進化の意味
洸太郎は高木の言っている意味が理解出来ず、言葉を遮ろうと身を乗り出したが、「一旦、最後まで聞いてくれ」と、高木は洸太郎を制止するように手のひらを向けて話を続けた。
「私たちの身体は雨に適応し進化している。極論、雨なしには生活が出来ない身体になっていたということだ。人類だけではない。海の中から生まれた生命体が様々な形態へ姿を変えて陸へと上がったように、この世界の生物はみな、環境に応じて進化する歴史を歩んできている。それと同様に、人類はこの千年という非常に短い期間に更なる進化を遂げていたんだ」
高木の話は、段々と熱を帯びていく。
「雨が降り止んでから、この世界には『雨の抵抗を受けない強い日差し』が指し込むようになった。しかし、人類の進化は、この日差しに対応が出来ない身体になってしまっていた。わかりやすく言うならば――皮膚の退化が起こっていた」
「皮膚の退化ですか?」
未だに状況の把握は出来ていないものの、「雨によって人類が進化という名の退化をした」ということだけが、洸太郎の頭の中を駆け巡る。
「私たちの皮膚は雨を浴びても熱を逃がしにくく、体温を下げにくい性質になっているだろう? それは雨の降るこの世界で言えば『進化』に値する。一方で、見方を変えれば熱を放出しにくい身体になったということだ。我々は雨のない世界の熱、つまり『雨の抵抗を受けない強い日差し』を直に浴び続けると、非常に強い火傷に似た症状と熱中症、特に熱射病や熱失神が同時に出る身体となってしまっていた。雨のない世界を生きていくとなると、これは『退化』と呼べるだろう」
「つまり、僕たちの皮膚は雨ありきの皮膚になってしまっていると?」
「そうだ。今、私たちが問題なく外に出られているのは、雨が日差しを和らげ、私たちを守ってくれているからに過ぎない。もちろんレインウェアの影響もあるが、むしろその影響が進化の速度を速めているとも言える。より日差しによる刺激を抑えるようになっているわけだからね。レインウェアのなかった過去の千年でこの進化だったことを鑑みると、現代ではより日差しの影響を受けてしまう可能性は十分に考えられる」
「……と、いうことは雨が止んでしまうと――」
「我々は現状、物理的に生身の状態では生きてはいけない」
洸太郎はこの時、雨への感謝を凌駕する程の恐怖に身体中を支配されていることに気が付いた。
握りしめた手には、じっとりと汗が滲んでいる。
絶滅と進化はある意味、表裏一体の現象とはよく言ったものだが、まさかこのような形で表れてくるとは思ってもみなかった。
「当時は火傷や熱中症に対処する知識が非常に乏しかったこともあり、外で生活することが出来なくなっていった。だからこそ、先代の宮司は雨の種を何としても早く芽吹かせる必要があったんだ。ところが、雨の種は普通の植物のように地面に植えても、卵を孵化させるように温めても、一向に芽吹くことはなかった。様々な試行錯誤を重ね、この時すでに、雨が降り止んでから一ヶ月が経っていた」
「一ヶ月も……」
「その頃には君たちも知っている通り、残念ながら多くの人が亡くなってしまっていた」
洸太郎たちが知っている「事実」とは、雨が降り止んだこと、その間に多くの人が亡くなったこと、そして、再び雨が降り始め、いつかの日常を取り戻したということだった。
これは、この世界に生きている人なら必ず知っていることでもある。
しかし、この一つ一つの結末だけを淡々と聞くのであれば、当時の状況はおろか、その世界を生きて来た人たちの苦しみなど、大切な部分を汲み取ることは難しい。
どうしてこんなにも大切な話を、今を生きる人たちに伝えて来なかったのか――洸太郎は不思議でしようがなかった。
「先代の宮司は雨の種を持っていても、自分にはそれを活かす力がないと感じるようになっていた。どれだけの方法を試しても、全く効果がなかったからね。しかし、そんな極限状態だったことが、先代の宮司を初心へと帰らせた。改めて自分に出来ることを考え、神社に仕える者として、神に『祈り』を捧げることにしたんだ……。自分の命を懸けてね」
「自分の命を……」
この「祈り」を行うと古書に記したことを最後に更新が無くなっているらしく、「ここからは私の想像の話になるが……」と高木は続けた。
「恐らく、今の神木様は先代の宮司の命と引き換えに、あるいは、その命とともに生きているのではないかと私は考えている」
洸太郎は声にならない声を吐き出したが、高木はそれに応えることなく、さらに言葉を重ねていく。
「今までこんなにも細かく古書に書き残してきたんだ。仮にこの『祈り』が失敗していたのであれば、その事実も残していると考えるのが普通だろう? それにもう一つ、こう考える理由がある」
「もう一つの理由?」
「そもそも、この雨は我々のご先祖様が雨乞いをしたところから始まったとされているが、そのご先祖様というのが、この神社の――初代宮司を指しているからに他ならない」
洸太郎は息を吞み、瞬きも忘れて大きく目を見開いた。
「世界の危機を救った、言わば英雄だ。しかし、その生涯に関する記録は全く残っていない。何故だと思う? 私はね、初代宮司もまた、先代の宮司と同じように、その命と引き換えに神木様を生んだからなのではないかと考えているんだ」
この事実に、洸太郎は高木に聞かずにはいられなかった。
「高木さん……。どうして今まで、このことが世間に公表されていないのですか?」
ここまで淡々と話して来た高木だったが、洸太郎の質問に少し戸惑った表情を見せると、一呼吸置く様に視線を古書へと移動させる。
そして、視線を前へと戻し、ゆっくりと口を開いた。
「最初に言ったね。『全員が全員、知っておく必要はない』と。仮にこの記録が『事実』だとしても、それを証明することは出来ない。証明することが出来なければ、それは『ただ闇雲に不安を煽る危険分子』であると判断されるだろう。世の中にはね、そういうことを根っから毛嫌う人たちが沢山いるんだよ。権力を持てば、尚更ね。だからこそこの話は、私たち宮司を拝命したものだけが知ることを許されている。もちろん、皮肉にもそのお陰で今日まで大きな混乱も起こっていないこともまた『事実』になるわけだけどね」
不確定な危険分子は、権力を行使する上で邪魔になる。
混乱を避けるという大義名分のもと、事実に蓋をした――ということになるのだろう。
高木の話を聞き、洸太郎は腹が立って仕方がなかった。
人間の内なる欲望が蓋をしているといってもいい、この現状に対して。
「これが、先代から受け継いだ、この古書の全てだ。何度も言うようだが、この話が真実か否かを証明する術はない。ただ――私はこれからも、これを真実として生きていこうと思っている。だからこそ今日、君たちにこの話を伝えたんだ」
高木は初めて会った時と同じような、とてもすっきりした表情で言った。
自分だけでも真実だと思っていれば良い――心からそう考えているように思えた。
「そういえば、私に話したいことがあると言っていなかったかい?」
不意に思い出したように、高木は言う。
洸太郎はその言葉にハッとし、瑠奈が見た「枯葉」についての話をした。
「なるほど、あの時に……。すまないが私にも詳しいことはわからない。だがやはり、君たちは神木様に導かれて、もしくは選ばれているのかもしれないね。私が先代からこの古書の内容を聞いた時、根拠はないが、『もしかしたら次は私ではないか』と本気で感じていたんだ。しかし、どうやら私の役目は君たちに真実を伝えることだったのかもしれないね」
洸太郎は、俯きながら口を結んだ。
「あ、雨が強くなってる――」
瑠奈が窓の外を見て呟く。
洸太郎もようやく雨脚が強まった事に気が付き、静かに雨の音に耳を傾けた。
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