僕の青春ラブコメには恋(ラブ)がない
ポロロッカ
風紀委員長は恋を知りたい
プロローグ
リュックのショルダーハーネスを握っている手が汗まみれになったり、心臓の音が鮮明に聞こえたりするのは、おそらく緊張が原因だろう。
桜木坂高校の校門を超えると、緊張は更に強くなる。警戒心を高めながら辺りを見渡す。映るのは春特有の桜の木と、無限に広がる藍色のアスファルトの道だけ。人の影も気配も一切、感じられなかった。
それでも体が強張ってしまうのは、僕の抱えている問題が大きい事ほかならない。
僕、斎藤由紀(さいとうゆき)は前人未踏のミッションに挑戦していた。
ミッション内容は、学校にアニメのタペストリーを持ち込む。
難易度は間違いなくハード。オタクがギャルの彼女を作るよりも難しいだろう。
人類初の試みを冒しているのには、それなりの理由がある。
それは、抽選で当選したアニメのタペストリーを部活仲間に自慢する事だ。この想いが、ここまで僕を突き動かした。
ちなみに今は午前六時。生徒どころか教師すら登校しているか怪しい時間帯。
僕は、この誰もいない時間を狙ったのだ。
今のところ、作戦通り。昨日一時間かけて企てた作戦に狂いはない。完璧だ。
なのに、どうしてか体が震えていた。作戦が上手く行っていると思えなかった。
僕は、何に怯えている? 何に恐怖している? 何を気にしている?
自問自答している間に、昇降口に辿り着く。
ここまで来たら、作戦はほとんど成功しているといっても過言ではない。後は部室に移動し、タペストリーを飾るだけのイージーミッションだ。
「そう、僕は勝ったんだ! 誰も成し遂げられなかった事を、成し遂げたんだ!」
成功を自分に言い聞かせ、心にある不安と焦燥を鎮める。落ち着きを取り戻した時、僕の口角は上がっていた。
もう何も怖くない。勝利のBGMを頭に流しながら、昇降口の扉へと手を伸ばす。
「えっ……?」
扉が開かなかった。何度も開こうとするが、ドンドンと物音を繰り返すだけ。
「なぜだ……?」
ドンドン!
「どうして開いてない……?」
ドンドン!
ドンドンしているうちに、僕の中に一つの答えが芽生えていく。
誰も登校してないのに、昇降口が開いているわけがない。
「ミスったぁぁぁぁあ‼」
昇降口の前で叫んだ。
拳に悔しさを込めて、コンクリートの床を叩く。
一回叩いて、頭が冷静になった。すっごく手が痛かったからだ。
少しリスキーだが、昇降口が開くのを待つしかない。
タペストリーはリュックの中にしっかりと隠れている。中を見られない限り、ばれやしないだろう。
念のため、一度、脳内シミュレーションをしておこう。昇降口が開いたら、階段を上っていく。怪しまれないように、至って冷静に——
「こんなに早く登校するなんて珍しいわね」
「ぎゃぁぁぁぁあ⁉」
肩に置かれた手と、恐ろしく冷え切った声。
ホラーゲームみたいな展開に、大きな悲鳴を上げる。
咄嗟に振り向くと、黒髪の女性と目があう。いや、近くない⁉ もう一度、悲鳴を上げそうになった。目と鼻の先。ポッキーゲームしているカップルよりも近いぞ。
彼女を躱して校門の方へと逃げようとするが、
「どこに行こうとしているのかしら?」
再び肩を掴まれた。やっぱりホラーゲームだわ、これ。
踵を返して、彼女の方を見る。足を後ろに下げ、気休め程度に距離を取る。
最悪だ。一番見つかりたくない奴に見つかってしまった。
「いつもは遅刻寸前なのに、今日は早いわね」
「ただ早く起きただけだ」
「珍しい事もあるのね」
「そういうお前も早すぎだろ」
「私は誰よりも早く登校する必要があるもの」
彼女が早く登校している事は知っていたが、まさか教師よりも早く登校してくるなんて想像してなかった。まだ昇降口は開いてないのに。ああ、恐ろしや。
感心している場合じゃないな。とりあえず状況を整理しよう。
今、僕は誰よりも見つかりたくなかった存在に遭遇してしまった。
彼女の名前は、三梨楓花(みなしふうか)。桜木坂高校の風紀委員長だ。三梨は不純物や不要物を校内に持ち込ませないために毎朝、全校生徒の持ち物検査をしているのだ。それも鞄やリュックの中を徹底的に。
僕が早く登校した理由は、三梨の持ち物検査を回避するため。
なのに、見つかってしまった。畜生め。
「リュックサックの中身を拝見させてもらってもいいかしら?」
長い黒髪を風に揺らしながら、三梨は距離を詰めてくる。近づいてくる足音に耳を凝らしながら、ゴクリと息を呑む。
間違いなくリュックの中を見られたら、アニメのタペストリーは没収されるだろう。僕からすれば大切な物でも、彼女のものさしでは不要物と断定される。
没収だけは回避しなければ。もし没収されてしまったら今日一日、涙を流しながら授業を受ける事になる。そんなバッドエンドも絵面も誰一人として望んでいない。
一定の距離を保つために、バックステップを刻む。
「何か不要物でも持ってきたのかしら?」
三梨は何かに感づいたのか足を止め、百戦錬磨の目で僕を睨む。
「もももも、持って来てるわけがないだろ!」
僕の挙動不審な動きに三梨の表情は一層、冷たくなった。
「手荒な真似はしたくないのだけど」
「だったら、そこを通してくれ」
「リュックサックの中にある不要物を渡してくれたら、通してあげるわ」
「まだ見てすらないのに、不要物と決めつけるのは良くないぞ!」
「なら、リュックサックの中を見せて頂戴」
三梨の足が、僅かに加速する。それだけの事なのに威圧感が、けた違いになった。なんて凍てつく圧だ。少し前の雪景色を思い出すと同時に、全身に寒気が走った。このままだと、再び冬を感じる事になってしまう。
それだけは嫌だ。せっかく冬を超えて、桜が満開な季節になったんだぞ!
「絶対に守り切ってやる」
強い思いが、言葉として外に吐き出される。それを期に、僕は戦う覚悟を決めた。
三梨にガンを飛ばすが、効果なし。隙は、なさそうだ。流石、全校生徒から目をつけられているだけはある。面構えも違えば、只者でもないって事か。
ただ引く事はできない。僕にだって、プライドもあれば男の意地だってある。
そして……守りたい物だってある!
命を懸けてのクラウチングスタート。呼吸で数字を刻む。
3、2、1——0!
スタートダッシュを決め、彼女の横を抜けていく。
大切な物を守れない男に、男を語る資格はない!
例え、自分自身を犠牲にしようとも…………守ってみせる!
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