が姿を見せてたらどうするんだよ」


 俺の追及を冷や汗交じりのてへぺろでごまかそうとする有栖。説明忘れてたなこいつ……。


「ふふ、まあ最悪動物園から逃げ出した珍しい爬虫類が店に迷い込んだ……なんてことになるんじゃありませんこと」


 そういって先を歩き出した力也やどら子の後ろを取り出した扇子片手についていく零華。


「今回できっちり決着をつけましょう、十字さん。今日はまだ昼前、いまからが私の本領発揮の時間です。後れはもう取りませんからね!」


 飛鳥ちゃんもすんすんと鼻を小さく膨らませ、臨戦態勢といった様子でまた前へと歩き出す。小さくなっていく二人の背から横に立つ緊張した面立ちの有栖へと視線をスライドする。


「今度はさらわれないよう気をつけろよ、有栖」

「わ、わかってます! わかってますよ……うぅ……」


 おー照れてる照れてる。まあ、どこかまだ本調子じゃない様子だが、あんまり引きずられても困りものだしな。


「ひゃっ!?」


 その小さな頭にポンっと手をのせると有栖がビクンと体を震わせる。


「とりあえず、俺の傍を離れるな。今度はちゃんと守るように適度に努力するからよ」


 言っておいてあれだがそんなぽかんとした顔で見られても困るんだが……あ、一瞬照れたなこいつ。有栖はぶんぶんと首を振り、そっと俺の服の端を掴む。


「そこは必ず守る、ぐらい言ってほしいところですねぇ私としては」

「おう、自分の命は必ず守るぞ。その次ぐらいな、お前守るのは」

「もうっ! 少しぐらいかっこいいところ見せてくれてもいいじゃないですか!」

「はは、期待する相手を間違えたな」


 少し不機嫌そうな表情でツンと俺から顔を逸らす有栖。だが、その手はなおも俺の服をしっかりと掴んでいる。そうだな、かっこよくなくてもいいからなんとかして今回は守ってやらないとな。


 気を引き締め、俺と有栖もまた鬱蒼とした木々の中に続く石段へと歩き始めた。

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