SideB 隠し要素は早めに教えて下さい07
見慣れた建物に少し安堵を感じる。日はすっかりと暮れ、チカチカと切れかけた街灯に照らされた古びたアパート、住み慣れた我が家。はは、本日二回目の感想だなこれ。
帰って早々少し感傷気味になったが、まあ無事こうして共会荘に戻ってこれたことを喜ぼう。俺はすっと横に立つお疲れ気味の有栖を見て思わず口元が緩みそうになるのをこらえる。
「
「あー、そういやただの睡眠薬とは違うんだっけかそのアビスなんとかって毒は」
「ええ。この世界にはないんですか?
「聞いたことないなそんな名前の毒は。まあ、俺も医学や薬学はちんぷんかんぷんだから探せば似たような成分の薬とかあるのかな? まああっても絶対飲みたくはないが」
たわいもない雑談にどこかゆるむが有栖にがっしり掴まり今なお辺りをきょろきょろ警戒する飛鳥ちゃんを見て有栖に早いところ戻ろうと目で合図を送る。だが有栖の視線はすでに共会荘から漏れる灯り、一階の食堂へと向けられている。
「まだ食堂に誰かいるみたいですね……いきましょう十字さん」
「お、おう」
険しい表情を浮かべる有栖。そういえば迎えに行ってすぐもなんだかショックを受けていたようだったし、それに、何やら管理人さんは今回の件知ってそうだったしな。
有栖が先陣を切るようにすたすたと食堂へと向かいガラス戸をガラガラと開ける。俺も続くが中にいたのは三人。
「ああ、お帰りなさい十字さん。それに、有栖も連れ帰ってくれたみたいでありがとうございました。晩御飯が冷めちゃったのですぐに温めますね」
椅子に座っていた黒髪の見目麗しき女性は俺たちを見てすぐさま立ち上がり、食堂の隅にある大型の冷蔵庫へと向かっていく。
「帰りが遅かったので少々心配しましたわ。その節はご迷惑をおかけしたようですみませんでしたわ」
どこか安堵したような笑みで俺たちを迎えたのはこれまた見目麗しい……が少々高飛車な女性。どうやら無事こっちも目を覚ましたようだな。
「もう大丈夫なのか、零華?」
俺の問いにどこから取り出したのかすっと扇子を眼前で開く。
「ええ、すでにご存じかもしれませんが
「ん? ああ、"ランブル"だっけかあの化け物のモチーフは。そいつも臆病なんだっけか」
「ええ、そうですわね」
俺の答えが的を得ているのか得ていないのかよくわからないが、今はまあ気にしなくていいだろう。それよりも……意外なのがもう一人いるな。いや、こいつもなんだかんだ心配だったのか、妹が。
「日が暮れて多少は心配はしたが、さすがは我が妹。無事戻ってきたようで何よりだ」
椅子に深く座り、腕を組んだままぶすっとした表情の男、力也だ。こちらを見る素振りはなく、いつもとは違いどこか物静かな口調で飛鳥ちゃんへと労いの言葉をかける。
「兄様、その、すみませんこんなに遅くまで。明日もまた朝早くから仕事があるというのに。それに……情けないことに私は
「なに、気にするな」
「で、でも……これでは下の者に示しがつきません」
「くっくっくっ、この世界には我らに従う下の者などいない。だからそう気を張るな飛鳥」
慌てるように兄である力也のもとに駆け寄った飛鳥ちゃんの頭をポンと撫でる力也。おお、なんだかちょっと見直したぞ。あと普段からそのぐらいのトーンとテンションだと俺の評価上がるぞ?
「飛鳥の面倒を見てくれたようだな、十字」
「ん? あ、ああいや別に。俺は大したことしていないぞ」
「そう謙遜するな。まあ、この借りはいずれ。さあ、帰るぞ飛鳥よ」
「は、はい、兄様」
立ち上がり食堂を無言で後にする力也を見て飛鳥ちゃんは慌ててその後を追う。その表情はなんだか嬉しそうに見えた。まあ、力也もなんだかんだいい兄なのかもな。
俺と有栖は力也や飛鳥ちゃんとすれ違うようにして食堂の席に着く。その前にすぐに管理人さんがお茶の入ったグラスを置き、彼女もまたもと居た席へと座りすっと自身の飲みかけのグラスに口をつける。
「お疲れでしょう。まずはそちらのお茶でもどうぞ」
「あ、ありがとうござ……」
「志亜さん」
俺の感謝の辞を遮る形で有栖が割って入る。何やら有栖が怒っているのか少し苛立っているように見える。
「あなたはわかっていたんですね。今回の
「どうしたの有栖? 突然何の話?」
「今回の
「"ランビレオン"?」
「……しらを切りますか」
管理人さんは有栖の意図が分からないのか、それとも意図を汲み取ろうとしないよう努めているのか。まあ俺のあてにならない予想では……後者なんだろうな。
「おい零華」
「なんですの?」
二人の間のどこか張り詰めた雰囲気から逃げるように俺は椅子を移り、グラスのお茶で優雅にお茶会モードに浸っている零華をつかまえる。
「管理人さんもお前らの世界から来た異世界出身なんだよな?」
「え、なんですの唐突に? そんな女性に関してこっそりあれこれ聞くのはタブーですわよ」
「うるさい。なんか早めに知っておいたほうが俺にとって得な気がするんだよ。早く教えろ」
「うーん、まあ教えたいのはやまやまなのですが。どう説明すればよいのやら……」
頭を抱え考え込む零華。え、なに? そんなに立場が難しい存在なのか?
「あら、私は仲間外れですか? 十字さん」
背中からの声に思わず表情がひきつるのを感じる。素直に言ってなんだか怖い。
いつのまにか俺の背後からすっと温められた晩飯の盛られた皿を置き、耳元で囁くように語りかけてきた管理人さん。
「し、志亜さん、まだ話は終わってませんよ」
「ふふ、そうね。おしゃべりは好きだから部屋に戻ってからゆっくりと。晩御飯早く食べちゃってね。あ、絵芽がそろそろアニメを見終わって暇になる頃だし、食器の片づけはお願いしてもいい? 有栖?」
「そ、そんな場合じゃ……」
「……私の力が必要か? 有栖?」
俺にもわかる。これが空気が変わったという感覚なんだろう。歩いてきて少し火照っていた体からすっと熱が抜ける感覚。
管理人さんの問いに思わず言葉を詰まらせた有栖。なんか管理人さん、雰囲気どころか口調まで唐突に変わったようだが……。何事かとそっと横にいる零華に聞こうかと思ったが零華も有栖に似て何やら困惑した様子だ。
「そうでしたわ……志亜さんがあの子と離れてすでに一時間……まずかったですわね」
零華は何かに気付いたのかきゅっと唇を噛み締める。
管理人さんは有栖にも俺同様に晩飯の皿を給仕しながら同時になにかをすっと有栖の前に置いた。それを見た有栖はぎょっと驚愕の表情を浮かべる。零華はというと……あ、俺同様なんもわかってないようだな。首傾げてるわ。
「これ……"ディペン"ですか!?」
「そうだ……今の私には必要ないものだ。あなたたちが使うといい」
"ディペン"? 何やら古びたアンティークものの万年筆に見えるが。向こうの世界の特殊なペンとかか? ああでもそれなら零華も知っているはず……とか思ってたら零華もなんだか顔が青ざめている。"ディペン"と聞いて何か思い当たる節があるのか?
俺の思考が堂々巡りを始めようかというところで管理人さん……いや、なんだか別人のような雰囲気を漂わせる目の前の女性は笑みを浮かべる。
「これで"ランビレオン"をもとの世界に還してやってくれ、"アリス"、"レイア"」
今度は零華がぎょっとした表情で管理人さんを見る。今"レイア"って言ったよな? それってもしかして……?
「あなた、そのペンはもしかして"この世界に来る"ときの……」
「そうだ、"鍵"だ」
管理人さんが"鍵"と言ったその万年筆を手に取り、有栖はどこか緊張した様子でペンをまじまじと見つめている。
「"アリス"?」
「は、はい。なんですか?」
「私は……"ランビレオン"を殺してはいない」
「え?」
「その理由は"レイア"にもう伝えてある」
おい、もう少しヒントやキーワードは小出しにしてくれ。整理が追い付かない。まあ先ほどその辺無視して零華に管理人さんのこと聞こうとした身だけども。
「ふふっ、困惑しているな……"クロス"」
「……ぐっ! なんだ?」
突如俺を襲う強烈な頭痛。いつものやつ……のはずなんだがなんだか今までで一番痛みがひどい。まるで脳から情報というか記憶が溢れだすような。なんだ……何をしたんだこの人は?
「し、"シーア"さん!」
「彼に自分の名前を教えてあげただけでしょう。というかどこまで話したの? 彼の様子を見るにまだ何も教えてもらってないみたいだけども。もしかして本当に彼も"この世界の住人"にするつもりなの?」
「こ、この世界の住人? それってどういうことだよ?」
俺は苛む頭痛に耐えつつ、言い方は悪いが睨むような視線を管理人さんに向ける。管理人さんはどこか俺の苦しんでいる様子を楽しんでいるようで、愉悦に浸ったような顔で俺を見ている。
「言葉通り、元いた"セブンスフォード"を捨ててこの世界にとどまり続けるということだ。まあ、あなたにもその権利はあるんじゃないかな?」
「捨てる……? なんだか言い方に悪意があるみたいなんだが?」
「はは、いいじゃないクロス。私は今のあなたのほうが好きよ。その敵意に満ちた瞳で私を見る……
管理人さんはすっと立ち上がり、テーブルに突っ伏すようにして何とか頭痛を堪える俺を見下ろす。まるでこの後命の奪い合いでもおっぱじめるかのような身の危険をなんだか感じるんだが……。
「そこまでですわシーアさん」
「ええ、さすがにこれ以上は私も黙っていられません。十字さんにとってまだ彼自身の過去の話はこの世界での彼の存在の崩壊に繋がりかねません」
俺の両横に立つ形で有栖と零華がテーブルをはさんで立つ管理人さんを睨む。有栖は怯む様子もなく対峙しているようだが、零華はどこかその体が震えている。
「あなたたち二人だけで私を止めれるのか? なんなら"前"みたいに全員でも構わないけど?」
「たとえ私一人でもあなたを止めますよ、シーアさん」
「強いのね……アリス。でも、私はあなたより……強い」
「そうだとしても、私は……」
俺のおつむよりも先に体が動いていた。まるで別人に体を乗っ取られてでもいるように俺は立ち上がり、すっと有栖を守るように腕を伸ばす。
「じゅ、十字さん!?」
「さがってろ有栖。今の管理人さんはなんだかやばい」
俺の突然の行動に困惑する有栖と零華。だが悪いが今は俺の視線は目の前の危険にくぎ付けだ。
「管理人さんだなんて他人行儀な呼び方じゃなくていいのよ?」
「はは、いいのか? じゃあ遠慮なく志亜さんとお呼びしよう」
「"シーア"とは呼んでくれないのね」
「そのほうがあんたは嫌がる気がしてな」
「ぷっ……あははっ! あははは!」
俺の返しに志亜さんは声を上げて笑う。どこか狂気じみたその様子にいよいよ有栖の顔にも緊張が走る。志亜さんは右腕を横に広げ、まるで空中に浮かぶ見えない剣でも握りしめるように手を丸める。そして……。
「"インテンシファイ"……」
ぽつりと志亜さんがつぶやくと同時に
ガラガラガラッ!
食堂のガラス戸が開く音が聞こえた。そしてドアをくぐり入ってくる小さな人影。その後に聞こえたのは……。
「しあー、アニメおわったー。もうねむいー」
この状況に似つかわしくない眠たげで無邪気なトーンの声。それが魔法の呪文か何かと錯覚するほどに志亜さんの手元の紋章は綺麗に消えていた。
「ああごめんね絵芽。少しおしゃべりが長引いちゃって」
「むー……絵芽もしゃべるー」
絵芽は眠たげな眼を手でこすりながら志亜さんの方へととことことおぼつかない足取りで近寄っていく。そして彼女のすぐそばまで行くと抱っこを要求するようにばっと両腕を志亜さんに向け伸ばす。
志亜さんの雰囲気、そして表情はいつもの"管理人さん"に戻っていた。志亜さんはやれやれと少しあきれた笑みでひょいっと絵芽を抱き上げる。
「はいはい、おしゃべりは明日にしましょうね」
「むー、今日が……いい」
「ほら、まだ寝ないの。アニメ見るからってまだ歯を磨いてないでしょ」
そのまま絵芽が開けた戸をくぐり部屋へ向かおうかというところではっと俺は両隣にいた二人を交互に見やる。開いたドアを指さし固まる俺の疑問を流石に察してくれたようで、有栖も零華もこくりと頷く。
「あの方を制御できるのは絵芽さんだけですわ。やはりあの子が……いえ、あの方が傍にいないとシーアさんは安定しませんわね」
「そうですね。察するに、絵芽さんがアニメを見るのに夢中になっている間に志亜さんが零華さんの介抱にこられた。そしてそのままここで談笑していた、という感じでしょうか」
「ええ、それに今日は"満月"ですわ。そのせいで……ふふ、本当にあの時のままでしたわね、"シーア"さんは」
どこかもの悲しい笑顔を浮かべる零華。何やら懐かしんでいるようだが、それよりもいつのまにか先ほどからの頭痛が収まっている。今回の頭痛の原因……たしか志亜さんが俺のことを……。
「おい、志亜さんが俺のこと……"クロス"っていってたよな?」
「……はぁ、そうですね。どうやら十字さんも無事安定しているようですし、少しあなたについて、そして……彼女についてお話ししましょう」
「ついでにそのペン……"ディペン"についても教えていただけますこと、有栖さん?
有栖は再度頷くと俺と零華への説明のためにとテーブルをはさみ座る。それに倣い俺も椅子に座り"シーア"とかいうクレイジーな方でない志亜さんがいれてくれたお茶のグラスを取りグイっと一息で中身を空にする。
「さて、まずすでにお気づきと思いますが十字さん……あなたの本当の名は"クロス"。かつて
有栖の言葉に俺は口につけたままのグラスが空にも関わらず、大きくごくりと喉を鳴らした。
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