SideB チュートリアルのチュートリアル01

 怠惰な時間の終わりを告げるアラームがけたたましく鳴り響く。音の鳴るちゃぶ台の上に手を伸ばすも寝そべったまま手探りで探しているためうまく見つけることができない。


 やれやれと体を起こしスマホを手に取るとその先で不機嫌そうに頬杖をつきこちらを見る女の姿。


「ねえ、そろそろ私の話を真面目に聞いてくれませんか?」

「今月に入って何度目だよその台詞。それに、お前はほんとなんで入れた覚えもないのに毎度俺の部屋にいるんだ?」

「いやですね十字じゅうじさんったら。その台詞、もう今月で十回目ですよ」


 なるほどつまり目の前でけらけらと笑うこの女は今月に入って十回、俺の部屋に押しかけているわけだ……不法侵入という形でな。


 八畳一間の決してゆとりあるとは言えない慎ましい部屋に男女が一組。人によっては心ときめくシチュエーションってなもんなのだろうが、目の前にいるのは……どう見てもレディというよりは幼女。


「なんだかすごい残念そうな目で私を見ないでくれます?」

「とりあえずすごい残念な気分なのはたしかだからもう今日は帰れよお前」


 目の前の幼女、おっと失礼、女はどうみても中学生、いや、場合によっては小学生でも通りそうな童顔と体つきだ。これで成人を過ぎてると言われても信憑性がなぁ。


 ぷっくりと頬を膨らませ不機嫌そうな顔をしているが、やっぱり成人してるってのは嘘だろ。


「ほんと、十字さんは心が荒んでますねぇ。何か辛いことがあるなら私が聞きましょうか? 実はこう見えて修道女シスターとして多くの人の心の悩みを解決した経験もあるんですよ」

「心の悩みの種がなんか言ってる」

「もうっ! ほんっとうに!」


 目の前で怒る女をよそ目に窓に視線を向ける。窓の鍵はかかっているし開いた形跡もない。あ、なんか前の台風でできたヒビが気持ち大きくなっているような。


「このままじゃあ物語が始まらないんですけどー。この世界じゃ突然現れた美女が異世界の話をしたら食いつくように聞いてくれるっていうのが常識だと思うんですけどー」


 じとりとした目つきで顔を肉薄させてくる自称美女……と目を合わせることなくそっとドアに視線を向ける。やはり鍵はかかってるよな。さすがに週四日ぐらいのペースで不法侵入されてればその辺に抜かりはない。


「話って言ったって、またあのうさん臭い話だろ? お前は創造を司る神かなんかで、その異世界とかに行って化け物を倒せーって」

「聞いていないようで私の伝えたいことを嫌なまとめ方できる程度には聞いててくれたんですね」

「そりゃお前、朝の目覚ましレベルの頻度でこうも頻繁に現れて同じこと言われてりゃなぁ」


 初めてこの幼女、おっと失言、真樹有栖まきありすと名乗る女が俺の前に現れたのはもう一か月以上前の話だ。


 先ほど有栖が修道女の経験があると言っていたが、あながち嘘ではないと思っている。それほどに初めて会ったときはどこか俗世離れした不思議な雰囲気を纏っていた。


 まあ、その後すぐに印象は変わったわけだが……。


 四月の頭ごろだったか、とにかくまだ桜の花も残るある日に有栖はやってきた。最初はこのアパートの誰かの知り合いの子供が間違えて俺の部屋のドアをノックしたのかと思った。でもその後の流れるような台詞で俺の見方は変わった。


「私が創造せし異世界を救って下さい」が第一声。

「あなたは英雄になるべくして生まれた存在です」が第二声。

最後に「あなたがいないと世界は奴らによって滅亡してしまいます」。


 あー……これ宗教の勧誘かなんかだわと。出会って言葉を交わす前に意思疎通を諦めさせてくれる勧誘ってのもなんか笑えるなと思いつつ「こんにちわ。帰って下さい。さようなら」で端的かつ冷静に返事をしたのはいい思い出だな。


 あのあと管理人さんが同行して知り合いだとあいさつに来なけりゃそのまま我が人生に関わることなく終わっていたが、あれからというもの恐ろしい頻度で俺の部屋に忍び込んできている。


「昔を懐かしむような表情してます? えっと、大切なのは今ですよ十字さん」


 こいつ、何考えてるかわからないくせに一方通行で人の心読んでくるな……。それだけ気が回るならそろそろ今日はお引き取り願いたいんだが。アラームが鳴ったろ? この後バイトなんだよな俺。


「そろそろまずいんですよ実は。この世界にも関わる重要な話なんです」

「そろそろ俺もまずいんですよ実は。今後の生活にかかわる重要なバイトの時間なんだ」

「もうっ! バイトと世界平和どっちが大事なんですか!」

「労働と対価による俺の平和な生活維持の方かな」

「ほんとにほんとにまずいんですよそろそろ! 奴らが……"オリジンワン"がこの世界に……」

「わかったわかった。オリジなんとかっていうわかりたくないわからない言葉が出たことだしまた今度な」


 俺は財布とスマホを手に玄関へと向かう。背中越しに聞こえる有栖の怒声はBGMがわりと思って聞き流しておこう。


 この世界に生を受け、気が付けば定職に就くこともなく今を生きている。この世界でやりたいことも、いなければいけない理由なんてものもない自堕落な生活とは思うが……それでも結構気に入っている。


 何も考えずに生きる"今"がなんだか非常に心地よいのだ。


「まあ盗られるもんもないし、何よりあの管理人さんのお墨付きってことだし悪さはしないだろうけどぼちぼち帰っとけよ。朝から夕暮れまで女が好きでもない野郎のとこにいるだなんて噂されてもお互い損なだけだろ?」

「そ、そんな噂困ります! 私はあなたを導く存在であってあなたとそういった関係になるだなんて、その……」

「おー照れてる照れてる」

「もうっ!」


 ドアが閉まる寸前に俺の部屋で大の字になってうつ伏せになる有栖の姿が見えた。ほんと、本人に自覚がないようだが要所要所の動作が子供じみてるんだよなぁ。


 思わず口の端が緩んでしまう。小動物でもペットにした気分だなほんと。

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