SideA 不透明に澄んだ心02

「出てってほしいなら出てけって言えばいいのに、まったくあの男は」

「まあまあ、その話はもうよしなよシーア」


 目にかかる翡翠の髪をかき分け、満面の笑みを露わにした女性は自身が横になっているベッドに腰かけている不満げな表情の女性、シーアの手にそっと自身の手を重ねる。


「おかえり、シーア。怪我なんかはしてない?」

「大丈夫だよエメル。いったでしょ? 所詮はでかいだけの鼠だってばあんなの」


 自身に重ねられた手をきゅっと握り返し、ぱたんとエメルの足元に半ばのしかかるように仰向けになる。その不貞腐れた様子にエメルは足をぱたつかせ、それでも必死に自分の足の上で仰向けの姿勢を保とうとするシーアの反応を楽しんでいる。


「まったく、相変わらずやんちゃだねぇシーアは。もう少し私のようにお上品にされた方がよろしくてよ?」

「"レイア"じゃあるまいし、お嬢様口調はエメルには向いてないと思いました、まる」

「えー、私のお姫様願望はじゃあどうすればいいの!?」

「お姫様って……え、それじゃあ私は何? 使用人?」

「むぅ……そこは素直にお姫様を守る騎士でいいじゃない」


 エメルの少しむすっとした表情に驚ききょとんとした表情のシーア。だがすぐ様体を起こすとエメルもゆっくりと体を起こす。


「まあ騎士かどうかはおいといて、エメルは私が守るから。それでいいでしょ? お姫様」

「まったく私泣かせだねぇ、シーアは。お姉さんうれしくて涙が……」

「それただあくびしただけでしょ」

「うーん、ばれた? でも今日はなんだか気分がすごくよくってさ。このままシーアと一緒にどこか遠くまでお出かけしたいくらいだよ」

「それは……」


 ベッド横の小窓から見える外の景色をどこか羨ましそうに眺めるエメル。その横顔に浮かぶ寂しさに思わずシーアは顔を俯けてしまう。


「大丈夫、わかってるから。だからそんな顔しないで、シーア」

「……絶対にあなたの病気を治して見せるから。待っててね」

「うん……ありがとう」


コンコンッ


 ノックの音とともに二人ははっと一瞬顔を見合わせ顔を赤らめる。だからだろう。ノックの後にドアから入ってきたアリスに二人して顔を背けるようにして迎えてしまう。その様子にアリスは首を傾げた。


* * * * * *


 エメルがいるベッドの前の椅子に座るアリス。依然としてエメルのベッドにてどこかじゃれるようにエメルの足元でごろごろとしているシーアを見て小さくため息をつく。


「相変わらずの"仲良し"さんですね。シーアさんとエメルさんは」

「やーねアリスったら、"恋人"みたいだなんて」


"一文字もかぶってないでしょ!"


 アリスとシーアの台詞はタイミングが完全に一致した。当の本人たちも驚いたのか互いの顔を見合わせ唖然としている。その様子があまりにもおかしかったのだろう。エメルは口に手を当てて笑いをこらえようとするもすぐに笑い声が漏れる。


「本当に仲良しさんですね、シーアとアリスさんは」

「もうっ!」


 アリスがぷくりと頬を膨らませ不機嫌さを前面に出すも思わずシーアもその様子に笑いを漏らす。


「アリス……あなたやっぱり今年で二十歳って嘘でしょ。だめ……可愛すぎるわ」

「なっ! 嘘じゃないです! というよりシーアさん、私よりも1歳年下ですからね! 私のほうがお姉さんですからね!」

「ほらほら、アリスちゃんもシーアちゃんもケンカしちゃだめですよ」


 エメルはどこか楽しむように二人を仲裁する。だが今度は二人がむすっとした顔で互いの顔を見合わせ、こくりと小さく頷く。


「そうですねぇ……私たちはお子様ですから今回のシーアさんの討伐記録の作成と路銀の経費報告はエメルお姉ちゃんに任せますか」

「え?」

「私文字がうまく書けないし計算もうまくできないから……お願いね! エメルお姉ちゃん」

「ま、待って二人とも! お姉さんと話し合おう!」


 それまでのどこか高みの見物といった様子から急転直下で慌てた態度に変貌するエメルに今度はアリスとシーアが笑いを漏らす。


「アリスも知ってるでしょ? シーアの大雑把な性格……今回の希源種オリジンワンの討伐も"でかい鼠を倒した、終わり"の一行でまとめようとするわよ」

「知ってますよ……だから彼女がらみの報告書の作成は私も嫌なんですよ」

「おまけに経費って言ったってシーアの場合ほとんどが食費でしょ? 渡したお金は移動費や宿賃にあてず全部食費でしょ? そんな経費報告納得しないでしょあの連中」

「そう……ですね」


 やれやれといった感じでアリスとエメルが頭を抱える。そんな2人の顔を気まずさ満載の表情で交互に見やり、ぽんと手を叩く。


「そうだ、ここはひとつアリスとエメルで手分けしてやればいいんじゃないかな?」


"そもそも自分でしなさい!"


 アリスとエメルの台詞がきれいに重なった。その相乗効果からだろうか。シーアは一層縮こまってしまった。シーアはエメルがかけていた布団をそそくさと纏い、ベッドの上で小さく丸まる。


「あ、シーアが丸まった」

「丸まりましたね」


 2人はこの光景を何度も見てきた。シーアは困ったときに非常に子供っぽくなることが多く、こうやって布団に隠れては事なきを得ようとする状況も今回が初めてではない。


 その様子はさながら隠れる小動物のように小さく、ただ時が過ぎるのを待っている。


「はぁ……わかったわかった。シーアの報告書は私のほうでまとめておくわ」


ガバッ!


 まるで亀のように布団の隙間から顔だけ出したシーアが目をらんらんと輝かせている。その様子にエメルは大きくため息をつく。


「だって……本当に文章を書くのって苦手なのよ。あと、あいつらに私が書類を持ってくと……ね?」

「まあ、その辺は私の"対価"をフル活用させてもらうからいいけど、私だって苦手なんだよ? あいつらシーアに意地悪ばかりするんだから」


 シーアは布団をまとったままずりずりとエメルの傍に行くと彼女の膝を枕に猫のように丸まって眠りだす。エメルもまるで猫を撫でるようにシーアの頭に手を添える。


「それに関しては私の管理が未熟で本当にご迷惑おかけします」

「あ、アリスは謝る必要ないから!」

「そうよ……あいつらに限らず"世界は私を嫌っている"。悪いのはあなたじゃなくて……むぐぅ」


 エメルの手がシーアの口を覆いふさぐ。膝元で眠るシーアを見下ろすエメルの表情はどこか暗い。ふといたたまれなくなり視線を泳がせるシーア。そしてさまよった挙句その視線はアリスへと向けられる。


「……そうだアリス」

「はい? なんです?」

「私、次は”カルレウム”に行こうと思うの。精霊国スピリアで水の都と名高い街だし、一度行ってみたいなって思ってたの」

「シーアさん、それは……」


 先ほどのアグロとのやりとりが脳裏に浮かび、アリスは険しい表情をシーアに向ける。エメルは何が何だかと状況が呑み込めずにいるが、いつの間にかエメルのそばを離れ、窓際へと移動したシーアは外を眺めて口を開く。


精霊族スピレイス人族ヒューマンレイスに対し"不干渉"。でも、決して敵対しているわけではない」

「……アグロさんが事態の収拾にあたる手はずになっていますが……信じてはもらえませんか?」


 アリスの懇願にシーアはふと悲哀交じりの笑みを浮かべる。


「この国で私が信じるのはエメルとアリス、あなたたちだけだよ」

「シーアさん……」


 アリスはきゅっと唇を結ぶ。握りしめたこぶしが小さく震えている。


「"エクシズダリア"は異様なまでに他種族を敵視している。特に、あなたが聖女になる前からお偉いさんとして"イドルイマージュ"に属してきたアグロはその中でも異常。あいつは精霊族スピレイスへのあたりがひどいからなおさら油断ならない」

「……アグロさんと精霊族スピレイスの間に過去何か因縁めいたものがあったことは他の使徒たちから聞いています。でも詳細までは誰も知らないみたいで」

「はは、正直あの男のことなんてどうでもいい。それよりも、あいつの凶行で精霊族スピレイスや"レイア"に面倒をかけるかもしれないのが嫌なだけ。まあ、あいつには私はまたどこかにぶらりと出かけたとでも言っておけばいい。私も現地では目立たないように行動するから……ね?」


 アリスはシーアの頑なな態度に肩を落とし首を振る。それは否定ではなくシーアの説得をあきらめたという現れ。シーアは小さな声で「ありがとう」と感謝の言葉をかける。


「ちょ・い・と・まてい!」

「うぎっ!?」


 シーアの腰のベルトに手をかけ、エメルはぐいっとシーアの体を自身に引き寄せる。シーアはバランスを崩しエメルにもたれるように倒れる。そしてエメルは鮮やかな手つきでシーアの首元に手をまわし……。


「ちょ!? タイムタイム! エメ……ぐえぇ……」


 きゅっとシーアの首を絞めながらエメルは耳元に口を近づける。


「なんだか二人で盛り上がってるけど……私を置いてけぼりにしないでくれるかな? シーア?」

「お、落ち着いてエメル! わ、私も今回はゆっくりしようかと思ったんだけど深い事情が……」

「いいわよシーア? 遺言は聞いてあげる」

「ちょ、ちょっと物騒なこと言わないでエメル!」


 首元に回された手が力をさらに込めようとピクリと動いたのを感じ取り、シーアは何度もエメルの手をタップし釈放を求める。


「な、なんだかおかしいのよ状況が!」

「おかしいのは帰ってすぐに出ようとしてるシーアじゃないかなぁ」

「き、聞いて! なんでもカルレウムと国境をまたいですぐのアンチギアで毒が撒かれたようなのよ!」

「なるほど……シーアは毒殺がお望み」

「違うから! そ、それであの"腹黒アグロ"は精霊族スピレイスの仕業だって主張してるみたいなんだけど」


 ふとシーアの束縛が解き放たれ、シーアはぜぇぜぇと肩で息をしている。


「それは……おかしいわね。少なくとも精霊族スピレイスはそんな手段はとらないわね」

「そ、そうでしょ? あの"高飛車姫"ならそんな回りくどいことせずに真正面から挑んでくるだろうし……そもそもこの国をこのタイミングで攻める理由がない」


 アリスはシーアの推察の先、この後に続く話の目途が立っているようで、腰かけている椅子の背もたれにだらんと身を預け、力なく天を仰ぐ。


「そうですね。人族ヒューマンレイスではない。精霊族スピレイスでもない。そして報告に上がって来ている奇妙な毒の存在……いるかもしれません」


 エメルは再度シーアの脇に手を伸ばし、引き寄せる。最初は慌てたシーアだが先ほどとは違い引き寄せたのちにギュッと後ろから抱きしめられ、ふと顔をうつ向かせる。


希源種オリジンワン……たぶんいるよ。また勘だけどね」

「はは、エメルの希源種オリジンワンがらみの勘は今のところはずれたためしがないし、次の標的が早く見つかって好都合だわ」


 エメルが無言のままぎゅっとシーアを抱きしめる腕にさらに力をこめる。その様子にアリスは一瞬悲しむもすぐさま笑みを浮かべ、立ち上がった。


「あなたが行くことを私はどうこう言えません。でも、少なくとも今日だけはエメルさんの傍にいてあげて下さいね、シーアさん。報告書は私の方で片づけておきますから」

「ありがとうアリス。その代わり……アンチギアとカルレウムの件は私に任せて欲しい」

「ええ。お願い……しますね」


 アリスはなおも無言のままシーアを抱きしめ、その肩に顔をうずめて表情が窺い見えぬエメルに小さく会釈し、静かにその場を後にした。


「ほらエメル……すぐに旅立つって言ったって今日はずっと傍にいるから」

「ごめん……ごめんねシーア……」


 自身の腰に回されたエメルの手に自身の手を重ね、シーアはふと瞼を閉じて口の端を緩ませる。


「あなたのために戦いそれがあなたのためになるならそれは私の何よりの喜び。あなたは……あなたは私の全てだ……エメル」


 シーアの背中越しに小さく漏れる嗚咽。それまでの陽気さが嘘であるように悲しみに暮れる女性にかける言葉をシーアは知らない。自身の背に伝わる優しい温もり。無意識にぎゅっと拳を強く握りしめ、引き締めた面立ちでふと顔を上げる。


 シーアの眺める視界の先には壁にはめられた大きな窓。ベッドに腰を下ろしたままではあるが、窓からは青空が垣間見え、そして人々の往来を感じさせる喧騒が流れこんでいた。

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