SideB チュートリアルのチュートリアル08

 眼前に立つ背は若干俺よりも体格が良い。まあ、顔に関しては若干ではすまない差がある……なんて、結構この状況でも落ち着く自分に少し呆れるな、なんだか。


 路地裏へと続く小道を見つめていた響はすっと俺のほうを向き直る。


「いいのか十字? お前はまだ自身の能力を把握しきれていないのだろう? 無理についてくる必要はないのだぞ?」

「あー、なんだろうな。野次馬根性ってやつか? まあ、俺はまだ死んでもなんか大丈夫みたいだからさ。それよりも、お前たちはそういうわけにはいかないんだろう? だとしたらお前こそやばいんじゃないのか?」

「それはそうだが……」

「まあ、望んで死ぬ気はない。だから、お前らも俺のせいで死ぬのはマジでやめろよ。寝覚めが悪くなる」


 俺の台詞に響、そして後ろにいる有栖がきょとんとした表情を浮かべる。え? 何か変なこと言ったか? 俺?


「優しいんですね……あなたはやっぱり」


 やっぱりって……なんだか普段は優しくないみたいじゃ……優しくないですね、はい。


「そうだ十字、拳を出せ」

「ん? こうか?」


 俺が正拳突きのように拳をぐっと前に突き出すと響は自身の拳をこつりと俺の拳に、いや、指にはまった指輪にぶつけた。その瞬間、ふと手にはめていた指輪から熱を感じたような……。ああなるほど、これが共鳴。どうやら指輪をはめた状態で相手に触れるのが条件なのかな。


「道中どちらの能力をセットするかで争っていたくせに結局先に行ってしまったからな。余らせるぐらいなら我らの詠唱術式をセットしておくといい」

「そうだな、試してみる」


 俺が響の力を欲しいと心に浮かべた瞬間、まるでそれまでに知っていたかのように知識が流れ込んでくる不思議な感覚。なるほど、響も言っていたが詠唱術式とやらは声で戦う術式。そして俺に使えそうなのは……。


「"ハウリング"……ってのをとりあえず使えるみたいだな」

「む……その術式名を知ったということは、本当に我らの力を使えるようになったということだな。ハウリングは声に乗せて衝撃を相手に与える我らの数少ない攻撃手段だ」

「これって大きい声で使った方が威力はあるのか?」

「そうだな、発する声の大きさによって威力は変わる。だが考えて使え。あまり大きな声では一気に喉をやられるぞ。お前は自衛を優先すればいいのだから相手を怯ませる程度に使ってくれ」


 そうか、そういえば響たちの術式は声が枯れると終わりだと言ってたな。まあ加減がわからないし様子を見ながら試していかないとな。


「俺が先に進む。力也とどら子が相手をしているだろうが、有栖の話によれば視界に捉えられると小さくなるという。だとしたら奴の得意とするリング上で戦うのは避けられまい。再度いうが、お前たちはここで待っていても構わないのだぞ?」

「……馬鹿言うな。俺を1回殺したやつに文句の一声でも浴びせてやらないと気がすまないだろ? せっかくいい声が出せるようになったんだしな」


 指にはまったリングをちょんちょんと指差すと響は失笑といった感じで有栖を見遣る。有栖もどこか俺の答えを予想していたのかこくりと頷く。


 俺自身不思議なんだよ。こんな異常事態にすでにどこか順応している。相手が得体のしれない化け物だというのに我ながらどうかしている。だとしても……俺はここで行かねばいけない。おそらくだが……異世界の俺はここで絶対に退かないのだろうな。


「ではいくぞ!」


 狭いビルの間の道を俺たちは進む。そして……あの晩に感じた眩暈のような感覚。はは、早速かよ……。


「なるほど……確かに鼠の化け物ってのが正しい表現だな」


 目の前で力也とどら子を喰らわんとして素早い動きで駆け巡るその姿はまさに鼠。だがその巨躯は象よりも大きく、その心は怒り狂う獅子のように狂暴といったところだ。


「"最強にして最弱なもの"アンティだったか……言いえて妙だな」


 響は化け物を前にごくりと息をのむ。まああんなの初めて見れば多少は緊張もする。というかこんなのが後47匹もいるってのかよ。


「おい響! 来たのなら手を……いや、喉を貸せ! こいつ、意外に知恵があるのか我らを警戒してまともにやりあおうとせんのだ」


 鼠の化け物を牽制しつつ忌々しそうに力也は悪態をつく。思わずぎょっとしたが力也の右手の爪が異様な形をしている。あの鋭く丸まったような爪は……猛禽類を彷彿とさせる。あれが力也の術式なのか?


「どういうことですか?」


 俺の後ろから有栖の疑問の声が聞こえた。


「どうもくそも……ええいっ! めんどくさいなこのネズ公! こっちが攻めるのに合わせてちょこまかと逃げ回るんだよ! そのくせこっちの隙をうかがってるみたいで一定の距離はキープしやがるから油断ならない」


 舌打ち交じりでどら子が鼠の化け物を勢いよく蹴り飛ばそうと飛びかかるが相手は素早い動きで一気に距離をとる。図体がでかい割にはなんだか慎重、いや、臆病といってもいいかもしれない。


「距離をとろうが俺の声の前ではなんの意味もないことを教えてやる。二人とも下がれ!」


 どら子と力也は刹那、顔を見合せたと思うとすっと大きく後ろに跳んだ。はは、あんなの人間のできる動きじゃないぞといいたくなるが……人間じゃないみたいだしな!


「"ハウリング"!」


 響が大きく口を開くと彼の口元の空間がぐにゃりと歪み……空間を揺さぶるように大きな波が鼠の化け物へとなだれ込む。その波に包まれた化け物はまるで強風に煽られる木の葉のように吹き飛ぶ……が……。


「くっ……思い切りいったはずだが……やはり"劣化"している」


 鼠の化け物は壁にぶつかるか否かというところでぐるりと身を翻し受け身をとると新たに出現した敵、響に視線を向ける。響はというと今の攻撃で喉を酷使したのか喉を抑え苦悶の表情を浮かべている。


「なんだよ、来て早々息切れかよ響。まあ……確かにこの世界での戦闘は厄介だな!さっさと片づけてあたしも晩飯前の昼飯二回目としゃれこみたいぜ!」


 どら子は化け物の視線が外れたのを見て一気に敵との距離を詰めていく。昼飯二回目ってそれ異世界の用語か……とつっこみたいがあとでだな。


「いまの響への対応……やはりそうだな」

「ん?」

「我なら敵が弱ったのならば一気に勝負を終わらせる。まして、相手の攻撃が自身に通用しないとわかれば警戒する必要などないのだからな」


 力也の推察に先ほどの俺の疑問が氷解する。今の響の攻撃は敵から見ても渾身の一撃。それをなんなくしのいでさらに相手は明らかに疲労でまともに動けそうになかったはず。それをなおも警戒を続けるあいつは……。


「そうか、そういやこいつ、"あの女"にぼこぼこにされたんだっけか」


 どら子の接近を許すまいと鼠の化け物は大きく距離をとる。その様子にどら子もあの化け物の奇妙な振る舞いに一つの仮説が立ったようだ。


「ああ、希源種(オリジンワン)としての力でそれまでただの餌として見下していた相手になす術なく敗れたのだ。取り戻したのだろう……鼠としての弱さというものをな」


 有栖がいう攻略本。未知の化け物相手にそんなものが存在するということは誰かが一度この化け物を倒したということなのだろう。そう、小さきものは必ずしも餌ではなく、敵もいるのだと学んだのだ。


「もし"アンティ"がまだこちらの様子見に徹しているのなら……奴の目を、目を攻撃して下さい! そうすれば奴の能力は消え、私たちは元の大きさに戻れます!」

「目を狙えって……向かってくる相手ならまだしも逃げ回るネズ公相手じゃ無理だろ!」

「そうだな。悔しいが俊敏さでは奴のほうが上。そんな相手の目を狙うなど今の制限のある状況では……」


 弱点がわかってもそこを攻撃できなければ弱点の意味がない。くそっ、どうにかして足止めでもできればと思うが響の"ハウリング"でもいなされたんだ……劣化した俺の"ハウリング"では効果は薄そうだし何よりすでに一度見られた攻撃だしさらに期待は薄いな。


「おい有栖! お前の"術式"でなんとかできないのかよ!」

「え!? 有栖もなんか使えるのか?」


 どら子の問いに有栖は化け物を睨みこくりと頷く。え? この幼女が実は戦闘要員だと……おっと、レディーな。


「"クオリティ"、"リカバリー"ともに今日はあと2回使えます。ただし、能力が劣化したこの世界ではどちらも生物には効果がありませんので。あと、私が触れたものにしか効果がないので……」


 おお、なんか2つ新しい能力が……この状況を打開できればいいんだが。俺の視線に有栖は"アンティ"に警戒しつつ説明を始めた。


「"クオリティ"は私が触れた非生物の性質を変化させます。例えば木製の厚めの板をお豆腐のように柔らかくできたりします。効果を及ぼせるのは私が触れた場所から10メートルぐらいが限度ですね」

「ふむふむ」

「"リカバリー"は私が壊したもの限定ですが、非生物を元の姿に復元することができます。例えば私がお豆腐のようにした木製の厚めの板を何事もなかったように元の状態に戻すことができます」

「ふむ……」

「能力が劣化するこの世界ではどちらも1日3回までの回数制限があって、今日はもう1回ずつ所用で使ってしまったので……」

「おい有栖……お前が言う『木製の厚めの板』の正式名称を言ってみろ」

「……ちょっといま取り込んでるんであとにしてもらえますか!」


 視線をそらしたまま言い切ったぞこの女……。結構有用な能力なのに使い道が馬鹿すぎるだろう。だがこれでどうやって有栖が俺の家に不法侵入していたか、その手口が明らかになった。


「お前……明日バイト後1to1ミーティングな……」

「え、F子さんもぜひご一緒に!」


 くそっ、緊張感のない。なんか命のやり取りレベルの戦闘中のはずなのにまともにやるのが馬鹿らしくなってきた。"アンティ"も依然自分からは近づいてこず様子を見てるし……待て……なぜこいつは様子を見ている。


「以前の俺の時は迷わず襲ってきたのに……」

「え? 十字さんどうしました?」


 こいつにとって餌と敵の違いはなんだ。希源種(オリジンワン)としての力を手にし優位に浸り、自身よりも大きなものを狩りほくそ笑んでいたことだろう。それが一度の敗北で本来の臆病さを取り戻した。


 こいつにとって餌と敵の違い……いや、見分け方はなんだ。あの時の俺はなぜこいつに餌と認識された? 俺はあの時急に後ろから襲われ……恐怖のあまり敵に……。


「お前ら! 逃げるぞ!」


 俺は状況が呑み込めない有栖の腕をつかみ元来た方へと顎で促す。


「はぁ?」

「何を言っている十字? 鼠ごときに王たる我が背を向けるなど……」


 響はどうやら俺の意図を組んだのかすでに敵に背を向け、いつでも走り出せる準備をしている。


「お前の今の台詞が正解だ力也……あいつに背を向けろ! 俺たちを餌と認識させろ」

「……なるほどな。いくぞどら子」

「え? ど、どういうことだよ、おい!」


 文句を言いながらもどら子は走り出す。その後ろから力也も自身の背中を"アンティ"に見せつけるようにちょんちょんと指差し走り出す。


 "アンティ"は一瞬完全に動きが止まったかと思いきや、それまでとは別の生物であるかのように俺たちへと勇猛果敢に向かってくる。まるで鼠を追う猫のように……。


 鼠でましてや化け物の表情や感情なんてものはわかるはずないのだが……。いまならわかる気がするぜ。


〈敵は自身に背を向けた。自身に敵わぬと臆して逃げたのだ。ああ……ようやく狩りの時間だ〉


 そうだ、俺たちは餌だ。だから……追ってこい! 立ち向かって来るがいい!『最強にして最弱なもの』!


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