アリユイ編

 景のバカ! ユイカちゃんはアリサちゃんと結ばれるべきだよ!

 心の中でそう毒づきながら、わたしは体操服に腕を通した。


 景はなんにもわかっていない。王道こそ至高。幼馴染カップルほど素晴らしいものなんてないのに。

 それに、先生と生徒の恋だなんて、倫理観がどうかしている。そういうのは漫画やドラマの中だけのものだと思う。景はどうも、夢見がちと言うか、なんというか……

 人生、そう甘くはないことを教えてあげないと。


 わたしたちがするのは、友情や親愛の感情を恋愛感情に進めるお手伝いだ。無理矢理自分好みにカップリングを作り上げることではない。景は大事なことを忘れている。

 大丈夫。勝ち目は間違いなく、わたしにある。

 

 バレーボールが地面に当たる音と、シューズが地面と擦れる音が響く体育館で、わたしはターゲットの姿を観察していた。

 体育の時間では、基本、好きな相手とペアを組むことができる。ユイカちゃんは当然のようにアリサちゃんとペアを組んでいた。

 二人は幼馴染で、親友だ。いつも一緒にいるように思う。ユイカちゃんもアリサちゃんも背が高く、クールな顔立ちで、二人でいると迫力というか、オーラがある。やっぱりお似合いの二人だ。

 景は友達の期間が長いと恋は芽生えないと言ったけれど、私はそうは思わない。ちょっとのきっかけで、人の気持ちは大きく変わってしまうものなのだ。


 今は準備体操前のウォーミングアップの時間で、ユイカちゃんとアリサちゃんは二人でボールを送り合っていた。時々ボールが変なところに飛んでいき、「ごめん!」「大丈夫だよ~」と笑い合っている。

 尊い!

 わたしがすることなんて一つもないように思えた。このまま放っておいても二人は他の人になんて眼中にないだろう。このままどうぞ二人だけ世界にいてください、そう思ったときだった。


「私も一緒にやってもいい?」

 景が二人の間に割って入っていった。ユイカちゃんとアリサちゃんは「珍しいね」と笑って、三人でボールを回し始める。

「嘘でしょ……」

 わたしは絶句した。頭の中が真っ白になり、目の前で起こったことを脳が拒否している。


 あれは、――百合の間に挟まる男(女)……!


 指先が震えた。お腹の奥からマグマのような熱が沸騰するように湧き出てくる。

 これはご法度だ。

 女の子二人の神聖な空間に男(女)が割り込むなんて、決して許されることではない!

 それは景だってわかっているはずだ。それなのに。

「そうまでするのね、景……!」

 わたしは走って彼女たちに近づく。

「わたしも、入れてよ!」

「四人は多いでしょ」

 景が迷惑そうに言う。

「多くないよ! それに景、いつもわたしと組んでるじゃん!」

 わたしは景に抗議する。

 その間、ユイカちゃんとアリサちゃんは呆れたように私たちを見ていた。


     ◇


 今回の勝負で、わたしがすることはほとんどないと思っていた。景が一人でいろいろやって、勝手に自滅してくれると思っていた。

「案外手ごわいね」

 わたしはひとりごち、作戦へ移る。


 ギャップ――期待と現実などの間に存在する差異を指す言葉である。転じて、期待とは異なる行動や性格を持つ人物に対する魅力を表すときに用いられる。


 アリサちゃん古典係で、古典の授業の提出物を集めて職員室にもっていく役割を持っている。今日は演習ノートを集める日だった。

 そこで、私はページにおもりを入れておいた。一人で運べるような重さではないだろう。アリサちゃんはきっとユイカちゃんに助けを求める。いつもクールで何事もスマートにこなすアリサちゃんが、たった三十冊程度のノートも一人で運べないとなると、それはいいギャップになる……はず。だよね? あれ?


 わたしの作戦通り、アリサちゃんが「なんかこれ重いんだけど」と困惑していた。

「アリサ、手伝おうか」

 景がしめしめと言った様子でと寄ってきた。あなたじゃないの、と、わたしは彼女を呼び止める。

「景、ちょっと話があるんだけど」

「今忙しいから後にしてよ」

「緊急なの!」

 二人で言い合っているうちに、アリサちゃんの視線がユイカちゃんへ向く。よし、そのまま彼女を頼ってください!

「ずっと思ってたんだけどさ」

 景がふと思い出したように話し出す。嫌な予感がした。

「アリサって、可愛いよね」

「なに口説いてるの!」

 思わず叫びそうになる。変な邪魔の入れ方をする景に、かっと顔に熱が集まった。

「思ったこと言っただけじゃん」

 景はへらっと軽薄に笑って、また視線をアリサちゃんに向けた。

 

 こんなはずじゃなかった。

 わたしは奥歯を噛み締める。

 ギャップを作ることくらい、簡単なのに。普段は呼吸をするようにできることなのに。

 なんでこんなにうまくいかないのだろう。なんでいつもみたいにできないのだろう?

「景のバカ!」

 わたしはさっと体を反転させ、この場を去ろうと足を踏み出した。

 そのとき、ぐらりと体の均衡が崩れた。瞬時に足元に目を向けると――バナナの皮が視界に映る。なんでこんなところに……

 頭が真っ白になる。心臓の拍動が一気に加速した。

「危ない!」

 地面に崩れ落ちると思った瞬間、体がふわっと浮き上がった。え、と声が漏れる。次いで、甘いにおいが鼻先に香った。


「びっくりしたぁ、気をつけてよね」

 景が呆れたように言う。わたしは慌てて自分の状況を確認した。目と鼻の先に景の綺麗な顔がある。そして、わたしの背中に回された彼女の腕。転ぶ直前に支えてくれたみたいだ。

「……ありがとう」

 そう言って、わたしはちゃんと自分の足で立ち直す。心臓は激しく脈打ったままだ。

 助けられてしまった。バナナで足を滑らせたところを。あまりの羞恥に、耳が熱くなる。

「わ、顔真っ赤。春乃、景のこと大好きじゃん」

 アリサちゃんが可笑しそうに言うから、さらに顔に熱が集まっていくようだった。なんでそんな余計なことを言うの。

 あまりにも恥ずかしくて、景のほうに目を向けられない。景は今、どんな顔をしているだろう?



 結局、おもり入りノートは三人で持っていくことになった。受け取った先生が「なんかこれ重くない?」と困惑していた。

 そういえば、職員室入るの久々かも。いくつになっても緊張する場所だ。わたしは周囲をぐるっと見回してみる。

 ふと目に付いたものに、わたしは大きく目を見張った。景も気がついたようで、わたし以上に表情を揺らしている。

 わたしも景も、普段職員室に入ることはない。だから全然知らなかった。

 「ナナコ先生の机にあった写真って……」

 職員室を出てすぐ、わたしはアリサちゃんに尋ねた。

 アリサちゃんは「ああ、あの写真立ての?」と合点がついたようだった。


「ナナコ先生の娘さんだよ。かわいいよね」

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