目にしたもの
「まずい、松木に怒られるぞ」
「ちぃ、もう少しだから頑張って」
来た道を戻るだけ、と言えば簡単ではあるが、滑る足元に気を付けながら急ぐのは至難の業だった。
転ばないよう、どうしても一つ一つの動作を無意識のうちに確認してしまう。
出来る限り速度を落とさないよう進みながら、洸太郎は先程の高木のことを思い返していた。
神木様が成長している話をした時に大きな動揺は見られなかったが、洸太郎と瑠奈が「葉っぱの温かさを体感した」と言った時は、一瞬目を見開き、視線をこちらから逸らしていた。
その態度に加え、改めて時間を取って欲しいということは、何かを知っていると思えて仕方がない。
しかし、自分でさえ忘れているあの記憶が、神木様と自分を結ぶ何かになるとは思えなかった。
それだけに、洸太郎は必死にあの頃を思い出そうと、何度も当時の記憶を辿ったが、ぼんやりと思い出して浮かんでは、まるですべてが夢のように、映像が鮮明になる前に消えていったのだった――。
「洸太郎、今日学校が終わったら、カフェチュウで話せる?」
瑠奈は駆け足で石段を下りながら、洸太郎の方を見ずに言った。
高木のことを考えていたからか、胸騒ぎに似た、嫌な予感が頭をよぎる。
「いいけど、部活は?」
「適当に理由を探して、顧問には千歳に伝えてもらうから大丈夫」
「わかった。大介は弟のお守りをするって言っていたから……、今日は二人になりそうだけど、それでも良い?」
「うん。むしろ、出来れば二人で話したいな」
少し違和感を覚えた洸太郎は瑠奈に視線を向けたが、一向に目が合う気配はない。
大介と千歳を抜きにしてまで話をしたいなんて、どこか瑠奈らしくない気がした。
急いでいたせいもあり、瑠奈の表情まで確認出来なかったことが、余計に洸太郎の思考回路を混乱させる。
「やっべ、おい、もうみんな集まってるぞ!」
先頭を走る大介は、後ろを振り返らずに知らせた。
洸太郎が時計に目を移すと、時計の針は十二時十分に迫ろうとしていた。
ここまで時計を見ずがむしゃらに戻ってきたが、最後は受け入れる覚悟をしながら走ることになった。
「はぁ、はぁ……、チーム水田、ただいま、戻りました……」
まだ後ろで千歳が走っていたものの、洸太郎と瑠奈の到着を確認し、大介は一先ず松木に到着した旨を報告する。
十分近く走っていたので、流石の瑠奈も肩で息をしていた。
男性二人のペースとほぼ変わらない速度で走っていたことを考えると、それでも十分凄いことだった。
「水田。遅刻は確かに良くない。だが……グループのリーダーとして、全員の安否確認が出来ていないことの方が問題じゃないのか」
松木はヘロヘロになりながら駆け寄ってくる千歳を見てから、大介を睨んだ。
大介は下唇を噛みながら、「やっちまった」と言わんばかりに洸太郎に目配せをしたが、洸太郎は大きく息を吐き、「もう諦めよう」というジェスチャーで返した。
その後は予想通り、「俺だってこんなこと言いたくないが」という枕詞を皮切りに、松木にしっかりと怒られた。
ただ、今回は初犯ということでペナルティはなく、この場で怒られるだけに留まったのは、不幸中の幸いだった。
「結構、長かったな」
学校への帰り道、田んぼ道を歩きながら大介は頭を掻いた。
「長かった」とは、松木のお説教のことを指しているのだろう。
「まぁお咎めなしだったし、良かったんじゃん?」
「だいちゃんが薄情なことするから!」
「ちぃがもう少し、早く走ってくれればなー」
「いやいや、僕らが着いた時でも、十分は遅刻していたから」
洸太郎の発言に被せるように、「そうだよ」と千歳も大介を睨みながら言った。
列の先頭では松木が目を細めてこちらを見ていたが、怒られてからまだ五分と経っていないこの状況で既に笑い話にしてしまっていては、反省の色がないと思われても仕方がなかった。
「そういえば瑠奈。さっき神木様の前で高木さんが来る前に、何か言いかけていたよね? 何かあったの?」
洸太郎はひそひそ話をするかのように、小さな声で瑠奈に話しかける。
ずっと気になっていた。
神木様を見たあの時、瑠奈は動揺するように固まっていたし、高木の話を急かすようにしたり、いきなり過去の話をしだしたり――とにかく瑠奈らしくない気がしてならない。
いつもなら冗談の一つでも言っていそうだが、あれから口数も少ないままだ。
「え? あ、いや、何でもないよ。私の勘違いだと思うし」
瑠奈の笑顔が、やけにぎこちなく感じる。
しかし、それと同時に「あまり聞かないでほしい」という態度にも見えたので、今はそれ以上、何も聞かなかった。
学校に着くと、宿題として今日の纏めを所定のレポート用紙に書いてくるよう連絡があり、そのまま下校となった。
学校で昼食を取るわけでもないのであれば、「現地解散にしてくれよ」と言う不満の声も出たが、これもまた、学校のお堅いルールなのであろう。
松木が教室を後にしてから帰り支度を済ませると、洸太郎は瑠奈と二人で帰路に就く。
瑠奈は千歳に「家庭の事情」により部活を欠席する旨を伝えてもらうようお願いし、大介は自分たちが遅刻し、尚且つお説教を受けたこともあって下校時刻も遅くなり、「弟のお守りが」と言いながら、急いで教室を出ていっていた。
昇降口から覗く雨は、朝より更に弱くなっている。
学校を出てからも、瑠奈は暫く黙っていた。
「瑠奈。やっぱりあの時――何かあったんだろ?」
二人の間に流れた沈黙を破るように、洸太郎は出来る限り優しく、問いかけた。
聞かないでほしい話なのかもしれないが、あの時の何かが原因になっているのは間違いないと感じていたこと、そして何より、これから二人で話すのであれば、いつかは聞くことになるだろうと思ったからだ。
ただの思い過ごしであれば良い。
そんな期待を、言葉に込めた。
しかしながら、こういう時の思いは大抵、求める方とは逆になる。
「洸太郎、私、見えたんだ……」
「見えたって、何が……?」
「神木様が――」
瑠奈はそう言って一度視線を逸らしたが、一呼吸置いてから真っすぐ洸太郎を見つめ直すと、震えた声で言った。
「枯れていたの……」
瑠奈の顔に雨が当たっていたのか、それとも泣いているのか――洸太郎にはわからなかった。
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